『フランダースの犬』と社会的共通資本の理論

 今回は、ウィーダ『フランダースの犬について語ろうと思う。それも、この物語が宇沢弘文先生の社会的共通資本の理論の根拠づけになるんじゃないか、というちょっと突飛な視点だ。

 ちなみにこのことは、前から考えていたんだけど、先日の資本主義研究会での講演

宇沢先生の思想について講演をします。 - hiroyukikojima’s blog

のために、前から温めていた考えをまとめて、満を持して発表したものだ。

 前もって言っておくと、ぼくは日本のアニメ「フランダースの犬」は(最終回以外は)全く観ていないので、アニメ版とは話が食い違っているかもしれない。

 ウィーダの原作を最初に読んだのはもう、20年以上昔のことになる。ベルギーに観光旅行に行ったときだった。『フランダースの犬』はベルギーのアントワープ地方を舞台とする有名な物語だから読んだほうがいいな、と思って、何の気なしにホテルで読んだのだ。

 そしたら、あまりの悲しい物語に号泣してしまった。しかし、それは主人公ネロに対する村人の非道な仕打ちのことではなかったんだ。以下、そのことを書く。今回読んだのは、新潮文庫

フランダースの犬 (新潮文庫)

フランダースの犬 (新潮文庫)

 

  思うに、作者のウィーダ女史がこの物語に込めた想いは、ルーベンスの絵に関することではないだろうか。

 ネロ少年は貧しいあばらやで祖父と二人で暮らしている。そこにひどい労役で死にそうになっておきざりにされた犬のパトラシエを祖父が助け、連れてきたことで、一緒に暮らすこととなった。物語は、少年ネロと犬のパトラシエの友情を描いていく。

 ぼくがこの物語の本質だと思うのは、ネロ少年が絵を描くことに情熱をもっていて、教会が所蔵しているルーベンスの絵を鑑賞することを熱望している、という点だ。しかし、教会はルーベンスの絵の鑑賞に課金をしており、貧乏なネロは見ることが叶わないのである。このことは次のように描写されている。まず、パトラシエの視点

パトラシエを不安がらせたのは、出てくるときのネロのようすがいつも異様で、ひどく顔を紅潮させているかと思えばひどく青ざめていることもあり、教会堂へ立ち寄った日には家に帰っても遊ぼうともせず夢想にふけりながら、黙りこくってすわったまま、運河のかなたの夕空を悲しげな面持でながめている、そのことであった。

「いったい何だろう?」

パトラシエは不思議におもった。とにかく小さい子供がこうして沈み込んでいるのは、あたりまえのことではない、と考え、物言えぬ身ながらネロを日のあたる原や賑やかな市場で、自分のそばにひきつけておこうと、せいいっぱい身ぶりを示して努力した。しかしあいかわらず教会へとネロは行くのであった。

 このように、ネロは教会のルーベンスの絵が見たいがために、何度も教会に足を運んでは失意のうちに帰ってきた。ルーベンスの二枚の絵にはいつもおおいがかけられているからだ。ネロの気持ちは次のパトラシエへのつぶやきに端的に示されている。

「あれが見られないなんて、たまらないなあ、パトラシエ、貧乏でお金が払えないばっかりに! この絵を描いたとき、あの人は貧乏人に見せまいなどとは夢にも考えなかったんだよ。どんな日でも、いや、毎日でも見せてくれたろうに、それだのに、あんなおおいをしておくなんてー暗いところにせっかくの美しいものを!ーだから金持の人が来てお金を払うまでは、日の目にもあわないし、人の目にもふれないんだ。あれが見られさえしたら、ぼくは死んでもいい」

この文章の中に作者ウィーダの強い怒りが結晶しているように思う。教会が拝金主義に陥って、市民みんなの財産であるはずのルーベンスの絵画を金儲けの道具にしている。よりによって教会がそういうことをしている。そういうとめどない怒りなのだと思う。

 市場原理主義の権化で宇沢先生の終生の敵であったミルトン・フリードマンならこういうかもしれない。すなわち、価値あるものは市場で価格を付けて取引されるのが最も効率的である。ネロもそんなに絵が見たいなら、働いて相応の金銭を稼げばいいではないか、と。

