シン・経済学

前回のエントリーでお知らせしたように、ぼくの新著が刊行される。刊行まであと一週間ぐらいになったので、販促を始めようと思う。タイトルは『シン・経済学~貧困、格差および孤立の一般理論』帝京新書である。

帯には、宇沢弘文氏没後10年・森嶋道夫氏没後20年』特別企画、とある。実際、本書の中には、宇沢先生の思想と森嶋先生の思想をふんだんに書き込んである。本書はお二人へのオマージュであり、その一方で、経済学への新しいアプローチの提案の書でもある。

まだ刊行前の今回は、目次と各章の簡単な要約をさらそう。

「はじめに」

この章では、日本の「見えざる貧困」について解説している。参考にした本は、阿部彩『弱者の居場所がない社会』、阿部彩・鈴木大介『貧困を救えない国日本』、石井光太『日本の貧困のリアル』

第1章 限界を暴いた経済学者

この章では、経済学の歴史と新古典派経済学に対する宇沢先生の批判を解説している。

第2章 「失われた30年」の真相

この章では、バブル経済のあとに不況が訪れることを中心に、ケインズ経済学についてまとめている。

第3章 長期不況と金持ち願望

この章では、ケインズ経済学を超克した小野理論(小野善康さんの長期不況理論)について説明している。とりわけ、小野さんの「資本主義の方程式」を導入して、バブル経済のあとに不況が訪れる理由を解明する。

第4章 見えざる貧困の解決

この章では、小野さんの研究を引用して、ケインズがどう間違ったか、とりわけ乗数理論の誤謬を解説する。その上で、見えざる貧困の解決には宇沢先生の「社会的共通資本の理論」が有効であることを説得する。

第5章 値段のないものの価値

この章では、経済学の真骨頂とも言える「帰属価格」について、けっこう丁寧に解説する。帰属価格とは「値段のないものの価値を測る」数学的技巧であり、理系向けに言えば「ラグランジュ乗数」のことだ。応用として、自動車の社会的費用、最適成長理論、温室効果ガスとしての二酸化炭素と炭素税、を解説する。

第6章 教育の自己言及性

この章では、社会的共通資本としての教育をどう考察すべきかを論じる。題材として、センの潜在能力アプローチ、ボウルス・ギンタスの対応原理、ジョン・デューイの思想を概説する。その上で、社会的共通資本の5つの特性について論じる。

第7章 医療を基本とする資本主義

この章では、政策のターゲットをGDPから健康寿命へ変更することを提案する。それがぼくの構想している「医療ベース資本主義」である。

第8章 シン・経済学の待望

この章では、物理学との比較によって、経済学がいかに未熟であるかを論じている。経済学がダメな原因を、経済学における「限界革命」がニュートン力学を模倣したことに求める。その上で、経済学が模範とすべきだったのは「熱力学」であり、そして今でもそうであることを説得する。要するに、シン・経済学とは「熱力学的経済学」なのである。(勘違いしてほしくないのは、決して、「統計力学的経済学」ではない、ということ。それなら既にいくつか研究成果があるし、それらはそんなに有望なものじゃないと個人的に思っている)。

第9章 過去の最適化

この章では、主にロールズ『正義論』とそれをぼくなりに拡張した「過去の最適化」について論じている。言ってみれば、経済学への哲学的アプローチである。

章立てを眺めた人は、異端の経済学に見えるかもしれない。でも、「人々を幸せにできる経済理論」で、現在最も有望なものが、宇沢先生の「社会的共通資本の理論」だと、ぼくは正直思っている。もっと適切な理論がどこかに存在するのかもしれないけれど、既存の理論の中ではぼくにはこれしか候補がない。本書には、ぼくがどうしてそう思うかを魂を込めて書いたつもりだ。

整数の中のランダム性

 今年は、夏からあまりに忙しくて、このブログを更新する時間が取れなかった。

忙しさの最も大きな要因は、新書を書いていたことだ。しかも、普通の新書とはわけが違う。ぼくの勤務する帝京大学が、このたび、帝京大学出版会を立ち上げる運びとなった。そして、帝京新書というブランドを新設し、新書市場に参入することとなった。その第一弾の1冊をぼくが書くことになったのだ。その新書は、『シン・経済学ー貧困、格差および孤立の一般理論』である

タイトルは編集者がつけた。ぼくには恥ずかしくてこんなタイトルはつけられない。まあ、ぼくも庵野監督のファンだから、拒否まではしなかった。

この本については、刊行時期が近づいたら販促しようと思う。

 もうひとつ、忙しさをちょっとだけ担ったのが、NHKの番組への出演だ。それは、市民X「ビットコインの生みの親『サトシ・ナカモト』とは?」である。

www6.nhk.or.jp

NHK総合の放送は終わってしまったけど、NHK BSで放送される完全版は11月26日(日曜)夜9時の放送だから、是非、観てほしい。ぼくは、拙著『暗号通貨の経済学』講談社メチエに書いた知識をベースにインタビューに答えている。実によく取材されている面白い番組になっている。

 さて、これだけで終わっては何なので、最近読んで面白かった本を紹介することにしよう。それは、小山信也『素数って偏ってるの?~ABC予想、コラッツ予想、深リーマン予想技術評論社だ。

この本のメイン・テーマは、著者の小山先生が最近になって論文にした「チェビシェフの偏り」に関する「深リーマン予想」の仮定の下での証明だ。

チェビシェフの偏り」というのは、「4で割ると1余る素数」と「4で割ると3余る素数」の出現順序に関するものだ。100以下の奇素数では、「4で割ると1余る素数」が11個で「4で割ると3余る素数」が13個。後者のが多い。1000以下では前者が80個で後者が87個。1万以下では前者が609個後者が619個。このように、たいてい後者のほうが多い。300万以下では、後者が前者より249個も多い。

