坂井豊貴『暗号通貨vs.国家』SB新書は、めっちゃ面白い!

 坂井豊貴さんの新著『暗号通貨vs.国家』SB新書を読んだ。来月(2月5日)発売の本なので、今はまだ、書店にはない。これは、「プルーフ版」というものらしく、要するに試供品みたいなもの。坂井さん(か、編集者さん)が送ってくださった。ありがとう!

 

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

 

 

 ぼくは今月、新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエを刊行した。坂井さんが暗号通貨の本を書いているのはTwitterで知っていたので、非常に怖れていた。「こりゃ、まずいことになった」というのが正直なところだった。なんてったって、坂井さんはいまや売れっ子のライターなんで。

 で、プルーフ版を読んだ手ごたえはどうか。

 めちゃくちゃ面白い本だ。これはすごい。でも、うれしいことに、拙著とはほとんどかぶってなかった。というか、拙著と相補的と言いたいぐらいだ。坂井さん自身も、1月17日のツィートで、次のようにつぶやいている。

 小島寛之さんから『暗号通貨の経済学』(講談社選書メチエ)をご恵贈いただいた(感謝でございます)。「やばいなあ内容が被ってるんじゃないか」とびびりながら中身をのぞく。結論からいうと、意外なほど異なっていた。良し悪しではなく、私のほうが信仰が深いと思った。 」

 坂井さんのいうように、ぼくの本と坂井さんの本の違いは、暗号通貨に対する心酔の仕方かな、と思える。ぼくは、ビットコインの数理的メカニズムはめっちゃ面白いよ、でもしかし、数理的仕組みだけでは「お金」にはなれないよ、お金にはまだ謎が多く、それには経済学の知見こそが接近できるのだ、というニュアンスで書いた。それに対して、坂井さんの本では、もろ手を挙げて「すごい、すごい」と暗号通貨を絶賛している印象がある。それは、坂井さんが、暗号通貨を「実践」していることからくる違いだろう。

 さて、坂井さんの本のすごさは、その記述スタイルにある。話の進め方が、アメリカのめちゃ売れした本のスタイルと同じになっている。意識してそういう書き方をしたのかもしれない。『ブラックスワン』とか『世紀の空売り』とか、そういうハラハラ・ドキドキの本と同じような進行のさせ方だ。読者は、すぐに暗号通貨の世界に引き込まれると思う。

 やっかみ半分で言うと、ぼくは一点を除いて、坂井さんにすべて負けてて、コンプレックスを持っている。まずは坂井さんは若い。そんでもって、イケメンだ(笑)。テレビに出てても見栄えがいい。さらには、海外で博士号を取得してる。研究業績もすごい。また、学会でのプレゼンもピカイチだと言える。そんな負けっぱなしの中、ただ一点、ライターとしてはぼくに一日の長があるかなと、それだけが防波堤と思っていた。でもいまや、この本で、その防波堤も決壊するんだろうな、とあきらめの境地だ。

 くだらないことを言ってないで、本の中身をちょっと宣伝してあげよう。それがプルーフ版を送ってくれたことへのお返しだから。

  • 1.ストーリー仕立てで書かれているので、わくわくしながら読める。
  • 2.ビットコインが成立する前後の経済的状況が説明されている。
  • 3.暗号通貨を作り上げた人々のキャラクターや背景が説明されている。
  • 4.暗号通貨の仕組みがわかりやすく説明されている。
  • 5.「通貨」というものの持つ経済学的な意味を経済学者としてみごとに解説している。
  • 6.ビットコインだけでなく、他の暗号通貨の仕組みも投入されている。とりわけ、リップルイーサリアムの説明が詳しい。
  • 7.暗号通貨絡みで、これから来る社会の未来像を描いている。国家はどうなるのか、そして、我々の労働環境はどうなるのか。

 この本の良さは、なんというか、一種の「生々しさ」があることだと思う。迫力がすごい。坂井さんって、こういう書き方ができたのか。

 自分の本を推奨する目的で、最後にすこし難癖をつけよう(あくまで、販促動機だから怒らんといて)。

 この本に登場するネット用語、プログラマージャーゴンは、(技術畑の人を除けば)著者が思っているほどには簡単には通じないと思う。ぼく自身は、もしも、暗号通貨の本を書くために勉強していなければ、この本で展開されていることの3割ぐらいは理解できないで終わったと思う。

