石川経夫『所得と富』

今回も引き続き、拙著『シン・経済学~貧困、格差および孤立の一般理論』帝京新書の販促をしよう。これまで、これこれこれでもすでに販促のエントリーをしている。

ついでながら、早稲田大学エクステンションセンター」が提供する市民向け講座でもレクチャーをするので、先にそれをアナウンスしておく。

宇沢弘文の社会的共通資本を考える | 小島 寛之 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター

レクチャーは今年の2月に3回行われる。内容の要約は以下である。

宇沢弘文は日本を代表する経済学者で、ノーベル経済学賞に最も近いと言われていました。主流派の経済学で多くの業績をあげたあと、制度学派という分野において独自の「社会的共通資本の理論」を提唱しました。「社会的共通資本の理論」とは、一言で言うなら「カネよりモノ」という発想です。自然環境、社会インフラ、教育、医療など公共のものを中心に、社会を管理・運営する理論なのです。この理論を通じて、市民が豊かで幸せに暮らせる安定した社会とは何であるかを考えます。

時間に余裕があり、宇沢先生の理論(or思想)に興味や共感のある人は是非、参加していただければ幸いである。

 さて、今回は、ぼくのもう一人の師匠である石川経夫先生について書こうと思う。石川先生は宇沢先生の愛弟子であり、ぼくの修論の担当教官だった人だ。あまりに悲しいことに、51歳の若さで亡くなってしまった。

石川先生の思い出について、拙著『シン・経済学~貧困、格差および孤立の一般理論』帝京新書から引用しよう。

宇沢氏の薫陶を受けて一念発起し、経済学研究科の大学院を私は受験しました。経済学部出身ではない私には、口頭試験は鬼門です。少し専門的な質問をされて答えに窮しました。試験官は3人で、一人が石川氏でした。他の二人から厳しい質問が続き、私は硬直しました。助け船を出してくれたのが石川氏でした。私が宇沢氏のことを書いたエッセイについて、石川氏が唐突に質問をしたのです。そのエッセイは私が当時勤めていた塾のテキストに掲載したものでした。石川氏がそのエッセイを読んでいたことに私は驚愕しました。その場で理由を尋ねると、「宇沢先生に読ませていただいたので」と柔らかな表情で答えました。エッセイは私が宇沢氏に郵送したものでした。石川氏のひと言をきっかけに私は気持ちを立て直すことができました。自分が経済学を知らないことは仕方のないことだ。宇沢氏に教わったこと、宇沢氏にもらったテーマについて真摯に説明するしかない。そう覚悟を固めたのです。

運良く大学院に合格した私は最初から石川氏に師事することを決めていました。

このエピソードは、実は、以前にもこのブログにエントリーしたことがある。そこにはもう少し詳しいことが書いてあるので、興味があれば読んでいただきたい。また、石川先生のお人柄がしのばれる別のエピソードは、拙著『確率的発想法』NHKブックスのあとがきにもあるので、それも参照していただきたい。

 今回は、石川先生の名著『所得と富』岩波書店を紹介したい。なぜかというと、ぼくはこの石川先生の本で初めて、ジョン・ロールズ『正義論』を知ったからだ。ロールズの格差原理「社会的・経済的不平等が許容されるとしても、それは(a)最も不遇な人々の利益を最大限に高めるものであり、かつ(b)職務や地位をめぐって公正な機会均等の条件が満たされる限りにおいてである。」は、ぼくが経済学者になったあとで最も衝撃を受け、最も感動し、最も影響を受けた理論だ。『所得と富』を読んだことで、石川先生の言葉で格差原理を学び、いつのまにか目に涙があふれていた。経済理論(or思想)で涙を流したのはこれだけである。このときには、既に石川先生が亡くなっていたので、その影響もあったと思う。石川先生の解説はまるでロールズが憑依しているかのように感じられたのだった。拙著『シン・経済学~貧困、格差および孤立の一般理論』の最終章は、正義論の解説と自分なりの理論拡張にあてている。

『所得と富』は、所得分配の経済学を中心に書かれたすばらしい本だ。「はしがき」には次のような一節がある。

本書には2つの主題がある。第1に、労働市場における雇用と所得の決定の理論、第2に、物的な富の蓄積と、その分配の時間的推移をめぐる理論である。

また、次のようなことも述べている。

筆者にもひとつの意見がある。それは、人々の豊かさの感覚を規定する要因としては基本的な生活保障や生活上の余裕を支える物的環境の質ーー広い意味での所得の水準と言い換えてもよいーーだけでなく、そもそも所得を生み出すプロセス、あるいは人々が労働する過程自体の質もあるのではないかということである。人間は、生活時間の主要な部分を労働にあてているからである。所得の水準の高さと所得を生みだすプロセスの貧困さの間の不釣合いも、前記の要因と並んで、あるいはもしかするともっと重要な要因として存在するのではないだろうか? 労働のプロセスの豊かさをどのように概念規定するか、それは本書の全体を流れる伏線的主題である。

本書は、1991年刊行だが、この「所得の水準の高さと所得を生みだすプロセスの貧困さ」という問題は、今の労働環境について、もっと切実にあてはまるように思える。

 ぼくは大学院に合格してすぐ、エッセイのことを話してくれた試験官の名前を調査し、石川経夫先生だと突き止めた。そして、すぐに『所得と富』を買い求めた。大胆にも、1ページも読まないうちに、石川先生の研究室をアポなし訪問して、この本にサインをお願いしたのである。もし、中身について感想を求められたらと考えると、我ながら恐ろしい行動だったと思う。でも、石川先生は快く、サインをしてくださった。そればかりではない。「宇沢先生とお親しいのだから、私から献本するのが筋です。もう、お持ちなので、せめて代金を払わせてください」と言って、お財布から小銭を出してテーブルに並べはじめ、代金を頂戴してしまった。こういうところにも、石川先生のお人柄がにじみでている。

 サインには、ただ「石川経夫」とだけある。でも、このサインを見るだに、涙が溢れ出るとともに、学問と向かい合う勇気もみなぎってくる。なぜなのかについては、拙著『シン・経済学』で読んでいただきたい。