『完全版 天才ガロアの発想力』のお勧めポイント

『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が、アマゾンにも入荷され、書店にも並んだので、前回に引き続いて、今回も宣伝をしたい。

 これは、2010年に刊行した『天才ガロアの発想力』の新版なのだが、9年たった今、完全版を出した理由は前回

『完全版 天才ガロアの発想力』が今週末に刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で説明したので、そちらで読んでほしい。

今回は、「完全版」として、どんな「定理の証明」を補ったかを説明する。

 完全版は、旧版で省略した多くの定理の証明を加筆した。しかも、その証明はさまざまな教科書から個別に持ってきたものだ。

 ちょっと脇道にそれるが、昔、銀座のフレンチ・レストランに夫婦でランチを予約して食べに行ったことがあった。入店すると、隣のだれもいない席にすでにシャンパンがクーラーに冷やされて準備されていたので、どんなお客が来るのだろうと興味津々だった。来店した客は、どちらかと言えば若い風情の男性だった。連れはおらず、一人で昼食を予約したらしい。それだけでも珍しいのだが、常連客のようでソムリエがずっとぴったり張り付いて話相手をしていたので夫婦して聞き耳をたてた。男は、ひとしきりワインと料理についてうんちくをたれた後、シェフを呼び出して、料理について感想を述べた。そのあと、おもむろにシェフとソムリエに、「日本で一番の中華料理って、どうやって食べるか知ってる?」となぞかけした。ソムリエは首をかしげながら、「どちらの中華店でしょうかねえ」と答えた。すると男は、「まず、前菜は○○に行くでしょ、そしたらタクシーで○○に移動して、北京ダッグを食べる。そして次にタクシーで○○に行ってエビを食べる、そして・・・最後は○○で杏仁豆腐でしめる」と滔々と語った。つまり、男がいう「最高の中華料理屋」とは、「料理別に違う中華店にはしごする」、ということだったのだ。

 我々夫婦は、その常連客の様子がなんだか可笑しくて、観察しながらランチを食べてたので、正直、料理の味を覚えていないくらいだった(笑)。

 さて、何が言いたいかというと、今回の新著『完全版 天才ガロアの発想力』ではまさにこの「最高の中華料理店」をやった、ということなのだ。つまり、定理の証明別に、引用する教科書を変えたのである。

 専門的な数学の教科書には、必ず、著者の意図というのが存在する。だから、ある定理に関しては非常にわかりやすいエレガントな証明をしていながら、別の定理に関しては抽象的で入りくんでわかりずらい証明を書いている。どういう証明を選ぶかは、その本の到達点としてどこを目指しているかに依存するので、どうしてもそんな風になってしまうのだ。

 ぼくは今回の本では、とにかく、初等的で予備知識がなるべく無くて済むイメージしやすい証明を解説することをテーマとした。そんなわけだから、ガロアの定理に関する証明を4冊の本から、「おいしいとこ取り」をしたのである。4冊は次のものだ。

[A]中島匠一『代数方程式とガロア理論共立出版(2006年)

[B]イアン・スチュアート『明解ガロア理論』[原著第3版]講談社(2008年)

[C]黒川信重ガロア理論と表現論』日本評論社(2014年)

[D]辻雄「ガロア理論とその後の現代数学」、P.デュピュイ『ガロアガロア理論』東京図書(2016年)の解説として所収

上の2冊は、旧版刊行前に出版されていたが未読だった。下の2冊は旧版の刊行後に出版された本だ。この下の2冊を入手したのが大きかった。とにかく、証明がわかりやすい。これを読んだので、ガロアの定理に関する、(数学を専門的に勉強していない)一般の読者にもがんばれば理解できる、そういう証明を紹介することが可能だ、という手ごたえが得られたのだ。以下、加筆した証明それぞれについて、どの定理の証明をどの教科書から引っ張ったかを列挙しよう。まずは、最も重要な二つから。

ガロアの基本定理

 これは、体Fのガロア拡大体Kと、KのF上の自己同型の群G(ガロア群)に関して、Gの部分群と、KとFの中間体の間に、1対1対応が存在する、という最も基本となる定理

これについては、黒川[C]から証明を引っ張った。これは、アルティンという数学者の証明した方法だ。アルティンガロア理論の本も持っていたのだが、わかりずらくて読む気がおきず、放置してた。しかし、黒川さんの本を読んで、初めて、「こんなに明解な証明だったのか!」と開眼した。現在、多くのガロア理論の本では、このアルティンの証明が書かれているので(中島[A]もスチュアート[B]もそう)、最もエレガントな証明なのだろうと思う。黒川さんの本を読んで、基本的に線形代数が重要な働きをしていることを悟った。だから、今回の完全版にはベクトル空間の説明も簡素に導入した上で、アルティンの証明を紹介した。

 黒川[C]は、そもそもはゼータ関数のことを解説するものだ。ゼータ関数についてのリーマン予想を解決するには、ガロア群に関するガロア表現というのが重要なのだ。この本は、そこに向かうためにガロアの基本定理の証明のわかりやすい説明を準備することから始まっているである。

四則とべき根で解けない5次方程式

 特定の5次方程式は四則とべき根では解けないのだけれど、それの根本は、その5次方程式の解を有理数体に付加して作る体の自己同型の群(ガロア群)にある性質を持った部分群の列が存在しない、ということから出てくる。ある性質とは、ハッセ図の中の正規部分群の列で、ひとつ上の正規部分群をひとつ下の正規部分群で割った商群が巡回群となっているもののこと。

このことを「5次対称群の非可解性」と呼ぶのだけど、これも多くの教科書ではかなり抽象的でわかりにくい証明をしている(一般性があるからそうするんだと思うんだけどね)。でも、辻[D]で、目の覚めるようなわかりやすい証明を書いている。ぼくがこれまで読んだ証明の中で、最も直感に訴え、最も印象的な証明だと思う。

 この辻さんの解説は、P.デュピュイ『ガロアガロア理論』というガロアの伝記に数学的な解説として追加されたものだ。でも、正直、本編の『ガロアガロア理論』より、辻さんの解説のほうがずっと価値が高いガロアの伝記だったらむしろ、加藤文元『ガロア 天才数学者の生涯』中公新書を読んだほうがずっといいと思う。でも、辻[D]での辻さんの解説部分はあまりにすばらしい。ガロアの定理の証明もさることながら、そのあとに付加されている楕円曲線ガロア理論は、そうとう簡単に書かれており、目から鱗そのものなのだ。これを読まない手はないと思うぞ。

