鬼門だった国際経済学を克服できた

ぼくは、経済学者としての本業はゲーム理論、とくにその中の意思決定理論という分野だ。査読付きの国際学術誌に公刊した論文はすべてこの分野。でも、経済学の教員という仕事の上では、いろいろと知識がなくてはいけなくて、いろいろと勉強した。ミクロ経済学、契約理論、マクロ経済学統計学計量経済学などなど。どれも「薄く」だけどそれなりに理解して講義に活かした。

でも、ひとつだけ鬼門があって、それが「国際経済学」だった。これがどうにも腹オチしなかった。けっこう、いくつもの教科書を勉強した。例えば、伊藤・大山『国際貿易』、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ 国際経済』、そしてクルーグマン他『クルーグマン国際経済学』まで。でも、どれを読んでも勘所がよく掴めなかった。たぶん、その原因は、どの教科書でもアイテム別に解説されていたからだと思う。「為替」「資本」「金利」などが別個の章で扱われるので、それらの相互の関係がこんがらがってしまう。そもそも国内の2種類の市場での話とどこが違うのかが判然としなかった。

そんな中、最近、前から買ってあって読んでなかった小野善康『国際マクロ経済学岩波オンデマンドを初めてひもといた。その動機は、例の「トランプ関税」だ。これが何を意味し何をもたらすかを推測するには、鬼門だと逃げていないで国際経済学を学ぶしかない、と腹をくくった。

そうして読んでみたら驚いた。なんということか、とてもよくわかる。これはものすごい名著だと気づいた。面白くて、結局、300ページ以上あるこの本を読破してしまった。最初からこの本に取り組むべきだった。

このブログをよく読んでくれている人はこう言うことだろう。「また、小野善康かい」と。それはわかる。ぼくは小野さんのマクロ経済学に心酔していることを何度も書いた。「小野教」という宗教の信者としてまた布教しているんかい、と笑っているんじゃないかと思う。まあ、そういう一面があることは否定しない。実際、この本をスルスル理解できたのは、小野さんのマクロ理論をちゃんと理解した経験があるからだ。でも、それを割り引いても、この本の優良さは余りある。「信心」がなくても、この本は勉強に値する。

ぼくが国際経済学をこの本で克服できたのは、先ほど言った「為替」「資本」「金利」などの相互の関係が、ひとつのモデルの中で記述されているからだ。しかも、ちゃんと動学モデルにおける通時的最適化の結果として与えられるからだ。もちろんそれだけに、この手のモデルに慣れていない人には障壁が高いと思う。経済学の専門家でない人は経済学の数理モデルの簡単なものを勉強してからにすべきだ。でも、経済学の専門家でぼくのように国際経済に苦手意識のある人は是非、この本を勉強してみてほしい。

第1章「伝統的な国際マクロ経済学」では、古典的なマンデル・フレミング・モデルやドーンブッシュ・モデルを解説している。でもここは読まなかった。不備のあるモデルを勉強しても仕方ないからだ。

第2章「国際経済の構造と家計・企業行動」は、経済主体のミクロ的基礎付けを解説している。ここでいつものように、流動性プレミアム(貨幣のもたらす効用)が導入される。これは小野理論に固有のものであり、(たぶん)国際経済に共通のものではない。そのあと「時間選好率」について、ケインズ・ラムゼー公式を導くが、いつもとはちがって、瞬間的限界変換率(変分原理)を使っている。この章で国際マクロモデルにとって重要になるのは、為替についての次の式だ。

R=\frac{\dot{\varepsilon}}{\varepsilon}+R^{*}

この式は、円建て資産の金利(R)が、ドル建て資産の金利(R^{*})に為替レート\varepsilon[円/ドル]の単位時間あたりの変化率\frac{\dot{\varepsilon}}{\varepsilon}を加えたものであることを意味する。なぜ成り立つかというと、「1円を円建て資産で運用してもドルに替えてドル建て資産で運用しても収益は同じになる」という均衡条件だからである。日本の金利よりアメリカの金利が高い場合、つまりこの等式でRよりR^{*}が大きい場合、\dot{\varepsilon}が負となり、円が高くなっていく。マスコミなどにはこの式を「逆」だと感じる人が多い。なぜなら、アメリカの金利が日本のそれより高く、その差がさらに開くと、ドル高・円安になるからだ。テレビニュースなどでは、「日本からアメリカに資金が移動した」と説明する。しかし、この等式が説明しているのは、「金利が開いた瞬間」のことではなく、「その後の動き」のことだ。もしも、「その後に円高になる」ことがないのであれば、円での運用はドルでの運用に「完全に」不利であり、だれも円を保有しなくなる。「その後に円高になる」のであれば、円での運用は金利に為替での収益が加わることで、ドルでの運用と同じ水準になり、バランスがとれるのである。ぼくもこのことを理解するのに苦労した。

第3章「2国経済の市場均衡経路と閉鎖体系での不況過程」では、主に、小野不況動学の基本的解説が行われる。すでに小野不況動学に馴染みのあるぼくはこの章は流し読みで済ませた。小野不況理論についての簡易的な解説は、