 あと、この本だけでは、ビットコインの数理的な仕組みがちゃんとはわからない。例えば、数理暗号がどんなものか、とか、ハッシュ値とは何か、とか、演算量証明(プルーフ・オブ・ワーク, PoW)のやり方(Nonceの役割)とか。

 もちろん、新書という媒体を考えての確信犯だと思う。で、それらをもうちょっときちんと理解するには、拙著を読むと良いと思うんだな(笑い)。それが、最初に言った「相補的」という意味だ。拙著では、RSA暗号の仕組みと、楕円曲線暗号の仕組みと、ハッシュ値をどうやって作るかなどをきちんと解説してる。また、数理暗号の電子署名を使ったアトミックスワップの仕組みとかね。

 いずれにしても、坂井さんすげえな、というのが一読した感想。脱帽と言わざるを得ない。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』が刊行されました!

 ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社メチエが、大手書店には並び、アマゾンにも入荷されたようなので、販促の追い打ちをかけたい。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

前回(来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます! - hiroyukikojimaの日記)は目次をさらした。普段は、目次のあとは「序文」をさらすことにしてるんだけど、本書には「序文」はない。その代わり、長〜い「序章」があるが、これをさらすわけにはいかない。なので、いつもとは違って、「あとがき」の前半部をさらすことにする。後半部分も読みたい人は、ぜひ、買って読んでほしい。まあ、「あとがき」はそんなには長くもないんだけどね。「あとがき」は以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』のあとがき
 
 本書は、ビットコインを始めとする暗号通貨について、総合解説を試みた本です。暗号通貨は今、非常にホットなトピックなので、集中的にリサーチし多方面から考察できたのは良い経験になりました。
 暗号通貨というアイテムは、筆者にとって、このうえなく興味深い素材でした。なぜなら、次のような様相を持っているからです。
(a) 数理暗号というツールを使うので、純粋数学と接点を持つ
(b) 貨幣である、という点で、経済学と接点を持つ
(c) ブロックチェーンという技術によって可能となる、という点で、ゲーム理論と親和性がある
(d) プログラム可能という意味で、数学基礎論(数理論理学)と関係を持つ
(e) オープンソースと関係するという意味で、「どういう社会が望ましいか」という社会選択の問題と抵触する
(f) アルゴトレーディングに応用できる、という意味で、数理ファイナンスと関係する
これらはみな、筆者の大好物でした。これまで筆者は、RSA暗号楕円曲線の数学、貨幣論ゲーム理論数学基礎論、金融トレーディングについて、それぞれ別個に書籍化してきました。今回は、これらの素材すべてを暗号通貨という一本の剣で貫く、という作業となり、大変ではあったものの、とても楽しい仕事でした。

 ぼくは、ビットコインのことを知ったときは、「へえ、そんな面白いものが提示されたんだ」ぐらいにしか考えていなかった。収容所ではタバコがお金の代わりになるぐらいだから、ネット上の2進法の数字がお金になったって不思議ではない。そんな程度の興味だった。
でも、本書の執筆依頼を受けてから、ナカモトの論文を読んだり、ネット上の解説を読んだりしたら、これがひどく面白かった。上記の「あとがき」に書いたように、ぼくの好物のフルコースというか、食べ放題というか、そういうものだったのだ。なので、資料漁りも、執筆もめちゃくちゃ楽しい仕事だった。そんなぼくのウキウキ感が、本全体にみなぎっていると思う。
是非、書店で手に取ってみてほしい。

来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます!

