有名定理にも、短くて、わかりやすい証明が必要なのだ

 今回は、芳沢光雄さんの名著群論入門』ブルーバックスを紹介しようと思う。
この本は、ずいぶん前に入手したのだけど、読んだ期間が飛び飛びだったので、なかなか紹介のチャンスがこなかった。でも、すばらしい本なので、やっと紹介できて嬉しい。

この本は、タイトルの通り、芳沢先生が「群論」について、非常に初等的な講義をした本である。
群論というのは、19世紀の数学者ガロアが「5次以上の方程式には、四則計算とべき根だけで記述できる解の公式がない」ということを証明するときに開発した技法である。基本的には、n個のモノを並べ替える「置換」に、「合成」を演算とする代数計算を導入したものである。ガロアは、n次方程式のn個の解を入れ替える「置換」を代数的に分析することで、前記の定理を証明したわけだ。
群論の発祥は、方程式なんだけど、群という数学的対象があまりに豊かな果実を秘めていたため、20世紀以降は代数方程式に限らず、あらゆる数学の基礎となり、いわば、数学の主役の座を勝ち取った。本書は、そんな群論の初等的な性質を非常にわかりやすく解説した本なのだ。
 この本の特徴を一言で言えば、「群に関する有名定理に対して、とても短く、そしてわかりやすい証明を与えた」ということ。それは、例えば、次の定理たちである。
1. 任意の置換は、いくつかの互換だけの合成で表せる。
2. 置換を一つ決めたとき、その置換を互換の合成で表す方法は複数通りあるが、合成する互換の個数が偶数か奇数かは決まっている。
3. 交代群(偶数個の互換からなる置換の成す群)は、置換全体のちょうど半分の要素から成る。
4. n≧5のとき、n次交代群単純群(自分自身と{e}以外に正規部分群を持たない群)である。
これらの定理は、群論では有名定理であり、必ずどの本にも出ている。そればかりではなく、群を利用する数学分野の教科書でも、ほぼ確実に証明が載っている定理たちである。
例えば、1.と2.は、線形代数の教科書にはたいてい載っている。それは、この定理が、行列式を定義するときに必須だからである。行列式は、成分の積に±1を掛けて足し合わせる計算をするのだけど、その際に(+1)を掛けるか、(−1)を掛けるかは、互換の個数の偶奇で決まるのである。また、3.と4.は、さきほど出て来たガロアの定理「5次以上の方程式には、四則計算とべき根だけで記述できる解の公式がない」の本質となる定理である。
でも、多くの教科書や数学書では、これらの定理の証明は、非常にわかりずらく、イメージを掴みづらく、読むのに辟易となってしまう。群論以外の教科書では、それはあまりに深刻だ。本当に知りたいこと(行列式の理論とか、ガロアの定理とか)に早くたどりつきたいのに、これらの群の定理の理解に手間取って、じれったくなってしまうからだ。そうなるのは、多くの教科書や専門書に載ってるこれらの定理の証明が、「古典的でよく知られた証明」であって、決して、エレガントな証明ではないからである。
そのため、ぼくは、拙著『ゼロから学ぶ線形代数講談社を書いたときは、2.の定理の証明を導入することを諦めた。拙著『天才ガロアの発想法』技術評論社では、4.の定理の証明を入れることを諦めた。芳沢さんのこの本での証明を知っていれば、導入のしようがあったかもしれない、と思い、少し努力が足りなかったと後悔している(でも、それらがなくても、良い本なので、未読の人は読んでみてね。笑)。
 多くの数学者は、こういうことに無頓着だ。自分はずいぶん前に既に理解してしまっている定理たちだから、「アタリマエ」の存在になっていて、わざわざ明快に証明しようとする気にならないのであろう。でも、これから学ぶ人のためには、できるだけ理解の労力を引き下げ、できるだけ直観に訴える証明を与えることは大事な貢献であることは言うまでもない。
 芳沢さんの群論入門』には、そういう努力の結晶が盛りだくさんである。それは、芳沢先生が、単なる職業的・数学者の一人である、というだけではなく、これまで数学教育」へもたくさん貢献してきた数学者だからできたことなのだ。
 例えば、1.の証明は、「望むあみだくじを作る方法」を与えることによって証明している。実はぼくは、結果を決めたあみだくじを簡単に作る方法をこの本で初めて知った。作り方も証明もとても簡単である。
次に2.では、まず「恒等置換を互換で表すと、偶数個の合成になる」を証明する。それは、恒等置換であるまま互換の個数を2個ずつ減らす操作から証明する。一般の置換を互換の合成で表す個数の偶奇については、恒等置換のケースに帰着させてしまうのである。
そして4.については、交代群正規部分群Nについて、「Nが長さ3の巡回置換を含めば、交代群になってしまうこと」を証明し、そのあと、「Nが単位元e以外の置換を含めば、必ず長さ3の巡回置換を含む」ことを証明する。場合分けは少し面倒だけど、非常に明快な証明の手順となっている。
 この本は、置換群の初等的な応用もいろいろ書かれていて、ものすごく教育的でものすごく啓蒙的な本となっている。
例えば、偶置換・奇置換の応用として、「15ゲーム」が解説されている。これは、誰もが一度はやったことがあるであろう、正方形のケースに15個の小正方形が配置されており、1から15までの数字が打たれている玩具。一つだけ空いた空白を利用して、小正方形を移動させて並べ替えて、1から15を整列させるゲームである。この「15ゲーム」を紹介した数学書は少し見受けられるけど、「駐車場移動ゲーム」というのは、ぼくは全く知らなかった。これは14台の自動車を、駐車場の空白を利用して移動させて、番号順に整列させるゲームだ。子供や学生にやらせるには適度で楽しいゲームだと思う。どちらも、置換の群論で解決することができる。
 さらには、最後の章で解説されている「ラテン方陣問題」は、非常に興味を喚起されるものだった。それは、数学者オイラーが1779年に出した次の問題に由来する。