 コーシーの定理

 この定理は、有限群Gの要素数素数pで割り切れるならば、Gの要素gで、gをp個掛け算する(g○g○・・・g○g)と単位要素eになるものが存在する、という定理

このコーシーの定理は、特定の5次方程式の解全部を有理数に付加して作った体Kのガロア群が5次対称群になることを証明するのに使う。シンプルな定理だけど、初等的に(予備知識を最低限に)証明するのは、けっこうハードな道のりなのだ。この証明は、スチュアート[B]から引用した。類等式という「群の要素の分類方法」を使うのだけど、手品のような証明で、正直驚いた。(コーシーって、ガロアを不幸にした数学者じゃないんだっけ?といぶかりながら読んだ)。

この本の著者イアン・スチュアートは、数学の啓蒙書をたくさん書いていて、翻訳もたくさんある。例えば、『現代数学の考え方』ちくま学芸文庫はすごくわかりやすく、すごく面白く書かれている名著だ。なのに、このスチュアート[B]は抽象的で読みにくい。自分の専門について書くとこうなっちゃうのかな、と正直残念だった。ただ、部分的には非常に冴えた証明が導入されている。これがその一つだ。

ガロア群が5次対称群であるような具体的な5次方程式

 虚解を2個、実解を3個持つ5次方程式について、その解たちから作ったガロア拡大体の自己同型は5次対称群となる

例えば、(xの5乗)-10x+5=0がそういう5次方程式にあたる。この証明もスチュアート[B]から引っ張った。前記のコーシーの定理を使うものだが、対称群(並べ変えの群)を勉強した経験があれば、(なくてもそれなりに)、相当わかりやすい証明だ。

正規拡大体はガロア拡大

 n次方程式の解全部を有理数に付加してつくった体を正規拡大体という。体Kの体F上の自己同型によって不変な体がFであるような体をガロア拡大体という。実はこの正規拡大体とガロア拡大体が一致する、というのがこの定理。

実は、旧版でガロアの基本定理の証明を書くのにひるんだのは、この定理を書ききる自身がなかったことも大きい。正規拡大体はとてもわかりやすい。方程式の解全部を有理数に加えて四則で膨らませるだけだからだ。でも、ガロアの定理(5次方程式の非可解性)を示す立役者になるのは、ガロア拡大体の性質(固定体がFとなること)なのだ。だから、この二つの体概念が一致する、という定理は、非常に不思議なことで、これを発見したガロアの天才性が浮きたつ。

この定理の証明は、中島[A]に頼った(ただし、分離多項式についてはスキップした)。スチュアート[B]にもあるけど、非常にわかりずらい。中島[A]という教科書は、とてもわかりやすい書き方をしているのだけど、とにかく分厚すぎる。このページ数を進んでいくと、普通の読者は、きっとどこかで挫折してしまうのではないかと心配になる。だから、ぼくの完全版では、中島[A]からおいしいところだけをパクることにしたのである。

アーベルの定理

 5次方程式には四則とべき根で表現することのできる「解の公式」は存在しない。

この定理も旧版では導入を諦めた定理だ。そもそも、「ガロアの定理」と「アーベルの定理」は素人には区別が難しい。どちらも「5次方程式は四則とべき根では解けない」ということを意味しているからだ。

違いは、「具体的な有理数係数の5次方程式」を扱っているのか、「抽象的な文字係数の5次方程式」を扱っているか、という点なのだ。前者がガロアで後者がアーベル。ガロアの定理が成り立てばアーベルの定理は自動的に成り立つが、逆はそうではない。なぜなら、文字を係数とした5次方程式に四則とべき根による解の公式が存在しなくとも、個々の具体的な5次方程式には、それぞれ別個に四則とべき根による解法があるかもしれない。「解の公式」は、どんな具体的な方程式も「同じアルゴリズムで解ける」ことを意味するからだ。

 証明はアーベルの定理のほうがガロアの定理より格段に易しい。だけど、解を付加したガロア拡大体をイメージするのは、(素人には)アーベルのほうがたぶん難しい。だから旧版では、読者が混乱するのを危惧して、アーベルのほうは一切解説せず、ガロアのほうに集中した。でも、今回、体について、ベクトル空間として見る見方など、かなり抽象的な内容も解説したので、アーベルの定理の証明もきっと理解してもらえると思った。だから、最後の最後に証明を導入したのだ。出典はスチュアート[B]だ。

 以上のように、「最もわかりやすい証明」のお店をはしごする、というのがこの新版の特徴だと言っていい。たぶん、どの啓蒙書よりもきちんとした証明を導入し、どの教科書よりも少ないページ数でそれを達成し、どの教科書よりもイメージしやすい証明を紹介できたと自負している。だから、ぜひぜひ読んでみてな。

 最後に紹介した本にリンクを貼っておく。

 

代数方程式とガロア理論 (共立叢書 現代数学の潮流)

代数方程式とガロア理論 (共立叢書 現代数学の潮流)

 

 

 

明解ガロア理論 [原著第3版] (KS理工学専門書)

明解ガロア理論 [原著第3版] (KS理工学専門書)

 

 

 

 

 

ガロアとガロア理論 (MATH+)

ガロアとガロア理論 (MATH+)

 

 

 

 

 

『完全版 天才ガロアの発想力』が今週末に刊行されます!

今週末、7月6日に、『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社が刊行される。これは、2010年に刊行された拙著『天才ガロアの発想力』技術評論社の完全版だ。

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密―

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密―

 

 

何が「完全」なのかというと、旧版では収録できなかった「ガロアの定理」の完全証明を収録した、ということである。その辺の事情を説明するために、まずはこの新版の「はじめに」を公開しよう。

完全版「まえがき」

本書は、2010年に技術評論社から刊行した『天才ガロアの発想力』の新版です。旧版に対して、大変大幅な加筆をしました。目的は、「ガロアの定理」の完全証明を収録することでした。

 旧版では完全証明を諦めしました。理由は二つです。第一に、ページ数が限られるので証明を書き切るが難しかったこと。第二に、当時入手できていたガロア理論の資料では、一般読者でも理解できるレベルの完全証明を解説する自信がなかったこと。それで旧版では、完全証明を諦め、かわりに位相空間ガロア理論(本書の第8章)を導入することにしたのです。旧版は多くの読者に評価された一方で、証明の欠ける部分を残念に思う読者も多く、著者として無念に思っていました。

