高就業率・不況均衡の可能性?

 ぼくのゼミでは、ゼミライブというのを毎年開催していることは以前にエントリーした(例えば、諦めなければ夢はかなう。望んだ形ではないかもしれないけど。 - hiroyukikojimaの日記など)。今年も、今月に7回目を実施した。現役のゼミ生とともに、卒業5年以内のゼミOBが、全世代にわたって、数人ずつは参加してくれた。本当に、教員冥利につきる。
OB/OGたちと久しぶりに会って、近況を聴いて驚いた。ほとんどすべてのOB/OGが、会社を、辞めたか、転職したか、辞めたがっていた。その理由を聞くと、ほぼすべて、待遇に対する不満である。給料が安い、ボーナスも最低、サービス残業の嵐、ちょっと上くらいの先輩がいろいろ押しつける。しかも、かなり上の先輩の給料を聞くと、ぜんぜん給料が上がらないことが判明。これじゃ、辞めたくなるのは当たり前だ。もちろん、勤めてる会社によるけど、新卒がもう半分くらい辞めてしまったところもけっこうある。
 なぜ、こんなことが起きているんだろうか。
現在の日本は、数字的には低失業率、高求人倍率になっている。普通の経済理論で言えば、こういうときは、賃金上昇を伴うインフレが生じるはずだろう。けれども、賃金も物価も上がらず、人手不足ばかりが話題になっている。名付けるなら、「高就業率・不況均衡」という感じだ。これは、常識的な経済学から言えば、矛盾した表現である。経済学において、好況と言えば、「完全雇用均衡」のことだ。完全雇用に近い就業状態を「不況」と呼ぶのは、定義的に間違っている。でも、そういうことが今の日本ではありうるのかもしれない、とそんな認識になった。
 そこで思い出したのが、前回(小野善康『消費低迷と日本経済』は、賛否にかかわらず読んで欲しい本 - hiroyukikojimaの日記)にエントリーした小野善康『消費低迷と日本経済』朝日新書である。その中に、現在の低失業率のからくりを書いた部分がある、前回のエントリーを読んでもらえば済むことだが、読者の労力を削減するため、もう一度引用しよう。

経済成長もインフレも起こらないなかで、政府が強調するアベノミクスの成果とは、株価の上昇と雇用の拡大、特に女性の就業者数の拡大である。
このうち、株価はバブル特有の乱高下を繰り返すだけで実体がないが、就業者数の拡大や失業率の低下は実体経済の指標であり、本当であれば非常に望ましい。
 しかし、中身を吟味すると、とても成果とは言えない厳しい現実が見えてくる。グラフ3-7は、男女合計および男女別の就業者数の動きを、実質GDPの推移とともに示している。(中略)。
 このグラフから、アベノミクス以前の就業者数の変化は、リーマン・ショックによる男性就業者の大幅減少によるものであり、安倍政権発足直後の13年以降は男性就業者は伸びず、もっぱら女性の就業者増が総就業者の増加を支えていることがわかる。同時に注目すべきは、この間、実質GDPが横ばいという点である。
 これは何を意味するか。
 安倍首相は繰り返し女性の活躍を訴えており、確かに女性の就業が増えている。しかし、GDPが増えないまま、女性の就業者数だけが増えているということは、以前と変わらない総量の仕事を男女で分け合っていることを意味する。そのため一人あたりの生産性は低下しているはずだ。このことは賃金が下がっていることからも、裏付けられる。

小野さんの推論を、わかりやすい喩え話でなぞれば次のようだ(単なるシミュレートであって、実際のデータを言っているわけではないことに注意)。すなわち、一人の定年退職者の仕事を男女二人で分割して就業する。当然、仕事量は半分ずつになり、給料も半分かそれ未満になる(余った分は企業の内部留保)。この場合、生産量は一定だから、GDPは増えない。総所得も横ばいだが、一人当たり平均所得は半分になる。しかし、就業者は増え、失業率は下がり、求人倍率は高くなる。
この推論を新卒の就業に当てはめれば、ゼミのOBたちが遭遇している不幸が説明できる気がしてきたのだ。すなわち、一人の定年退職者の仕事を、新卒二人で分割する。仕事量は半分、給料は半分、しかし就職率は高騰する。仕事量が半分なのに、サービス残業がはびこるのは、新卒はスキルがないにもかかわらず、まともな指導もないから、あっぷあっぷになり、その上、同様に低賃金の先輩が仕事を新入社員に押しつけるからなんだろう。
このように考えると、現代の悲劇を論理的に説明できる気がする。
ここで勘のいい人、あるいは、スタンダードな経済学を学んだ人は、こういう鋭い疑問を抱くことだろう。すなわち、一人が定年退職して二人が就業した場合、減る仕事量は1単位、増える仕事量は2単位だから、1単位分だけ総生産が増加するんじゃないの、と。しかし、そういうあり方は、通常の新古典派的な均衡(ワルラス均衡)だ。言い換えると、「供給が需要を決める」世界観なんだね。
ここに、小野さんの理論の真骨頂がある。小野さんのモデルでは、「(消費)需要が供給を決める」ことが論証されている(数学的には完全に論理矛盾なくシミュレートされている)。だから、消費量が始めから一定と決まっていれば、就業者の増加は所得の減少をもたらすだけになってしまうのだ。
 もちろん、今のロジックは、かなり雑な面がある。なぜなら、不況なら普通は就いている正社員が仕事を辞める行為は自滅行為かもしれない。次の仕事に就くのが大変だからだ。したがって、新卒がすぐに辞めるのは、転職が容易だからと考えるべきである。通常の経済理論では、転職が容易というのは好況下にあることを意味している。
 しかし、これにも多少の反論を加えることは可能だ。新卒が1年程度で辞めた場合、そこにはスキルの定着はほとんどないだろう。スキルがないまま転職する人たち全体を見れば、ただ、互いに職場をぐるぐる取り替えているだけであり、生産力の意味では全体としてなんら蓄積がなされない。マクロで見れば、生産力は一定であり、不況均衡を固定するだけであろう。
 仮に、現状がぼくのいう「高就業率・不況均衡」だとしても、それがいわゆる不況均衡よりはマシ、という考え方はあるかもしれない。失業というのは、ある種、「人格の否定」として機能し、人の心を荒ませる。高失業は、自殺を増やし、犯罪を増やし、最悪の場合、戦争の原因にさえなる。だから、それに比べれば、マシという見解はありうると思う。ただし、そのためには、保育所の不足とか、若者の疲弊とか、将来的な国民のスキルの蓄積不足とか、別の問題に注目し、対処する必要が出て来るだろう。
 もちろん、今の日本は、好況(完全雇用均衡)への過渡的状態であり、これから、賃金が上がり、物価が上がり、消費が増え、総生産が増える、そういう可能性を否定する材料をぼくは持っていない。そうであれば、通常の経済学で説明できることであり、ぼくの直観がはずれたことになる。もちろん、日本国民にとってはめでたい話となる。