物語を書くのは難しい

 少し前のことになるが、夜中に地震があって、布団の中で目覚めた。すると、真っ暗な寝室の中、天井が青く光っていた。青い光が窓から差し込んでいるようだった。しばらく観ていると青い光は消えた。ぼくは、寝ぼけた頭の中で、「ああ、これが、地震のときに現れるという閃光、地震光ってやつなのか−」とぼーと考えていた。
そーしたら、また、青い光が窓から差し込んだ。それで、ぼくは完全に焦った。とすると、さっきのは地震ではないんだ、という戦慄が全身を貫いた。もしかしたら、これがUFOによる拉致というやつではないのか。映画「未知との遭遇」だったか、「Xファイル」だったかで、人が吸い込まれて、窓から消えていくあれではないのか。とすれば、さっきのは地震ではなく、家の真上にUFOがいるんじゃないのか。
そーして、パニックったぼくは、慌てて何かにつかまろうとして、寝返りを打った。そのとき、やっと真相に気づいた。青い光は、窓から差し込んでいるわけではなく、枕元に置いた携帯の着信を知らせる発光が天井を照らしているに過ぎなかったのだ・・・。そういえば、待っている返信メールが気になるため、初めて携帯を枕元に置いて寝たのであった。寝ぼけすぎだった。
 なんて、くだらないことを書きたいわけじゃないのだ。実は、今、ある本を書いていて、それがあまりに苦しいので、このブログに逃避している次第である。
次に出る新書の原稿は、もう仕上げてあって、編集者に渡っている。この新書はたぶん、何かトラブルが起きなければ、数ヶ月のうちに書店に並ぶだろう。(数学の解説書。乞うご期待)。今、書いているのは、その本の次に出ることになるだろうもので、数学を盛り込んだ「物語」である。まあ、前に出した本の再発なんだけど、抜本的に書き換えることになっていて、たぶん、まるで見違えるほど雰囲気の異なる本になるだろう。それに取り組んでいるのである。
物語を書く、というのは、とても難しい。昔はそう感じたことはなかったんだけど、デビュー作『数学迷宮』を『無限を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫として復刊するときに、『数学迷宮』の中の小説を書き換える作業をしたあたりからそう感じるようになった。
ぼくは、東京出版というところの受験雑誌『大学への数学』『高校への数学』『中学への算数』にずっと執筆者として関わってきていて、どの雑誌にも何度か単発で数学物語を寄稿した。そのときは、物語を書くというストレスはほとんど感じなかった。どちらかというと、ウハウハで、ドーパミンどばどばで書いていた。ところが、最近になって、いろいろな作家が書いた「小説作法」の本を読んだり、『数学的思考の技術』ベスト新書村上春樹論を書くために、氏の小説をかなり緻密に(それこそノートを作りながら)読んだりしたことで、物語を書くことの難しさを実感するようになった。また、同僚の文学研究者に、自分の作品を批評してもらったことも、自分の作風を厳しく見直すきっかけとなった。キャラの設定とその書き分け、物語の進行の設計、伏線、文体と会話、直喩や暗喩、描かれない部分の奥行き等、本当に細かい作業が必要である。そこには、想像力と構想力と緻密さと忍耐力と執念とが不可欠だ。とても片手間でやれることではない。
そんなわけで、知らなくていいことを知ってしまったぼくは、前とは一転して、ストレス一杯、苦心惨憺、物語の改訂をしてるってわけ。でも、まあ、せっかくのチャンスだし、物語を書くことは、ぼくの中学のときからの夢だから、がんばらないわけにはいかないのだ。
 今書いている物語の主人公が小学生なので、参考のために、小学生が主人公の映画で昔良いと思ったものをもう一度観てみることにした。最初に観たのは、岩井俊二『打ち上げ花火〜下から見るか?横から見るか?』打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? - Wikipedia参照) 。これは、テレビシリーズ「もしも」で放映されたもので、その後に映画化された。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

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「花火は横から見ると平べったいのか」という疑問を解くために実際に遠くまで行って横から見ようとする冒険と、一人の少女(なずな)をめぐる二人の男子の恋敵の物語が軸になっている。この作品は、本当にすばらしいと思う。岩井監督には、「ラブレター」や「スワローテイル」などの傑作もあるが、やはり、この作品が最高傑作なのではないかと思える。なんといっても、奥菜恵の演じる「なずな」のかわいさが一番だろう。実際は、小学生ではなく中2だったとのことで、どうりでほかの子たちより大人っぽく見えたが、美少女の適齢期は中2ぐらいだとぼくは常々思っているので、このときの奥菜はあまりに旬であった。特に浴衣姿とタンクトップ姿はも・・・というのは、冗談で、(こういう話は、同じ病の人にしか通じないだろう)、やはり、この物語の持っている「子供たちのいたいけさ、純粋さ、そして切なさ」がポイントだと思う。会話や、暮らしぶりに、友情と喧嘩に、本当によく等身大の小学生が描かれていて、小学生が主役の物語を書く上でとても参考になりそうだ。そして、途中で物語がもう一つの時空に分岐する、その二つの時空のあまりの違いに、人生の不可思議さを思い知らされる。(ちなみに、これはネタバレではない。「もしも」は、分岐する二つの時空を描くシリーズなのである)。未見の人は、是非観るべきだと思う。これを観ないで死んでいくなんて、生まれてきたことがあまりにもったいない・・・って、言い過ぎか。
 次に観たのは、ロブ・ライナー監督「スタンド・バイ・ミー」(スタンド・バイ・ミー - Wikipedia参照)。これはスティーヴン・キングの原作を映画化したもの。これは、前に観たときは、映画館ではなくビデオで借りて、しかも酔っ払ってうつらうつらしながら観たので、あまり細かいところを捉えていなかった。だから、今回、かなり集中して観たので、とても感動してしまった。ストーリーは単純で、30キロ先の線路脇に行方不明の少年の死体があると耳にした4人の少年が、その死体を捜しに行く、という冒険もの。話は単純なんだけど、それだけに、4人の少年のキャラクターがめちゃくちゃよく描き込まれている。両親に期待されていた兄が死んだことから、親からの疎外感と孤独感を感じている少年。ひどい父親と兄を持っていて、町の人々から疎まれており、将来が暗い少年。心を病んだ父親に、虐待されながらも、その父親を尊敬している、若干障害があるんじゃないかな、と思わせる少年。太っちょで、鈍くて、不良の兄を持つ少年。みんな、それぞれに個性的で、それぞれに傷を抱えていて、将来が案じられる。これは本当に12歳の等身大を描いてるよなー、と思わされ、非常に参考になった。今回観て、はっきりと自覚させられたテーマは、「本当の友情とは何か」と「本当の勇気とは何か」ということであった。いい映画だった。これも未見の人は観たほうがいいと思う。とりわけ、クリスを演じたリバー・フェニックスの演技は秀逸で、23歳でのドラックでの死はあまりに残念だった。合掌。
 うなわけで、うまく行けば、数ヶ月以内に、ぼくの「物語」を皆さんにお届けできるだろう。(UFOに連れ去られなければ)。というか、こうやって宣言して、自分を追い詰めてるってわけなんだね。乞うご期待。
数学的思考の技術 (ベスト新書)

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