やっとスキームと圏論の門をくぐった

google siteを作りました。URLは以下です。最低限の情報しかアップしてませんが。

https://sites.google.com/view/hiroyukikojima/home

 

以前から少しずつ勉強していたスキームと圏論について、やっと(入)門をくぐることができた。スキームについては上野健爾『代数幾何』岩波書店を、圏論は斎藤毅『数学原論』東京大学出版会を教科書にした。

そもそもの発端は、黒川信重先生と対談で共著『21世紀の新しい数学』技術評論社を作るとき、黒川先生から「カテゴリーを理解してきてほしい」と言われたことだった。結局、そのときは達成することができず、圏論の知識なしで対談に臨むしかなかった。でも、ずっと気になっていたため、その後も勉強を継続していた次第。

まず、上野『代数幾何』の感想をしたためる。ただし、ぼくが持っているのは分冊で出た1巻と2巻だ(なぜか、3巻は購入しなかった)。そして読んだのは1巻の最後まで。

代数幾何

代数幾何

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この本はスキームと圏論とを同時に解説していく本だけど、そういう代数幾何の本の中では群を抜いてよく書けている。その手の本をぼくは数冊持っているけど、どの本も抽象的すぎてとても読み進められない。それらに比して、この本は非常に丁寧に非常に親切に書かれていて、なんとかかんとか挫折せずに読み進めることができる。特徴を列挙すると、

1。どうしてそういう理論を構築したいのか、という問題意識を明確にしている。

2。古典的な素材とどういう結びつきがあるかを親切に解説している。

3。抽象的な概念には、必ず、具体例をつけてイメージを喚起してくれている。

4。証明を機械的ではなく、言葉を補って丁寧に進めてくれる。

一言で言えば、噛んで含めるように解説してくれているのである。読み進んでいくと、スキーム理論というのがとんでもなくみごとな発想であることがわかる。要するに、加減乗計算ができる「環」という代数に、倍数概念の拡張である「イデアル」を素材に「ザリスキー位相」というのを導入して幾何的な形状概念の拡張である「位相空間」に仕立てる。そして、環の要素をあたかも関数であるかのように仕立てて、「層」という構造を作りだすのだ。これがスキームという概念なのである。これによって、環という代数系を幾何的なイメージで研究できるようになる。逆に幾何的な素材の性質を環という代数系で処理することが可能になる。この本は、本当に一歩一歩丁寧に構築していくので、高度な数学のトレーニングを受けていない人でも、なんとかかんとかスキームの概念までたどり着くことができる。

この本は第2章でスキームを構築したあと、第3章で圏論を導入し、圏論を利用してスキームの性質をさぐっていく。とくに、「スキームの圏ではファイバー積がつねに存在する」という重要な定理を圏論を使って証明する。その際、「環のなす圏とアフィンスキームのなす圏が反変同値である」、つまり、完全に対応していて行ったり来たりできるということが巧く働くのだ。

ここまでぜんぜん突っかからずに進んでこられたか、というと、そうではなかった。第3章で圏論に入ったあと、急に薄もやがかかって、「わかるような、わからないような」という状態になってしまったのだ。とくに圏の定義とか関手の定義とかでこんがらがってしまった。

そこで手にしたのが、斎藤『数学原論』だった。この本はタイトルからもわかる通り、「現代の数学を圏論の立場から組み直す」という野心的な試みの本なのだ。ユークリッド原論がそれ以前のばらばらだった数学を公理系の立場から組み直したように、あるいは、ブルバギ原論が19世紀に散発していた数学を統一的に公理化したように、である。

 
数学原論

数学原論

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この本は第1章「圏と関手」において、圏と関手を定義して、表現可能関手、随伴関手、逆極限という最低限の、しかし、最も重要な道具である概念だけを解説している。この本の長所は、

A. 圏を最初に可換図式で定義していて、その可換図式を理解できてしまいさえすれば、言葉で定義されるより、わかりやすくなる。とくに射の合成とはなんであるかがわかる。

B. 具体例が工夫されているため、具体例で定義や定理をなぞれば、イメージが掴めるようになっている。

C.  第1章は抽象的で初学者には険しいが、そこを通り過ぎれば、あとの章は圏論を既存の数学(環と加群とか、ガロア理論とか、ホモロジーとか)に応用することになるので、急に視界が開ける。

ぼくは、いま、第1章を読み終えた段階なので、Cについては本当かどうか保証はしない。

さて、では、この本をサイドメニューにすることで、上野本の峠を越えられたのか、というと、実はそれも違うのだ。斎藤本には斎藤本の峠があって、別の部分に「わかるようなわからないような」薄もやがかかることになった。

