酔いどれ日記11

今夜はコート・デゥ・ローヌの赤ワイン。今回は、PKディックSF小説のことを書こうと思う。

ディックの小説を初めて読んだのは、20代の中盤だったと思う。高校のときの親友が京都大学に進学して、そこで劇団の活動をしてた。親友が劇団で知り合った人の中に、SF小説SF映画に詳しい人がいて、親友もその人の影響でディックを読んでいた。ぼくはその二人からディックを紹介され、はまることになったんだ。

最初に読んだのは、たぶん、『火星のタイムスリップ』だったと思う。この小説には心底びっくらこいた。タイムスリップものとは言っても、そのタイムスリップの仕方がすごいんだよね。自閉症の子供は、心の中の時間の流れと現実の(外部の)時間の流れがずれているために自閉に陥る、と設定されていて、その時間の流れのズレを利用してタムスリップするという、とんでもない発想。そして、サラリーマンの主人公は、つまらない失敗をやり直したいがために、自閉症の子供の心の中に入り込んで時間を遡ろうとして、悪夢のような時空にはまってしまう、という話。

このあとに読んだのが、かの有名な『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』。映画「ブレードランナー」の原作となった小説だ。これは、火星で苦役を強いられているアンドロイドが地球に逃亡するので、それを始末する殺し屋の話である。アンドロイドはほとんど人間とそっくりなので、見分けるのに特殊な技術(テスト)が必要で、見抜いて抹殺すれば報奨金を得られるが、間違って人間を殺してしまうと殺人犯になってしまう。

この小説で最も面白いシーンは、主人公が自分自身もアンドロイドではないか、と疑って、自分で自分をテストするシーンだ。これは、「自然数論は自分自身が無矛盾であることが証明できるか」というゲーデルの第2不完全性定理を想起させるし、心を病んだものが自分が病んでいることを自覚できるか、という精神医学の問題にも抵触する。

このテーマに関して、30年くらい前、コンピューターに詳しい知り合いから面白い話を聞いた。(この話は一度エントリー済みかもしれないが、まあいいじゃん)。あるワープロソフトは、自分がオリジナルかコピーソフトで複製されたものかを判定するプログラムを内蔵している。もしもそれが複製されたものだと、3ヶ月ぐらい使ったあたりで「これは違法に複製されたものです。オリジナルを購入してください」というメッセージが表示されて、それ以降、使えなくなってしまうという。3ヶ月ぐらい使うと、そのワープロに慣れてしまうため、別のソフトに変更する気にならず、やむなくオリジナルを購入する、という仕掛けなのである。

ところが、これがうまくいかなかった。なぜかというと、オリジナルなのに、複製であるというメッセージが出ることが、頻出したからなのだ。オリジナルでも、(当時はフロッピーディスクだった)、ちょっとした傷や摩耗があると複製だと誤認してしまうという。ぼくはこの話を聞いたとき、「これって、ディックじゃん」って思ったものだった。

ぼくはディックの小説を、たぶん、20冊以上読んだと思う。時々、つまらない作品やはちゃめちゃすぎてついていけない作品をあったけど、だいたいの作品は面白かった。

ディックの大きなテーマは、「目の前の時空間の崩壊」なんだけど、とりわけ麻薬によるそれは面白いものが多かった。中でもいまだに鮮烈に覚えているのは『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という作品だ。主人公は、チューZという強力な麻薬を使って幻覚世界に入り込む。そこは現実世界のわずかな時間の間に永遠もの時間を経験できる。過去や未来にも行き来できる。ところが、そこは実は悪夢のような世界だった。パーマー・エルドリッチという男が君臨し、自由自在に世界を作り変えることができるのだ。パーマー・エルドリッチは、義眼と義歯と義手という三つの聖痕を身につけて、どの空間、どの時間にも存在していた。

この小説は、麻薬トリップしているときの記述が卓越であり、読者をもバッド・トリップの迷宮に誘いこんでしまう迫力がある。そういう意味で、ぼくにとって、ディックの中でもものすごく好きな作品の一つだ。

パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』があまりにも好きすぎて、ぼくは昔、受験雑誌『大学への数学』にパロディ小説を書いてしまった。それは「クンマー・エルドリッチの三つの正根」というタイトルの小説だ。

このパロディ小説は、ドラッグを使うことで複素数を使えるようになった受験生が、いくつかの受験問題を複素数によって簡単に解けるようになった一方、悪夢のような魔窟にはまってしまう、というストーリーである。それは、ある与えられた3次方程式に3つの正根があることが明らかなのに、それを求めようとすると虚数\sqrt{-3}が根の表記に現れて、どうしても消えなくなるという魔窟だったのだ。

この不可思議な現象は、簡単に言えば、3次方程式のガロア群の性質によるものなんだけど、詳しくは拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社を参照してほしい。

クンマーとは、「フェルマーの大定理」に対して、初めて一般的な結果を与えた19世紀の数学者の名前だ。「フェルマーの大定理」は、ご存じのように、「n≧3のとき、x^n+y^n=z^nを満たす自然数x,y,zは存在しない」というものだけど、nが正則な素数(あるいは正則な素数で割りきれる自然数)については定理が成り立つ、という結果を証明したのだ。(正則素数については説明が面倒なので、ものの本にあたってほしい)。クンマー等の研究によって、円分体(1のべき根を有理数に加えた体)で定義される整数に類似した世界では、素因数分解の一意性が成りたたないことが判明した。これもバッドトリップの魔窟である。

リドリィー・スコット監督の映画「ブレードランナー」は、ディックの原作とはだいぶ面持ちの違う作品だけど、名作であることは疑いないので、未見なら観たほうが良いと思う。ぼくがこの映画を初めて観たのは、原作を読んだあとだった。カーペンター監督の『遊星からの物体X』と二本立てで観た。最初に物体Xを観て、あまりのすごさ(ひどさ)に頭が痺れてしまって、大丈夫だろうかと案じたけれど、「ブレードランナー」はその麻痺感覚をきれいに清浄したうえで、切ない気持ちになる感動を与えてくれる映画で、見まごうことなき名作だった。

ディックもブレードランナーも物体Xも、その京都大の人の勧めで知ることができた。その人は数年前に夭折したと人づてに聞いた。影響を大きく受けた人だけに、とても残念な気持ちになった。