こうなると、「4で割ると1余る素数」全体よりも「4で割ると3余る素数」全体のほうが多いんじゃないの?と疑りたくなるけど、実はそうではない。奇素数全体の中に「4で割ると1余る素数」の占める割合と「4で割ると3余る素数」の占める割合は(極限としては)等しいことが証明されている。すると、この見た目の偏りはどういうことなのだろうか。このように、与えられたx以下の範囲で調べると「4で割ると3余る素数」が「4で割ると1余る素数」より多い傾向が強いことを発見者にちなんで「チェビシェフの偏り」と呼ぶらしい。

本書は、この「チェビシェフの偏り」が深リーマン予想を前提とすれば説明できることを解説している。深リーマン予想については、当ブログのこの記事を参照してほしい。

 しかし、ぼくにとってのこの本の白眉は、「コラッツ予想」についての最近の進展を解説していることだ。「コラッツ予想」というのは、アマチュア数学愛好家にも有名な予想で、「正の整数から出発して、偶数なら2で割り、奇数なら3倍して1を加えるという操作を繰り返すと、有限回で1になる」というものだ。一例をあげれば、6からスタートして、

6→3→10→5→16→8→4→2→1

と8ステップで1に到達する。

この予想は、数学者のコラッツが1930年頃に考えついて、1950年の国際数学者会議の中の雑談を通して世間に広まったとのことだ。整数論で有名なハッセが取り組んで解けなかったことはよく知られているらしい。

一見してわかるように、全く手のつけようのない問題に見える。しかし、この難問に最近、大きな進展があった。それが語られているのである。

その進展をもたらしたのは、素数に関する「グリーン=タオの定理」で有名なテレンス・タオだ。またしてもタオが偉業を成し遂げた。

タオのコラッツ予想へのアプローチには、整数の中に潜んでいる特殊なランダム性が利用されている、とのこと。非常に難しい定理なので、簡単には理解できないが、この本には測度論などの前提知識を丁寧に初歩から解説してあるから、理解しようという意欲がわいてくる。

小山先生は、「チェビシェフの偏り」も、素数の持つある種のランダム性の現れだという。ランダム性というのは、確率に関する概念であるにもかかわらず、「静的な」整数の集合や素数の集合にも適用できることに数学の深みを垣間見ることができる。

 これはうがった見方かもしれないが、確率論に構築されているランダム性は、実は「静的な」概念で、「動学的な」ランダム性は別のところにあるのかもしれない、という妄想も膨らむ。数学者による一般向けの解説書は、そういう楽しい妄想をかきたてる効果もあるのだね。

 最後に、途中で紹介したビットコイン関係の書籍はこれですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2平方定理の幾何的証明

 今回は、「2平方定理」について、数学書の中に幾何的証明を見つけたので、そのさわりの部分を紹介したい。読んだ本は、キャッセルズ『楕円曲線入門』岩波書店だ。
この本は、楕円曲線(y^2=x^3+ax+bで定義される曲線)の数論を解説した本だが、p進体上の楕円曲線も含むのが特徴である。

この本のユニークなところは、各章が非常に短いこと。長くても5ページぐらいで終わる。だから、長い解説や証明を読まされる苦痛は少ない。しかし、そのおかげで全部で26章もある。

この本は、(ぼくにとって)めちゃくちゃわかりやすいところとすげぇわかりにくいところが混在している。おおざっぱに言えば、最初のほうはものすごくわかりやすいが、途中からかっとんでしまって歯が立たなくなる。後半には、「ガロアコホモロジー」とか、「セルマ-群」とか、フェルマー予想解決のときに耳にしたアイテムが出てくるだけに読破できれば幸せだと思うのだけど、近未来の目標というところだ。

 さて、「2平方定理」というのは、「4で割ると1余る素数は2つの平方数の和で表せる」というもの。例えば、5=1^2+2^2, 13=2^2+3^2, 17=1^2+4^2のようなことだ。同値な言い換えをすれば、「素数pに関して、l^2 \equiv -1 (p)を満たす整数lが存在するなら、pは2つの平方数の和となる」である。

この定理は、(初等的にも証明できるが)普通は2次体のガウス整数を使った証明がなされる。ガウス整数とは、a+bi(a,bは整数)の形の複素数だ。おおざっぱには、4で割ると1余る素数pは、ガウス整数の世界では素数でなくなり、p=(a+bi)(a-bi)素因数分解されることから証明される。(a+bi)(a-bi)=a^2+b^2だから巧くできている。詳しい証明は、拙著『素数ほどステキな数はない』技術評論社で読んでほしい。

 キャッセルズの本には、この定理の幾何学的証明が載っていてのけぞった。この手法自体は知っていたけど、2平方定理が証明できるとは初耳だった。

 証明にはひとつの補題とそれから導かれる定理が使われる。

補題とは、「mは正整数。Sn次元空間の点集合で、その体積V(S)mより大きいとする。このとき、Sに属するm+1個の点\boldsymbol{s}_0, \boldsymbol{s}_1, \dots,\boldsymbol{s}_mが存在して、任意の0 \leq i ,j \leq mについて、差\boldsymbol{s}_i-\boldsymbol{s}_jのすべての座標が整数となる。」というもの。点集合Sがどんなに変な形をしていても、体積がmより大きいなら、すべての座標の差が整数となる点がm+1個以上とれてしまう、ということだ。m=1の場合はBlichfeldtという数学者が最初に証明したらしい。