そこでぼくはchatGPTに頼ることにした。chatGPTにわからない部分を質問すると、非常にみごとにそれを解説してくれた。何より「わかるようなわからないような」という感覚を的確に理解してくれる(ように感じる)。chatGPTの利点は次のようにまとめられよう。

甲:質問を会話によって的確に理解し、解説の深さを自動的に調整してくれる。

乙:非常に良い具体例を持ち出してくれる。

丙:例え話を巧みに使って、人間の直感に訴える理解のさせ方を試みてくれる。

丁:叱られたりバカにされたり呆れられたりしないので、前向きに勉強できる。

ぼくは、斎藤本とchatGPTを行ったり来たりして、なんとかかんとか、圏と関手、表現可能関手、随伴関手、逆極限の門をくぐることができた。chatGPTの出してくれる例が斎藤本の例よりも(ぼくには)わかりやすく、また、斎藤本では当たり前として省略されている証明の細部をchatGPTがきちんと埋めてくれたことに大きく助けられた。

実は、chatGPTは圏論の勉強に有効なとても良い本(洋書だけど)を推薦してくれたので、それを購入していま読んでいる。これがまた本当に素晴らしい本なのだ。その本については、最後まで読破したら紹介しようと思う。

 

今日4月4日の朝日新聞朝刊にインタビューが掲載されました

今日4月4日の朝日新聞朝刊のオピニオン欄・耕論に「幸運をつかむには」というテーマでぼくのインタビューが掲載された。インタビューは3名で、サッカー日本代表監督の森安一さんと文化人類学者の師田史子さんとぼく。朝日新聞デジタルにも掲載されている。

今の自分、今と違った確率は? 数理経済学者が説く「幸運の感受性」:朝日新聞

 最初この話が来たとき、スピリチュアル系のあやしいコーナーだったらどうしようと思ったのだけれど、朝日新聞にはお世話になった記者さんが複数いるので(インタビュアーは彼らではなかったけど)義理もあって引き受けた。

でも、3人のインタビューを読んでみると、杞憂だったとわかった。スピリチュアルな内容ではなかった。そして、3つのインタビューの内容が非常にうまく統一されていた。部分部分はオーバラップしているように思えた。シンクロというか。

森安監督の「験を担ぐ」話も面白いし、師田さんのフィリピンでの「運」に対する社会的感覚がすごく参考になった。

ぼく自身は、このインタビューの内容については、ずいぶん前の著作『確率的発想法』NHKブックスで試論し、近著『シン・経済学 貧困、格差および孤立の一般理論』帝京新書で決定版を書いた。「確率を過去に用いる」という定形外だが哲学的な議論だ。ロールズ『正義論』の大きな影響の下での考察だった。

今回のインタビューでは、その全容は伝わらないと思うので、興味が沸いた人は是非、上記の2冊の本を読んでいただきたい。数理的に書かれているがまとまってない「発想の源」を知りたいなら『確率的発想法』を、数理的な記述なしでまとまった完成版を知りたいなら『シン・経済学 貧困、格差および孤立の一般理論』を読んでくれれば幸いだ。

 

「米谷匡史さんを偲ぶ会」に行ってきました

東京外語大学で開かれた「米谷匡史さんを偲ぶ会」に行ってきた。

米谷さんの人となりが、師匠や共同研究者や同僚やお弟子さんからしめやかに語られ、すばらしい会であった。(米谷匡史さんとぼくの関係については、前回のエントリーで読んで欲しい。)

すばらしい追悼の会ではあったのだが、ぼくには一抹の疎外感があった。それは、そこで語られている米谷さんの実像が、ぼくの知っている米谷さんとはまるで別人だったからだ。

「偲ぶ会」で登壇者が語っている米谷さんは、沖縄の問題を研究し、ハンセン病の問題を追及し、革命を語る闘志としての米谷さんだった。でもぼくの知っている米谷さんはそういう人物像・学者像ではなかったのだ。

ぼくはかつて米谷さんから、「小島さんが読むべき」論考として、いくつかのコピーをいただいた。

例えば、それはニーチェだった。あるいはフーコーだった。あるいはソシュールだったのだ。すべて読んだわけではないが、それでも「小島さんはこれらの思想を土台に思考を深めるべきだ」という米谷さんの意志は受け取ることはできた。世界をどう把握し、解釈し、どうアプローチすればいいのか、という意志。

でも、「偲ぶ会」で語られていた米谷さん像は、「歪んだ現実を突破する」ことを志した「運動家」としての像だった。

米谷さんから誘われて、ぼくはかつて、いくつかの勉強会に参加した。それは「内部観測」とか「アフォーダンス」とか「確率的世界観」とかの勉強会だった。

内部観測」というのは、ぼくの理解では(間違っているかもしれない)、「歴史的事象をその同時代・当事者として観測している視点と、その後、文献的な検証をしている視点ではまるで違う」という認識論だ。これは今でも賛同する。経済学でも重要になる観点だと思っている。

