世田谷市民大学でゼミをやりますの告知

昨夜は、埼玉スーパーアリーナで、アヴリル・ラビーンたんのライブを観てきた。
遂に!初めて、アヴリルを肉眼で見ることができた。昨年のライブは、アーティスト側の都合で中止となってしまい、その代替ライブが昨日のものだった。待ちに待ったライブであった。チケットは、中止になったライブの席のものがそのまま有効だったのだが、ミスで2重発券が生じたとかで、ぼくら家族の席にはすでに誰かが腰かけており、我々は係員に連行されて、説明と謝罪を受け、もうちょっと前のとても見やすい席を用意してもらった。その席はステージにかなり近くて、しかも前は通路なので人が立っておらず、とてもラッキーだった。ある意味で、ツイてた。
選曲は、ぼくの願いが神様に(アヴリルさまに)通じたとしか思えないほど、好きな曲が全曲演奏された。(てか、みんなが好きな曲ということに過ぎないが。笑い)。客には若い女の子が多く、みんなが要所要所で、ちゃんとアヴリルの要求にこたえて、熱唱を繰り広げたのはすばらしかった。本当に、若い娘たちのカリスマなんだな、と実感した。(中年のぼくにもカリスマであるぞよ)。「complicated」が演奏されたときは、胸が熱くなって涙が出てきてしまった。この曲で、ぼくはガールズ・ポップに目覚めたといっても過言ではない。おおげさにいうと、この曲が、世界のガールズ・ポップシーンに、新時代を切り開いたものなのだ。アヴリルというと、ノリノリの跳ねる曲、というイメージがあるかもしれないが、彼女の本領は、バラードとカントリーテイストの曲にあると思っている。その本領を完全に発揮したライブだった。
考えてみると、ぼくは、ここ2年ほど、女性アーティストのライブしか観ていない気がする。覚えている範囲でいうと、「パラモア」→「YUI」→「テイラー・スィフト」→「相対性理論(薬師丸えつこ)」→「上原ひろみ」→「YUI」→「アヴリル・ラビーン」という具合。う〜ん、若いときから患っていたある種の「病」が五十を過ぎて重症化した気配が。。。
 さて、今日の本題はアヴリルではない。「市民講座の講師をやりますよ」という告知である。
場所は、世田谷市民大学(http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00030346.html参照)というところ。4月から2年間にわたって、経済学のゼミの講師をすることとなった。以下のような内容だ。

「国際経済の行方」
講師:小島 寛之(帝京大学教授)

 今、世界経済は、国際的な問題をさまざま抱えています。EU諸国はギリシャ国債債務不履行の可能性に揺れ、金融が不安定化しています。中国では不動産バブルがいつ破裂してもおかしくないといわれています。また、我が国も現在、止まらない円高に苦しみ、TPP参加に関して利害の対立が激化してきています。このような状況を踏まえ、経済ゼミでは、国家間の貿易や為替の問題に関して、経済学を道具に議論していきたいと思います。(http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00021523.html

ちなみに世田谷市民大学のゼミというのは、毎週2時間ずつ行われ、書籍を輪読しながら議論を重ねる、というもの。大学のゼミとほぼ同じ感じとイメージしてもらっていいが、もちちん、一般市民向けであるから、大学のような「教育」というスタンスは薄く、むしろ、「講師と学生とが対等な立場で自由に議論をする」という色彩が強い。2年目には、全員強制というわけではないが、何かレポートを書いていただくことを目標とする。(ちなみに、対象者は、原則として18歳以上の世田谷区内在住・在勤・在学の方)。
まあ、平日、金曜の1時半から3時半ということがあって、職業を持っているかたや学生さんが受講することは不可能に思う。実際、世田谷市民大学のほとんどの学生はすでにリタイアされているシニア世代のかたである。それでも、金曜の午後なら2年間通えるかも、という方はふるってご参加ください。
 実は、ぼくは、大学では「国際経済学」を講義したことはなく、この題材を扱うのは初めてのことである。もちろん、昔から興味はあった。だから、大学院のときは、伊藤元重先生の国際経済学の講義に参加し、植田和男先生の国際金融の講義にも出席した。ぼくは、経済学の道に入ったときの二大興味は、「景気変動」と「国際問題」であった。「どうして景気がよくなったり悪くなったりするのか」と並んで、「なんで、世界では、いろんな国が経済的な衝突を起こすのか」ということを知りたかった。結局、経済学での専門は、ミクロ理論となってしまったが、当初の問題意識はいまだに持ち続けているし、自分の研究している理論を国際経済に応用したい、という意気も強い。なので、この市民大学でのゼミは、その発端と自分の中に位置づけているのである。
そんなわけで、年末から今まで、国際経済学の教科書・専門書で、市民が読むにふさわしいものはどれか、といろいろ探してみた。(それこそ、アダム・スミス国富論』やリカード『経済学および課税の原理』まで。笑い)
最初に使おうと思ったのは、もちろん、クルーグマン・オブズフェルド『国際経済学』ピアソンである。