 嬉しいことに新版が企画された今回、前述の二つの困難が解決しました。まず、ページ数を大幅に増やすことが了承されました。その上、旧版刊行後に、ガロア理論に関する良書が見つかったり、新たに刊行されたりして、一般読者もがんばれば理解できるレベルの証明を解説できる見通しが立ったのです。そこで、本書は「完全版」と銘打つことになりました。

 旧版との大きな違いは、ベクトル空間を導入して「ガロアの基本定理」の完全証明を解説したこと、四則とべき根で解けない具体的な5次方程式を証明とともに紹介したこと、「アーベルの定理」の証明を収録したことです。 

(以下は、旧版まえがきの一部の再録です。)

これから、皆さんには、約200年前に生まれたフランスの少年に恋をしていただこうと思います。名前は、エヴァリスト・ガロアといいます。彼は二十歳の朝、銃による決闘で命を落としました。決闘前夜に書いた遺書は、なんと一編の数学論文でした。そして、その論文で生み出された数学理論は、その後、ガロア理論と呼ばれるようになり、現在に至るまで数学を刷新し続けているのです。ガロアが解いたのは300年も未解決の問題でした。「2次、3次、4次方程式は四則計算と2乗根、3乗根などのべき根をとる操作で必ず解くことができるが、5次以上の方程式ではそうはいかない」というものです。このことを突き止めるためにガロアは、「群論」と呼ばれる全く新しい数学を編み出したのでした。n次方程式のn個の解の「区別のつかなさ」を群によって表現し、方程式の解法に接近したのです。

この本で最も書きたかったことは、不良で生意気ではねっかえりで、純粋で無軌道という、ガロア少年のかっこよさです。読者の皆さんも、そんなガロアとそして数学そのものに恋をしてくださいませ。

もう少し旧版についての事情について補足しよう。

実は2011年がガロア生誕200年にあたり、そういう意味で、2010年のうちに書店に並べたい、という出版社の意向があり、執筆をせかされていたのだ。十分に時間があれば、資料を集めて、ガロアの定理の(数学や物理の学生以外の)一般の人にも読解できるレベルの証明を構築できるのかもしれなかったのだけど、本当に時間がなかった。

また、ガロア生誕200年は当然、他の出版社の編集者も企画として狙っており、次々とガロア関係の本が刊行されている状況下だった。

そんな中ぼくは、もちろん、それらの本と自分の本を差別化したいと強く望んだ。それでガロアの定理の証明を完全化するよりも、「位相空間ガロア理論(被覆空間のガロア理論)」を紹介することで独自性を出そうと企てた。そのため、余計にページ数が制限されることになり、ガロアの定理の完全証明を放棄することになってしまった。

 でも、アマゾンの書評などで、証明を端折っていることを残念がる(あるいは酷評する)レビューもあがり、ぼくなりに後悔が募ることとなった。

 それで今回の完全版では、証明を完全に書ききることを遂行したのである。ページ数も大幅に増えてしまったし、内容も旧版よりずっと難解になったことは否めない。でも、難解なところは読者がスキップすればいいだけのことだ。ぼくとしては、積年の思いを果たすことができた。

 今回導入したガロアの定理の証明は、ぼくが知っている範囲で、最も予備知識のいらない、最も一般人にわかりやすい証明だと思う。それが書けたのは、旧版後に刊行された(あるいは、以前に刊行されていたが知らなかった)ガロア理論の教科書を入手したおかげだ。それらについては、次回のエントリーで紹介したいと思う。

 旧版を持っている人にも損をさせないつもりなので、是非、書店で手に取って中身を見てほしい。

『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』のおいしいところ

 今、D.シグマ『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』暗黒通信団を少しずつ読んでいる。これは、息子が父の日のプレゼントに買ってきてくれた本なのだ。

 というのも、以前、息子がコミケに行くとき、暗黒通信団のブースも見てくる、というので、この本の購入を頼んだのだ。しかし、残念ながら本書は売り切れになっていた。まあ、別にどうしても欲しいわけではなかったので放置していたのだが、最近、ぼくがアマゾンからコブリッツ『楕円曲線と保型形式』丸善出版を取り寄せて眺めているのをみて、息子は急に思い出したらしく、書店でD.シグマ『楕円曲線と保型形式のおいしいところ』暗黒通信団を探して買ってきてくれたのだ。

楕円曲線と保型形式のおいしいところ

楕円曲線と保型形式のおいしいところ

 

 そうして読んでみたら、ぶっとんだ。これこそがぼくの求めている本だった。

 著者のD.シグマ氏は、誰だか知らないが、最先端の数学者かそれに匹敵する院生だと思う。あまりに数論のことがよくわかっている。

 なにがすごいかというと、わずか79ページ(しかも小型の本)で、楕円曲線と保型形式の「おいしいところ」を書ききっていることだ。もちろん、こんなページ数ですべてを丹念に説明できるわけないので、証明をはしょってる部分が大半だが、これぞという定理には証明をつけてあるし、あるいは証明のアウトラインを書いてくれている。こういう芸当は相当な知識と筆力がないとできない。

 楕円曲線というのは、(yの2乗)=(xの3次式)という方程式で定義される曲線で、複素数の空間ではドーナツ型になっている。楕円曲線上の有理点には、「足し算(アーベル群)」を導入できる。実は、この足し算を使った暗号が実用化され、暗号通貨で利用されている(拙著『暗号通貨の経済学』講談社選書メチエ参照のこと)。

 一方、保型形式というのは、モジュラー変換(複素平面の分数変換の一種)に対してある種の不変性を持つ関数だ。

 この楕円曲線と保型形式という生まれの全く違う存在が、ゼータ関数を仲立ちにしてつながってしまう、というとんでもないことがわかったのだ。そして、このことが、フェルマーの最終定理を解決する源となったのである。

 しかし、このことを理解するのはものすごく敷居が高い。ぼくも、けっこうな時間をかけて勉強しているのだが、片手間だとなかなか急所の理解に到達しない(数学の専門家じゃないから、細部まで理解する欲求はない)。しかし、このD.シグマ氏の本では、ひょっとするとそれが可能になるかも、という予感がある。

 本書の「おいしいところ」を箇条書きにしてみる。

1.基本的に具体例で説明しているので、直感的な理解が可能。

2.  楕円曲線のアーベル群構造の証明が、通常の方法ではなく、ワイエルシュトラスのp関数によるパラメトライズを使っているので、めっちゃ簡単(ぼくはこの証明法を知らなかった。プロの間では普通なのかもしれない)。