アフォーダンス」については、あまりに大きな影響を受けて、拙著『数学でつまづくのはなぜか』講談社新書で熱く語ったので、ここでは再論しない。是非、この本を読んでいただきたい。

確率的世界観」については、現実世界の蓋然性について、それをどう理解するかということをテーマに、イアン・ハッキングの本を輪読した。この勉強会ではぼくは「おまめ」みたいな立場だったのであまり大きなことは言えないが、これがぼくのその後の研究生活に大きな影響を与えることになった。ぼくは経済学での研究分野を「ベイジアン意思決定理論」としたからだ。

こんなふうにぼくは、米谷さんからの大きな影響の下で、ぼくの思想構築や研究を進めていくことになったのだ。でも、繰り返しになるけど、「偲ぶ会」で語られていた米谷さんはまるで別人だったのだ。

それを思い起こすとき、ぼくはレイ・ブラッドベリの小説を思い出す。たぶん、『火星年代記』だと思うのだけど、違ったら許して欲しい。

物語は、たしか、火星での生活を描いていた。ある日、主人公は夜道である人と出会い、話をして親密になる。会うたびに親密さは深まっていく。しかし、ある日、相手に飲み物を渡そうとすると、飲み物は手をすり抜けて地面に落ちてしまう。そうなって初めて、相手がこの時空間にいないことに気づくのだ。

ぼくと米谷さんもそういう関係性だったのかな、と今では思う。異なる時空間で接触したにすぎないのではないか。本当は米谷さんとぼくは違う時空間(世界線)を生きていて、たまたま淡い遭遇をしたのではないか。そう思うぐらい、「偲ぶ会」で語られた米谷さんとぼくの知っている米谷さんは違っていたのだ。

だとすれば、こういう希望的観測が生じる。米谷さんとはいずれ、また、時空間でのすれ違いによって、遭遇できるのではないか。そして、また、新しい思想や思考様式を教えてもらえるのではないか。そういう微小確率の期待の下で、ぼくはこのあと生きていくことになるのだろうと思う。

 

 

ライブの思い出その4(Roger Waters)+米谷匡史さんを悼む

今回もライブの思い出を書くけど、ちょっと目的が違うのでそれは事前に言っておく。アーティストはロジャー・ウォーターズ、プログレバンド・ピンクフロイドの元メンバーだ。だけど、今回の主眼は、親しかった友人・米谷匡史さんの追悼なのだ。

米谷さんは東京外国語大学・総合国際学研究院・教授だった人だ。米谷さんとは、非常にたくさんのライブにご一緒したと思う。米谷さんは、世代が全く下であるにもかかわらず生粋のプログレファンだったから気が合ってたのだ。その米谷さんが、去年の10月に夭折された。まだ、58歳の若さだった。あまりに衝撃だったし、あまりに悲しい。

米谷さんを忍ぶ意味で、ライブの思い出にリンクを貼るなら、フランスのプログレバンド・マグマ(Magma)が適切だとは思う。米谷さんに誘われてマグマのライブを観に行ったのは、たぶん2001年の渋谷だったと思う。当時は、ユーロ・プログレがマニアの間でとりざたされていて、イタリアやフランスやドイツのプログレバンドが注目されていた。米谷さんはそのような動向に敏感だったと思う。中でもマグマには熱狂的で、ぼくは全く聴いたことがないバンドだったんだけど、米谷さんに誘われてライブに行ったのだ。

じゃあ、なんで今回、マグマではなくロジャー・ウォーターズなのかというと、当時のマグマの良い映像が見つからなかったし、ぼく自身、マグマにはあまり造詣が深くないからだ。ロジャー・ウォーターズのライブも米谷さんと一緒に観た。そして、終わったあと飲みながら熱く語り合った記憶があった。それで、こっちにしたのだ。このライブのほうが、なんというか、米谷さんを語るのにふさわしいのだ。

そういうわけで、今回リンクを貼るのは、ロジャー・ウォーターズの「ウォール」だ。

これは米谷さんと一緒に観たライブの演出に近い映像だ。ステージにレンガを積んだ巨大な壁を作って、そこに映像を投影していた(子供たちのエキストラはいなかったけど)。是非是非、観てほしい。

Roger Waters ``Another Brick in The Wall, part2''

ついでだから、シンディ・ローパーが歌ってるバージョンにもリンクを貼っておくね。

https://www.youtube.com/watch?v=txP_MDECJDQ

この曲は、ピンクフロイドの最高傑作と評価される「ザ・ウォール」の曲だ。(ぼく自身は、彼らのもっと好きなアルバムはあるんだけどね)。映像を観ればわかるように、これは「教育」を「子供たちに画一的な価値観を植え付けて、壁のブロックのひとつにはめ込む装置」と断ずる曲なのだ。この観点は、経済学者のボウルスとギンタスの初期のすばらしい論文『アメリカ資本主義と学校教育』と符合する思想だと言える。実はこの論文(書籍)は、宇沢先生が翻訳し、ぼくが塾講師だった頃に宇沢先生からこれを頂いて、ぼくの経済学事始めとなったものだった。