この補題の証明は次のようにすごく簡単明瞭だ。

まず、「単位立方体」の点集合Wを、「すべての座標が0以上1未満の点の集合」と定義する。すると、n次元空間のすべての点\boldsymbol{x}は、点集合Wの点\boldsymbol{w}とすべての座標が整数である点(格子点とも言う)\boldsymbol{z}を用いて、\boldsymbol{x}=\boldsymbol{w}+\boldsymbol{z}と表せる。

次に、\psi(\boldsymbol{x})Sの「特性関数」とする。すなわち、\boldsymbol{w}Sに属するなら\psi(\boldsymbol{x})=1、そうでないなら、\psi(\boldsymbol{x})=0と定義された関数である。そして、この関数をn次元空間全域で積分する。積分値は\int   \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}であるが、定義からこれは体積V(S)である。したがって、

\int   \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}=V(S)>m

さて、この積分を単位立方体に分解して実行するとしよう。2次元なら、例えば、点\boldsymbol{z}=(1, 2)を最小点とする単位立方体は(1+w_1, 2+w_2)なる点の集合だから、\boldsymbol{z}+Wとなる。だから、先ほどの積分は、整数点\boldsymbol{z}にわたる総和として、

\int   \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}=\sum_{\boldsymbol{z}}\int_{\boldsymbol{z}+W}  \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}

と書き換えることができる。各積分を、\boldsymbol{w}を変数に取り替えて、単位立方体内での積分に書き換えると、(さらに積分と総和を入れ替えて)、

\int   \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}=\int_{W}\sum_{\boldsymbol{z}}\psi(\boldsymbol{w}+\boldsymbol{z})d \boldsymbol{w}

となる。

ここでもし、積分の中身の\sum_{\boldsymbol{z}}\psi(\boldsymbol{w}+\boldsymbol{z})がすべての\boldsymbol{w}に対してm以下であると、単位立方体の体積が1であることに注意して、

\int   \psi(\boldsymbol{x})d\boldsymbol{x}=\int_{W}\sum_{\boldsymbol{z}}\psi(\boldsymbol{w}+\boldsymbol{z})d \boldsymbol{w} \leq \int_{W} m d \boldsymbol{w}=m\int_{W}1d \boldsymbol{w} \leq m

となって、V(S)>mに矛盾してしまう。よって、ある\boldsymbol{w}_0に関して、

\sum_{\boldsymbol{z}}\psi(\boldsymbol{w}_0+\boldsymbol{z})>m

が得られることになる。左辺の総和の中身は1または0だから、左辺は整数。よって、左辺がm+1以上になる\boldsymbol{w}_0が存在する。これは、\boldsymbol{w}_0+\boldsymbol{z}Sに属する点\boldsymbol{w}_0+\boldsymbol{z}が少なくともm+1個以上存在することを意味する。これらを\boldsymbol{s}_0, \boldsymbol{s}_1, \dots,\boldsymbol{s}_mと置けば、それら任意の2点の差は(\boldsymbol{w}_0が相殺されて)、すべての座標が整数となって、補題の証明が終わる。

 ポイントは積分の単純な評価にすぎないから、こんな簡単な分析でも面白い結果が出てくることに数学のパワーを実感できる。

 この補題を使うと次の定理が証明できる。m=1の場合はMinkowskiによって、一般の場合はvan der Corputによって証明されたとのこと。

定理「\Lambda\boldsymbol{Z}^n(整数のみからなるn次元ベクトルの成す加法群)の指数mの部分群とする。\mathcal{C}n次元空間の凸かつ対称的な部分集合で、体積がV(\mathcal{C})>2^{n}mであるものとする。このとき、\mathcal{C}\Lambda(0, 0, \dots,0)以外の共通点をもつ」

この定理は、上の補題を使って、引き出し論法に持ち込めば簡単に証明できるのだけど、部分群の指数とか説明するのが難儀なので省略する。

そしていよいよ、この定理を上手に用いることで、2平方定理「正整数Nに関して、l^2 \equiv -1 (N)を満たす整数lが存在するなら、Nは2つの平方数の和となる」が証明できる。冒頭で述べたのは素数に関してだけど、ここでは一般の正整数Nに拡張されていることに注目してほしい。

この2平方定理の証明は、\mathcal{C}を開円盤x^2+y^2<2Nととり、\boldsymbol{Z}の部分群\Lambdaを「 y\equiv lx (N)」で定義すれば、先ほどの定理から(0, 0)と異なる(u, v)で、(u, v) \in \mathcal{C} \cap \Lambda をみたすものが存在する。つまり、0<u^2+v^2<2Nかつu^2+v^2=u^2(1+l^2)\equiv0 (N)となる。これから、u^2+v^2=Nが得られる。要するに、Nの倍数となるu^2+v^2で、0以上2N未満のものがあり、それはNそのもの、ということだ。補題や定理における「体積がある程度大きいなら整数点(格子点)が存在する」ことと、「合同式の制約」から、ピンポイントの平方和が出てくる、というからくりなわけ。実によくできている。

 キャッセルズは、この2平方定理の証明は定理の簡単な応用例として紹介している。ほんちゃんは、Hasseによる「局所・大域原理」を証明することだ。これは、「\boldsymbol{Q}上の2次曲線\mathcal{C}上に有理点が存在するための必要十分条件は、\mathcal{C}実数体\boldsymbol{R}上およびすべての素数pに関しp進体\boldsymbol{Q}_p上で定義された点をもつこと」

