ケインズ消費関数のどこが間違いか?

今回も、前回に引き続いて、小野善康『資本主義の方程式 経済停滞と格差拡大の謎を解く』中公新書の紹介をする。ただし、説明の重複によって長くなるのを避けるため、前回のエントリーは前提として書くので、読者は前回のエントリーと行きつ戻りつしながら読んで欲しい。

 

今回は、本書の中で、ぼくが最も感動した部分について紹介したい。それは、「ケインズ消費関数のどこが間違っているか」という説明だ。

ケインズ消費関数」というのは、旧ケインズ経済学に導入された仮定の一つである。ちなみに小野さんは、本書で一環して、「ケインズ経済学」という用語を用いている。これは、いわゆるニュー・ケインジアン経済学を「新ケインズ経済学」としたいからかな、と思う。ご自分の経済学を「新ケインズ経済学」と呼ぶつもりである可能性もないではないが、とりあえず、前者だとぼくは解釈しておく。

ケインズ経済学では、消費関数からIS曲線と呼ばれる曲線を描き、貨幣需要関数からLM曲線を描き、その交点を均衡とする。すなわち、交点によって総生産と利子率が決まるのである。どちらにも、生産側の都合が入っていないのが特徴だ。

小野さんの本では、ケインズの消費関数を旧消費関数と呼び、c=c(y-t+s)と表記している。ここで、右辺は関数記号c(x)であることに注意。つまり、数学でよく使うf(x)の一種として、c(x)を投入しているということ。左辺のcは(実質)消費量、右辺のy, t, sは、順に、(実質)総需要、(実質)総税額、(実質)総給付額を表す(「実質」の意味は、前回のエントリー参照)。したがって、y-t+sは、いわゆる可処分所得(家計が同時点で自分が使える所得)を意味することになる。だから、式c=c(y-t+s)が意味するのは、「各時点における人々の消費は、同時点で自分が使える所得に応じて(関数c(x)に従って)決まる」という仮定だ。

マクロ経済学の教科書で、旧ケインズIS-LMモデルを扱うときは、関数c(x)をよく1次関数に設定する。すなわち、c=\beta+\alpha(y-t+s)とする。このとき、総需要yは、消費需要と投資需要と政府需要を合わせたものc+i+gだから、それを代入し、c=\beta+\alpha(c+i+g-t+s)が得られる。これを、消費cの1次方程式として解けば、消費cが、投資需要iと政府需要gと税金tと給付金sの式で表されることになる。したがって、総需要c+i+gも投資需要iと政府需要gと税金tと給付金sの式で表される。できた方程式は、投資需要iが利子率の関数だと見なすことで、総生産(=総需要)と利子率の関係式となる。これがIS曲線を描く。

ちなみに以上の導出は、総生産yc+i+gと一致することから、cのところに関数c(y-t+s)を代入し、c(y-t+s)+i+gとしておいて、これを総生産yを変数とする関数と見なして、その値が再びyと一致する場合を解くのと同じことである。関数c(y-t+s)+i+gのいわゆる「不動点」を求めているわけである。グラフの言葉で表現するなら、「45度線と関数のグラフの交点を求めること」なので、「45度線分析」とか「ケインジアン・クロス」と呼ばれる。

小野さんの本のすばらしさは、この旧ケインズ経済学と同じ方法で、小野さんの基本方程式から新しい消費関数「新消費関数」を導いてみせていることだ。以下、ざっと解説する。

前回のエントリーで説明したように、小野さんの基本方程式は、

 \gamma(m,c)+\delta(a,c)=\rho+\pi

 where \pi=\alpha(\frac{y-y^f}{y^f})

である。ここで、左辺のcmaはそれぞれ実質消費量、実質貨幣量、実質資産量で、 \gamma(m,c)は貨幣保有から得られる便益、\delta(a,c)は資産保有から得られる便益を意味する。右辺の\piは「インフレ率」(物価の変化率)で、\rhoは「時間選好率」。また、y^fは供給能力。(詳しくは前回参照のこと)。

特に、モノも資産も豊富になった「成熟経済」での方程式は、上記の左辺が変わって、

\bar{\delta}(c)=\rho+\pi

となる。ここで、左辺の\bar{\delta}(c)とは、資産量aが十分大きくなって、基本方程式の貨幣保有から得られる便益 \gamma(m,c)が0に収斂し、資産保有から得られる便益\delta(a,c)が、同じcに対して不変(aに影響されず一定)な、cだけの関数\bar{\delta}(c)に収斂してしまったことを表している。

ここで、基本方程式から、インフレ率 \pi\alpha(\frac{y-y^f}{y^f})と表されることから、インフレ率は総需要yと生産能力y^f(の開き)によって決まる、ということが仮定されている。上の「成熟経済」の方程式\bar{\delta}(c)=\rho+\picについて解けば、消費関数c=c(y; y^f)を導出することができる。これも総需要(=総生産)yの関数となっているので、旧消費関数と同じく、関数c(y; y^f)+i+g不動点が総生産yを決めることになる(ここで投資iは、消費が低迷しているため、減価償却の分のみのほぼゼロと考えてよい)。言い換えると、「45度線分析」(ケインジアン・クロス)によって総生産が決まる。小野さんは、この消費関数c=c(y; y^f)を「新消費関数」と呼んでいる。

 小野さんは旧消費関数と新消費関数について、その決定的な違いを説得している。それは「旧消費関数では、人々はその時々で手にする可処分所得だけを見て消費を決めると仮定しているが、新消費関数では、人々は物価変化を見ながら、消費と貯蓄の便益を比較して消費を決めることを示している」ということ。さらに小野さんは、この違いをもっと明確に、こう述べている。「ケインズ経済学では、所得が総需要を決める、と考えているが、基本方程式では、総需要が所得を決める、となる」。この点の説明を本から引用してみよう。