うん、そういう考え方があるのはわかるし、そういう考えを信奉する人が少なからずいることは知ってる。それに対して、作者ウィーダは、次のようなシーンを用意して答えたように思う。

 ネロは、村一番に裕福な家の娘アロアと親しくなる。アロアはネロやパトラシエの貧困や不幸なおいたちのことは気にせず、しじゅう一緒に遊ぶ気立てのいい娘だった。ある日にネロはアロアの肖像画を描く。アロアの父親はネロが娘に近づくのが気に入らなかったが、その肖像画には見惚れてしまい、1フランで買い取ることを申し出た。しかしネロは、お金の受取を拒否して、絵を無償であげてしまう。その気持ちはネロの次の言葉に表現されている。

「あの1フランであれが見られたのだがな。だけど、ぼくにはどうしてもアロアの絵は売れなかったんだよーあれのためでさえね」

つまり、ネロは、たとえルーベンスの絵を見たいがためと言っても、自分が心を込めて描いた愛するアロアの大事な絵を、金銭に代えることが我慢ならなかったんだと思う。それは「汚れた行為」だと感じるんではないだろうか。

 こういう感情について、ばかげていると思う人は多いだろう。また「危険な正義感」「危険な倫理観」だという人もいるだろう。しかし、ぼくが共感するのはそういう反論とははずれたところにある作者の思いなのだ。みんなの共有の財産である、教会や、絵画を、市場原理に晒すことに対する作者の怒り。絵画を無償で公開するなど、なんでもないことで、そうすればネロのような少年も、たとえ金銭的な苦境にあっても幸せに暮らすことができるのに、そうしない教会に対する憤慨がこの物語を書かせたに違いないと思うのだ。

 ベルギーで読んだときはただの悲しい物語だと思ったにすぎないのだけど、今回、講演のために読み返してみて、ぼくはこの物語の中に宇沢先生の「社会的共通資本の理論」が結晶していると確信するようになった。

 もちろん、生産設備を十分に確保し、需要を刺激し、雇用を安定させることで、人々は物質的な豊かさを享受できる。それは市民を豊かにする一つの在り方だ。でも他方で、生活基盤インフラや教育や医療や芸術など、人々の厚生の中心になる公共的な財を豊富に整備し、社会で共有の財産として管理運営していくことが、市民が安心して暮らせる、そして豊かであることを無理に自覚することなく享受していく大事な制度に違いないと思えるのだ。それが、宇沢先生が言いたかったことではないかと。

 この『フランダースの犬』は、悲劇的なエンディングを持っている。ネロとパトラシエは、クリスマスイヴの夜に教会で餓死することになる。しかし、死の直前にネロは、念願のルーベンスの絵を見ることになる。作者は、だれがおおいを取ってくれたのかについては触れていない。そこに、作者の強い想いが込められていると思う。それは次の表現に現れている。

この世に生きながらえるよりもふたりにとって死のほうが情け深かった。愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、この二つの生命を引き取ったのである。

作者ウィーダの怒りと失望の深さはよくわかる。でも、死に幸せを委ねるなんて悲しいことをしなくても、この世界はちょっとした工夫で、ちょっとした発想の転換で、ネロとパトラシエを幸せにすることはできる。金銭を仲立ちとしない仕組みを市場世界の一部に導入すればいいだけだ。それこそが宇沢先生の思想の根幹だと思うのだ。

 ちなみに、つい先日、宇沢先生の評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』講談社を著者の佐々木実さんが送ってくださった。ぼくも取材を受けて、ちょっとだけ貢献したからだ。まだ読んでいないので、読後に書評を挙げるつもりだ。

 うれしいことに、佐々木さんがこの本への思いを綴っているサイトに、「宇沢先生をしのぶ会」で上映されたアメリカの経済学者の追悼のインタビューがアップロードされている。是非、ご覧になっていただきたい。

世界随一の経済学者が、すべてを投げ捨てても守りたかったもの(佐々木 実) | 現代新書 | 講談社(1/3)

アカロフスティグリッツとソローとアローの4人。全員がノーベル経済学賞受賞者。すごすぎるメンバーだ。宇沢先生がどんなに彼らに愛されていたか、どんなに尊敬されていたかがよくわかる。

 

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界

 

 

 

 

 

 

文春に拙著の書評が掲載されました!