3. 保型形式の説明も、具体例を基本に据えているので、直感的な理解ができる。

4. 楕円曲線から作るゼータ関数と保型形式から作るゼータ関数の一致がどのように証明されるのか、おおよそ説明されている。

5. 谷山予想のワイルズによる解決がどのような仕組みでフェルマーの最終定理を系として与えるのかが、他のどの啓蒙書よりも詳しく、他のどの専門書よりもわかりやすく書かれている。

 この5点を知るだけで、この本がどんなに面白い本か伝わることだろう。

とりわけ、4の楕円曲線から作るゼータ関数と保型形式から作るゼータ関数の一致については、「p進表現のテイト加群へのガロア表現」を用いて示されることが(それなりに)わかりやすく説明されている。p進数という実数と別の距離空間を通り、そこでのガロア群の構造を見ると楕円曲線と保型形式がつながるなんて、数世界ってなんて良くできているんだ、と思わず叫ばずにはいられない。これが、ぼくがずっと知りたかったことのひとつだ。

 そして、5のフェルマーの最終定理についての解説は、感涙むせぶ。フライの考え出したフライ曲線という楕円曲線に関して、それが保型形式からこない(モジュラーでない)というリベットの証明の概略が書かれている。これはぼくが読んだどの啓蒙書にも書かれていなかったことだ(専門書ではない。念のため)。さらには、ワイルズの谷山予想の証明のアイデアの急所も書かれている。これも、ぼくが読んだどの啓蒙書にも書かれていなかったことだ(専門書ではない。念のため)。

 そういう意味で、本書は、タイトルに偽りなく、「おいしいところ」を書きまきくったおいしい本だと思う。

 最後に序文(1ページ)の最も「おもしろいところ」だけ引用しよう(営業妨害してやる)。

現代では、このFermatの台詞を記述式の試験に適用できると勘違いしてしまった理系大学生が、余白は十分ある期末テストの解答用紙にこの台詞だけを記した結果、次年も同じ授業を受けることになるという悲劇が後を絶たない。なお、アンサイクロペディアでこの台詞について調べると、「驚くべき証明を見つけたがそれを書くには余白が狭すぎる(英文は省略)とは数学における証明の手法のひとつ、だがそれを完全に説明するには余白が狭すぎる」と記載されているが、情報にはとかくガセがつきものなので十分に注意していただきたい

 実は来週末に、ぼくの『天才ガロアの発想力』の「完全版」が刊行されるのだ。事前にこのD.シグマ氏の本を読んでいれば、ガロア表現のことを挿入できたのに、とちょっと残念だった(とさりげなく、宣伝をしておく。ちゃんとした宣伝は、次回にエントリーする)。

 

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密―

【完全版】天才ガロアの発想力 ―対称性と群が明かす方程式の秘密―

 

 

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

チェビシェフの定理のラマヌジャンの鮮やかな証明

 前回も書いた通り、素数についての啓蒙書を書く準備をしているので、いろいろ資料を集めている。「リーマン予想」にかかわるゼータ関数関係は、黒川先生の著作がたくさんあり、それでカバーできるので準備は十分。でも、「双子素数」関連の解説も入れたいと思っている。双子素数とは、3と5、11と13のように差が2の素数のペアのこと。「双子素数は無限組ある」という予想が「双子素数予想」だ。

 双子素数予想に関しては、ここ数年で、非常に大きな進展があった。「差が246以下の素数のペアは無限組ある」という証明が得られたのだ。これはめちゃめちゃ大きな進展である。この証明には、「ふるい法」という方法論が使われるので、この最新の結果の解説自体は(ぼくの能力的に)不可能であるにしても、「ふるい法」そのものはなんとか解説したいと思っている。最も有名なものは「エラトステネスのふるい」で、これは多くの人がご存知だと思う。他に、ブルンのふるいや、セルバーグのふるいなどがある。

 「ふるい法」をなんとか理解したいと手に入れたのが、Cojocaru&Murty「An Introduction to Sieve Methods and Their Applications」という洋書である。

 

An Introduction to Sieve Methods and Their Applications (London Mathematical Society Student Texts)

An Introduction to Sieve Methods and Their Applications (London Mathematical Society Student Texts)

 

 「ふるい法」の和書は、非常に難しくわかりにくい本が多いのに対して、この本はとても読みやすいし、しかもかなり新しい結果も収められていて良い本だった。

 例えば、ほぼ冒頭に、「ベルトラン&チェビシェフの定理」のラマヌジャンによる証明が解説されている。しかも、相当わかりやすくて感動する。

 「ベルトラン&チェビシェフの定理」というのは、ベルトランが予想してチェビシェフが証明した定理で、「n≧1のとき、n以上2n以下に必ず素数が存在する」というものだ。チェビシェフはθ(x)という関数を使って、これを証明した。θ(x)とは、「x以下の素数の対数値の総和」である。

 それに対して、ラマヌジャンは、ψ(x)という関数を利用している。ψ(x)とは、「1以上x以下の素数べき(pのm乗)たちに対し、その素数の対数値(log p)を加えた総和」である。

ラマヌジャンは、非常に初等的な方法で、

ψ(x)-ψ(x/2)+ψ(x/3)≧(log 2)x+(log xに比例程度の関数)

ψ(x)-ψ(x/2)≦(log 2)x+(log xに比例程度の関数)

を証明する。そしてこれらから、ラマヌジャンは、

ψ(x)-ψ(x/2)≧(1/3)(log 2)x+(log xの2乗に比例程度の関数)

を証明した。ざっくり言えば、「ψ(x)とψ(x/2)との差が、xの1次関数ぐらいの水準で開いていく」、ということだ。したがって、「十分大きいxに対して、xとx/2の間には、必ず素数べきが存在する」ことがわかる。そこで、ちょっと考えると、これから「十分大きいxに対して、xとx/2の間には、素数が存在する」こともわかるのだ。

 理解できてみると、「さ~すが、天才ラマヌジャンだなあ」と思わずうなってしまう証明方法である。なみの数学感覚じゃ思いつかない。

 まあ、このブログにきちんと証明を書ききるのは難しいので、きちんと理解したい人は、ぼくの本が刊行されるのを待ってほしい。(前掲の洋書を読んでもいいけど、けっこう飛躍があって、それを自分で埋めるのは慣れてないと苦労すると思う)