ここに第1連隊から第6連隊まで6個の連隊がある。各連隊から1級士官、・・・、6級士官それぞれ1人ずつ選出し、合計36人集める。これら36人を配置できる6行6列の正方形の場所に、次の条件(*)を満たすように配置することは不可能ではないか。
(*)出身連隊だけに注目すると、行と列各々の並びには各連隊から1人ずつ出ている。また階級だけに注目しても、行と列各々の並びには1級から6級まで1人ずつ出ている。

これは、「ラテン方陣」についての一つの特殊性質(直交性)を要請するものである。このオイラーの予想が正しいことが証明されたのは、なんと1900年になってやっとであったそうだ。また、n×n方陣についての部分的な解決は1960年になって発見されたが、いまだに完全解決には至っていない未解決の問題とのことである。なんか、わくわくするよね。
 数学者の中には、定理の証明は一つ与えれば十分である、と考える人もいるようだ。でも、有名定理に対する、初等的な、あるいは、コストの低い証明の発見は、教育的な意味でも、啓蒙的な意味でも、そして、学問的な意味でさえも、大事なことであると思う。本職の経済学のことになって恐縮だが、経済学で非常に重要な定理に「ワルラス均衡の存在定理」がある。これには、「ブラウワーの不動点定理」が使われる。この不動点定理の代表的な証明法は、本質的にホモロジー群(巻き数)を使うのもの(背理法による)だ。しかし、離散数学の分野で、初等的な証明法が発見されている。それは「スペルナーの補題」というのを利用するもので、ものすごくわかりやすい、コストの低い証明である。そればかりでなく、スカーフという天才的な数理経済学者が、この「スペルナーの補題」を拡張して、ワルラス均衡を具体的に見つけ出すアルゴリズムについての成果を得ている。これは、ホモロジー群(巻き数)を使った「超越的な」証明では不可能なことであろう。