という定理。これは現代数論のひとつの象徴的定理と言えるものだ。

 しつこくてすまんが、2平方定理の2次体の数論を使った証明を、わかりやすく知りたいなら、拙著『素数ほどステキな数はない』技術評論社を読んでほしい。他にも素数の魅力が満載の本だよ。

 

 

 

 

万物は固有値である

 最近は、NHK以外の地上波がおそろしくつまらないので、ケーブルTVで海外ドラマばかりを観ている。めっちゃ面白かったのは、『ナンバーズ』一挙放映と『アストリッドとラファエル』一挙放映だ。

『ナンバーズ』はFBI捜査官の兄と天才数学者の弟が協力して難事件を解決する話。解決には、さまざまな応用数学が使われる。中にはむりくりな使い方もあるが、多くは「数学ってこんなふうに使えるのか」と舌を巻く。グラフ理論や最適化アルゴリズムベイズ統計やゲーム理論などが縦横無尽に登場する。なんと言っても、あのリドリー・スコット(「ブレードランナー」とか「エイリアン」とかの監督)が制作に関わっているのだから、つまらないわけがない。

『アストリッドとラファエル』は、フランスの刑事物。異色なのは、犯罪資料局で資料整理の仕事をする主人公のアストリッドが重度の自閉症ということ。しかし彼女は、恐るべき記憶力と推理力を兼ね備えており、女性刑事のラファエルと組んで難事件を解決する。このドラマは事件の新奇さが面白い。さすがフランスは歴史のある国だから、歴史の絡んだ摩訶不思議な話が組み込まれている。でも、それより何よりすばらしいのは、アストリッドの自閉のありようの描き方だ。アストリッドを演じる女優さんの演技が卓越で、自閉症がどんなものであるかが手に取るようにわかる。一方、女刑事のラファエルは自由奔放で発散型の性格をしており、アストリッドとは真逆の精神性を備えている。その対照的な取り合わせが物語に彩りを与えているのだ。NHKで5月に、第1シーズンの一挙放送もあるし、第2シーズンも始まる。是非、観てみてほしい。

 さて、今回紹介したいのは、黒川信重・小山信也『リーマン予想のこれまでとこれから』日本評論社だ。以前にもこの本をエントリーした記憶があるのだけど、見つからないのでリンクははらない。今回、この本を久しぶりに再読したら、前よりずっとわかるようになっていた。なんでかというと、別の専門書でいろいろな知識を吸収してきたからだと思う。そうやってから戻ってみると、本書はものすごく良く書けている専門書だと再認識した次第。

この本のメッセージを一言で言えば、

万物は固有値である

ということだと思う。固有値というのは、普通、線形代数で習う。1次変換f(\vec{x})に対して、f(\vec{x})=\alpha \vec{x}を満たす\vec{x}を「固有ベクトル」、\alphaを「固有値」と呼ぶ。行列で記すなら、A\vec{x}=\alpha \vec{x}ということだ。本書は、一言で言うなら、この固有値」が難攻不落の難問「リーマン予想」の攻略の武器となることをわかりやすく解説した本ということになる。

リーマン予想というのは、簡単に言えば、「ゼータ関数の零点や極の実部が一定値である(虚軸に平行な直線上に並ぶ)」というもので、一部の特殊なゼータ関数で解決しているものの、多くのゼータ関数では未解決なままだ。とくに、オリジナルの予想であるリーマン・ゼータ関数\zeta(s)=\frac{1}{1^s}+\frac{1}{2^s}+\frac{1}{3^s}+\dotsについて、「その虚の零点の実部がすべて1/2である」は、160年以上も未解決の状態だ。本書では、この難問についても、「固有値」が突破口になるのでないか、と示唆している。実際、リーマン予想(の類似)が解決している「合同ゼータ関数」と「セルバーグゼータ関数」については「固有値」が解決のカギとなった。そこでの固有値の働きを解説することで、その他のリーマン予想、とりわけオリジナルのリーマン予想の解決に肉薄しようとしている。

したがって、この本を読むことは、ゼータ関数リーマン予想についての知識を得られるだけではなく、固有値というのが数学全体を貫く一大アイテムであり、数学の主役である、という認識に到達することができるのである。そう「万物は固有値」ということだ。

 本書の根幹には、ヒルベルトとポリアの「ゼータ関数の零点は固有値解釈できるだろう」という予想がある。そのベンチマークとなる理論としての「Z-力学系ゼータ関数」から話をはじめている。これは「置換」(n個のモノの並べ替え)に関するゼータ関数である。例えば、X=\{1, 2, 3\}の並べ替えである\sigma=(1, 2, 3)を考えよう。これは1を2に、2を3に、3を1に動かす写像である。この\sigmaに対して、

\zeta_{\sigma}(s)=exp(\frac{|Fix(\sigma^1)|}{1}e^{-1s}+\frac{|Fix(\sigma^2)|}{2}e^{-2s}+\frac{|Fix(\sigma^3)|}{3}e^{-3s}+\dots)

というゼータ関数を作る。ここで、\sigma^m\sigmam回ほどこしたもの(合成したもの)、|Fix(\sigma^m)|は、それに関する固定点(不動点)の個数である。上記の\sigmaについては、mが3の倍数のときは、\sigma^mは恒等置換(何も動かさない置換)になるから、|Fix(\sigma^m)|=3。その他の場合は固定点がない(全部が動く)ため、|Fix(\sigma^m)|=0となる。このことから、

