前回のエントリーからずいぶん時間が空いてしまった。大学では特任教授になって、講義コマ数と出勤日数が減ったから大きな余裕ができるはずだったのだが、新しい仕事が入ったり、共同研究が増えたりして、逆に忙しくなってしまったのだ。それでブログの更新がなかなかできないでいる。
忙しいと言っても、数学の勉強だけは継続的に続けている。やっぱり、数学が心底好きなんだよね。以前には知らなかった数学を、新たに理解することはとても大きな効用をもたらしてくれる。今ではもう、数学で一旗揚げるなんていう野心はみじんもなくなったけど、生きているうちにできるだけ、興味を持った数学を勉強したい。
というわけで今回は、今勉強している数学についてエントリーしようと思う。それは「束論」という分野だ。岩村聯『束論』共立出版のまえがきから引用すれば
束あるいはラティスというのは、ある種の''演算が指定された集合''すなわち''代数系''であって、近ごろよく話題になるブール代数もその1種である。
となっている。
なぜこの「束論」にめぐりあったかというと、数理論理学と位相の関わりからなのだ。ぼくは「位相空間が面白くて勉強している」ということを以前にエントリーした。そして、位相空間の再勉強のあとに、「そういえば」とある本を思い出したのだ。それはずっと昔に買って未読のままだった田中俊一『位相と論理』日本評論社という本だ。思い出したことは、この本に数理論理学における「完全性定理」の位相を使った証明が解説されていたはずだ、ということだった(記憶違いだったことをあとで説明する)。それもブール代数と位相とのコラボレーションだという記憶だった。
ぼくは長い間、数理論理についての初心者にも読める本を書きたいと思っていて、専門書を集めていた。数理論理の本を書くことは拙著『証明と論理に強くなる』技術評論社で達成した。この本では「完全性定理」の証明(命題論理については完全なもの、述語論理についてはざっくりとした部分的なもの)を解説した。その際、田中俊一『位相と論理』で解説されている証明法は参考にしなかった(読んでなかったし)。それでこの本を本棚から久しぶりに取り出して初めて読んでみた。そしたら、めちゃくちゃ面白かった。「命題論理の完全性定理」の束論を使った証明が解説されていたからだ。ただし、残念ながら、「位相を使った証明」ではなかった。位相を使って証明される数理論理の定理は「コンパクト性定理」というやつだった。
「命題論理の完全性定理」というのは、「トートロジーは必ず証明できる」という定理である。もう少し詳しく説明しよう。与えられた命題について、それを構成する命題変数にどんな真偽を割り当ててもその命題が真であるとき、その命題をトートロジー(恒真命題)と呼ぶ。与えられた命題がトートロジーであるなら、その命題は必ず、通常の(公理から出発する形式的な)推論規則によって証明できる、というものだ。例えば、命題変数から生成される命題を考えてみる。にどんな真偽の組み合わせ(4通り)を当てはめても、この命題は必ず真であるからトートロジーである。このとき、この論理式は推論規則で導出することができる。(どのように導出されるかは、拙著『証明と論理に強くなる』で読んでくださいな)。「命題論理の完全性定理」は、このようなことが一般的に成り立つことを主張している。すなわち、「形式的に証明できる命題は常に正しい」だけではなく、「常に正しい命題は、形式的に証明できる」というわけなのだ。前者はそんなに不思議ではない。なぜなら、推論規則は真なる命題から真なる命題を構成するような手続きだから。でも、後者はとても意外性のある帰結だ。どんな真偽を当てはめても論理演算で真と評価される命題は、推論規則をつなげて証明できる、と言っているからだ。
田中俊一『位相と論理』ではこの「命題論理の完全性定理」を束論を使って証明している。もっと詳しくいうと、束論にも「イデアル」という概念があって、それを用いるのだ。素イデアルの写像に関する性質をブール代数とリンデンバウム代数という構造に応用することで証明される。ぼくのような素人は舌を巻いてしまう証明だった。
ところで、束というのは、順序集合(全順序でなくてもよい、すなわち、順序を比べられない要素があってもよい)においてすべての「有限join」、「有限meet」が存在することが成り立つものと定義される。ここで、が集合の最小上界であるとき、をのjoinと言い、が集合の最大下界であるとき、をのmeetと言う。最小上界というのは、集合のどの要素よりも順位が後ろにある要素の中で最も先の順位にある要素。最大下界はその双対である。このjoinとmeetという演算を駆使することで、「分配束」とか「ブール代数」とか「ブール環」とかを定義でき、さらには環のイデアルの類似の概念を導入することができる。もちろん、極大イデアルや素イデアルも同様に定義できる。この「順序概念を基礎とする抽象的な代数世界」に命題論理の構造を埋めこむことで完全性定理が証明できる、という次第。イデアルというのは、数学を貫くアイテムなんだなあ、と再認識した。久しぶりにわくわくしてしまった。
この勉強が楽しかった理由は他にもあるのだ。それはゲーム理論を勉強しているとき、オーマンの画期的な論文「AGREEING TO DISAGREE」(Annals of Statistics, 1976)を読んだ経験だった。これはたった4ページの論文ながら、後に「共有知識(common knowledge)」という概念に発展して、ゲーム理論を革新することになる論文だった。共有知識というのは、「プレーヤーAはXという事象を知っており、しかも、プレーヤーBはプレーヤーAがXを知っていることを知っている」みたいな複層的な知識構造のことだ。こういう複層的知識構造を定義するプロセスの、非常に重要なところにjoinとmeetが登場したのだ。最初は意味がわからなかった。当時、一緒に意思決定理論を勉強していた院生に聞いて初めて意味がわかったのだった。30年ぐらい昔の懐かしい思い出だ。このjoinとmeetに束論で再会したのはとても興奮した。運命のようなものを感じた(笑)。ちなみに共有知識については、拙著『確率的発想法』NHKブックスや拙著『数学的推論が世界を変える』NHK出版新書に詳しく解説してあるので、興味ある人は是非手に取って欲しい。
もともとは数論が大好きで数学科に進学したぼくが、この年になって束論のような抽象代数に惹かれるとは、人生何があるかわらかんものだ。もちろん、それはぼくが経済学や意思決定理論やゲーム理論を経由したことにも由来する。人生経験は人を新たな境地に導く。以下に参考文献を列挙しておくね。