とにかく、三度の飯よりフェルマーが好きだった

今回は、昔話を書こうと思う。

少年の頃は、とにかく数学者フェルマーが好きだった、という話だ。

その話の前に前回に続いて、市民講座の宣伝をば。

生涯学習の市民講座である早稲田エクステンションセンターでぼくがレクチャーする一般人向けの夏期講習。それは、素数の話」というタイトルで、8/31(土曜), 9/7(土曜)の2回講座となっている。講義概要は、以下。

素数は、1と自分自身以外では割り切れない整数です。2、3、5、7、11、13、17、19・・・というようにとても不規則に並んでいます。素数の研究は紀元前のギリシャから始まり、2千年以上もの長い間、数学者たちを虜にしてきました。今でも新しい発見がなされ、また、いまだに解かれていない難問もたくさんあります。そんな素数の魅力を初心者に向けて解説しましょう。フェルマーの小定理ウイルソンの定理などの初等的な有名定理から、リーマン予想などの未解決問題、素数の作る新奇な空間など総合的に解説します。また、素数を使う数理暗号が私たちのセキュリティを守っていることもお話しましょう。

詳細や申し込みは、以下のURLからどうぞ。

素数のはなし | 小島 寛之 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター

 

では、フェルマーの話に進む。

ぼくがフェルマーを知ったのは、たぶん、中学1年の終わりか2年の始めぐらいだと思う。数学の授業から素数に興味を持ったぼくは、書店にいって、素数のことを書いてある本を探しまくった。その過程で、コンスタンス・レイド『ゼロから無限へ』芹沢正三・訳、ブルーバックスに出会った。初版が1971年8月15日だから、刊行された直後のことと思う。この本は、「ゼロの話」、「1の話」、「2の話」という具合に自然数を語っていって、最後には「・・・の話」(これは無限集合論の章)、「eの話」で締めくくられる。

「3の話」のところで、素数を解説しているので買ったのだけど、「4の話」でフェルマーの大定理(x^n+y^n=z^nは、nが3以上だと正の整数解を持たない)や、2平方定理(4で割って1余る素数は、2つの平方数の和になる)に触れ、「5の話」でフェルマーの多角数定理を紹介している。中学生だったぼくは、わくわくしてしまい、すぐに虜になった。

その後、フェルマーのことをもっと知りたいと思って、巻末で芹沢先生の読書案内の中にあるイタール『整数論』村田全・訳、クセジュ文庫を買い求めた。これは、本当にぼくが焦がれた内容の本だった。

まず、フェルマーが挑んだディオファントス的な問題を解説する。例えば、4x^2+20x+8, 4x^2+4x-8がともに平方数である場合を求める、など。そのあと、オイラーが誤って命名したため、今では「ペル方程式」と呼ばれるが、実はフェルマーの創案である方程式x^2-Ay^2=1の整数解の解法について解説している。さらには、フェルマー方程式x^4+y^4=z^4に正の整数解がないことのフェルマーによる証明を詳説し、x^3+y^3=z^3に正の整数解がないことのオイラーのアプローチ(不完全だった)まで足を延ばしている。

この本があまりに好きすぎたぼくは、大学受験に失敗して浪人生をしていたとき、思いあまって翻訳者の村田先生にお手紙を出してしまった。「この本にあるフェルマーの業績をもっと知りたいので、本を紹介して欲しい」というファンレターのような要望のような手紙だった。村田先生が親切にもすぐにお返事をくださった。その内容は、「自分は数学者ではなく、数学史家なので、詳しくは知りません。それはともかく、あなたは浪人中だそうなので、そんなことで道草を食わず、まずは勉強をして大学に合格しなさい」という感じだった。いやあ、今思えばごもっとも。でも、お返事をいただけたのはとても嬉しく、励みになった。

その次に買ったのは、やはりクセジュ文庫のボレル『素数』芹沢正三・訳だった。この本には、フェルマーの2平方定理と4平方定理の証明が収められていた。そればかりではなく、「素数定理」(x以下の素数の個数がx/log xに漸近する、という定理)が成り立つ直感的な理屈まで説明しているスゴ本だった。ちなみに、著者のボレルは、測度論で出てくる「ボレル集合」に名を残す高名な数学者だ。でも、中高生の頃のぼくはあまり楽しく読めず、この本を真面目に読んだのは、つい最近で、拙著『素数ほどステキな数はない』技術評論社を書くためだった。年を取ってから読むと、実にすばらしい本だと思えた(ボレルの本は現在、絶版のため、素数定理のボレルによる初等的な解説を知りたい人は拙著で読んでね)。