\zeta_{\sigma}(s)=\frac{1}{1-e^{-3s}}

と計算される。

次に、別の\sigma=(1, 2)(3, 4, 5)を考えよう。この置換は1と2を入れ替え、3を4に、4を5に、5を3に写す写像(置換)である。この場合は、

\zeta_{\sigma}(s)=\frac{1}{1-e^{-2s}}\frac{1}{1-e^{-3s}}

となる。見てわかる通り、オイラー積」の類似の形式が出現している。

本書では、この置換に関するゼータ(Z-力学系ゼータ関数)を行列表現し、その固有値に結びつけていく。

置換\sigmaの行列表現M(\sigma)とは、i\sigma(i)行にだけ1を置き、他を0にした行列のことだ。例えば、\sigma=(1, 2, 3)に対するM(\sigma)は、1列2行、2列3行、3列1行だけに1があり、他は0であるような行列である。このとき、

\zeta_{\sigma}(s)=\frac{1}{det(I-M(\sigma)e^{-s})}

となることが示される。det行列式のことで、分母は固有値を求める方程式と同じものだ(I単位行列)。この計算のポイントになるのは、M(\sigma)固有値\alpha_1, \alpha_2,\dots,\alpha_nとするとき、

|Fix(\sigma^m)|=\alpha_1^m+\alpha_2^m+\dots+\alpha_n^m

が成り立つことだ。これは線形代数あるいは行列の理論で有名な性質、

(行列Aの対角線の和(tr(A))=(行列A固有値の和)

である。本書ではこれを「跡公式」と呼んでいる。

さて、固有値の定義から、

\frac{1}{det(I-M(\sigma)u)}=\frac{1}{1-\alpha_1u}\frac{1}{1-\alpha_2u}\dots\frac{1}{1-\alpha_nu}

よって、\zeta_{\sigma}(s)の極(値が∞となるs)は固有値から計算できることになる。これによって、Z-力学系ゼータ関数リーマン予想が証明されることになる。

 このZ-力学系ゼータ関数の例に本書がやりたいことのすべてが込められている、と言っても過言ではない。このあと、「合同ゼータ関数」と「セルバーグゼータ関数」に対するリーマン予想の攻略法が解説されるが、本質的にはもっと抽象的な対象に関して、上でやったことをなぞることになるからだ。

例えば、合同ゼータ関数リーマン予想解決については、グロタンディークがエタール・コホモロジーを使って、フロベニウス作用素の行列表現の固有値で解釈した方法が概説される。またセルバーグゼータ関数では、「フーリエ展開」の係数が固有値と解釈できることから、フーリエ展開を応用した「ポワソンの和公式」がセルバーグ跡公式の源であることが詳しく説明され、そこからセルバーグゼータ関数リーマン予想解決の急所に向かっていくのである。

これらを読むと、本書ではあまり触れられないが、ラマヌジャンゼータ関数(あるいは、保型形式のゼータ関数)も固有値的な方法論でアプローチされているのだ、ということが実感されるから、「なるほど」という理解に達することができる。

 本書が黒川さんや小山さんの本として異色だと思うのは、初歩的なことにも丁寧な証明がつけられていることと、「数学アプローチの見つめ方」みたいなものが随所に語られていることだ。例えば、有限次元の行列の性質を無限次元の行列に対して拡張することで、合同ゼータ関数にアプローチできるようになったり、さらには、連続無限次に拡張したものが、積分作用素であること、フーリエ級数はその一種であることを詳説したりしていて、とても感動する。それは次の文に結晶している。引用しよう。

数学ではこのように、似ている現象を敏感に察知して展開していくことで研究が進展する。「似ていること」の発見は、論理よりも感性による部分が大きい。根源的なところで数学を進展させているのは、人間の感性なのだろう。

なんと含蓄のある、なんとすばらしいことばだろう。

 さて、本書を読むには、行列の理論、群論・体論、ゼータ関数に慣れておいたほうが良いと思う。いつもの販促であるが、行列には拙著『ゼロから学ぶ線形代数講談社を、群論・体論には拙著『完全版 天才ガロアの発想力技術評論社を、ゼータ関数には拙著『素数ほどステキな数はない技術評論社を推奨しておく。

 

 

 

社会的共通資本を考える シリーズ1第2回『自動車の社会的費用』を読む、に登壇します。

京都大学社会的共通資本と未来寄附研究部門が主催する公開講座シリーズ、社会的共通資本を考える シリーズ1第2回『自動車の社会的費用』を読むに登壇します。来週、3月28日(火)19:00~20:30です。興味あるかたはふるってご参加ください。以下は、京都大学社会的共通資本と未来寄附研究部門のサイトからの引用です。

社会的共通資本を考える シリーズ1『自動車の社会的費用』を読む 第2回のゲストは帝京大学経済学部教授・小島寛之さんです。

小島さんは、宇沢最後の弟子で、『宇沢弘文の数学』を上梓されています。数理経済学者の視点から『自動車の社会的費用』を解説していただきます。

日時 2023/03/28 (火) 19:00 - 20:30 

会場参加とオンライン参加が選べます。申し込みは、以下のサイトからどうぞ。

https://scc-reading20230328.peatix.com/

 

これは、宇沢弘文先生の名著『自動車の社会的費用』岩波新書をいろいろな専門家がリレー的に読み解くもの。さまざまな立場や感受性による読解が聞けて有意義だと思う。

 ぼくがこの本を読んだのは、宇沢先生に指導を受けた30歳前後のことだったと思う。自動車が社会にもたらす弊害を勇気を持って断罪した内容に、非常に大きな衝撃を受け、人生観が変わったと言っても過言ではない。大事なことは、この本が単に著者の持つ自動車への選好のありかたを押しつけたものではなく、経済学の観点から冷静に功罪を論じ、それをバネにして「経済理論自体の不備」をも明らかにしたものだ、という点である。だから、「新古典派経済理論への批判」の書としても、また「新しく有効性のある経済理論の模索」の書としても読める。

