受験数学から最先端数学へ

今回は、黒川信重オイラー積原理』現代数学社の一部を紹介しよう。この本は、雑誌「現代数学」の一年間の連載をまとめたものだ。

オイラー積とは、オイラーゼータ関数を全素数を使った積形式で表したことが発祥となったものだ。ゼータ関数とは、自然数s乗の逆数を全自然数にわたって足し合わせもの、すなわち、

\zeta(s)=\frac{1}{1^s}+\frac{1}{2^s}+\frac{1}{3^s}+\dots

のこと。これを全素数を使って、次のように表現することができる。

\zeta(s)=\frac{1}{1-\frac{1}{2^s}}\frac{1}{1-\frac{1}{3^s}}\frac{1}{1-\frac{1}{5^s}}\dots

この積の形式が「オイラー」と呼ばれる。ゼータ関数のこの表現を利用することによって、「十分大きいxについては、x以下の素数の個数は、\frac{x}{log x}で近似できる」という「素数定理」が証明されたりする。\zeta(s)がなぜこのオイラー積で表されるか、とか、なぜこれで「素数定理」が証明されるのか、とかは、拙著『素数ほどステキな数はない』技術評論社で理解してほしい。

黒川さんによると、自然数s乗の逆数を全自然数にわたって足し合わせることがポイントではなく、オイラー積のほうが本質なのだそうだ。その証拠に、オイラー積は「素数の類似」があれば、これ以外にもいろいろ作ることができる。本書は、そんなオイラー積の魅力のすべてを集大成した本なのである。

正直言って、この本の多くの部分は専門家でないぼくには、読みこなすのが困難だ。でも、ところどころに、読んで理解できるところがあり、しかも非常に興奮する話題があるので、今回はそんな中から紹介しようと思う。

ピックアップする話題は、「チェビシェフ多項式」というものだ。チェビシェフ多項式(詳しくは第1種チェビシェフ多項式)とは、cos(n\theta)cos\thetan多項式で表したときのその多項式のことだ。すなわち、cos(n\theta)=T_n(cos\theta)となるn多項式T_n(x)のこと。

いくつか具体的に書いてみる。

cos(2\theta)=2cos^2(\theta)-1だから、T_2(x)=2x^2-1

cos(3\theta)=4cos^3(\theta)-3cos(\theta)だから、T_3(x)=4x^3-3x

という具合。

実は、このチェビシェフ多項式には、次のような性質が知られている。

「最高次係数が1のn多項式(モニック多項式)f(x)で、-1\leq x \leq 1での|f(x)|の最大値が最小となるのは、\frac{1}{2^{n-1}}T_n(x)である」

実は、これは\frac{1}{4}T_3(x)=x^3-\frac{3}{4}xの場合には、大学受験でときどき出題される有名問題なのだ。ぼくも30年ほど前、予備校の講師をしていた頃、この手の問題を解いて、教えた経験がある。ちなみに、3次の場合は愚直にやっても証明できる(という記憶がある)が、一般次数の場合はちょっとしたトリッキーな工夫が必要になる。その非常に鮮やかな証明は、黒川さんのこの本で読んでほしい。

さて、ここからが面白いのだ。

このチェビシェフ多項式がなんと!オイラー積と深い関係を持っているのである。しかも、ラマヌジャンゼータ関数との関係なのだ。

ラマヌジャンは、\Deltaという保型形式を考えた。具体的には、

\Delta=q(1-q)^{24}(1-q^2)^{24}(1-q^3)^{24}\dots

これをqの(無限次)多項式として展開したものを、

\Delta=\tau(1)q+\tau(2)q^2+\tau(3)q^3+\tau(4)q^4+\dots

と記して、関数\tau(n)を定義する。この\tau(n)から作ったディリクレゼータ関数

\frac{\tau(1)}{1^s}+\frac{\tau(2)}{2^s}+\frac{\tau(3)}{3^s}+\dots

が次のように、全素数の積であるオイラー積で表すことができる。しかも、2次のオイラー積でなのである!

\frac{1}{1-\tau(2)2^{-s}+2^{11-2s}}\frac{1}{1-\tau(3)3^{-s}+3^{11-2s}}\frac{1}{1-\tau(5)5^{-s}+5^{11-2s}}\dots

ここで、変数ss+\frac{1}{2}に置きかえることにより、正規化されたオイラー積が得られる。それは、

\frac{a(1)}{1^s}+\frac{a(2)}{2^s}+\frac{a(3)}{3^s}+\dots

=\frac{1}{1-a(2)2^{-s}+2^{-2s}}\frac{1}{1-a(3)3^{-s}+3^{-2s}}\frac{1}{1-a(5)5^{-s}+5^{-2s}}\dots

となる。ちなみにa(n)=\tau(n)n^{-\frac{11}{2}}である。

同じように、整数係数のn次モニック多項式f(x)に対して、次のようなオイラー積を定義する。

Z^f(s)=\frac{1}{1-f(a(2))2^{-s}+2^{-2s}}\frac{1}{1-f(a(3))3^{-s}+3^{-2s}}\frac{1}{1-f(a(5))5^{-s}+5^{-2s}}\dots

これが、な、なんと、チェビシェフ多項式と結びつき、次のような驚愕の定理が得られる、というのだ。

(定理) 次は同値である。

(1) Z^f(s)複素数全体における有理型関数に解析接続できる。

(2) すべての素数pに対して、次が成り立つ。

1-f(a(p))p^{-s}+p^{-2s}=0ならば、sの実部は0

(要するに、リーマン予想を満たす)

(3)  f(x)=2T_n(\frac{x}{2})

あまりの意外性にのけぞるような定理ではありませんか。(解析接続やリーマン予想については、拙著『素数ほどステキな数はない』でわかりやすく解説してあるので、ご利用くださいませ)。ラマヌジャンオイラー積をモニック多項式で変形したものは、それがリーマン予想を満たすためには、チェビシェフ多項式でなければならないというのだ。

チェビシェフ多項式の特徴付けというのは、前半で紹介したように、「変動幅が小さい」ということだけど、それがリーマン予想の成立にまわりまわって関わってくる、ということなんだろうか。それは、門外漢のぼくにはわからない。それはともかく、しかし、受験数学の常連である関数(多項式)が、超最先端の数論まで跳躍するのは、本当に興味深いことである。受験数学もばかにしてはいけない。

ラマヌジャンの他の業績についても、前掲の拙著で読んでおくんなまし。