酔いどれ日記12

今夜は南アフリカのCageという白ワインを飲んでる。たいした価格ではないが、特有の苦みがあって好みの味だ。

 今回は、ちょっと調べたいことがあってたまたま拾い読みした、中山幹夫『社会的ゲームの理論』勁草書房から面白いネタをエントリーしようと思う。この本は、ゲーム理論がどのように社会の分析に役立つかを網羅した本だ。

 第1章はゲーム理論誕生の歴史を解説している。もちろん主役はフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンだけど、フランスの数学者のエミール・ボレルも登場する。ボレルは、「ボレル集合」で有名だ。ボレル集合とは、ルベーグ積分(高校で習う積分は、リーマン積分だが、それよりもいろいろ操作性の良い積分理論)で、「測度」を定義するのに利用される概念である。ルベーグ積分は、測度論的確率論の土台となる。(測度論的確率論の意味合いについては拙著『確率を攻略する』ブルーバックス参照のこと)。

 そのボレルが、実はゲーム理論の研究を発表している、という事実が中山先生の前掲の本に書いてあった。ボレルは「じゃんけんの一般化」を考え、「混合戦略」を定義したとのことである。(混合戦略とは、選ぶ手を確率的に変化させること)。そして、フォン・ノイマンの用語で言えば「マックスミニ戦略」にあたる戦略についても分析したそうなのである。(マックスミニ戦略とは、ありうる中で最悪の利得が最大になるように手を選ぶ戦略)。数学者フレッシェは、「エミール・ボレルにこそゲーム理論創始者という名誉を与えるべきである」と訴えたそうだ。(フレッシェはたぶん、その筋では有名なフレッシェ微分の創案者だと思う)。

実際、フレッシェは1953年のエコノメトリカ誌に「エミール・ボレル心理的ゲームとその応用の創始者」と題するレターを寄稿した。これに対して、フォン・ノイマンが返答を掲載しているのだが、それが辛辣なものだったという。ミニマックス定理にたどりつけていないことを否定の材料とし、「フレッシェ教授ともあろう方が、戦略概念の単なる数学定義がゲーム理論創始者の主要な仕事と考えていることに多少の驚きを禁じえない」という皮肉を綴ったそうだ。

 フォン・ノイマンがナッシュの提案したナッシュ均衡について「それは、別の不動点定理にすぎない」と一笑に付した話は有名だから知っていたけど、ここでも同じような所業をしていたのだね。フォン・ノイマンの伝記には、彼の人格が露見するこの手のエピソードが事欠かない。

 学者の世界には、このように「価値判断」の問題は常につきまとう。ぼくも、研究報告で聞いた他人の論文について、心の中で「それほどでもないよな」と思ったものが、とても良いジャーナルに掲載されて、びっくりするとともに自分の批評眼の甘さを実感したこともあった(嫉妬まみれに)。また、自分が論文を投稿したときにも、レフリーによって評価が雲泥になることを経験し、採択・不採択もある種の「運」のなせる技だな、と感じる今日この頃である。

 さて、ぼくは最近、素数ほどステキな数はない』技術評論社を刊行したんだけど、(例えばこのエントリーを参照のこと)、その中で最も重要な参考文献のひとつが、エミール・ボレル素数文庫クセジュだったのだ。この本は、ボレルが確率論的な立場から素数を解説したものだ。初等的に「素数定理」に迫っていることがポイント。素数定理とは、「x以下の素数の個数\pi(x)は、\frac{x}{logx}に漸近する」というものだ。素数は不規則に出現するけど、マクロで見ると、その確率はだいたい\frac{1}{logx}と見なせる、というものである。ボレルはこの定理を、「2n個の異なるものからn個を選ぶ組み合わせ数」の計算を使って説明している。高校生にもわかるぐらいの非常に初等的な議論である。「証明」というにはほど遠いが、それでも、「素数定理」の成立と正しさを信じるに足るほどの見事なアプローチになっている。しかも絶妙に確率論的なアプローチなので感心する。ボレルの才能を垣間見られる。ボレルのアプローチについては、拙著で丁寧に解説しているので、読んでみてみてほしい。