 実はラマヌジャンは、この定理を改良して、次の定理を証明した。

ラマヌジャンの定理

x≧2, 11, 17, 29, 41,・・・のとき,π(x)-π(x/2)≧1, 2, 3, 4, 5, ・・・がそれぞれ成り立つ

ここでπ(x)はx以下の素数の個数を表す。 したがって、π(x)-π(x/2)≧1というのがベルトラン&チェビシェフの定理を表す不等式だが、ラマヌジャンは、「xとx/2の間に素数が少なくとも1個ある」だけではなく、「十分大きいxに対しては、いくらでも多く存在できる」を示したわけだ。実際先ほどのψ(x)の不等式から、こういうことが成り立つのはなんとなく想像できるだろう。ここで、定理の最初のところに登場する「2, 11, 17, 29, 41,・・・」というのが、「ラマヌジャン素数」と呼ばれるものである。きちんと言うと、「π(x)-π(x/2)≧kとなる最小のx」のことだ。ラマヌジャンの定理によって、「ラマヌジャン素数は無限に存在する」ことがわかる。

 ラマヌジャンラマヌジャン素数については、拙著『世界は素数でできている』角川新書のコラムを参照してほしい(このエントリーより情報量がわずかに多いだけだけなんだけど)。

 次回は、同じ洋書から、双子素数についてのことをエントリーする予定。

 

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 

 

『リーマンの夢』とメルセンヌ素数予想と

今回は、黒川信重『リーマンの夢』現代数学社についてエントリーしよう。

この本は、一昨年(2017年)に刊行なので、少し時間がたってしまった。入手当時も一読しているが、今ぼくは素数についての啓蒙書を準備していることもあり、再読してみたのだ。すると、前とは少し違う感慨があったので、それを語りたくなった。

リーマンの夢 ゼータ関数の探求

リーマンの夢 ゼータ関数の探求

 

 本書のタイトル『リーマンの夢』は、まさに、数学者リーマンが当時に夢見たであろうことを著者の黒川さんが想像して書いた、という意味だと思う。もっというなら、「リーマンが黒川さんに憑依して書かせた」と言ったほうが正しいかもしれない。それほど幻想的でかつ斬新な本なのだ。

 リーマンは19世紀に活躍した数学者で、たくさんの業績があるが、代表的なものは、ゼータ関数の発見、素数公式の導出、リーマン予想の提出、リーマン面の構成、などなど。残念なことに39才の若さで亡くなってしまった。

 そのリーマンの数学について、ゼータ関数を中心に語ったのが本書だ。本書が斬新である点を箇条書きしてみよう。

(A)  リーマンのゼータ関数の研究と黒川さんの「絶対ゼータ関数」の研究とがクロスオバーしながら、行きつ戻りつする構成になっている。

(B) リーマンが草稿だけを残した研究についても黒川さんの感性から詳しく紹介している。

(C) リーマン予想を解決するための本質的なアイテムについての解説がある。

(D) メルセンヌ素数BSD予想についての珍しい解説が読める。

(E) セルバーグやラングランズとの黒川さんの交友のエピソードが読めて、黒川さんという数学者の位置づけがしみじみわかる。

(F) 数学が夢のある学問であることが実感できる。

以下、もう少し詳しく説明していこう。

ゼータ関数というのは、そもそもはオイラーの研究から始まったものであり、「自然数のs乗の逆数の総和」のことだ。これをζ(s)と記す。これは、例えばs=2での値ζ(2)が「円周率の2乗を6で割った数」になるなど、非常に面白い性質を持っているのだが、最も重要な発見は、素数ぜんぶを使って積表示できることだ。これを「オイラー積」という。

リーマンはこのζ(s)を複素数全体で定義し、その虚の零点(ζ(s)=0を満たす虚部が0でないsたち)を使ってx以下の素数の個数を表す公式を得た。それが「素数公式」である。だから、ゼータ関数の虚の零点がわかれば、x以下の素数の個数を完全に掌握することができるわけだ。

リーマンは「虚の零点たちすべての実部が1/2であろう」と予想した。これがリーマン予想だ。つまり、虚の零点は、複素平面上の直線上に分布している、という予想なのである。大胆な言い方をすれば、素数ゼータ関数の零点というフィルターを通すと、その不規則性の一部が封じ込められる、ということだ。

 このリーマン予想が、提出から150年以上経過した現在も解けていない。フェルマー予想落城のあと、難攻不落の未解決問題の代表となっているのだ。

 黒川さんは、リーマン予想の解決を夢見て、数学の研究を続けてきた。そこで到達したのが、「絶対ゼータ関数という新しいゼータ関数の創造だ。

 (A)(B)は、黒川さんがリーマンの研究の中に絶対ゼータ関数の影を見ていることの解説である。したがって、絶対ゼータ関数の解説とリーマンの研究(草稿)とを行きつ戻りつする。通常の数学書は時系列に研究を紹介していくので、この手法は非常に斬新だ。まるで、黒川さんがリーマンと対話しているかのようである。これを読んでいくと、リーマンの草稿に、絶対ゼータ関数の概念が萌芽していることが判明し、リーマンの天才性にただただ驚かされる。黒川さんは、リーマンが長生きすれば、絶対ゼータ関数を使ってリーマン予想を解決したのではないか、という「夢」を見ているのだ。ただし、絶対ゼータ関数については、本書ではあまり詳しく説明されないので、提示されている参考文献を入手する必要がある。

 ゼータ関数は、リーマンの研究後、複素平面以外にさまざまなアイテムに対して創造された。楕円曲線や、代数体や、リーマン面や、ガロア表現や、行列や、保型形式や、離散グラフなどなど。そして、これらのいくつかについては、リーマン予想の類似が証明されている。本書はこの点についても語るが、非常に大づかみな解説なのが、かえってアプローチの本質を浮き彫りにしてくれる。それが(C)だ。ぼくの理解では、要するに、ゼータ関数行列式(det)で表現して、固有値問題に帰着されるのが有望なのだ。黒川さんは、絶対ゼータ関数にこのようなアプローチをすれば、本家のリーマン予想が解けると期待している。

 ぼく自身がこの本ですごくわくわくしたのは、(D)の点だ。

 メルセンヌ素数とは、「2のべき乗から1を引いてできる素数」で、3、7、31などがそう。現在見つかっている巨大な素数はすべてこのメルセンヌ素数だ。メルセンヌ素数には、コンピューターで実用的時間内でチェック可能な判定法があるのだ。このメルセンヌ素数は、現在、51個見つかっているが、数学者の多くは無限に存在していると予想している。この予想「メルセンヌ素数予想」については、ほとんど文献がないのだが、本書には紹介されており、非常に貴重だ。それは、「メルセンヌ多項式予想」というものだ。

