確率っていったい何だろう

 このところ、15年ぶりにエレキギターを弾いている。なぜなら、ゼミ生たちがバンドを組んで11月にゼミライブをするので、それに混ぜてもらうことになったからだ。今期のゼミで小島ゼミは10期生になる。ゼミバンドを結成するのが、ずっとぼくのささやかな夢だったが、これまでゼミ生でバンドを組める(つまり楽器が揃っている)年が何度かあったにもかからわず、いつも実現しないまま終わっていた。強いリーダーシップをとるゼミ生がいなかったからだ。ところが今年、遂に夢が実現することになった。とてつもないパワーのゼミ生が現れたからだ。願っていれば、夢っていつかかなうものだと思う。
 ゼミ生の数人がかわるがわるにヴォーカルをとり、10曲くらいコピー曲をやる。ぼくはその中で数曲リズム・ギターを弾く。バンドのゼミ生はみな、音楽サークルでならした連中なので達人だ。それで、昨日は、彼らにしごいてもらった。普段は、ぼくがゼミでしごいているわけだが、攻守入れ替わって学生に教えを乞うのは楽しいものだ。
 本当は、一曲ぐらい自分のオリジナルをやりたくて、バンドメンバーもそれに備えていてくれたのだが、ぼくにとって人生を左右する2つのできごとが今同時進行していて、時間的に無理になった。残念だ。きっと、いずれ次のチャンスがくるだろう。諦めなければ、夢ってかなうものだから。
 ほんとは、今回の話題はこれで終わりでいいんだけど、これじゃこのブログの読者は満足してくれないだろうから、少しだけアカデミックなことも書こう。
 先月に刊行した松原望先生との共著『戦略とゲームの理論』東京図書の第6章に、ぼくがシェーファー・ウォフクのゲーム論的確率論」を解説している。この理論は、ざっくりとまとめてしまえば、これまでのいかなる方法とも全く異なる方法で確率を定義したものだ。