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いいたします。
2019という数の持つ面白い性質をWEBRONZAに投稿した(2019に隠された数字の神秘 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト)ので、是非お読みくださいませ。
さて、来週、1月10日頃に、ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエが刊行されるので、そろそろ宣伝しておこう。

前回(来月に、暗号通貨の本を刊行します! - hiroyukikojimaの日記)は、本のプロットだけを紹介したので、今回は目次をエントリーする。以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエ
目次
序章 暗号通貨が世界を変える
 
第1部 ビットコインブロックチェーンの仕組み
第1章 暗号はいかにしてお金になるか
第2章 ブロックチェーンがもたらす新しい世界
第3章 オープンソースvsプロプライエタリ
 
第2部 お金をめぐる経済学
第4章 お金が社会で果たす役割
第5章 お金のコントロールはなぜ必要か
第6章 お金とは何か、何であるべきか
 
第3部 ブロックチェーンゲーム理論
第7章 ゲーム理論に入門する
第8章 ブロックチェーンという均衡
第9章 お金はどうして交換手段になるのか
第10章 ブロックチェーンが実現するゲーム理論的世界
 
補章 公開鍵暗号ハッシュ関数

第1部は、ブロックチェーンと数理暗号の仕組みをざっくりと説明した上で、暗号通貨がビジネスにどう使われているか、政治をどう変容させるかを説明している。さらには、プログラマーやソフト製作者やネットユーザーの間に存在する、オープンソース派とプロプライエタリ派の思想対立も関連する話題として取り上げている。
第2部は、経済学の立場から貨幣の果たす役割についてまとめている。貨幣は世紀の大発明であるけど、それが故に、国家(中央集権)に権力を付与する。ブロックチェーンは、その権力を打ち砕き無力化する可能性を秘めている。それは、世の中にとって有益なのか危険なのか。経済学が培ってきた知見を駆使しながら、総合的に論じている。
第3部は、ゲーム理論を使って、ブロックチェーンの可能性にアプローチしている。ブロックチェーンは、改ざん不可能なネット上の仕組みであるから、契約を綿密に記述し実行することができる。したがって、それは、戦略記述によって構築されるゲーム理論と親和性が高い。ゲーム理論ブロックチェーンをクロスオーバーさせながら、近未来のIT世界を予測する。
ちょっと自慢なのは、補章だ。この章では、第1部よりも詳しく、数理暗号を説明している。有名なRSA暗号は言うまでもなく、実際に暗号通貨の数理暗号として使われている楕円曲線暗号についてもある程度きちんと説明してる楕円曲線暗号は、ネットで調べても(少なくとも日本語では)あまり良い解説に当たらない。ぼくは、楕円曲線については知識があるが、楕円曲線暗号については無知だったので、書籍で勉強して、この章に導入した。手軽に読める解説で今のところ一番わかりやすいものではないか、と自負している。
 以上、本書は、いろいろな学問のてんこもり集大成の本であり、我ながらエキサイティングな本になったと思うので、是非とも手にとってみていただきたい。

来月に、暗号通貨の本を刊行します!

 年が明けた1月10日頃に新著が刊行されるので、第一弾の宣伝をしておきたい。
新著のタイトルは、『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエだ。カバーデザインは、下のよう。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 この本は、ビットコインをはじめとした暗号通貨について、総合的に分析した本。ブロックチェーンの仕組み、公開鍵暗号の原理、貨幣の経済理論、ゲーム理論からのアプローチ、オープンソースの文化(コピーレフト思想)など、さまざまな角度からの分析をてんこ盛りにしている。
 具体的な内容については、もう少しあとに告知することにしようと思う。
 これだけで終わるのもなんだから、今週のぼくの行動について、備忘録をしたためよう。
 日曜日:映画『続・終物語を観に行った。物語シリーズの最新作。映画館で、ボールペン、キーホルダー、スケッチブック、クリアファイルなどのキャラグッズを大人買いした。1万円近くかかった。ばかっす。