 『週間文春』3月14日号に拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエの書評が掲載された。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 評者は波多野聖さんという作家の方。非常にすばらしい書評でとてもうれしかった。なので、皆さんにも是非、読んでいただきたい。「文春オンライン」で読めるので、リンクを貼る。

暗号通貨を創り出す“技術”はいかがわしい? 「ブロックチェーン」の可能性とは? | 文春オンライン

 

これだけで終わってはなんなので、前回、

小学生向けの統計学の絵本が刊行されます! - hiroyukikojima’s blog

で紹介した小学生向けの統計本の新著ついて、もう一押ししておこう。

前回は「小学生向けのまえがき」を引用したが、今回は「保護者向けのまえがき」を引用する。

現在、文科省の算数・数学教育の方針として、統計学教育が強化されています。高校では、統計学が数学の一分野としてほぼ必修化され、それに伴い、中学校でも小学校でも、その下地作りの統計学習が導入されます。

 このことには、良い点と悪い点があります。

 良い点というのは、数学嫌いの子供もひょっとすると統計は好きになれるかもしれない、という点です。統計というのは、世の中の「事実」を数字で捉える技術です。算数は抽象的でややこしい作業ですが、統計は具体的であり、身の回りのこと、目に見えることを扱っていますから、子供が興味を持てる可能性があります。統計が身近になれば、社会にも理科にも興味が持てるようになるでしょう。

 他方、悪い点というのは、統計の「数字」や「グラフ」を見るには、ある程度訓練と慣れが必要だ、という点です。しかし、最初に下手な教育を受けると、算数嫌いに加えて、統計嫌いなるという、二重苦を背負いかねません。

 だから、最初が肝心なのです。大事なのは次の二点です。

  • あたりまえのこと、基本中の基本をきちんと教わること
  • 面白い統計を例として見ること

本書は、この二点を踏まえて作られています。できたら、保護者の皆さんも、子供さんの傍らで、一緒に本書を読んでください。そして、本書に出て来る統計について、「そうなんだ」とか「そうなのかなあ」とか「ふしぎだね」とか「他はどうかな」など、子供さんとあれこれ議論をかわしてみてください。きっと、子供さんは、あなたと一緒に、世界を冒険している気分になると思います。そして、世界の「事実」に興味を持つようになると思います。

 一部の家庭を除けば、子供と保護者が仲良く教科についての会話ができるのは、小学生のうちだけだろう。その時間は、とても大事だと思う。その貴重な交流の題材として本書を利用していただければ嬉しい。

 

 

 

小学生向けの統計学の絵本が刊行されます!

 今日あたりから、ぼくの新著が書店に並ぶ。

宇宙人ミューとカイのかわいい統計大作戦ミネルヴァ書房という本だ。

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宇宙人統計本

この本は、小学校高学年の子供に統計グラフの読み方を勉強してもらうもの。

現在、文科省は統計教育に力を入れてて、高校で統計学が数学の単元としてほぼ必修化される。それに応じて、中学でも小学校でも統計が強化されることになっている。

 ぼく自身は、数学という教科の中で統計を教えるのは反対だ。統計学には統計学固有のロジックがあり、数学は使うけど数学とは異なる分野だからだ。例えば、物理を数学のいち単元として教えることになったら反対する人が多いのではないかと思うのに、統計についてはそんなでもないことには驚いている。

 ここでは、その話は詳しく書かないので、興味ある人はWEBRONZAで読んでほしい。

高校数学での統計学必修化は間違っている - 小島寛之|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト

Twitterでよく、(有料だからだろうけど)最後まで記事を読まないでトンチンカンな批判している人がいるけど、そういうのはいかがなものかと思う。最後まで読まないと論説の趣旨はわからんぞ。(まあ、金払う価値があるかどうかは責任もたないが。笑)。

 繰り返すと、ぼくは数学の中で統計を教えるのは良くないと思うが、統計自体は、子供の頃から親しんだほうがいいと思っている。

 ぼく自身は、30代になるまで統計には一切関心がなかった。中学1年から数学にはまって、数学が三度の飯より好きなくらいだった。でもそれは、抽象世界の数理、形而上学としての数学が大好きだったのであって、現実解析の道具としての数学には全く関心がなかった。