 「メルセンヌ多項式」とは、素数pに対する1+x+(xの2乗)+・・・+(xのp-1乗)というxの多項式((xのp乗-1)/(x-1)としてもいい)で、素数ℓの剰余体において既約多項式となるものをいう。x=2を代入すればメルセンヌ数になるから、メルセンヌ素数に対応する概念となる。これに関して、次の二つの結果が得られているという。

命題1.代数体のゼータ関数に対するリーマン予想を仮定すると、素数ℓを原始根とする素数pが無限個存在することがわかる。

命題2. 相違なる素数ℓと素数pに対して、次が同値。

 (1) 1+x+(xの2乗)+・・・+(xのp-1乗)は素数ℓの剰余体でのメルセンヌ多項式

 (2)  ℓはpの原始根

(ここで「ℓはpの原始根」というのは、(ℓのp-1乗-1)が初めてpの倍数となること)。

これを踏まえると、「代数体のリーマン予想」が解ければメルセンヌ多項式が無限に存在することが証明されることになる。もちろん、代数体のリーマン予想は未解決で、まだほど遠いので、メルセンヌ多項式予想もほど遠いが、めっちゃわくわくする話だ。以前、黒川さんと対談したとき、メルセンス素数予想の解決には適切なゼータ関数の発見が必要と仰っておられたが、こういう意味だったのか、と本書で初めて理解した。ちなみに、命題2は黒川さんの発見らしい。

 BSD予想(バーチとスィンナートンダイアー予想)は、ゼータ関数に関する(リーマン予想とは別の)予想で、1億円がもらえるミレニアム問題のひとつである。この問題についても、世の中にあまり知られてない重要なことが解説されている。すなわち、ミレニアム問題に取り入れられているBSD予想ではなく、おおもとの(2つあるもうひとつのほうの)BSD予想は、リーマン予想よりも強く、元祖BSD予想が証明できればリーマン予想が証明できる、ということだ。ミレニアムBSD予想も系として出てくるから、ミレニアム問題がふたつ同時に解けて、2億円もらえる(かどうかは知らない)。これを深リーマン予想(DRH)と呼ぶらしい。このいきさつも面白い。

 でも、数学ミーハーのぼくにとってすごく楽しかったのは、(E)の点だ。そして、非常に驚いたエピソードでもある。二つほど引用しよう。

私は、30年近く昔になりますが、1988年5月にプリンストン高等研究所を訪問した際に、偶然、セルバーグ先生にお目にかかることができました。その折にセルバーグゼータ関数の話をさせていただいたことから、セルバーグ先生のオフィスに招待され、セルバーグゼータ関数のことをいろいろとうかがうことができるという幸運にめぐまれました。しかも、ちょうど書き上がったばかりの「ゲッチンゲン講義録コメント」をいただき感激したものです。このコピーは、セルバーグ先生自らしてくださったのでした。

すごい! そして、うらやましい。もうひとつ引用しよう。

私にとっては、ラングランズの``メルヘン論文''は思い出深い論文です。ラングランズ先生から出版前に手紙とともに送られてきました。論文に引用されている通り、私が1976年にジーゲル保型形式のラマヌジャン予想に反例があることを発見したこと(1976年2月24日付手紙でプリンストンの志村五郎先生に伝えた)はラングランズにラングランズ・ガロア群を巡る問題を考える一つのきっかけを与えたのでした。

すごい! そして、うらやましい。

本書にはこういう美味しいエピソードが入ってるし、さらには、ユーモラスな冗談も書かれていて笑わしてもくれる。一つだけ紹介しよう。

ところで、今回のメルセンヌ素数を本として印刷すると通常の10進表記では数千ページになりますが、2進表記なら1が74207281個並ぶシュールな本――本というよりも壁紙――になります。

いや、暗黒通信団なら、2進表記の本を刊行しそうな気がするぞ。

さて、黒川さんの『リーマンの夢』を読む前に、以下のぼくの本を読んでおくことを激しく推薦しておこう。

 

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 やっぱ、数学って楽しいよね。

 

 

 

複素関数を感覚的に理解するには

このところ、複素関数論(複素解析)を復習してた。

というのは、素数についての本格的入門書を執筆中だからだ。ぼくは、一昨年(2017年)に『世界は素数でできている』角川新書を刊行した。この本は、素数について、お話だけじゃなく、ある程度きちんと理論の中身を紹介するものだった。

世界は素数でできている (角川新書)

世界は素数でできている (角川新書)

 

 相当にがんばって書いたけど、二つの限界があった。第一は新書だからページ数が限れらていること。第二は、縦書きだから数式をあまり入れられないこと。もちろん、だからこそ多くの人が読める良い本に仕上がった。でも、一方で、数学が好きでもっと詳しく知りたい人の期待には応えられなかった。だから、横書きでページ数のたっぷりとれる本で、素数ファンに素数のすべてを提供したい、という気持ちが残った。そういう本を今、執筆中なのだ。

 そのために必要になる課題が二つある。ひとつは、素数の個数を数えるための「ふるい法」をわかりやすく解説するための資料を入手すること。これはいい本を入手できた。もうひとつは、ゼータ関数を理解するために不可欠な複素関数、とりわけ、複素積分を簡単に解説する技を編み出すことだ。

 後者については、すごく良い本2冊に出会うことができて、ほぼ準備が完了した。その二冊を今回紹介しよう。

一冊は小野寺嘉孝『なっとくする複素関数講談社。もう一冊は山本直樹複素関数論の基礎』裳華房

なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

なっとくする複素関数 (なっとくシリーズ)

 

 

複素関数論の基礎

複素関数論の基礎

 

 この二冊の教科書の共通の特徴は以下のよう。

(1) 公理論的な厳密な組み上げより、直感的な理解を重視している。

(2)   計算の意味・内容をきちんと「言葉」で教えてくれる。

(3)  重要な定理だけに制限し、計算例や応用例もわかりやすいものだけに厳選している。

 とは言っても、二冊にはアプローチの違いもある。

前者の小野寺版は、相当に直感的だ。言いすぎになるかもしれないが、公理論的に相当やばい橋を渡っている。そういう意味で証明には危ないところがある。よく言えば明解、悪く言えば乱暴。でも、だからこそめっちゃわかりやすい。実は、ぼくの理解はこれに近いし、自分の本でもこの方針で解説しようと思っている。

それに比べて、後者の山本版はぎりぎり公理的な組み上げを踏み外さないでいる。にもかかわらず、面倒なところのうまい省略によって、読者の苦痛が最小限に抑えられるように工夫されている。