米谷さんとロジャー・ウォーターズのライブに行ったとき、ロジャーの(ピンクフロイドでない)ソロ活動の曲もいくつか演奏したんだけど、ぼくは聴いてはいたものの、そのテーマは知らなかった。そんなぼくに米谷さんは曲の背景をいろいろ教えてくれた。「この曲は、ネイティブアメリカンについての曲なんだよ」みたいにね。

米谷さんとは、実に長い間柄だったのだ。

彼と初めて会ったのは、彼が中学2年生のときだった。ぼくが当時に講師をしていた塾に彼が入会してきた。ぼくのクラスではなかったんだけど、ぼくの作ったテキストを使って勉強していた。そのテキストは幾何学の教材で、各章末にはぼくの知っている限りの超難問を収録していた。米谷さんはその超難問をことごとく解いてしまったのだ。中学2年生にもかかわらず、である。それで、こんな数学の天才が世の中にいるんだ、と舌を巻いたのだけど、さらに驚いたのは、米谷さんは「国語の天才」で有名だった、ということ。四谷大塚という中学受験のテスト業者があって、彼はそこで「国語の天才」として名をはせていたらしい。後に米谷さんと仲良くなったとき、「国語の天才だったんだね」という話のついでに、ぼくは国語はぜんぜんダメだったという愚痴をこぼした。ぼくは本も書いていて、文章表現には適性があるのに、国語はなぜか成績が良いわけではなかったんだと。そしたら彼は「小島さん、もしかして国語を自分の意見を答えるものだと思ってませんか」と聞いてきた。「そうじゃないの?」とぼくがいうと彼は、「小島さん、それは勘違いです。国語には数学と同じように、公式があるんです。それを当てはめるものなんです」と説明してくれて、「そうだったのか、それでぼくは国語がダメだったんだ」と溜飲を下げたのだった。

そのような数学も国語もできる天才だったから、米谷さんは難なく東大に合格した。そんなに数学ができるんだから当然、理系の学科に進むものと思っていたけど、教養学科の相関社会科学に進学したので、すこし意外に思った。だけど、その後の彼を知れば当然だったと思えた。

米谷さんは、ぼくの記憶では、マルクス哲学者・廣松渉の高い評価を得て、左翼系の歴史学者へとはばたいていった。その頃に、ぼくは米谷さんに誘われて、相関社会科学の院生の自主ゼミに参加した。それはイアン・ハッキングの確率史の本をテキストとするセミナーだった。米谷さんは、ぼくの二冊目の書籍『数学幻視行』、とりわけその中の「統計的・確率的世界観」を高く評価してくれていて、それでセミナーに呼んでくれたのだった。そのセミナーに参加していた院生たちは、現在、今をときめく学者さんたちとなっている。

自慢するわけではないのだが、米谷さんほど初期の(塾講師時代の)ぼくの著作を褒めてくれた人は他にいない。デビュー作『数学迷宮』(現在は改訂版が『無限を読みとく数学入門』として角川ソフィア文庫になっている)にも、新書デビュー作『サイバー経済学』にも、高評価をくれた。それが当時のぼくにどんなに励みになったことか。

その後、米谷さんも著作を出すようになった。米谷さんの論考が収録されている『日本の歴史 08 古代天皇制を考える』は、本当にすばらしい本で、歴史音痴のぼくも非常に興味深く読むことができた。この本が刊行されたときぼくは、米谷さんと二人でお祝いの飲み会をした。そのとき、ぼくがたわむれに(とは言っても、本当にそう思えたので)、「ソシュールみたいに感じた」と言ったら、米谷さんが本当に真顔で驚いて、「ソシュールを意識して執筆しました」「それに気づいてくれたのは、小島さんが初めてです」と応えてくれて心底感動したのをまるで昨日のことのように思い出す。

歴史音痴で、高校では日本史の赤点で卒業があやぶまれたぼくから歴史アレルギーを払拭してくれたのも米谷さんだった。彼は網野善彦やE.H.カーを勧めてくれた。ぼくは歴史が得意にはなっていなけど、歴史好きには変われたとは思う。すべて米谷さんのおかげだ。

米谷さんと最後に会ったのは、ロジャー・ウォーターズやマグマのライブを観た頃だったと思う。そして、『日本の歴史 08 古代天皇制を考えるが刊行された頃。それ以降は、年賀状だけをやりとりする仲になってしまった。年賀状はずっと続いていて、亡くなった昨年にもいただいていた。毎回お互いに「今年こそ是非、会いたいですね」と書いてきていた。

