酔いどれ日記21

今夜のワインは、Massaiという赤ワイン。値段のわりには複雑な味わいがある。久々に音楽のことを書こう。

最近、ヨルシカのライブ映像『月光』を観た。これは、今年の3月に行われたライブを収録したもの。あまりのすばらしさにもう10回以上観ている。水族館で行ったライブ映像『前世』も良かったが、ストリングス中心の『前世』よりも、演奏がハードなこの『月光』のほうが好きだ。

何がすばらしいって、ライブが一つの物語になっている。n-bunaさんのモノローグを挟みながら、アルバム『だから僕は音楽を辞めた』とアルバム『エルマ』の曲をつないでひとつの物語として構成していく。こんなライブ、観たことない。ライブの概念を完全に突き破っている。言ってみれば、踊りのないミュージカル、演技のない演劇、会話のない映画、という風情だ。歴史に残る作品だと思う。

物語は、「僕」がエルマという女の子に贈る詩と手紙を綴るための「旅」。ボーカルのsuisさんは、フォルムとしてはエルマを体現しながら、「僕」の物語を歌い綴っていく。その二重性があまりにすばらしい。n-bunaさんのモノローグも感涙もので、彼はいつか文学賞を受賞しちゃうんじゃないか、とさえ予感してしまう。

あと、最近はまっているのは、YOASOBIのベーシストやまもとひかるさんがyoutubeにアップロードしているベースコピーの映像だ。YOASOBIの「夜に駆ける」のベース演奏を聴いて、めっちゃすげえな、と思って彼女のyoutubeを観てのけぞってしまった。めっちゃ巧いし、何よりかわいい(笑)。

例えば↓

https://www.youtube.com/watch?v=7lW1nvinVag

あるいはこれ↓

https://www.youtube.com/watch?v=c_3xd9tNDSc

彼女のベースコピーを観てると、ベースという楽器の魅力がわかる。ひかるちゃんには、いずれジャコ・パストリアスみたいなベーシストになってほしい。ついでだから、ジャコのプレイもリンクをはっておこう。ジャコの演奏ではウェザーリポートのものが有名だけど、ぼくはジョニー・ミッチェルのサポートのときの演奏が好きだ。例えば、次の2曲。マイケル・ブレッカーパット・メセニーも加わってて、あまりの豪華メンバーだ。

https://www.youtube.com/watch?v=JnpyCEUESEw

https://www.youtube.com/watch?v=IbkKFDHmTik

ひかるちゃんは、きっとこういうベースに到達するに違いない(決めつけ)。

 さて、これで終わったら、ぼくが何の人かわからないので、経済学のこともちょっとだけ書くことにする。

前回と前々回に宣伝したように、先週ぼくは、京都大学での『社会的共通資本と未来』というシンポジウムに登壇した。さまざまな角度から社会的共通資本にアプローチする実り豊かなシンポジウムになったと思う。

ぼくの報告は、経済学の立場から社会的共通資本を総合的に分析するものだった。その中にぼくは、「現在の経済理論はどこがダメか」という議論を差し挟んだ。宇沢先生によって経済学に目覚めさせられ、思いあふれて大学院で専門的な訓練を受け、いくつかの論文も公刊した上で、たどりついた問題意識がこれだった。

議論の一つにぼくは、「経済学がニュートン力学を模倣していること」を挙げた。ワルラス一般均衡理論は、まるで「質点の力学」とそっくりだと思ったからだ。だけど、ニュートン力学は、その創造において、ティコ・ブラーエとケプラーの膨大な天文観測データをバックボーンにしている。つまり、「生の現実」を出発点にしている。それに対して、一般均衡理論の創造にはそのようなバックボーンはなかった。そういう意味で、出発点においてまったくダメダメだと思うのだ。

ぼくは、ワルラス一般均衡理論がニュートン力学を模倣している、という確信はあったが、証拠はもっていなかった。ただの「自信のある憶測」だった。そこで、ちょっと前に入手した重田園江『ホモ・エコノミクスちくま新書を満を持して読んでみた。ホモ・エコノミクスというのは「合理的経済人」のことで、自己の利益を執拗に合理性をもって追求する経済主体のことをいう。この本は、このホモ・エコノミクスという言葉や概念がどういうふうに成立したかを追う思想史の本だ。

 

予感が当たって、この本には、ワルラス一般均衡理論をどうやって発想したかが掘り起こしてあった。思った通り、ワルラスニュートン力学を模倣したそうなのである。引用しよう。

ミロウスキーの『光と熱』によると、ワルラス1860年にすでに、経済現象を物理学の法則を用いて表現することに関心を持っていたようだ。このとき、ワルラスの構想は、ニュートン万有引力の法則の単純な当てはめだった。それは「商品の価格は供給量に反比例し需要量に比例する」というものだった。

やっぱりそうか、と溜飲が下がった。ぼくの経済理論批判は根拠を得たように思う。

実は、著者の重田さんとは面識がある。ぼくが、30代後半で大学院に入学した頃、駒場で院生によって行われていたセミナーに参加させてもらったのだが、その中に重田さんもいた。そのセミナーは科学哲学の専門家、日本思想史の専門家、経済学説史の専門家などバラエティに富んだメンバーで構成され、重田さんはフランス哲学の専門家だった。

そのセミナーでは、確率・統計の思想的背景について輪読をした。イアン・ハッキングの著作を読み込んだ。このセミナーがぼくのその後の著作や研究に決定的な方向性を与えることになったのだった。

重田さんは、当時から非常にディープで綿密な読み込みをしていた。本書にも彼女のそのマニアックな特徴がいい意味で活かされている。非常に執拗に、非常に厳密に、経済学説史を掘り起こし、網羅的に解説している。研究というより、「蒐集」と評したいぐらいだ。われわれ経済学者には、垂涎の本だと言える。ただ一つ、苦言を呈するなら、(セミナー当時からそうだったが)数学に対するひどいアレルギーはそろそろ払拭してほしい。本書にもところどころに弁明が書かれている。めちゃめちゃクレバーな人なんだから、数学も勉強してみればなんてことないんだとわかると思うんだけど。

 奇遇なことにも、この本の編集者はぼくが刊行した3冊のちくま新書の編集者と同一人物なのだ。世の中、広いようで狭いね。まあ、鼻がきく編集者だということなんだと思う(自画自賛)。

 一般均衡にちょっとだけでも関係あるぼくの本は一冊だけある。これ↓