なので、未修者へのお勧めとしては、「小野寺版をば~っと一気読みして全体像を掴んで、そのあと山本版でもう少しきちんと理解する」という勉強方針を選ぶことだ。

 複素関数については、次の定理たちが代表的なもの。

1.コーシー・リーマン関係式:複素関数微分可能なとき正則といい、正則な関数は実部と虚部の関数の偏微分について、特定の偏微分方程式が成立する。

2.べき級数展開:正則関数は無限回微分可能でべき級数展開できる。

3.コーシーの積分定理:閉経路C内で正則な関数を、C上でぐるっと一周積分するとゼロになる。

4.コーシーの積分公式:関数f(z)を閉経路C内で正則とする。C内部の任意の点aに対して、関数f(z)/(z-a)をC上でぐるっと一周積分すると、f(a)になる。

5.ローラン展開:関数f(z)が中心をbとするドーナツ型開領域の内部で正則とする。このとき、関数f(z)は[係数×((z-b)のn乗)]の無限和で表現できる。ただし、nは負の整数も含む。

6.留数定理:関数f(z)は閉経路C内にいくつかの特異点を持つとする。そのとき、f(z)をC上でぐるっと一周積分した値は、(特異点における留数の総和)×2πi、となる。

ここで留数とは、その特異点ローラン展開したときの(指数n=ー1)における係数。

 だいたいこれらの定理をおさえれば、ゼータ関数にも、リーマン面にも、素数定理にも、なんとかかんとかアタック可能になる。でも、通常の(古典的な)複素解析の教科書でこれらの定理を全部理解しようとすると、きっとどこかで挫折を余儀なくされる。他方、紹介している二冊なら、ほとんど苦痛なくこれらを全部習得できるだろう。

 実は、上記「2.べき級数展開」を前提としてしまえば、他のすべてはあたり前に見えるのだ。複素積分でも「微分積分は逆操作」という「微積分学の基本定理」は成り立つ。言い換えると「fの原始関数Fが存在するなら、aからbへの経路でのfの積分値は終点の値F(b)から始点の値F(a)を引いたものになる」が成立する。べき級数展開は、係数×((z-c)のn乗)の和(ただし、nは0以上の整数)だから、各項には原始関数が存在する。閉経路での積分では(始点a)=(終点b)だから、積分値がゼロになるというコーシーの積分定理は当たり前と「納得」できる。次に実関数の積分でも、xの(ー1)乗以外のxのn乗には原始関数が存在したことを思い出そう。xの(ー1)乗だけ原始関数に対数が関わって変なことが起きていた。実は、この事情は複素関数ではより強烈になる。(z-a)の(ー1)乗が掛け算されるコーシーの積分公式も、(z-a)の(ー1)乗の係数だけを見ればいい、という留数定理もこの事情から出てくることが当たり前じゃんと「納得」できてしまう。

 このような書き方をしているのが、小野寺版だ。したがって、ほんとに腑に落ちる展開になっている。そして、そういうジェットコースター方式で解説しているからこそ、最後に解析接続の章とリーマン面の章を導入することに成功している。(z-a)の(ー1)乗の部分の振舞いがどちらでも大事なイメージ例となるのだ。とりわけ、解析接続の説明は出色だと思う。

 でも、公理論的には、上記「2.べき級数展開」を前提にするのはかなり乱暴なのだ。なぜなら、通常これは、「4.コーシーの積分公式」から導かれるからだ。

 山本版では、ちゃんとこの順序を踏襲している。その分、ある程度の厳密性が保持されている。他方、理解スピードがやや遅くなる恨みがある。

 ただ、山本版は1.から6.の定理たちのイメージを鮮烈にするための工夫が盛りだくさんだから、公理論的苦痛を相当に緩和してくれる。例えば、「1.コーシー・リーマン関係式」の導出は他書に比べて相当にわかりやすい。また、これを「zの複素共役zバーでの偏微分がゼロ」と言い換える工夫がめっちゃ良い。この見方をすると、「正則」とはどういうことかが直感的にストンと腹に落ち、関数の式を見ただけで正則・非正則を見抜けるようになる。

 また、「6.留数定理」の解説では、「n≠-1に対応する展開係数たちはすべて役に立たないガラクタで、積分に必要なすべての情報はn=-1に対応する係数に圧縮されている」という大事な見方を与えてくれる。その上、この定理を「積分しなくても、積分が計算できてしまう」と表現し、「コーシーの夢は、積分の統一的計算法であったという。この夢の成就の形として、留数定理は、まさに文句のないものといえよう」とほめたたえている。こういうの読むと、がんばって勉強してよかったな、と素直に喜べる。

 複素関数を勉強したい人、ゼータ関数素数定理リーマン面を理解したい人は、小野寺版→山本版、という順序で勉強することを強くお勧めする。

 

『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論

 今回は、ウィーダ『フランダースの犬について語ろうと思う。それも、この物語が宇沢弘文先生の社会的共通資本の理論の根拠づけになるんじゃないか、というちょっと突飛な視点だ。

 ちなみにこのことは、前から考えていたんだけど、先日の資本主義研究会での講演

宇沢先生の思想について講演をします。 - hiroyukikojima’s blog

のために、前から温めていた考えをまとめて、満を持して発表したものだ。

 前もって言っておくと、ぼくは日本のアニメ「フランダースの犬」は(最終回以外は)全く観ていないので、アニメ版とは話が食い違っているかもしれない。

 ウィーダの原作を最初に読んだのはもう、20年以上昔のことになる。ベルギーに観光旅行に行ったときだった。『フランダースの犬』はベルギーのアントワープ地方を舞台とする有名な物語だから読んだほうがいいな、と思って、何の気なしにホテルで読んだのだ。

 そしたら、あまりの悲しい物語に号泣してしまった。しかし、それは主人公ネロに対する村人の非道な仕打ちのことではなかったんだ。以下、そのことを書く。今回読んだのは、新潮文庫

フランダースの犬 (新潮文庫)

フランダースの犬 (新潮文庫)

 

  思うに、作者のウィーダ女史がこの物語に込めた想いは、ルーベンスの絵に関することではないだろうか。

 ネロ少年は貧しいあばらやで祖父と二人で暮らしている。そこにひどい労役で死にそうになっておきざりにされた犬のパトラシエを祖父が助け、連れてきたことで、一緒に暮らすこととなった。物語は、少年ネロと犬のパトラシエの友情を描いていく。