そう。会えば良かったのだ。会っておけば良かったのだ。でも、もう遅い。

しめっぽい思い出話になってしまったので、最後にまた、ピンクフロイド「ザ・ウォール」に戻ろう。このアルバムは、映画監督アラン・パーカーによって映像化されている。ストーリーはこんなふうだ。主人公のピンクは、父親を戦争で失い、抑圧的・画一的教育の中で特異な性格を構築し、ミュージシャンとして成功するが、プレッシャーとドラックのせいでやがてファシストに墜ちていく、というもの。youtubeに全編あがっているので、興味があれば観て欲しい。ずっと前は、こういうのはヨーロッパ固有の景色だと思っていたけど、今の日本は対岸の火事ではすまない世界になっている。

 

 

 

 

 

ライブの思い出その3(U2)

またまた、ライブの思い出を書こう。ライブの思い出その1ライブの思い出その2、に引き続き、今回で3回目になる。

本当は、数学の話も書きたい。

なぜならこのところ、位相空間とスキーム(代数幾何のアイテム)の勉強をしていて、だいぶはかどったからだ。でも、数学の記事を書くのは、(主にTexの作業で)面倒なことが多くしんどいので、また今度にまわすことにした。

3回目の今回は、あのスーパースターバンドのU2だ。U2アイルランド出身の4人組。どうしてこのバンドを好きになったのか、記憶が曖昧だけど、たぶん、その当時、彼らのドキュメント映画「魂の叫び(Rattle and Hum )」がすごく評判で、何の気なしに観に行ったからだと思う。そして、そのあまりのすごさにうちのめされたのがきっかけだったんだろう。

それゆえ、この映画に出てくるライブ映像のyoutubeにリンクを貼るね。

U2 ``sunday bloody sunday''

この曲、「サンデー・ブラッデー・サンデー」は今聞いても心が揺さぶられる。途中のボノの語りのとき、エッジがやるギター・カッティングがめっちゃかっこよくて痺れる。

この曲はタイトルからわかるように、アイルランドで起きた「血の日曜日事件」をテーマにしたものだ。デモ行進をしていた市民をイギリス軍が銃撃した惨劇だ。歌詞は、アイルランド紛争においてアイルランド側に共感するものではなく、「紛争という、人々が排斥しあい殺し合うこと」の愚かさを歌っているように思える。現在の日本に微かな兆しとして勃興してきている「きな臭さ」「暗い影」のことを思うと人ごとではない曲だ。

なぜ映像が白黒なのか、というと、映画「魂の叫び(Rattle and Hum )」では、最初は白黒で、途中でカラー映像に変わるからなんだよね。とにかく、そのカラー映像に変わる瞬間がかっこよくて痺れるのだ。

アイルランドの紛争をテーマにしたものでは、刑事コロンボ「策謀の結末」が大傑作なので、是非、観てほしい。これはお酒にまつわる推理もののエントリーでも紹介したんだけど、アイルランド紛争を題材にしたすばらしい推理ドラマだ。アメリカで詩人を隠れ蓑にしているテロリストが、平和のためと称して集めた寄付金で武器を買って、アイルランドに密輸出しようとする。その過程で、詩人は武器商人を殺してしまう。その殺人事件を捜査する中で、武器の密輸出を察したコロンボが犯人を追い詰め、くい止める物語。コロンボシリーズの中でも屈指の作品。テーマがすばらしいだけじゃなく、推理ものとしてのトリックも超一流で、こんな上質のミステリーは古今東西探してもそんなにないと思う。

さて、U2のライブを観に行った話をしよう。その年は忘れようもない年だ。なぜなら、10年以上一緒に暮らした愛猫が他界した年だったからだ。

そのときの悲しさったら、ほんとに例えようがない。ぼくの人生の中で最大級に悲しいできごとのひとつだった。ぼくは打ちひしがれて、消耗して、そのため免疫が弱って、何度も病気に倒れた。強すぎる悲しみは、心も体も衰弱させることを身をもって知った。実は、U2のチケットを東京公演と大阪公演と両方手に入れてたんだけど、ぼくは公演のちょっと前に高熱を出し、それが10日くらいも下がらなくて、入院するはめになった。それで塾や予備校の講義をけっこう休んでしまったため、大阪公演のほうは断念して友人に譲ることになってしまったのだ。