 統計に目覚めたのは、30代で経済学部の大学院に通うことになったときだった。その辺の事情は、次で読んでほしい。

統計学の面白さはどこにあるか - hiroyukikojima’s blog

 経済学を研究するようになって、現実を見る道具としての統計学はものすごく面白いと目覚め、また、統計学から数学を引き算したところに統計学固有の思想が封じ込められている、ということもエキサイティングに思うようになった。

 今では、統計学がとても好きで、だから何冊も統計学の教科書を書いている。その「伝道」的な仕事の一環として、今回の『宇宙人ミューとカイのかわいい統計大作戦』がある。これは、ぼくが小学生のときに読んでいたらひょっとしてぼくの統計に関する興味が180度変わってたんじゃないか、ってコンセプトで書いたのだ。

 

 いつものように、序文を公開する。実は、この本は「子供むけ」「先生向け」「保護者向け」と3種類の序文があるんだけど、今回は、「子供むけ」を引用する。

[はじめに] 

 みなさんは、数字を見るとじんましんが出ますか? 算数は嫌いですか? 

そうですか。わかります。とてもわかります。

算数のややこしい計算や、むずかしい文章問題をやらされると、「なんでこんなこと、やらなきゃならないの?」「こんなことして、何かの役に立つの?」と思うことでしょう。ただただ子供を苦しめるだけの修行を、無理強いされている、そう感じるでしょう。

 そう感じるのは仕方のないことです。

 世の中には、スポーツが得意な子供も苦手な子供もいます。音楽が上手な子供も下手な子供もいます。同じように、算数が好きな子供も嫌いな子供もいてふしぎではありません。何に対しても、好きなことでは思いっきりがんばり、嫌いなことはソコソコにこなせばいいのです。大人になったら、算数が苦手でも、決して人からとがめられたりしませんよ。

 ただ、ここでひとつ、聞いてほしいことがあります。

 みなさんは、身の回りのこと、世界のことを知るのは、きっと興味があると思います。自分が生きているこの世の中には、たくさんの面白さとふしぎさがあふれています。そういう面白いこと、ふしぎなことを知りたい、わかりたい、きっとそう感じていることでしょう。

 そういう君は、ぜひ、本書を読んでください。本書では、身の回りや世界を知るための技術がレクチャーされます。

 身の回りや世界を知るには、「数字」と「グラフ」が役に立ちます。もう少し詳しく言うと、「統計」というのが役にたつのです。

「統計」というのは、世界を「数字」と「グラフ」で捉える技術です。世界は、見た目だけでは捉えられません。見ただけだとだまされてしまうことがよくあります。そういうときこそ、「数字」と「グラフ」がものを言うのです。

 この本は、世界を「数字」と「グラフ」で捉える「統計」について解説しています。ベータ星人のミューとカイといっしょに、ベータ星の博士から「数字」と「グラフ」の見方を学んでください。そして、「統計」を使って、地球を冒険してください。

 この本を読み終えた頃にはきっと、ほんの少しだけかもしれませんが、算数とお近づきになれているかもしれませんよ。

とくに、小学生のお子さんをお持ちの当ブログの読者の皆さんに、是非、書店で手に取っていただきたい。

 

 

ビットコインの元論文の解説+抄訳を公開しました。

まず、前々回のエントリー

宇沢先生の思想について講演をします。 - hiroyukikojima’s blog

で告知した来週の講演会のことを繰り返しておこう。

タイトル:宇沢弘文の思想~資本主義に代わる社会システム

日時:2019年2月15日(金)19:00-21:00(開場18:40)

会場:東京大学 本郷キャンパス/東洋文化研究所 3F大会議室

詳しくは、

第28回資本主義の教養学講演会 | PFC Insights

でどうぞ。

さて、今回のエントリーだ。

拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエの刊行のタイミングで、ビットコインの元論文となったサトシ・ナカモトの論文

 Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System(2008)   Satoshi Nakamoto