クルーグマンの国際経済学 上 貿易編

クルーグマンの国際経済学 上 貿易編

クルーグマンの書く本は、「面白い」「わかりやすい」の両面を持っており、本当にすばらしい本書きだと思う。ぼくは、経済学の啓蒙書を書くときの目標は、クルーグマンのような書き方をすること。今の段階では、まだほど遠いけど、いつかこういう本が書けたら、と思う。このクルーグマン・オブズフェルド『国際経済学』も、本当にすばらしい本だ。なんといっても、導入からもう、心をわし掴みにされてしまう。とりわけ、冒頭に登場する「貿易における重力モデル」には、わくわくさせられてしまった。それは、次のような法則。
(A国とB国の貿易額)=(定数)×(A国のGDP)×(B国のGDP)÷(A国とB国の距離)
これは、ある程度、データから裏付けられており、理論的にも説明できる、とのこと。確かに、ニュートン万有引力の法則の式に似ている。この興味深い法則でのツカミのあと、有名なリカード・モデルとヘクシャー=オリーン・モデルに進む。これら国際経済学の2大基本モデルの説明も、あまりに直感的に理解させてもらえるようになっており、しかも、わくわくどきどきで読めるようになっていてすばらしい。そればかりでなく、例示やコラムに導入される実証データも「ほおぉぉ〜」とうならされるものが多い。
でも、市民大学では、クルーグマンの教科書を最初に使うのは断念した。やはり、初学者が読むには少し敷居が高いと思う。また、アメリカ人の視点で書かれているので、日本人の市民が読むと、ちょっとズレた感覚を持つように思う。そこで、次に手にしたのは、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済』有斐閣アルマだ。
はじめて学ぶ国際経済 (有斐閣アルマ)

はじめて学ぶ国際経済 (有斐閣アルマ)

これも、実にすばらしい書きっぷりの本だった。リカード・モデルも、ヘクシャー=オリーン・モデルも、説明がぎりぎり平易におさめられており、「一般性を感じさせようとするがための深追い」がないのが良い。(クルーグマンにはそれが見られる。もちろん、ある意味では、それが優れた点だといえるのだが)。それよりなにより、この本がありがたいのは、国際金融の考え方(要するに、為替レートの決まり方)のことが収められていることだ。クルーグマンでは、国際金融のことは下巻1冊になっているので、たどりつくまでが大変である。多くの市民は、(円高を中心とした)為替のことに興味を持っているだろうから、なるべく早い段階で金融の話題にも触れたい。そういう目的にぴったりの教科書だといっていい。だから、たぶん、市民大学のゼミの最初の本は、この、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済』有斐閣アルマになると思う。
この本がよかったので、その勢いに任せて読んだのが、同じ著者の浦田秀次郎『国際経済学入門』日経文庫である。
国際経済学入門―経済学入門シリーズ (日経文庫)

国際経済学入門―経済学入門シリーズ (日経文庫)

これは、前述の本をちょっと詳しくしたような内容であり、意欲がある人ならこっちのほうがよいと思う。リカード・モデルとヘクシャー=オリーン・モデルをかなりきちんと解説した上で、もっと現代的な理論としてプロダクト・サイクル・モデルやリンダー・モデルなどを解説している。かといって、数式は出てこないし、直感的に説明できるぎりぎりのところを狙っていてすばらしい。ただし、為替の話が入ってないので、それは別口で勉強しなければならないだろう。
そんなわけで、ゼミでは、、浦田・小川・澤田『はじめて学ぶ国際経済』有斐閣アルマで基礎的知識をつけたあとに、時事ネタ(通貨に関する問題)的な本に進む予定だ。思案しているのは、国際経済学の教科書を読むと、どうやったって、「自由貿易がよい」という結論になりがちなこと。そうなると、今問題になっている「TPPへの参加の是非」が、なぜこんなに議論沸騰になっているのかがわからなくなる。実際、TPPに関しては、否定的な意見の本がベストセラーになっていて、「推進派」の本は皆無に近い。どうして、理論と現実の議論がこうねじれているのか。このことに接近するうまい方法を模索するのが今後のぼくの課題である。
 世田谷市民大学のゼミ講師を務めるのは、今回で二度目。一度目は、2009年2010年に「不況の経済学」というお題で担当した。世田谷市民大学のゼミ講師を務めるのは、ぼくにはこの上ない喜びである。なぜなら、こここそが、ぼくの人生を変えた、ある意味でぼくの「最終学歴」だからだ。
ぼくは、数学者の道を閉ざされたあと、塾の先生をしながら絶望的な暗闇の中にいた。そんな30歳の頃、ふとしたきっかけで、世田谷市民大学の経済ゼミに参加したのである。塾の先生は、昼間は講義がないので、比較的時間に融通がきいたから参加できた。そこで、宇沢弘文先生と間宮陽介先生の教えを受け、人生観が覆った。経済学に興味を持ち、もっと深く知りたいと思った。それがぼくの経済学との出会いだったのだ。だから、世田谷市民大学の講師をする、というのは、ぼくにとって、「故郷に錦を飾る」ことに近い。そういう意味で、このゼミは、ぼくの人生にとってかけがいのない大切なものなのである。