それでも東京ドームのほうは観にいくことができた。U2のライブは本当にすばらしくて、「魂の叫び(Rattle and Hum )」を再現してくれたようなみごとな演奏だった。ライブが終わって、駅に向かう途中に、面白い光景に出会った。前を歩いていたカップルの男性のほうが、「これからどこ行こうか」とかなんとか、誘惑するような声を同伴の女の子に掛けたんだけど、女の子は急に「ごめん!」と言って、ひとりで走って駅に消えていってしまったんだ。男性のほうは狐につままれたようにぽかんとした表情になってたのが可笑しかった。ぼくは、「あの娘は、ボノの歌っている姿のかっこよさに酔いしれたままで、直後に普通の男とリアルなデートには行きたくなくなったんだろうな」と想像したのだった。まあ、女の子がそういう気持ちになるのがよくわかるライブだった。

その年にぼくは、雑誌『大学への数学』に「パロディシアター」というのを連載していた。これは、有名な小説やマンガや映画を受験数学の物語にパロディ化するものだった。マンガ「美味しんぼ」とかマンガ「哭きの竜」とか映画「フルメタル・ジャケット」とかをパロディ化した。その中のひとつとして、ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を』のパロディとして、「ルシャリーに花束を」というのを書いた。愛猫を悼む物語だった。これは数学の偏差値の低い主人公が、治験を受けて数学の天才になり、そして元に戻っていく物語だ。その途中で、前回のエントリーで紹介した東大数学の名問題「正四面体を平面に投影したとき、影の面積の最大値はいくつか」の、積分を利用した解答を披露したのだった。この解答を当時の編集長がとても褒めてくれて嬉しかった。

その後、同じ出版社で『中学への算数』という雑誌が創刊され、ぼくはそこに「物語で読む算数」という連載を持った。その中で、「夜の町はネコたちのもの」という作品を書いた。これはネコを主人公にした推理小説である。トリックはもちろん、数学的なものだ。この小説は、他界した愛猫への感謝と哀悼を捧げる気持ちで書いた。この作品は嬉しいことに、『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社の中に収録されることになった。

このことは本当に心から嬉しかった。だって、愛猫に捧げた小説だから、ぜったいに世に残したかったのだ。挿絵を描いてくれた大高郁子さんの絵もすばらしいものだった。

他方で、「パロディシアター」や「物語で読む算数」の他の作品は、日の目を見ないままだ。もったいないので、改稿して、どこかの小説投稿サイトに投稿して公開しようと企んでいるのだ。ただ、仕事や研究が忙しくて、なかなか改稿の時間がとれない現状がある。でもいつかきっと絶対、世に残そうと思う。

ライブの思い出その2(Arrested Development )

前回の「ライブの思い出その1」に続いて、今回も昔に観たライブの思い出を書こうと思う。第2回の今回はArrested Developmentというバンドだ。これはラップと言っていいのかわからないが、ぼくはそう理解している。wikipediaには、ヒップホップと評されている。デビューアルバムの代表曲は、「Tennessee」という曲で、最初に聴いたときは度肝を抜かれた。youtubeにリンクを貼るので是非、聴いてみてほしい。

Arrested Development ``Tennessee''

いま聴いても素晴らしい。

90年代にライブを観たんだけど、Arrested Developmentのライブだったか、リーダーのSpeechさんのライブだったのか、あるいは両方だったのか記憶が定かではない。Speechさんのソロの音楽もとても良い。

このPV、当時は気づかなかったんだけど、最後の最後にかなり悲惨な画像が挿入されている。それで黒人解放のメッセージソングだったことに今頃気づいた。

ぼくは、Arrested Developmentを知る前には、ブラックコンテンポラリーとかラップとかがぜんぜんピンときてなかった。そういう「食わず嫌い」を直してくれたのは、予備校で教えた生徒さんだった。30歳前後から塾に加えて予備校の講師もし始めていた。塾の仕事は夜だったので、昼間の空いている時間に稼ぎたいという気持ちと、塾が潰れたときの保険という目的で、予備校に応募したら雇ってもらえたのだ。

そこで最初に担当したクラスは、医学部受験コースと東大受験コースだった。医学部受験コースでは非常にウケがわるく、1年で担当をはずされた。ぼく自身も相性の悪さを感じていて、講義がとてもやりにくかった。学力と志望がミスマッチしている人や多浪生も少なくなく、なんか斜に構えた態度で講義を聴かれている感じだった。当時のぼくは(たぶん今でも)そういう人たちをエンタメする術を知らなかった。

でも、その医学部受験コースに一人だけ、ぼくに親しみを感じる受講生がいたのだ。ぼくが講義の余談で話す、音楽や文学や数学などの話にシンパシーを感じてくれたのだと思う。その子は質問教室の時間に来るようになった。最初は数学の問題を質問していたんだけど、説明してもなんかほんとはわかってて質問している感じで、「変だな」とは感じていた。その子はほどなくして、小説や音楽の話を振ってくるようになった。「それだったら、最初からそういう話すれば良かったじゃん」と言ったが、「さすがにそんな勇気はありません」と答えた。