の解説+抄訳を、現代ビジネスというWEBマガジンで公開した。

gendai.ismedia.jp

これはビットコインの仕組みをQ&A形式で解説した上、論文の該当する部分の抄訳を付け加えたものだ。

 これを書くことになった経緯を少しお話しよう。

実は、担当編集者は、この論文の全訳を新著『暗号通貨の経済学』に収録したいと考えた。それで、この論文に著作権があるかどうかについて会社と話し合った。出版社側からは、たとえサトシ・ナカモトが著作権を放棄していたにしても、それが明記されていない限りは著作権の問題に抵触する可能性がある、という返答だった。それで担当編集者は、本に収録することはあきらめ、講談社のWEBで公開する方針に切り替えた。

 担当編集者はメディアとして「現代ビジネス」を選んだのだけれど、そこでぼくは、公開に関して迷うことになった。その理由は、サトシ・ナカモト論文が無料で公開され、そこで提示されたビットコインというソフト・ウエアもオープンソースとなっているからだ。

 ぼくは拙著の中で、オープンソース文化、というか、オープンソース思想について、(プロプライエタリとの対比において)、共感するような主張をしている。にもかかわらず、自分がサトシ・ナカモトの論文を(販促という)営利目的で利用することに違和感があったのだ。

 それで、担当編集者と議論をすることになった。いったんは「現代ビジネス」をやめて、このブログに公開したらいいんじゃないか、とも考えた。でも、ちょうどその頃に、坂井豊貴さんの新著のプルーフ版をいただいた。(レビューは↓)

坂井豊貴『暗号通貨vs.国家』SB新書は、めっちゃ面白い! - hiroyukikojima’s blog

この本のあとがきに坂井さんは次のように書いている。

サトシやビットコインに関する記録や情報はネット上に多くある。だがそれらは散逸しているうえ、真偽の判定が必ずしも容易ではない。信頼できそうな情報でも、書き手が匿名だったり不明だったりする。多くのウェブサイトで同じことが書かれている、というのは信頼する理由にならない。コピペサイトが多々あるからだ。電子的な贋金づくりであるダブルスペンディングの防止が容易でないゆえんである。

この坂井さんの考えは、担当編集者の考えと全く同じだった。それでぼくは、自分による解説と抄訳を「現代ビジネス」で公開することに意義があると考えを改めた。少なくとも、ぼくの知識や学識のレベル内において品質保証ができるし、ぼくという実名の学者の範囲内で責任をとれるからだ。

 というわけで、ビットコイン論文の解説+抄訳を公開する運びとなった。興味ある方は、是非ご一読ください。そして、「ビットコインって面白いかも」って思えたら、是非とも、拙著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエも併せてお読みください。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

宇沢先生の思想について講演をします。

宇沢先生の思想「社会的共通資本の理論」を中心した講演を行います。資本主義研究会というところの行う「資本主義の教養学」

「資本主義の教養学」公開講演会 | PFC Insights

というものです。

タイトル:宇沢弘文の思想~資本主義に代わる社会システム

日時:2019年2月15日(金)19:00-21:00(開場18:40)

会場:東京大学 本郷キャンパス/東洋文化研究所 3F大会議室

詳しくは、

第28回資本主義の教養学講演会 | PFC Insights

で案内されていて、ここから申し込みのサイトに行けます。

サイトに告知した要旨を転載しておきます。

経済学者・宇沢弘文は、資本主義を批判し、「社会的共通資本の理論」と呼ばれる新しい経済思想を樹立した。社会的共通資本とは、環境・インフラ・医療制度・教育制度など市民の生活に欠かすことのできない基盤的装置のこと。これらは市民の基本的人権に関わるため、市場取引に委ねることが許されない。宇沢は、社会的共通資本の整備・管理・制御を通じて、豊かで幸せな社会を造るべきだと訴えた。
宇沢は経済学の研究の末、「資本主義には本源的な不安定性がある」と考えるに至った。したがって、市場への介入と管理は不可欠となる。しかし、政府や官僚がその役割を担うのは適切でない。宇沢はその役割を専門家の集団に期待する。そして、社会的共通資本の適切な運営を通じて、資本主義の不安定性を是正することを提唱したのである。
宇沢のこのような思想は、一見、理想主義的すぎるように見えるが、今世紀には現実味を帯びてきている。例えば、インターネットは、巨大な社会的共通資本として機能している側面がある。現在、インターネットを通じて、経済も社会も大きな変革の渦中にある。
経済理論の方も今世紀に至って、新しい段階に入りつつある。前世紀の経済学が前提とした、「経済主体の超越的な合理性」は実験によって否定され、経済行動の背後の性向・動機が見直されつつある。これらの観察と整合的な理論が模索され、構築が試みられている。
この講演では、宇沢の思想を軸に、今後の経済社会をうらない、最新の経済理論を展望する。

 

 ふるってご参加ください。会場でお会いできるのを楽しみにしております。

 

坂井豊貴『暗号通貨vs.国家』SB新書は、めっちゃ面白い!