月曜日:キングクリムゾンのライブに行った。二回目。
火曜日:エメ(Aimer)のライブに行った。
水曜日:キングクリムゾンのライブに行った。三回目。どうしても、最終公演を観ておきたくて、当日券で行った。ばかっす。そういう高齢者で3階まで埋まっていた。
 クリムゾンに一回目に行ったとき、路上で何かを配っている人がいて、いっしょに行った奥さんが「イエスのちらしを配ってる」と言ったんだけど、そのときぼくは、キリスト教系の宗教のオルグだとばっかり勘違いして、ちらしをもらわなかった。あとで、奥さんが、「イエス、来日するんだねぇ」と言ったので、その瞬間に「バンドのイエスのことだったのか」と理解して(笑)、水曜日には率先してちらしを受け取った。
 イエスの来日は、年が明けた2月。セトリが予告されているのが笑った。
Day1:『危機』完全再現、Day2:ベスト・セレクション、Day3:『サード・アルバム』完全再現
となってる。あざといセトリである。
『海洋地形学』完全再現なら、絶対行くんだけどな。今回のセトリだと、行くならDay1かな。

キングクリムゾンのライブを観てきた

 先日、キングクリムゾンのライブを観てきた。
クリムゾンは、ぼくにとって、今でも人生最高のバンド。ぼくの中では、懐メロではなく、現在形のバンドとして存在してる。実際、バンドメンバーも変わるし、新曲も作られている。
クリムゾンは、1969年から活動しているが、ぼくは14歳、つまり、72年から聴き始めた。だから、かれこれ、もう47年ぐらい聴き続けていることになる。
クリムゾンの思い出については、前に、堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とか、続・続・堀川先生とキングクリムゾンの頃 - hiroyukikojimaの日記とかにも書いたので、そちらも読んでほしい。
今回の編成も、トリプル・ドラム(ドラムが3機)で、2015年の来日と同じ。メンバーも演奏の形態もほぼ同じだった。昨年のシカゴでのライブ盤で、リザード組曲(1970年の3枚目のアルバムの曲)をやることは知っていたので、それが目玉の一つだった。ぼくが観た日にも、リザード組曲を演奏した。
ドラム3機は類例を知らないが、日本のバンドであるトリコ(Tricot)がドラム5機をやってのけたので(笑)、クリムゾンが最多ドラムスではない。でも、ドラム3機をあのようにアレンジし、別々のリズムを叩かせるという意味では、希有な演奏形態と言えるだろう。
クリムゾンのライブで最も注目しているのは、リーダーでありギタリストであるロバート・フリップがどのくらいちゃんと弾けるのか、という点だ。現在72歳、みまごうことなき高齢者。でも、今回のライブも、往年と同じく、みごとなギタープレーを見せてくれた。というか、難しい高速リフを、以前よりも軽々と弾いている印象があった。このプレイをするには、毎日毎日とんでもない時間の練習を要することだろう。少なくとも72歳までは、鍛錬によってはこのような技術水準が可能だ、ということだ。自分もがんばる勇気がみなぎった。何より、フリップが健在なうちは自分は死ねない(笑)、と思い新たにした。
 キングクリムゾンは、時期によって、表現する音楽が異なっている。初期はシンフォニックな曲をやっており、中期はジャズとクラッシックを融合したような音楽を作り、休止のあと再結成してからは、ハードな即興演奏を信条として、80年代に新規クリムゾンとなった際には、(スティーブ・ライヒを思わせる)ミニマル音楽を志向している。90年代以降は、それ以前のすべての音楽を発展・融合させた複雑な楽曲を生み出すようになった。
時期時期によって、フリップが志向する音楽が違うので、それぞれの時期にぼく自身が何をしていたか、ということが重なりを持って記憶に刻まれている。数学者を夢見ていた中高生時代、数学科で落ちこぼれている自分に苦しんだ大学生時代、塾講師時代、経済学部の大学院生時代、大学教員時代、とそれぞれに固有のクリムゾンが存在していた。
そういう意味で、今回のように、あらゆる時代から曲をやってくれると、「懐メロなんかでほだされないぞ」という気持ちとは裏腹に、走馬燈のように人生が蘇って、泣けてきてしまう。ぼくも老人だから、それはしゃーない(笑)。
 とは言え、今は、キングクリムゾンが一番聴く音楽ではない。というか、普段はほとんど彼らの曲を聴かない。普段聴いているのは、Aimerとか、凜として時雨とか、TK from 凜として時雨とか、Tricotとかだ。今年は、Aimerと、椎名林檎と、凜として時雨と、TK from 凜として時雨のライブに行った。来週にはAimerのライブにまた行く。1月には、Tricotの中嶋イッキュウのライブにも行く。人生のバンドと、現在追っかけるバンドは、もちろん違うのだ。
 

WEBRONZAに寄稿しました!