その後、ぼくはフェルマーの大定理へ最新のアプローチをした森嶋太郎『ふぇるまーの問題』という本があることを知った。本屋では販売されておらず、普通の図書館にもないことがわかったが、どうしても手に入れたいと思った。どういう手段か忘れたが、東大の総合図書館にあると突き止めた。ぼくは、その本を読みたい一心で、東大受験へのモチベーションを高めたのだった。

なんとかかんとか入試に合格したぼくは、さっそく、本郷にある総合図書館に行った。総合図書館は荘厳な雰囲気で、「やっとここにたどりついた」という感慨をかみしめながら、入館証を作った。そして、意気揚々と森嶋太郎『ふぇるまーの問題』をリストで調べ、図書番号を持って、司書さんに提出した。司書さんが本を探しに行っている間は本当にどきどきした。

司書さんは本を持って戻ってくると、「これは貸し出しはできないので、書庫の中で読んでください。中に机と椅子があります」と言われてびっくりした。「この本は、そんなに貴重な本だったんだ」と感心したのだった。

渡された本は数学書とは思えないほど、小さい本だった。それを持ってぼくは書庫の中に入り、空いている机に着席した。どきどきしながら、本を開くと、完全に動揺してしまった。本には、何語だかまったく分からない言語が書かれていた。英語でもフランス語でもドイツ語でもない。たぶん、ラテン語だったんじゃないか、と思う。

ぼくは途方に暮れた。森嶋太郎『ふぇるまーの問題』ではないことだけは確かだった。数式はいっこもなかったから。どうしたらいいかわからず、小一時間、机に座って、1字も読めない本とにらめっこした。どうしたものかと思案をめぐらせた。

意を決してぼくは、司書さんのところに行って、「この本ではないようです」と告白した。事情を聴いた司書さんは、「君は番号の見方を間違っていますよ」と説明してくれて、もう一度、書庫の中に行き、今度はちゃんと森嶋太郎『ふぇるまーの問題』を持ってきてくれた。「これなら、貸し出しも可能ですよ」と。ぼくは、わくわくしながら借りだし、コピーもとった。思い出すと今でも、甘酸っぱい思いがあふれてくる。

 大学では、どうにか理学部数学科に進学することができた。そこで落ちこぼれた話は何回もエントリーしたので、ここでは省略する。代数幾何が専門の教官が指導教官になったのだけど、その先生に「数学で何がやりたいのか」と尋ねられ、正直に「フェルマーの大定理の周辺を勉強したい」とぼくは答えた。それを聞いた教官には、「今頃、そんな古典的な問題を勉強してどうする」と叱責された。「数論がやりたいなら、ゼータ関数とか保型形式とかやりなさい」と説教された。ぼくの中に悔しさとも憎悪ともつかない感情が渦巻いた。その頃はまだ、フライによる「フェルマーの大定理谷山・志村予想に帰着される」という定理が発表されていなかった。教官の叱責は半分は正しく、半分は間違っていた。フェルマーの大定理は、決して古典的な問題ではなく、現代数学の標的になっていたのだ。一方で、解法のポイントは「ゼータ関数とか保型形式とか」であったのだった。

フェルマーの大定理は1995年、みごとにワイルズによって解決された。ぼくは、ひとり祝杯をあげた。自分が生きているうちに解決されたのは本当に嬉しいことだった。

 経済学の道に進んでしばらく数学から離れていたぼくは、数学の著作を書く仕事に戻り、加藤・黒川・斉藤『数論Ⅰ・Ⅱ』を入手した。その序章を読んで、思わず涙がこみ上げてきてしまった。そこには、フェルマーの研究が列挙され、それがいかに現代の数論に影響を与えたかが切々と書かれていたからだった。

 なんか、思い出話、自分語りに終始してしまったので、最近はまっている音楽を紹介してお茶を濁して終わろうと思う。それは、夜中の(夜更けの)曲紹介番組で偶然目にした(耳にした)「a子」さんというシンガーソングライターだ。ぼくが注目したときはまだマイナーだったけど、先月にメジャーデビューを果たした。めでたい。今は、彼女の曲しか聴いていない。YUIにはまって以来のはまりぶりだと思う。a子ちゃんといえばこれだ、というPVを2つリンクしておくね。YUIとは違って、いまどきの女の子の痛々しい歌詞がすばらしい。もちろん、曲もすばらしい。

a子 - あたしの全部を愛せない : MUSIC VIDEO (Ako - All to myself) - YouTube

a子 - trank : MUSIC VIDEO - YouTube