戦略とゲームの理論

戦略とゲームの理論

 現在、確率理論といえば、コルモゴロフが完成したもので、集合論と測度論(要するにルベーグ積分理論)を道具にしたものだ。これは、相当によく、「不確実性」を捉えているといえる。たとえば、サイコロを投げたときどの目が出るか断言できない、という不確実性は集合Ω={1, 2, 3, 4, 5, 6}で表現する。「Ωの中のどれかに決まる、ということは断言できるが、それ以上は断言できることはない」ということをして「不確実性」としているわけだ。そして、このΩの部分集合たちの特定の族(σ-加法族)を「できごと」と同一視する。たとえば、事象E={2, 4, 6}が「偶数の目が出る」という「できごと」に対応する。この事象こそが、我々が知覚する「不確実現象の現出」なわけだ。そして、各事象の確率は、Ωの要素に割り振った「可能性の数値」の和で定義する。たとえば、仮に2, 4, 6に0.3, 0.2, 0.2を何らかの客観的または主観的な根拠から割り振っていれば事象Eの確率は0.3+0.2+0.2=0.7を割り振られることになる。(つまり、偶数という事象が起こりやすいサイコロ、ということになる)。そして、これを土台に、「可算加法性」などのいくつかの公理のもとに、確率が定義されるのである。(つまり、確率を公理論的に定義するわけだ)。
確かにここまでは、「不確実性」というものを一定以上の程度で表現できてるように思える。しかし、このあと、「大数の法則」(さきほどのサイコロを膨大な回数投げれば、「2」の目が出る相対頻度は0.3になる)や「中心極限定理」(標本平均の分布が、試行回数を無限に持っていくと、必ず正規分布に漸近する)などを証明するために導入される概念が、非常にとってつけたようなものとなってしまう。詳しくは述べないが、「試行の独立性」の定義は、ぼくには非常に人工的なものに感じられ、いじわるな言い方をすれば、これらの法則を導出させるために予定調和的に導入されているようにさえ思われてしまう。言い方を変えれば、「独立性」は「不確実性とは何か」という問いに答えるための概念装置ではなく、不確実性が確実性にすり変わる不可思議な「大数の法則」「中心極限定理」をひねりだすためのアドホックなトリックにすぎない感じがするのである。また、「条件付確率」についても、同じアドホックさ(予定調和の匂い)を感じてしまう。
 ところで、このような「不確実性とは何か、それをどう表現するか」というテーマは、数学者がずっと考え続けてきたもので、今は、コルモゴロフ流が主流になってしまったけれど、他にも有望なアプローチはいくつかあった。たとえば、フォン・ミーゼスの「コレクティフ」は、その際たるものだろう。コレクティフは、不確実性を「ある特定の性質を備えた数列の集合」ととらえる流儀だ。たとえば、正しいコインとは、1と0からなる数列で、(1)n番目までの数列の和をnで割ったものの極限が0.5となる。(2)ある性質を持つ部分列をどう取り出しても、そのn番目までの数列の和をnで割ったものの極限が0.5となる。を満たすものと捉える。つまり、「大数の法則」をそのまま「確率」と捉えるのである。「大数の法則」を「不確実性」の最も重要な現象とみなすなら、むしろ、この態度のほうが健やかな気がする。
 このコレクティフの理論は、非常に面白いものであるが、その操作性の低さと数学的な困難から、結局は長い間放置されてしまったのである。
 しかし、コレクティフの考え方の先に、新しい方向性を見出した数学者が遂に現れた。それが、シェーファーとウォフクなのであった。彼らは、コレクティフという装置を土台にして、ゲーム理論を援用して、不確実性を表現する方法を与えた。それは、不確実性を「人間と自然とのゲームである」という方向から捉えることである。シェーファー・ウォフクによる確率の定義は説明が難しいので、「大数の法則」へのアプローチのほうを説明しよう。こういうゲームを考える。1と0からなる無限数列の集合をSとしよう。自然は、このSから1つの数列を選んで人間に与えるわけだ。人間がコインを投げると、その数列通りの面が現出する。(つまり、数列のn項目が1ならn回目に表が、0なら裏が出る)。さて、Sの中で「n項目までの数の和をnで割ったものの極限が0.5に収束しない」ような数列の集合をS'と定義しよう(S'はSの部分集合)。このとき、出る面を当てると賭け金が2倍になり、はずれると賭け金が没収される賭けを考える。この賭けは、五分五分で表裏の出るコインに対しては古典的な確率論の意味で公平な賭けである。ここでシェーファー・ウォフクが証明したのは、「自然が戦略の集合S'からどんな数列を選んでいようと、それが何であるかを知ることなく、資金を一度もマイナスにせず、無限大に増やす賭けの戦略が存在する」ということなのである。ぶっちゃけていえば、確率が0.5なら公平であるような賭けに対して、もしも確率0.5のコインに対する大数の法則が成り立たないような流列に直面していたら、うまい戦略によって破産することなしに資金を無限に増やせる、ということなのだ。(ただし、確率という概念はいっさい明示的に出さないで済まされる)。そして、シェーファー・ウォフクがいいたいのは、「破産の可能性がなく資金を無限に増やせる戦略がみつからないなら、それは自然が大数の法則が成り立つ流列を常に選ぶことによって、それを妨害しているから。つまり、大数の法則は自然がどういう理由かで、自分の戦略として常に選んでいるもの」ということなのだ。これは、シェーファー・ウォフクの不確実性認識に対する哲学だといっていい。彼らは、パスカルフェルマーが確率論を創始したときの当初の問題意識「ギャンブルでの戦略」に回帰したのである。
 この定理における「必勝戦略」は、決して難しいものでない。単にあるシンプルな規則に則って、表と裏に両賭けするだけである。(ただし、資金を無限に細かく分割できなくてはならない。だから、現実に実行するのには無理がある)。また、証明もとても初等的である。簡易版なら高校3年程度、完全版でも大学1年程度だ。(limだけで済むのが簡易版、limsupを使うが完全版)。詳しくは、小島・松原『戦略とゲームの理論』第6章を参照のこと。
 実は、ぼくが塾で働いていたとき、確率の斬新な教材を創ることが、ぼくの中学部主任としての最後の仕事となった。中学生に数学を教えてきて、最も難しかったのが、「確率とは何か」を教えることだった。高校の教科書では、確率は「場合の数の比」として定義される。だから、標本空間Ωさえ出てこない。しかし、これははっきりいって、不確実性のなんたるかを全く捉えていない。これなら、場合の数だけを教えればいい。確率を付け加えるのは、二度手間でしかない。そこでぼくは、数学系の院生や物理系の院生を組織して、なんとか「不確実性の表現としての確率」を子供たちに示せるような、そんな教材の開発を目指したのだった。途中でぼくが提案した方法論は、結局は他の講師から疑問が多発して猛反対にあい、お蔵入りになったが、今思えばコレクティフに非常に近い考えだった。だから、シェーファー・ウォフクの本でコレクティフを知ったときは心底驚いた。その後、いくつかの試行錯誤と迷走を繰り返しながら、最終的にコルモゴロフ流の確率論の変型版に落ち着くこととなった。この方法の利点は、確率を幾何学と同じように「公理的に定義できる」ことだから、ユークリッド公理系を習った中高生にはそれなりわかりやすい。ただし、「独立性」や「条件付確率」については、マルコフ過程のような形式に制限することによって、コルモゴロフ流よりももっと直感的な方法で定義したのである。
 議論は白熱し、教員たちはそれなりに興奮しながら作った教材だったが、今思えば、成功したとは言い難いしろものかもしれない。生徒たちは、ぼくの「不確実性認識の追求」の実験台とされてしまった感もあり、振り返ると申し訳なくもなる。しかし、きっと講義は良いものだったと思う。なぜなら、多くの講師がすごい熱意をもって講義したからだ。講師たちはみんな、教材作りに参加し、叩き合いの議論を積み上げた。だから、その教材の長所も弱点も熟知している。その題材がなぜそこに置かれ、何の伏線になってるかも完全に理解している。その上で、講師たちは、自分の見解も交えつつ、すごいオーラを発しながら、講義をしたと思う。そういう講義は、みごとに構築されていても冷たく死んでいる講義より、ずっと子供たちにはためになり、記憶に残こるものなのだ(と、ぼくは信じている)。
 そのころは、まさかぼくが、近い将来、経済学者となって、確率的意思決定理論を専門にすることになるなどとは、まったく頭の片隅にもなかった。そう思うと本当に人生というのは不思議なものである。経済学の大学院に入学して、塾時代の経験に依拠する問題意識から、松原先生の「ベイズ推定」の講義を1年間受講した。それが縁で、今回の小島・松原『戦略とゲームの理論』での共著につながった。また、シェーファー・ウォフクの理論をぼくに教示してくださったのは、(ぼくの博士論文の原資となった)論文の共著者である横浜国立大学の宇井貴志さんである。(というか、今回の本でぼくが担当したところのほとんどは宇井さんに教示いただいたものだ。宇井さん、本当にありがとう)。これも、本当に奇跡のような縁だったとしかいえない。人生って、将棋のように、全く読めない展開の連続だけど、あとで振り返ると、すべての手順に重要な意味があったのだと、不要なものは何もなかったのだと、そうと思われて仕方ない。
 今回は軽く書くつもりだったのに、終わってみると、またまた長くなってたっす。笑い。