異端の統計学ベイズ

 今、ぼくは、次に出す本のゲラを校正している。それは、ベイズ統計に関する本で、たぶん、『完全独習 ベイズ統計学入門』というタイトルになると思う。ゲラの段階に入ったので、来月中には確実に刊行されることになるだろう。これは、ダイヤモンド社の本で、前作『完全独習 統計学入門』の続編にあたる本となる。構成も書き方もレイアウトも前作を完全に踏襲しているから、前作を読んだ人は楽しみにしていてほしい。
 この本を書いているとき、参考にした本、シャロン・バーチュ・マグレイン『異端の統計学ベイズ草思社がめちゃくちゃいい本だったので、記念にエントリーしておこうと思う。

異端の統計学 ベイズ

異端の統計学 ベイズ

 ベイズ統計とは、主観確率に立脚するベイズ推定という方法論を基本に据えた統計的推定のこと。ベイズ推定とは、(高校生の習う)条件付確率のベイズ公式を使って、ベイズ逆確率というのを求める推定である。このベイズ推定は、学問的には、数奇な運命をたどっている。簡単に言えば、18世紀、19世紀に理論として構築されながら、20世紀初頭に全否定されて駆逐され、20世紀中盤に復活を遂げ、21世紀には主流派の座を奪還した、という経緯なのである。本書『異端の統計学ベイズ草思社は、そんな挫折と復活の歴史を、緻密な取材によって克明に描き出している。ぼくが知っている限り、こんなに充実したサーベイは今までなかったと思う。著者は、新聞記者からサイエンス・ライターに転じた人で、それだけに、単に文献調査だけで済まさず、直接、現存の人への取材を行ったのではないか、という形跡が感じられる。実にすばらしい。
 例えば、ベイズ逆確率を最初に考え出したのはベイズ牧師だったのだが、それは長い間、日の目を見ないでいた。それが、天文学者・数学者のラプラスによって掘り出されることになるのだが、そのあたりの経緯が詳細に調べられている。ラプラスベイズとは独立にベイズ逆確率の発想に独力でたどり着いていた。ただ、ベイズの研究を知って、自分の理論に不満だった点を改修できた、ということなのだ。そういう意味では、ベイズの名だけが冠されているのは、ラプラスにとって不本意だろうな、という気になる。
 ベイズ推定は、その後、フィッシャー、ネイマンなどの20世紀の主流派を築いた統計学者(ネイマン・ピアソン統計学の学者たち)から駆逐されることになる。それが、1950年代に、復活ののろしをあげたわけだ。その立役者は、ぼくの知識では、サベージだったのだが、本書を読んであと二人いることがわかった。それが、いずれもイギリスの学者、リンドリーとグッドだった。このことも新鮮だった。とりわけ、グッドという学者が、数学者チューリングと一緒に暗号解読に携わった、という話は初耳だ。暗号解読にもベイズ推定が活かされたという。
 サベージについても、初めて仕入れた知識があった。それは、サベージがシカゴ大学で、経済学者ミルトン・フリードマンと一緒に研究をした、というエピソードだ。この頃に、フリードマンが「合理的期待」という概念を標的にしていたかどうか知らないが、その後、ルーカスが合理的期待を統計的推定の技法からモデル化したことを考えると、頷ける話だと思う。ひょっとするとサベージは、フリードマンの影響で、主観確率に関心を抱いたのかもしれない(逆の可能性もあるが)。実際、ルーカスの合理的期待は、ベイズ推定と同値な方法論だからだ。
 ベイズ統計が、21世紀に主流派を奪還した原因は、ビジネスシーンで役に立つことがわかったからだ。立役者の一人は、あのMSのビル・ゲイツである。ゲイツは、早期から、ベイズ統計の有能さに注目しており、社内に多くのベイジアンをヘッドハントしてきていた。グーグル社も、ベイズ統計を使っている。でも、この本を読むと、MS社やグーグル社以前にも、ベイズ統計の技術を使った組織が多くあることがわかった。こういう技術革新は、唐突に、一人によって実現されるわけではなく、じわじわと、多発的な活用が起きる中で実現される、ということがこの本で再確認できた。
 この本『異端の統計学ベイズ草思社は、話が右往左往して、学問的に読むにはちょっと読みにくいところもあるのだけど、非常によく調べられていて、読むと興奮する本である。何より、ベイジアン理論という、異端と正統派の間をいったり来たりした不可思議な「思想」が、あますことなく描き切られており、科学の発展の面白さを十二分に味わうことができる。
完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門