今回は準備にあたり、この本の前段階にあたる論説や後日談にあたる論説もサーベイした。この本は1974年に書かれたものだけど、1970年にはすでに構想が完成していたことがわかった。そして、その思索を追ってみると、新古典派経済理論の天才であった宇沢先生が、経済学の意義に疑問をもち、それに煩悶しながら、新しい経済理論を模索していた姿がひしひしと伝わってきた。初読のときは、まだぼくは経済学の素人だったので気づかなかったが、今回はプロの経済学者として読み、この発見は大きな収穫となった。レクチャーでは、そういう観点からも語るつもりなので、興味ある人は是非参加してほしい。

再読して印象的だった部分をひとつだけ引用しておこう。

新古典派の理論は、以上述べたような前提条件をみたす一つの虚構の世界をつくりあげて、そこでの経済循環のプロセスが現実の世界におけるメカニズムを描写するという方法をとってきた。このような理論的前提にもとづいて構築された一般均衡モデルにかんして、その数学的・形式的な面について、一般化・精緻化がこの二十年間にわたってつづけられてきた。この目的のために、多くのすぐれた知的能力をもつ経済学者たちが精力的な努力を試み、この分野における貢献は、戦後の経済学の展開においてもっとも重要なものとされている。サミュエルソン、アロー、ハーヴィッチ、デブルュー、ソロー、スカーフ、ラドナーなど、この分野で活躍してきた経済学者は枚挙のいとまがないほどである。

 これに反して、一般均衡理論の経済学的前提条件に光を当て、現実の市場経済の制度的な要因を抽象して理論化しようという試みは、ほどんどなされてこなかったといってよい。

 このような傾向は、戦後、世界の経済学研究の中心がイギリスの大学からアメリカの大学に移っていったことと無縁ではないようである。そこでは一種のプロフェッショナリゼーションともいうべき現象がみられ、現実の問題と関わりのない研究が許されるようになっただけでなく、逆に若い有能な経済学者の興味をそのような研究に向けるということすらおきている。新古典派理論の虚構性に対して真摯な反省を加えるというより、逆に、理論をもともと虚構の世界における演繹的・論理的演算としてとらえてきたともいえる。このことは、デブルューのような公理主義の立場にもっとも端的なかたちであらわれている。(pp111-112)

この部分は、初読のときはピンとこなかったが、今回は身震いするほどの感動を持って受けとった。ぼくが経済学を研究し始めてから抱いてきた感慨そのものだったからだ。ぼくもほぼ同じようなことを、拙著『経済学の思考法』講談社現代新書『世界一わかりやすいミクロ経済学入門』講談社に書いている。宇沢先生が70年代にたどりついていた問題意識に、ぼくもいつの間にか到達していたのだった。

上記の引用における「プロフェッショナリゼーション」という表現は、皮肉・揶揄のたぐいであろうと思われる。経済学者として活動してきてたびたび驚いたのは、経済学を研究している若い研究者には、「信じられないほど頭の良い人たち」がいる、ということだった。これは皮肉や悪口では全くなく、彼らは、本当にとんでもなく頭がいいのだ。そんな彼らは、その知的能力を存分に発揮して、嬉々として難しい経済理論の論文を書き、ベストいくつと称される学術誌にばんばん公刊している。凡人のぼくは、そういう異例に賢い人たちを見るにつけ、羨望と嫉妬を感じる一方、心の中で密かに思うのは、「なんでこの人たちは、数学や物理に行かないのだろう」ということだ。理論的な難しさと面白さが抜群なのは、数学と物理だと思う。何より「意義」がある。そんなに頭が良いんだから、数学や物理でその知的能力を存分に発揮したらいいのに、と。そういう疑問に対してたぶん、彼らは口を揃えてこう言うだろう。「自分は社会現象に関心があるのだ」。でも、そうなると、ぼくの疑問は宇沢先生の上記の言説に舞い戻ってしまう。そう、それならなぜ、彼らは宇沢先生の言う「現実の市場経済の制度的な要因を抽象して理論化」に向かわず、「虚構の世界」で遊んでいるのだろう。それこそ、知的能力の無駄遣い、経済学でいうところの「社会的非効率性」じゃないのかと。

でも、ある意味では理解できるのだ。

宇沢先生のお弟子さんに、サミュエル・ボウルズという非常に優れた学者がいる。彼は、ハーバード・ギンタスと共著で『アメリカ資本主義と学校教育』という大変ラディカルな本を1976年に書いた。宇沢先生のこの本と同じ頃である。この本こそ、まさに、「現実の市場経済の制度的な要因を抽象して理論化」しようという試みであった。でも、その後、ボウルスもギンタスも、「ゲーム理論」の専門家に転向した。宇沢先生のように「けもの道」に分け入らず、舗装された登山道を歩んだ。これを見ると、宇沢先生の上記の言葉はそんなに簡単なことでも、妥当性のあることでもないかもしれないな、とも思う。

 

 

 

 

 

 

社会的共通資本を考える シリーズ1第2回『自動車の社会的費用』を読む、に登壇します。

京都大学社会的共通資本と未来寄附研究部門が主催する公開講座シリーズ、社会的共通資本を考える シリーズ1第2回『自動車の社会的費用』を読む、に登壇します。来週、3月28日(火)19:00~20:30分です。興味あるかたはふるってご参加ください。以下は、京都大学社会的共通資本と未来寄附研究部門のサイトからの引用です。