その子から教えてもらったのは、広瀬隆さんの一連の反原発の書籍だった。ぼくはそれまであんまり原発のことを考えたことがなかったので、これには大きな影響を受けた。当時に出版されたいた広瀬さんの本を片っ端から読んだ。

さらにその子は、自分のお勧めの音楽をオムニバスの形でカセットテープにダビングしてくれた。そのテープはぼくの音楽感を一変させることになった。スライ&ファミリーとかプリンスとかブラックコンテンポラリーやPファンクがいろいろ入っていた。Arrested Developmentもその中の一つで、ぼくはこれに最大級の衝撃を受けた。ラップってこんなにもカッコイイのかと。その子はその後、みごとに医学部に合格し、医師への道を歩み始めた。その子が大学時代にも交友は続いた。ぼくが音楽的な影響を最も受けた人たちの一人となった。

ついでに言うと、東大受験コースにも1人、とても親しくなった受験生がいた。その人は、東大の数学科を卒業後に東大の医学部を受験するために浪人していた。ぼくはテキストの問題の関連問題をプリントに書いて配っていたんだけど、次回に講義に行くとその人がいつも黒板に解答を書いていた。そんなことから親しくなって、講義後にも数学談義をするようになった。あるとき、ぼくが直近の東大数学の問題「正四面体を平面に投影したとき、影の面積の最大値はいくつか」という問題について、「ひょっとして積分を使って(つまり体積で)解けるんじゃないか」と言ったら、その人がそのアイデアをちゃんとした解答に仕上げてくれた。歓喜のあまり、2人で手を繋いで踊ったのを覚えている。その解答は、ぼくが当時連載していた『大学への数学』で披露して、伝説となった(自画自賛)。その人はちゃんと、翌年に理科3類に合格した。

で、Arrested Developmentの話に戻ると、ラップに目覚めたぼくは、いくつかラップ音楽を聴いた。その中で最もインパクトが強かったのが、Public Enemyというヒップホップ・ユニット、ラップ・ユニットだった。彼らのラップが好きだったので、ぼくは今でも「ラップは反体制じゃなきゃダメ」という凝り固まった価値観から抜けられずにいる。

そんなことを思い出したので、youtubeで久々にPVを観てみた。

public enemy ``fight the power''

がそれなんだけど、これめっちゃすごいPVだわ。当時に観たのか、そうではないのか、わからないほど、すごい。調べてみたらそれもそのはず、映画監督のスパイク・リーが撮ってるのだね。というか、スパイク・リーが映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」のために依頼した曲だったのか。なるほど、そりゃすごいわけだ。

このPVには、プラカードに有名な黒人人権運動の旗手の写真が掲げられてるんだけど、その中にマルコム・Xがいるんじゃないかな、と思ってchatGPTに聴いてみたら、「そうです」という回答だった。

実はマルコム・Xについては、宇沢先生の『近代経済学の転換』岩波書店で読んでいたので知っていた。「ヴェトナム戦争と経済学」という章にあった。せっかくの機会だから引用してみると、

この大学と社会との矛盾を象徴するような状況を私自身直接体験したことがある。それは1960年、カリフォルニア大学のバークレーで、学生たちがマルコム・Xを呼んで講演会を開こうとしたときのことである。周知のようにマルコム・Xは、第2次世界大戦後、あるいはアメリカ全歴史を通じてといってもいいかもしれないが、アメリカの生んだ最も偉大な黒人指導者の一人である。ニューヨーク・ハーレムの貧民街に育ち、小学校すら出たことのない人であるが、10代にさまざまな犯罪を犯して投獄され、そこでものを考え、文字を読み、文章を書くことを学んだ。そして、白人社会に同化されることを指向していたそれまでの黒人運動の方向を180度転換して、黒人自身の文化的、歴史的条件のなかから、新しい生き方を求め、そのためには体制自体の変革を求めなければならないということを主張していった人である。白人によって形成された政治的、文化的秩序を真正面から批判していったという点で、キング牧師とは対照的な考え方を展開していったため、いわゆる体制側からは忌避され続けた。

 このマルコム・Xに対して、バークレーの大学当局は当然のことながら講演会場に予定されていた教室の使用を許可しなかった。学生たちは、教室の建物の外の芝生に集まって、拡張器を通じて、マルコム・Xの講演を聞いたのであるが、マルコム・Xの徹底したアメリカの白人社会に対する批判と黒人文化の自立的形成に対する訴えとに対して、学生たちがしんとして声もなく聞き入っていた光景を、私はいまでも昨日の出来事のように鮮明に思い出す。それは、アメリカの社会が新しい局面に入っていったことを示す象徴的事件であったとも言うことができよう。