総需要が物価変化率を決め、それが人々の消費を決めるとすれば、消費と投資と政府需要の合計は、もとの総需要と一致しているはずである。(中略)。総需要がこのように決まってしまえば、生産能力が余っていても実際に売ることができる量は総需要の水準までなので、所得もその水準になってしまう。つまり、資産選好を持つ人々の行動を考えると、「総需要が所得を決める」ことがわかる。ところが、旧ケインズ経済学では、その時々で所得が入るから消費をすると仮定しており、「所得が総需要を決める」と考えている。このように、旧ケインズ経済学では、総需要と所得の因果関係を反対に捉えているのである。(p80)。

(上に注意したように、投資iがゼロに近い一定値であることを踏まえよ)。

この違いは、経済政策の効果について、全く対照的な結論を導くことになる。ここも直接に引用しよう。

可処分所得が消費を決めると考える旧ケインズ経済学が正しければ、定額給付金地域振興券などのばらまき政策は、税金を取らずに赤字財政によって行われる限り、可処分所得を増やして消費を増やすはずである。ところが、消費が人々の資産選好と物価変化率で決まるなら、ばらまき政策で家計の可処分所得を増やしても、新規需要を作らないからデフレ・ギャップは埋まらない。そのため、消費は刺激されず、総需要もGDPも増えない。(p81)

これを数学的に見るには、旧消費関数c=c(y-t+s)に変数s(=給付金)が入っているが、新消費関数c=c(y; y^f)には入っていないことからすぐわかる。また、日本の「失われた30年」の間の経済政策の無効性の経験(同書にいくつかのデータが掲載されているので参照こと)からも、旧消費関数が間違っていることが推測される。

 この議論がぼくにとって非常に重要だったのは、積年の疑問が晴れたことだった。大学院で経済学を勉強しているとき、計量経済学も教わった。計量経済学の教科書に必ず「消費を可処分所得で回帰した回帰直線」が例としてあげられており、それがあたかも旧消費関数の証拠のように登場していた(不思議なことに「証拠」だとは書いてないのだけど)。確かに、非常に当てはまりがよく、例えば蓑谷『計量経済学東洋経済では、決定係数が0.9873と非常に大きい数値になっている。ぼくは、これらを見たとき、「旧消費関数は正しい、だからきっと、旧ケインズ理論は正しいんだ。でも、感触的には何かおかしいぞ」と思ったものだった。今回、小野さんの本を読んで、「因果関係が逆だ」ということがわかった。「消費(総需要)が所得を決める」場合でも、同じく高い当てはまりが出るはずだからだ(単に、説明変数と被説明変数が逆になるだけだから)。これを理解してはじめて、「実証にはモデルの善し悪しが大事だ」というよく耳にする批判の意味を実感として身にしみた次第である。世の中には散布図だけを示して、何かの因果を吹聴している人々をよく見かけるが、そういうのはダメじゃん、という決定打を得たと思う。

 最後に、「増税が景気を冷やす」という俗説に関する小野さんの反論を引用しておこう。以下である。

消費税を引きあげると景気を悪化させるという主張は多い。本当にそうか。

消費税増税はその率だけ消費者物価を引き上げるため、景気に及ぼす効果は、物価上昇がもたらす実質金融資産の減少効果である。したがって、消費意欲の大きな成長経済においては、貨幣mや資産aが減って人々の流動性プレミアム \gammaや資産プレミアム \deltaが上昇し、貯蓄意欲が高まるから、消費を減らしてしまう。ところが成熟経済では、資産プレミアム\bar{\delta}は実質金融資産に反応しないため、消費は変化しない。このように、消費税増税が消費を引き下げるという主張が正しいのは成長経済だけであり、成熟経済では成り立たない。(p84-p85)

このことに関して、本書では、「消費税が高い国は景気が悪いか?」という点に関する解答の実証データとして、散布図をあげている(p86)ので、是非、それも参照してほしい。

 ぼくは勤務校で、長い間、マクロ経済学を教えている。最初は、旧ケインズ経済学のIS-LM分析を教えていた。しかし、教えるたびに、自分がでたらめな論理を組み立てているような「気分の悪さ」に襲われ、結局、この手法をやめてしまった。今は、ソローモデルを簡易化した動学モデルを講義している。小野さんの本で、その「気持ち悪さ」の所在がはっきりした。ケインズは、(新古典派に比べれば)、いい線まで行っていた。勘は良かったんだ。やはり、天才だったのである。でも、その後の経済学者が(ケインジアンが)、ちゃんとケインズの論理の欠陥を正そうとせず、そのまま請け売りを教えてきたから、ずっと「気持ち悪い」でたらめの、そして、現実とも食い違いがある理論が継承され続けてしまったんだと思う。

 ここで声を大して言いたいのは、「もう、大学で、IS-LM分析を教えるのは、いいかげんやめたらどうか」ということだ。そのためには、公務員試験とか経済学検定とかでIS-LM理論を出題するのもやめるべきだ(実際、出題しているかは知らないんだけど)。そうしないと、学生の受験のために、間違った理論を仕方なく教え続けなければならない。特定の経済理論を、公的試験とか検定試験とかに入れるのは、経済学というものの社会における地位を保つ(悪口を言えば、利権を保つ)ためには有効な手段なのは理解できるが、それは結局、サイエンスから道徳へと落ちぶれることを意味しており、自壊の道なのではないかと思うのだ。