WEBRONZAに新しい記事を寄稿した。以下だ。
医学部受験で女子が差別される問題の本質的な背景 - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト
今回は、私大医学部の入試での女子差別のことを論じた。
とは言っても、「公正な入試とは」というような視点の論説ではない。ひとことでテーマを表すなら、
優秀な女子は、東大より医学部を志向する、それはなぜか
という感じ。是非、お読みいただきたい。

読売新聞で坂井豊貴さんが、拙著を書評してくれました!

 今日(10月14日)の読売新聞の書評欄で、慶応大学の経済学者・坂井豊貴さんが、拙著『宇沢弘文の数学』青土社を書評してくれました!
この本については、当ブログでは、新著刊行と、書店での講演会のこと - hiroyukikojimaの日記とか、『宇沢弘文の数学』について - hiroyukikojimaの日記とかでエントリーしている。
坂井さんの書評は、あまりにすばらしいので、是非とも、多くの人に読んでいただきたい。(ここで読めるはず→『宇沢弘文の数学』 小島寛之著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE))
実際、坂井さんは、ツイッターで、

多作な小島先生の著作のなかでも、ひときわ入魂の一冊。私も私なりに入魂の書評。

と書いています。うん、ほんと、ぼくの入魂の本なんですよ。そして、坂井さんの書評も、偽りなく入魂。ほんとすばらしいです。
名文なので、全文引用したくなるけど、それはルール違反だろうから、一部のみ抜粋。
 最も感心したのは、次のフレーズ

宇沢は終生、社会を支える「資本」に深い関心をもち続けた。それは前期には経済成長を複雑な経路で支えるものとして。後期には、人間の善き生存を支えるものとして。

後期のほうは、要するに「社会的共通資本」のことを言っているんだけど、この表現はあまりに的を射ている。「人間の善き生存を支えるもの」、こんなジャストな表現は、思いつきもしなかった。
あともう一カ所、とても嬉しかったのは、

先日ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマ−の研究は、宇沢モデルを大きな礎とする。

そんなんです、そうなんです。昨日は、経済学者の集まりで酒を飲んでたんだけど、みんなが口々に、「宇沢先生が生きていれば、今年、三人目として受賞したに違いない」って話してた。実際、今年の受賞は、ノードハウスとローマ−。ノードハウスは、環境経済学者として温暖化の問題を研究した人で、ローマ−は内生的経済成長理論を研究した人で、どちらも宇沢先生が先駆者なんだ。だから、だから、生きてさえおられれば。。。
その無念さを、坂井さんも共有しているような感じが、この文面からくみ取れて、嬉しかったとともに泣けてきた。
 坂井さんの書評の良いところは、情に流されず、慎重に言葉をひとつひとつ選んでいるところ。宇沢先生について語る人は、(ぼくが代表例だが)感情に流されて、大げさすぎるものになってしまう。でも、坂井さんは、経済学者の節度として、ぎりぎりの表現を心掛けておられる。そこもまた、「入魂」というに相応しい。でも、ツイッターに坂井さんが書いた、こういう話がめっちゃ坂井さんらしくて好きだ。

私は学部4年生のとき、うっかり宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)を読んでしまって、自動車の免許をとるのをやめてしまった。取るのがダメというのではなく、宇沢の激情が私にそれを許してくれなかった。こういう本との出会いは「交通事故」のようなものだ。

ぼくも、宇沢さんの影響で自動車免許を持っていない(と吹聴している)が、本当は、適性がなさそうだから取らなかったのもある。
 ちなみに、ぼくも当ブログで、坂井さんの本を紹介したことがある。例えば、古風な経済学の講義から脱出するために - hiroyukikojimaの日記とか、理系の高校生に読んでほしい社会的選択理論 - hiroyukikojimaの日記とかだ。この期に、坂井さんの本を是非、読んでみてほしい。本当にすごい説明能力なんだから。