酔いどれ日記9

今日は、赤ワインのロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んでる。ぶどうはサンジョヴェーゼ。イタリアワインのぶどう品種では、ぼくはサンジョヴェーゼが一番好きだ。

 さっきまでゼミ生とスタジオで録画撮りをしていた。今年もゼミライブをライブハウスで実施することができず、結局、動画制作をすることになった。ゼミ生たちの就活の都合もあるので、たった2回のスタジオ入りで撮影せざるを得なかった。まあ、それでも、伝統イベントを繋いだ、ということで一安心。

 今夜の日記では、昨夜に観た原一男監督のドキュメンタリー『全身小説家について書こうと思う。

 この映画は、小説家・井上光晴の晩年5年間を撮影したドキュメンタリー映画だ。井上光晴は、左翼系の小説家で、数々の優れた小説を書いた。映画は、井上の交友関係、講演会、小説作成教室、読書会などを取材して編集したもの。途中に、彼の幼少期の記憶を再現したイメージ映像を差し挟んでいる。

 親しい作家仲間として、埴谷雄高野間宏瀬戸内寂聴が出演している。井上光晴は若い頃にいくつか読んだ作家だが、本人の実像はけっこう意外だった。豪傑で、エネルギッシュで、多弁な男だった。一方で、埴谷雄高は物腰が柔らかく、知的で、冷静な人だった。これも意外な人物像だった。

 井上が小説の修行中の人たちを指導するシーンや、雑誌に掲載されている他人の作品を品評するシーンがあり、井上の小説観や作法が垣間見られて興味深い。前に酔いどれ日記4で書いたように、小説というのは単に感性やセンスで書くものではなく(もちろん、それらも必要だが)、緻密な計算で書くものだ、ということを再認識させてくれる。

 井上が語る井上の少年期を、イメージ映像として投入したのは、ドキュメンタリー映像としては珍しいことだが、後半になるに従って、その理由がわかってくる。これも見所の一つだ。

このイメージ映像は、(たしか)、劇団・燐光群の役者さんたちが演じていてびっくりした。燐光群は、20年ぐらい前に何度も観た劇団だ。劇作家の坂手洋二が社会派の、それでいて前衛的で、かつ芸術的な舞台を生み出す劇団だ。とても奇遇に思った。

 ドキュメンタリーの中で、たくさんの女性が、いかに井上光晴が魅力的な男で、自分がどんなに恋愛感情を抱いたかを語っている。要するに彼はモテ男なのである。それでちょっと思い出されることがあった。

 映画を観始めてすぐに感じたのは、井上の方言が「どこかで聞いたイントネーション」と思ったことだった。井上の故郷が長崎県佐世保とわかって、記憶が像を結んだ。昔に、このイントネーションそのままの男性を一人知っていたのだ。それは、数教協(数学教育協議会)のXさんだった。

 数教協とは、数学の教え方を相互に学び合う先生方の非公的な団体だ。小学校の先生から大学の先生まで幅広い学校の先生方が手弁当数学教育の議論をする。創始者は数学者・遠山啓先生である。遠山の数学教育や思想については、拙著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫で読んでほしい。ぼくは、数学教育にも、抽象数学の理論や哲学が必要であることを遠山から学び、実践している(つもり)。

ぼくは30代前半の一時期、数教協の海外研修に3回ほど参加した。それは、ヨーロッパの学校見学をメインに、ついでに観光をする旅行だった。その旅行でいつも一緒だったのがX先生だった。X先生は佐賀県の小学校の先生だった。豪傑ながら優しさもあり、進歩的ながら旧態依然とした男尊女卑の雰囲気も備えている人だった。そのXさんのイントネーションや話し方が井上光晴のものとほとんど同じだったのだ。

面白いことに、Xさんも女性にすごくモテる人だった。Xさんを慕って、九州地区からたくさんの女性の先生が研修旅行に参加しており、みんながXさんをハートマークな目線で見ることに驚かされた。偏見かもしれないが、九州の男と女の間には、ぼくには及びもつかない「暗号性言語」があるのかもしれない、と思ったものだった。『全身小説家』で女性たちが語る井上への恋情も、そういう「暗号性言語」のなせる技だったのかもしれない。

 ぼくが井上光晴の小説を初めて読んだのは高校生のときだったと思う。たぶん、国語の先生(酔いどれ日記2でのO先生)の推薦だったと思う。そのときに読んだのは、『地の群れ』だった。これは(記憶では)、被爆者、被差別部落民、在日朝鮮人という虐げられた人たちがいがみあう、という、とてもいたたまれない小説だった。「なんで、どういうつもりで、こういう小説を書くんだろうか」と思ったものだった。高校卒業後に、『ガタルカナル戦詩集』を(たぶん)読んだ。『他国の死』は長い間本棚にあったが読んだ記憶がない。今の本棚にはないから、たぶん読まずに捨てたのだろうと思う。井上光晴がどういうことを描きたいのかは理解できたつもりだし、優れた作品なんだろうともわかったけれど、どうしても小説として好きになれなかった。

埴谷雄高も左翼系の作家で、高校生のとき、左翼かぶれの友人が心酔していた。ちょうど、大作『死霊』が刊行された頃で、ぼくも購入したが結局は読まずじまいで、今の本棚にはなくなっている。友人が「死霊はシレイと読むんだぞ」と自慢げに語っていたのを今でも覚えている。今、ネットで調べたら、その後も『死霊』は書き続けられたらしい。それは知らなかった。ときどき行くワインバーで、たしか埴谷雄高貴腐ワイン・シャトー・デュケムを飲んでいる写真を観たと思うので、調べてみたのだけど、「貴腐ワイン通」という情報は見つかったがシャトー・デュケムについての記載は発見できなかった。シャトー・デュケムは、ぼくが死ぬほど好きなワインで、高くてほんのときどきにしか飲めないのだけど、死ぬ前に一杯だけ何か飲んでいいと言われたら、間違いなく迷いなくこれを選ぶと思う。