社会的共通資本を考える シリーズ1『自動車の社会的費用』を読む 第2回のゲストは帝京大学経済学部教授・小島寛之さんです。

小島さんは、宇沢最後の弟子で、『宇沢弘文の数学』を上梓されています。数理経済学者の視点から『自動車の社会的費用』を解説していただきます。

 

ドラマ総集編のようなすばらしい現代数論の入門書

今回エントリーするのは、山本芳彦『数論入門』岩波書店だ。この本は以前にも、このエントリーで紹介しているが、今回は違う観点から推薦したいと思う。

ゆえあって、最近またこの本を読み始めたのだが、面白くて遂にほぼ全部読んでもうた。そして全体を読破すると、この本がもくろんでいること、この本の特質がひしひしつと伝わってきた。ひとくちに言えば、この本は、「ドラマの優れた総集編を観るようなすばらしい内容」ということなのだ。

ドラマの総集編って、全12話を4話ぐらいでかいつまむ。もちろん、圧縮しているので、カットされたエピソードもあるし、ナレーションで進めちゃう場面もあるし、スルーされるキャラもある。でも、優れた総集編では、本編より本質が浮き彫りになり、面白さが倍増になることも多い。この本は、数論の総集編として、そのメリットがみごとに活かされたものだと思うのだ。

 いろいろメリットがあるのだけど、その中で最も強調したいことは次のことだ。

数論や代数幾何の一般向け専門書を読んでいると、よく出くわすがたいてい説明がスキップされている用語や概念がある。例えば、「類数」、「導手」、「モジュラー」、「虚数乗法」、「j-不変量」、「フロベニウス自己同型」、「主因子」、「微分因子」、「種数」、「リーマン・ロッホの定理」など。これらの用語は、一般の数学ファンが是非知りたいと思う数学、例えば、フェルマー予想とかリーマン予想とかラマヌジャン予想とかの解説に必ず登場する。けれども、用語がアリバイ的に出てくるだけで、その説明は塵ほどもなされないのが常だ。それに対して、本書では、非常に初歩的な方法でこれらの説明がなされるのがすばらしいのである。

 どうしてこういう「総集編」が可能なのか、というと、

1.  証明の難しい定理は、証明をはしょって紹介だけにして、大事な数学概念を説明するための隠し味に使っている。

2. 各章が絶妙な関連性を持って書かれているため、自然な流れの中で大事な数学概念が登場できる。

3.  必ず適切な具体例を紹介することで、その数学概念の実感が掴めるようになっている。

からなのだ。特に、具体例はとても工夫されている。多くの数学書ではトリビアルなものか典型的なものを挙げているのに対し、この本では、その概念の本質を包含しているものや後の章とも関係あるものを、ちゃんとした計算を解説した上で紹介しているのである。定理の証明をスキップされていても、具体例を見ることで当該の定理や数学概念の本領をつかむことができるようになっている。

では、その「絶妙な関連性を持った章構成」について、簡単にまとめてみよう。

第1章:有理整数環

は、まあ、普通の導入だけど、ユークリッドの互除法を行列の積との関連で説明している点は、多少、目新しい。

第2章:合同式

これも普通の解説だけど、さりげなく、フェルマーの小定理の応用として、素数 pについて、 (a+b)^p \equiv a^p+b^p (mod \, p)を証明して、「フロベニウス自己同型」の伏線にしているあたり、にくいところ。

第3章:剰余環

ここでは、合同式の性質を「剰余環」として見直し、それによって素数 pに対する「 p元体」という「有限体」を構成している。他の数論の本よりずっと丁寧に剰余環の概念を説明しているので、一般読者にはとても有益である。しかし、この章の白眉は、一般の有限体「 p^m元体」を構成し、その性質を紹介している点だ。一般の有限体を発見したのはガロアだと何かで読んだけど、「 p^m元体」の構成方法の解説では本書が最もわかりやすい印象を受けた。そして、これは、次章での「平方剰余」へのみごとな伏線となっている。

第4章:平方剰余の相互法則

この章は、平方剰余の説明にあてられる。素数 pを固定したとき、平方剰余とは、 pと互いに素な整数aに対して、2次合同式 x^2 \equiv a (mod \, p)が解を持つ場合のaをいう。このような平方剰余については、「第1補完法則」、「第2補完法則」、「相互法則」の3つの法則が有名である。この章は、この3つの法則の証明にあてられている。

この章がすばらしいのは、これら3つの法則の証明に前章の「有限体( p^m元体)」の方法論が使われていることである。たいていの教科書では、これらの法則は、合同式の初等的な性質を使って、しかし非常にテクニカルな証明を与えている。でも、本書での有限体を使った証明は、概念的には高度であるものの、その証明自体は簡単であり、しかも、平方剰余の観点から p元体の有限次拡大の重要さを身にしみて感じることができる。また、最後に紹介される「ヤコビ記号」は、後の章で展開される「類体論」の伏線になっているのも見逃せない。

第5章:ディリクレ指標

この章では、「法mに関するディリクレ指標」が解説される。これは、「法mに関する乗法群から複素数の乗法群への準同型」、すなわち、「乗法を保存する写像」のことだ。この章の目的は、ひとつには「平方剰余」の応用ということがあるが、もっと大事なのは、有限アーベル群へ拡張することで、「有限アーベル群の指標のなす群が、もとのアーベル群と同型」という双対性を証明することにある。ここには、「ある空間の構造は、その上の関数に宿る」という数学一大思想の一端が垣間見られる。また、この章に「導手」の簡単な解説が含まれる。さらには、この章の最後に、「ヘンゼルの補題(多項式mod \, p^kでの因数分解)」の証明がある。これは、「p進体」の基礎になるものだが、「p進体」には触れずに合同式の水準にとどめているのも本書の優れた工夫と言える。この補題も後の章の伏線になっている。