 坂井豊貴さんの新著『暗号通貨vs.国家』SB新書を読んだ。来月(2月5日)発売の本なので、今はまだ、書店にはない。これは、「プルーフ版」というものらしく、要するに試供品みたいなもの。坂井さん(か、編集者さん)が送ってくださった。ありがとう!

 

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

暗号通貨VS.国家 ビットコインは終わらない (SB新書)

 

 

 ぼくは今月、新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社選書メチエを刊行した。坂井さんが暗号通貨の本を書いているのはTwitterで知っていたので、非常に怖れていた。「こりゃ、まずいことになった」というのが正直なところだった。なんてったって、坂井さんはいまや売れっ子のライターなんで。

 で、プルーフ版を読んだ手ごたえはどうか。

 めちゃくちゃ面白い本だ。これはすごい。でも、うれしいことに、拙著とはほとんどかぶってなかった。というか、拙著と相補的と言いたいぐらいだ。坂井さん自身も、1月17日のツィートで、次のようにつぶやいている。

 小島寛之さんから『暗号通貨の経済学』(講談社選書メチエ)をご恵贈いただいた(感謝でございます)。「やばいなあ内容が被ってるんじゃないか」とびびりながら中身をのぞく。結論からいうと、意外なほど異なっていた。良し悪しではなく、私のほうが信仰が深いと思った。 」

 坂井さんのいうように、ぼくの本と坂井さんの本の違いは、暗号通貨に対する心酔の仕方かな、と思える。ぼくは、ビットコインの数理的メカニズムはめっちゃ面白いよ、でもしかし、数理的仕組みだけでは「お金」にはなれないよ、お金にはまだ謎が多く、それには経済学の知見こそが接近できるのだ、というニュアンスで書いた。それに対して、坂井さんの本では、もろ手を挙げて「すごい、すごい」と暗号通貨を絶賛している印象がある。それは、坂井さんが、暗号通貨を「実践」していることからくる違いだろう。

 さて、坂井さんの本のすごさは、その記述スタイルにある。話の進め方が、アメリカのめちゃ売れした本のスタイルと同じになっている。意識してそういう書き方をしたのかもしれない。『ブラックスワン』とか『世紀の空売り』とか、そういうハラハラ・ドキドキの本と同じような進行のさせ方だ。読者は、すぐに暗号通貨の世界に引き込まれると思う。

 やっかみ半分で言うと、ぼくは一点を除いて、坂井さんにすべて負けてて、コンプレックスを持っている。まずは坂井さんは若い。そんでもって、イケメンだ(笑)。テレビに出てても見栄えがいい。さらには、海外で博士号を取得してる。研究業績もすごい。また、学会でのプレゼンもピカイチだと言える。そんな負けっぱなしの中、ただ一点、ライターとしてはぼくに一日の長があるかなと、それだけが防波堤と思っていた。でもいまや、この本で、その防波堤も決壊するんだろうな、とあきらめの境地だ。

 くだらないことを言ってないで、本の中身をちょっと宣伝してあげよう。それがプルーフ版を送ってくれたことへのお返しだから。

  • 1.ストーリー仕立てで書かれているので、わくわくしながら読める。
  • 2.ビットコインが成立する前後の経済的状況が説明されている。
  • 3.暗号通貨を作り上げた人々のキャラクターや背景が説明されている。
  • 4.暗号通貨の仕組みがわかりやすく説明されている。
  • 5.「通貨」というものの持つ経済学的な意味を経済学者としてみごとに解説している。
  • 6.ビットコインだけでなく、他の暗号通貨の仕組みも投入されている。とりわけ、リップルイーサリアムの説明が詳しい。
  • 7.暗号通貨絡みで、これから来る社会の未来像を描いている。国家はどうなるのか、そして、我々の労働環境はどうなるのか。