資本主義の方程式 - hiroyukikojima’s blog

を参考にしてみてほしい。あるいは、拙著『シン・経済学』帝京新書を読んでもらうのも良いと思う。

第4章「2国貨幣経済の経済動学」が本書の最も基本となる章である。まず、動学的に主体的均衡が解かれ、その後に市場均衡が解かれる。J国の変数を普通の小文字アルファベットで、A国のそれをアスタリスク付きアルファベットで表しており、フローの予算制約式(自国)は、

\dot{a}=ra+wx-c-Rm

であり、A国はこれにアスタリスクをつけたものとなる。この予算制約式は小野さんのどの本にも共通(というか動学マクロの定番)なので例えば『金融』岩波書店で勉強してほしい。J国のストックの予算制約は、a=m+b、A国のはこれにアスタリスクを付けたもの。さらに、J国の家計の最適化行動は、

\rho+\eta(c)(\frac{\dot{c}}{c})+\pi=\frac{v'(m)}{u'(c)}=R

であり、A国のものはこれにアスタリスクをつけたものになる。これも基本の式で、第2章で解説されているが、『金融』の解説のほうがわかりやすい。

2国の市場調整で重要なのは、購買力平価PPP(Purchasing Power Parity)の仮定だ。これは「同一の商品は為替を通じて同じ価格になる」という性質である。これはJ国の物価をP、A国の物価を P^{*}として、次の式になる。

P=\varepsilon P^{*}

この式の両辺の対数をとって時間微分すれば、\frac{\dot{P}}{P}がインフレ率\piとなることから、

\pi=\pi^{*}+\frac{\dot{\varepsilon}}{\varepsilon}

この式を上で書いたR=\frac{\dot{\varepsilon}}{\varepsilon}+R^{*}から引き算すれば、R-\pi=R^{*}-\pi^{*}が得られ、これの両辺は実質金利(物価の影響を除去した利子率)になるから、

r=r^{*}

が得られる。要するに、PPPの仮定の下では実質的な意味では資産運用の差はない、という(当たり前と言えば当たり前の)結果が出てくる。まあ、市場調整というのはそういうものだが、これぞ経済学の醍醐味とも言える。これらから、完全雇用成立条件と失業発生条件を導く。

第5章「対外資産の国際的分布と失業の可能性」では、J国の対外資保有bに対応して、両国で失業や完全雇用がどのような組み合わせで発生するのかが検討される。要約すれば、対外資産が大きく偏在していれば、大きな対外資産を抱える国は失業に直面し、大きな負債を抱える他方の国は完全雇用を実現する傾向がある、という結論が導かれる。このとき、失業を抱える豊かな国から完全雇用にある貧しい国への資金援助は、援助を受ける国だけではなく、援助を与える国でも消費が増え、景気に良い効果を持つことが示される。これはとんでもなくパラドキシカルに見える性質だが、小野不況理論を理解していれば「なるほど」なものである。

第6章「マクロ経済政策の効果」では、政府部門を導入して、最適化を再構築したあと、経済政策の影響を分析する。経済政策とは、財政支出と貨幣的拡張政策だ。その中でさらに、資産がドル預金、インデックス・ボンド、ドル債券の3種類の場合分けで分析する。これらの場合分けにおいて、それぞれに違いが生じることには驚かされる。

第7章「為替管理と内外価格差」では、為替介入について論じる。そして、不胎化政策をともなわない為替介入でも、実質対外資産に瞬時的変化が起こらなければ国際波及効果はないことが示される。この辺こそが、経済学者と政治家との認識の違いであろう。

第8章「資本蓄積と経済動学」では、実物資本を導入して、資産蓄積について分析する。第9章「2財モデル」では、この後の章のために、J国とA国で異なる財を生産している場合のモデル化を行う。そして、第10章「2財経済におけるマクロ経済政策」を再構築をする。

ぼくにとって最も面白かったのは、次の2章だ。

第11章「貿易政策」では、2財モデルをもとにして関税の効果の分析を行っている。この章末の「まとめ」から引用しよう。

ある国が外国財輸入に関税をかけると、輸入が減少して経常収支が黒字となる。第9章で明らかにしたように、両国が失業状態にあれば、外国財の相対価格の上昇は自国の経常収支を悪化させるため、輸入関税によって黒字になった自国経常収支の均衡回復のために、自国通貨の価値が瞬時的に下がって自国財の相対価格を下落させる。これが自国財の需要を引き上げ、雇用とともにそのインフレ圧力によって消費も上昇する。一方、外国財価格は相対的に高くなるため、外国では雇用が低下し、それによるデフレ圧力によって消費も冷え込んでしまう。

このように輸入関税は、自国財の需要を増加させて雇用を引き上げると同時に、外国財への需要を引き下げる効果も持っており、そのため外国の雇用を悪化させる近隣窮乏化政策となる。

他方、両国が完全雇用であれば、伝統的貿易理論が示すように、輸入関税は外国財の輸入を抑えることによって自国財の相対価格を引き上げ、公益条件が有利化することによって所得が増大し、消費全体が増加する。反対に外国では交易条件が不利化するため、消費は減少する。

このように、雇用状態に関わらず、輸入関税は自国を有利にするが、そのメカニズムはまったく異なる。失業のもとでは自国財の価格が下落して雇用が増大し、消費が増えるが、完全雇用のもとでは自国財価格が上昇することによって収入が増え、消費が増えるのである。

最後の第12章「固定相場制のもとでの景気」も、すごくためになった。固定相場制と変動相場制を同じ構造のモデルで比較することによって、その性質がよくわかる。