第6章:2次体の整数論

たぶん、この章が本書のメインディッシュであり、著者が最も力を入れた章だと思える。非常に丁寧に、非常に豊かに解説されている。2次体の理論とは、「(有理数)+(有理数) \sqrt{m}の集合」のような、2次の無理数有理数に添加した体に「整数」を定義して、その素因数分解(素イデアル分解)を分析するものだ。豊かな性質を持っており、いまだに未解決のことも多い。本書では、これを前章の「平方剰余の理論」を用いて上手にさばいている。具体例が多く、類書に比べて、実感として理解できる工夫がなされている。また、この章での数学展開が、このあとのもっと高度な章のお手本となっているように描かれていて、溜飲が下がる。

第7章:代数体の整数論

この章は、第6章の発展として、「1のべき根を有理数に添加した体」での整数論を展開している。これが「類体論」と呼ばれる壮大な理論の出発点である。ここでは、ほとんどのことは証明抜きに結果のみを具体例とともに記述している。これは潔い態度と言っていい(いちいち証明してたら、紙数がとても足りない)。いよいよこの章で、新内と言っていい「リーマン・ゼータ関数」が登場する。また、「フロベニウス自己同型」が平方剰余の類似の記号で定義され、2次体の数論で示された定理の類似の定理が成立することが紹介されている。

第8章:楕円モジュラー関数

この章ではまず、「モジュラー変換」が語られる。モジュラー変換とは、複素平面の上半平面(虚部が正の領域)上のz ad-bc=1を満たす整数a,b,c,dによって、 (az+b)/(cz+d)と変換するものだ。この変換は、2次無理数論や保型形式論などさまざまな数学に現れる。そのあと、「楕円モジュラー関数j(z)」の紹介に進む。ここに、「ラマヌジャン\Delta」や「アイゼンシュタイン関数E_4(z)E_6(z)」などがさっそうと登場する。ここで、ラマヌジャン\Deltaとはこのエントリーで紹介した保型形式で、一方、アイゼンシュタイン関数E_i(z)は、自然数nの約数の(i-1)乗和にe^{2 \pi inz}を掛けて総和したもので作られる保型形式。ラマヌジャン数学の根幹をなすアイテムだ。楕円モジュラー関数j(z)は、j(z)=E_4(z)^3/\Delta(z)で定義される。この関数はモジュラー変換で不変という保型性を備えている。さらには、虚2次無理数の分類と密接な関係を持つ。すべて証明はカットされているけど、それがむしろ功を奏して、面白さだけが伝わってくる。この章の最後は、ヒルベルト類体に関するアルチンの相互法則を紹介して終わる。これは、平方剰余の相互法則を代数体に拡張したものになっている。

第9章:楕円曲線

この章は、現代数学の主役級である「楕円曲線」についての解説だ。楕円曲線とは、Y^2=4X^3-aX-bで定義される複素射影空間上の曲線である。曲線上の点が加法群(アーベル群)をなすというすさまじい性質を持っていて、その群は数理暗号にも利用されるぐらい複雑であり、また多くの未解決問題を提供している魔窟と言っていい。この章では、アーベル群の性質の中で最も証明が困難な「結合法則」については、マティマティカのプログラムを与えることで済ますという画期的な扱いをしており、いちはやく大事な「等分点」の理論に進んでいく。ここも適切な具体例が多く、楕円曲線の性質が身近になる。そして、最後に「虚数乗法」というアマチュア数学愛好家も知りたい概念がわかりやすく(かつ深入りせずに)解説されている。

第10章:超楕円曲線とヤコビ多様体

本書で最も白眉であり、最も卓越していて、大団円であるのはこの章だ。この章は、数論の解説というより、代数幾何の超入門と言ったほうがいい。最初に楕円曲線の拡張にあたる楕円曲線Y^2=X^n+a_1X^{n-1}+\dots+a_nを紹介し、これを材料にして「因子」「主因子」「整因子」「微分因子」などを解説していく。因子とは曲線上の点に係数をつけた形式和だ。とりわけ重要なのは有理関数について、その零点にその位数を掛けたものと、その極(値が無限大になる点)にその位数を掛けたものとを、足し合わせた「主因子」である。これについてはいろいろな代数幾何の本で読んだが、なかなか咀嚼できず、本書でやっと溜飲下がる解説に出会った。とりわけ、種数(図形に空いている穴の個数)の定義を「微分因子」で行っており、いろいろな本で読んだ種数の定義の中で最も手短なもので嬉しかった。(コホモロジー群の次元とかで定義された日にゃあ、溺れ死ぬ)。なにより、具体例が適切で当を得ている。そのあと、あの有名な「リーマン・ロッホの定理」が登場するが、応用の仕方を語るのに終始しているのが良い。最後は「ヤコビ多様体」での代数学が語られる。

代数幾何を勉強したいがどの本でも途中で遭難してしまう(ぼくのような)人は、是非、この第10章から入門すると良いと思う。楕円曲線を知らないなら、第9章から入ればいい。第9章と第10章は他と独立した章として読めるから、この2章だけ読むだけでもすごく有益である。

実は、拙著素数ほどステキな数はない』技術評論社を書いたとき、平方和の数論をガウス整数環を使って説明した章は、本書を大きく参考にした。流れとしては本書よりも初等的で自然な形で記述しているので、ぼくの本を先に読んでから本書に進むほうがベターだと言える(販促として。笑)。