酔いどれ日記10

 今は、イヴに飲んだボーヌ・ロマネの残りを飲み干し、サン・ジョセフの赤ワインを飲んでる。

 中高生の頃、クリスマス・イヴの夜にはディケンズクリスマス・キャロルを読むのを習慣にしていた。いろいろな出版社の文庫で、異なる訳本が出版されていたので、毎年違う訳者の訳本で読んだのだった。

 『クリスマス・キャロル』はすごく好きな物語だった。クリスマスに従業員を働かせる守銭奴の主人公スクルージを、死んだ共同経営者のマーレイの幽霊があの手この手でこらしめて、スクルージがそれに諭されて改心する話だ。こんなすばらしい話はない。

 むかし、アルバイト先の塾の社長が、イヴの夜に講義を設定しようとしたとき、同僚の大学生が「イヴの夜に仕事をさせられるなら、ぼくは今すぐに退職します」と言ってのけて、ぼくは心の中で喝采を送ったものだった。

 大学生になってからは、イヴの夜には友達とパーティをするようになり、本を読む習慣はなくなってしまった。それはそれで楽しいイヴの過ごし方だけど、読書のイヴも今となっては思い出深い。

 高校3年だったか浪人生のときだったか忘れたが、『クリスマス・キャロル』の手に入る訳書をすべて読み尽くしてしまっていたため、やむなく別の本を読んだことがあった。ヴェルコール『海の沈黙』岩波新書だった。なぜ、この本を買ったのかよく覚えていない。尊敬していた高校の現国の先生2人のうちのどちらかに勧められたのか、あるいは左翼系の友人が読んでたからかもしれない。

 このことを思い出したので、昨夜(イヴ)の読書はヴェルコール『海の沈黙』にしてみた。ものすごく久々、40年ぶりくらいの再読だった

 この小説は、フランスの抵抗文学のひとつだ。時は1941年、ナチス占領下のフランスの話。ドイツ軍の将校が、占領しているフランス家庭に寝泊まりするようになる。その家には、主人公の老人と姪が暮らしている。ドイツ将校は、二人にいろいろなことを語りかけるが、主人公と姪は、一切返事をしない。一言も話かけない。将校をあたかも幽霊のように扱う。それは、自国を蹂躙するドイツへの頑な抵抗の所業だった。

 したがって、物語は、将校の独り言で進んでいく。主人公たちの気持ちは、主人公の独白で読者に伝えられる。将校は、自国での職業は作曲家であり、あらゆる芸術に造詣が深い。だから、蕩々とフランス文化への尊敬を語り続ける。バルザックボードレールプルーストの名をあげる。しかし、主人公と姪は、一切、反応をしない。

将校は、このナチスの占領が、ドイツとフランスの「幸せな結婚」を意味すると根拠ない妄想を抱いていた。しかし、あるきっかけから、そうではなく、ナチス・ドイツのフランスへの単なる蹂躙であるという現実を思い知ることになる。単なる野蛮な所業だということに衝撃を受ける。

 ぼくが10代でこの小説を読んだときは、主人公たちが最後まで抵抗し、一言も言葉を発せず、将校が前線に志願して、彼らのもとから去るときに初めて、「ご機嫌よう」と一言だけ言うのだと記憶していた。しかし、今回読んでみて、そうでないことがわかった。

と言うか、今回読んでみて、主人公と姪のいろいろな心の葛藤が描かれていることに気がついた。ドイツ将校に対して、実に複雑な心理変化を描いていることがわかったのだ。とりわけ、姪と将校に特殊な関係性が育まれていく様子がきめ細やかに描写されていたのである。当時は素朴な少年であったぼくには、「沈黙=抵抗」としか読めていなかったのだ。やはり、小説というのは、単純な「論理構成物」ではなく、もっと深みのあるものだと再認識することになった。

 何歳になっても、クリスマス・イヴは特別な夜だ。これは死ぬまで続くことになるに違いない。これからのイブが、どんな夜になるのか、それがとても楽しみではある。来年のイヴは何を読んでいるだろうか。