 ぼくがこの物語の本質だと思うのは、ネロ少年が絵を描くことに情熱をもっていて、教会が所蔵しているルーベンスの絵を鑑賞することを熱望している、という点だ。しかし、教会はルーベンスの絵の鑑賞に課金をしており、貧乏なネロは見ることが叶わないのである。このことは次のように描写されている。まず、パトラシエの視点

パトラシエを不安がらせたのは、出てくるときのネロのようすがいつも異様で、ひどく顔を紅潮させているかと思えばひどく青ざめていることもあり、教会堂へ立ち寄った日には家に帰っても遊ぼうともせず夢想にふけりながら、黙りこくってすわったまま、運河のかなたの夕空を悲しげな面持でながめている、そのことであった。

「いったい何だろう?」

パトラシエは不思議におもった。とにかく小さい子供がこうして沈み込んでいるのは、あたりまえのことではない、と考え、物言えぬ身ながらネロを日のあたる原や賑やかな市場で、自分のそばにひきつけておこうと、せいいっぱい身ぶりを示して努力した。しかしあいかわらず教会へとネロは行くのであった。

 このように、ネロは教会のルーベンスの絵が見たいがために、何度も教会に足を運んでは失意のうちに帰ってきた。ルーベンスの二枚の絵にはいつもおおいがかけられているからだ。ネロの気持ちは次のパトラシエへのつぶやきに端的に示されている。

「あれが見られないなんて、たまらないなあ、パトラシエ、貧乏でお金が払えないばっかりに! この絵を描いたとき、あの人は貧乏人に見せまいなどとは夢にも考えなかったんだよ。どんな日でも、いや、毎日でも見せてくれたろうに、それだのに、あんなおおいをしておくなんてー暗いところにせっかくの美しいものを!ーだから金持の人が来てお金を払うまでは、日の目にもあわないし、人の目にもふれないんだ。あれが見られさえしたら、ぼくは死んでもいい」

この文章の中に作者ウィーダの強い怒りが結晶しているように思う。教会が拝金主義に陥って、市民みんなの財産であるはずのルーベンスの絵画を金儲けの道具にしている。よりによって教会がそういうことをしている。そういうとめどない怒りなのだと思う。

 市場原理主義の権化で宇沢先生の終生の敵であったミルトン・フリードマンならこういうかもしれない。すなわち、価値あるものは市場で価格を付けて取引されるのが最も効率的である。ネロもそんなに絵が見たいなら、働いて相応の金銭を稼げばいいではないか、と。

うん、そういう考え方があるのはわかるし、そういう考えを信奉する人が少なからずいることは知ってる。それに対して、作者ウィーダは、次のようなシーンを用意して答えたように思う。

 ネロは、村一番に裕福な家の娘アロアと親しくなる。アロアはネロやパトラシエの貧困や不幸なおいたちのことは気にせず、しじゅう一緒に遊ぶ気立てのいい娘だった。ある日にネロはアロアの肖像画を描く。アロアの父親はネロが娘に近づくのが気に入らなかったが、その肖像画には見惚れてしまい、1フランで買い取ることを申し出た。しかしネロは、お金の受取を拒否して、絵を無償であげてしまう。その気持ちはネロの次の言葉に表現されている。

「あの1フランであれが見られたのだがな。だけど、ぼくにはどうしてもアロアの絵は売れなかったんだよーあれのためでさえね」

つまり、ネロは、たとえルーベンスの絵を見たいがためと言っても、自分が心を込めて描いた愛するアロアの大事な絵を、金銭に代えることが我慢ならなかったんだと思う。それは「汚れた行為」だと感じるんではないだろうか。

 こういう感情について、ばかげていると思う人は多いだろう。また「危険な正義感」「危険な倫理観」だという人もいるだろう。しかし、ぼくが共感するのはそういう反論とははずれたところにある作者の思いなのだ。みんなの共有の財産である、教会や、絵画を、市場原理に晒すことに対する作者の怒り。絵画を無償で公開するなど、なんでもないことで、そうすればネロのような少年も、たとえ金銭的な苦境にあっても幸せに暮らすことができるのに、そうしない教会に対する憤慨がこの物語を書かせたに違いないと思うのだ。

 ベルギーで読んだときはただの悲しい物語だと思ったにすぎないのだけど、今回、講演のために読み返してみて、ぼくはこの物語の中に宇沢先生の「社会的共通資本の理論」が結晶していると確信するようになった。

 もちろん、生産設備を十分に確保し、需要を刺激し、雇用を安定させることで、人々は物質的な豊かさを享受できる。それは市民を豊かにする一つの在り方だ。でも他方で、生活基盤インフラや教育や医療や芸術など、人々の厚生の中心になる公共的な財を豊富に整備し、社会で共有の財産として管理運営していくことが、市民が安心して暮らせる、そして豊かであることを無理に自覚することなく享受していく大事な制度に違いないと思えるのだ。それが、宇沢先生が言いたかったことではないかと。

 この『フランダースの犬』は、悲劇的なエンディングを持っている。ネロとパトラシエは、クリスマスイヴの夜に教会で餓死することになる。しかし、死の直前にネロは、念願のルーベンスの絵を見ることになる。作者は、だれがおおいを取ってくれたのかについては触れていない。そこに、作者の強い想いが込められていると思う。それは次の表現に現れている。

この世に生きながらえるよりもふたりにとって死のほうが情け深かった。愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、この二つの生命を引き取ったのである。

作者ウィーダの怒りと失望の深さはよくわかる。でも、死に幸せを委ねるなんて悲しいことをしなくても、この世界はちょっとした工夫で、ちょっとした発想の転換で、ネロとパトラシエを幸せにすることはできる。金銭を仲立ちとしない仕組みを市場世界の一部に導入すればいいだけだ。それこそが宇沢先生の思想の根幹だと思うのだ。

 ちなみに、つい先日、宇沢先生の評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』講談社を著者の佐々木実さんが送ってくださった。ぼくも取材を受けて、ちょっとだけ貢献したからだ。まだ読んでいないので、読後に書評を挙げるつもりだ。

 うれしいことに、佐々木さんがこの本への思いを綴っているサイトに、「宇沢先生をしのぶ会」で上映されたアメリカの経済学者の追悼のインタビューがアップロードされている。是非、ご覧になっていただきたい。

世界随一の経済学者が、すべてを投げ捨てても守りたかったもの(佐々木 実) | 現代新書 | 講談社(1/3)

アカロフスティグリッツとソローとアローの4人。全員がノーベル経済学賞受賞者。すごすぎるメンバーだ。宇沢先生がどんなに彼らに愛されていたか、どんなに尊敬されていたかがよくわかる。

 

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界