 この本の良さは、なんというか、一種の「生々しさ」があることだと思う。迫力がすごい。坂井さんって、こういう書き方ができたのか。

 自分の本を推奨する目的で、最後にすこし難癖をつけよう(あくまで、販促動機だから怒らんといて)。

 この本に登場するネット用語、プログラマージャーゴンは、(技術畑の人を除けば)著者が思っているほどには簡単には通じないと思う。ぼく自身は、もしも、暗号通貨の本を書くために勉強していなければ、この本で展開されていることの3割ぐらいは理解できないで終わったと思う。

 あと、この本だけでは、ビットコインの数理的な仕組みがちゃんとはわからない。例えば、数理暗号がどんなものか、とか、ハッシュ値とは何か、とか、演算量証明(プルーフ・オブ・ワーク, PoW)のやり方(Nonceの役割)とか。

 もちろん、新書という媒体を考えての確信犯だと思う。で、それらをもうちょっときちんと理解するには、拙著を読むと良いと思うんだな(笑い)。それが、最初に言った「相補的」という意味だ。拙著では、RSA暗号の仕組みと、楕円曲線暗号の仕組みと、ハッシュ値をどうやって作るかなどをきちんと解説してる。また、数理暗号の電子署名を使ったアトミックスワップの仕組みとかね。

 いずれにしても、坂井さんすげえな、というのが一読した感想。脱帽と言わざるを得ない。

 

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

 

 

 

 

新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』が刊行されました!

 ぼくの新著『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論講談社メチエが、大手書店には並び、アマゾンにも入荷されたようなので、販促の追い打ちをかけたい。

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論 (講談社選書メチエ)

前回(来週、新著『暗号通貨の経済学』が刊行されます! - hiroyukikojimaの日記)は目次をさらした。普段は、目次のあとは「序文」をさらすことにしてるんだけど、本書には「序文」はない。その代わり、長〜い「序章」があるが、これをさらすわけにはいかない。なので、いつもとは違って、「あとがき」の前半部をさらすことにする。後半部分も読みたい人は、ぜひ、買って読んでほしい。まあ、「あとがき」はそんなには長くもないんだけどね。「あとがき」は以下である。

『暗号通貨の経済学 21世紀の貨幣論』のあとがき
 
 本書は、ビットコインを始めとする暗号通貨について、総合解説を試みた本です。暗号通貨は今、非常にホットなトピックなので、集中的にリサーチし多方面から考察できたのは良い経験になりました。
 暗号通貨というアイテムは、筆者にとって、このうえなく興味深い素材でした。なぜなら、次のような様相を持っているからです。
(a) 数理暗号というツールを使うので、純粋数学と接点を持つ
(b) 貨幣である、という点で、経済学と接点を持つ
(c) ブロックチェーンという技術によって可能となる、という点で、ゲーム理論と親和性がある
(d) プログラム可能という意味で、数学基礎論(数理論理学)と関係を持つ
(e) オープンソースと関係するという意味で、「どういう社会が望ましいか」という社会選択の問題と抵触する
(f) アルゴトレーディングに応用できる、という意味で、数理ファイナンスと関係する
これらはみな、筆者の大好物でした。これまで筆者は、RSA暗号楕円曲線の数学、貨幣論ゲーム理論数学基礎論、金融トレーディングについて、それぞれ別個に書籍化してきました。今回は、これらの素材すべてを暗号通貨という一本の剣で貫く、という作業となり、大変ではあったものの、とても楽しい仕事でした。

 ぼくは、ビットコインのことを知ったときは、「へえ、そんな面白いものが提示されたんだ」ぐらいにしか考えていなかった。収容所ではタバコがお金の代わりになるぐらいだから、ネット上の2進法の数字がお金になったって不思議ではない。そんな程度の興味だった。
でも、本書の執筆依頼を受けてから、ナカモトの論文を読んだり、ネット上の解説を読んだりしたら、これがひどく面白かった。上記の「あとがき」に書いたように、ぼくの好物のフルコースというか、食べ放題というか、そういうものだったのだ。なので、資料漁りも、執筆もめちゃくちゃ楽しい仕事だった。そんなぼくのウキウキ感が、本全体にみなぎっていると思う。
是非、書店で手に取ってみてほしい。