ぼくは、こういう宇沢先生の話が大好きだったし、願わくば、宇沢先生のような経験がしたい、宇沢先生のような本が書きたい、と思っていたが、その願いは今でも遠くにかすんだままだ。ただ、現在の日本は、宇沢先生がここで言っているのと逆の意味で、新しい局面に入っている予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

ライブの思い出その1(Ned's Atomic Dustbin)

これからときどき、観たライブの思い出話を書こうと思う。「いったい誰がそんなものを読みたいと思うか」とか「おまえのブログの役割はそういうんじゃないだろ」という意見が大半だと思うが、誰かに向けて発信する、というより、どちらかというと自分の備忘録として書こうと思う。

第1回の今回は、Ned's Atomic Dustbinというバンド。91年に「God Fodder」というアルバムでデビュー。ぼくがライブを観たのは、アルバム発売後のけっこう早い時期だったと思うから、92年か93年頃だろうと思う。

当時、「ビートUK」というテレビ番組があって、それで観てファンになったんだと思う。ファンになるきっかけになったのは、「Grey Cell Green」という曲。とりあえず、youtubeのこの曲にリンクを貼るね。聴いてみてほしい。

Ned's Atomic Dustbin ``Grey Cell Green''

今聴いてもかっこいいね。

当時は、この曲を「反原発」の曲なんだと思ってた。そもそもバンド名の Atomic Dustbinとか、アルバムタイトルのGod Fodderとかから感じられたし、Grey Cell GreenはGreyCellGreenだし、さらには、きっとGrey sell Greenの引っかけだし、と。歌詞にもそういう暗示に感じとれた。

でも、今、chatGPTと話し合ったら、「いい線ついてるけど、反原発の曲だとは言えない」てな感じで否定されてしまった。「危険なものを正当化し、売り、思考停止させる社会への違和感を含んでる、とは言える」みたいなことは言ってくれた。と言いつつ、「歌詞を書いた Jonn Penney は、当時 環境問題に対する関心が高まっていたと話しており、とあるから、広い意味では原発も含んでいるかもね」みたいには言ってた。

ぼくは思想的には反原発(というか脱原発)だけど、このバンドを好きになったのはそこがメインのポイントではない。楽曲がとにかくカッコイイんだよね。ツイン・ベースというのも珍しいし、途中でリズムを切り替えるのがスリリングで楽しいからだ。ぼくは、リズムがずっと同じだと途中で飽きてしまうので、途中でリズムを切り替えてもらえるのが嬉しいんだ(好きなバンドの中では、フランク・ザッパが典型的)。

このバンドを聴いていた頃、ぼくの最初の単行本『数学迷宮を刊行した(現在は改訂版が『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫として刊行されている)。この本を気に入ってくれたNHKのディレクターが「日曜喫茶室」というラジオ番組のゲストに呼んでくれた。途中でゲストが好きな曲をかけるコーナーがあって、ぼくはそこでGrey cell Greenをリクエストした。NHKだから躊躇して、「なぜこの曲か」については言わなかったけど、後日にそのディレクターが反原発の人だとわかったので言えば良かったと後悔したのだった。

他に2人ゲストがいて、それは(超常現象の人たちと戦っている)物理学者の大槻義彦先生と、美術史研究の若桑みどり先生で、その3人でトークを繰り広げた。『数学迷宮』は無限集合論についての啓蒙書だからなんだけど、テーマは「無限」だった。大槻先生は、無限とは無関係に例の「プラズマ」のことばかり喋ってた。若桑先生は、ロマン派の画家ターナーの晩年の絵画には「無限」が宿っている、というようなことを画集を見せながら熱く語ってくれた。ぼくにとってはとても楽しいトークだった。

実はこの二人とは奇遇だったのだ。まず、大槻先生には浪人中に予備校で教わった経験があった。そのことは、隠れて物理を勉強する、のエントリーに書いたので読んでほしい。若桑先生はぼくの旧友のフェミニズム美術の研究者の先輩、というか、師匠に近い人だったのだ。後日にその人と若桑先生のご自宅を訪問する機会を得たのだった。

さて、Ned's Atomic Dustbinのライブはどうだったかを話そう。

彼らのライブは、モッシュとかダイブとかが当たり前で、客が肩ぐるま隊を作る始末。今では普通だけど、当時としては斬新だった。ぼくはスタンディングのライブではいつも後ろで腕組みして観てるタイプなのだが、このときばかりは最前ブロックに行って、一緒にぴょんぴょん跳びはねた。そのくらいNed's Atomic Dustbinが好きだったのだ。でも、最前ブロックは若い女の子たち(多くは中高生)ばっかりだった。彼らと一緒にぴょんぴょんしてたら、周辺の女の子たちに「このおっさん誰?どういう人?」といぶかれられてしまったのだ。でも、若い女の子たちと押しくらまんじゅうになったのは人生でもこの1回で、ぼくとっては忘れられない経験となったのだった。