酔いどれ日記13

今夜はSantenayの赤ワイン。かなり美味しい。

今日は、駒場寮の思い出をエントリーしようかな、と思う。

(今は知らないが)、ぼくが入学した頃の東大は、1、2年生は東大駒場前にある駒場キャンパスで授業を受けた。駒場キャンパスは、旧制一高に代わって作られたキャンパスだ。主に一般教養の講義がなされていた。

駒場キャンパスには、キャンパス内に駒場寮というのがあった。歴史のある寮だ。寮費が信じられないくらい安くて、貧困な学生にはありがたい存在だった。ぼくの所属したクラスは、クラスとして寮の部屋を一部屋確保した。寮費は大学祭(駒場祭)の露天の売り上げで捻出した。その部屋は、講義の合間に昼寝で休んだり、集まって麻雀したり、飲み会で帰れなくなったら宿泊したりするのに使った。とても便利だった。今でも懐かしく思い出される。

ところでぼくが初めて駒場寮に足を踏み入れたのは高校2年のときだった。

何しに行ったかというと、駒場寮の中で密かに行われていた、ある差別問題に関する研究会に参加するためだった。もちろん、その差別問題に興味があったのではない。当時惚れていた女の子に会いたい(体験を共有したい)一心だっただけだ。その女の子とは、酔いどれ日記1に書いたその子である。詳しいことは忘れてしまったが、「大学生たちが集って勉強をしているので、一緒に行ってみない?」とかなんとか言われて、ほいほいと出向いたんだと思う。

その日行ってみたら、到着が早すぎたらしく、彼女はまだ来ていなかった。というか、主催者の東大生一人しかいなかった。それでぼくは、その東大生の寮の部屋でみんなが集まるのを待つことになった。その東大生は(たぶん)経済学科の学生だったのだと推察された。本棚にぎっしりとマルクス・エンゲルス全集と宇野弘蔵著作集の全巻が並んでいたからだ。もちろん、その東大生は別の学科の学生で、単に左翼思想に心酔していただけの可能性もあるけど。

ちなみに宇野弘蔵とは、(よくは知らないんだけど)、日本のマルクス主義研究の第一人者だと思う。市民講座で宇沢弘文先生のゼミナールにいたとき、経済学部卒のおじいさんが、いつも宇沢先生の名前を間違って「宇野先生」と呼んでしまって、そのたびに宇沢先生が苦々しい表情をしたのが可笑しかったものだった。

ぼくは、その東大生の部屋でぼそぼそと会話をしながら、すごく威圧されていた。「東大生ってこんな感じなんだ」と遠い星空を仰ぐような気分だった。別の部屋からは、明らかにプログレッシブロックと思われる音楽が大音響で流れてきた。たぶんメロトロンを使った知らない曲だった。イギリス系のプログレはだいたい知っていたので、フランス系かイタリア系のバンドだったんだと思う。とても良い音響に聞こえたのは、オーディオが良かったのか、駒場寮の反響が良かったのか、それともぼくの緊張感のせいなのか、今となってはわからない。

そのあと、数人が集まって、彼女も登場して、勉強会が始まった。その中に、上記の東大生の親友と思われるMという青年がいた。Mは東大生ではなく、というか、大学生ですらなく、たぶん浪人生かあるいは革命分子だったのだと思う。そして、このMと彼女が親密な関係にあることを、なんとなくけどってしまったのだ。それでぼくは、頭がぐるぐると旋回して、もうそのあとのことはすべて記憶から消えてしまった。

 駒場寮と言うと思い出されるのが、原口統三『二十歳のエチュードだ。原口統三は、詩人で、旧制一校に在籍。有名どころでは先輩の清岡卓行と親交があったらしい。旧制一校在学中に二十歳を目前に入水自死を遂げた。駒場寮の友人が遺稿を編集して刊行したのが『二十歳のエチュード』なのである。

この本は、詩集というより、詩句を断片的に綴ったようなもので、なんだかおしゃれで格好いい。例えば、

肯定が負担にならないように要心したまえ。

ニーチェは重荷を担いで、苦しまぎれに威張り散らす。

だとか、

沈黙の楽園はもう失われたか。

小鳥たちは武装しなければならない。

だとか、あるいは、

ヴァレリィはこう言って嘆息した。そうして長い夢から僕は目がさめた。

だとか。なんか、当時の旧制一高の雰囲気を遠回しに感じられる。

実は、ぼくが『二十歳のエチュード』を読んだのは、上に登場した女の子からその文庫本をもらったからだった。なんで、彼女がこの本をくれたのかは今はすっかり忘れてしまった。そして、今のぼくの書斎の本棚には存在しない。ずっと後生大事に持っていたが、何かのきっかけで捨てたのだと思う。上で引用したのは、Kindleから0円でダウンロードしたバージョンである。