TPPと社会的共通資本の理論

 拙著『数学的思考の技術』ベスト新書は、発売3週間ですでに4刷になった。竹内薫さんの日経夕刊のすばらしい書評が大きな力添えとなったこともあると思う。出版社が新聞で大きな広告を打ってくれているのもあるだろう。(曽野綾子さんの超ベストセラーの広告のおこぼれにあずかっている、といえなくもないが。笑い)。とにかく、ぼくが今まで出した新書の中では、異例な軌道を描いているように思う。読んでくださった人、twitter等で評判を形成した下さった方々にはお礼の申しようもない。
 おっと、最も大事な人を忘れてたので、加筆。もちろん、この人の貢献があまりにスゴイ。

まずなんといっても「数学的思考の技術」。一昔前と違って今では「数学」も「ハッカー」と同じく「いいね!」に分類されるようになったのはいいのですが、その分埋もれやすくなったとも言えます。にも関わらずぶっちぎりの一位。
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そんなことになってたのか。どうりで増刷になるわけだ。ありがとう、小飼さん。ぼくのほうも貢献できてるとは思うけど。笑い。

数学的思考の技術 (ベスト新書)

数学的思考の技術 (ベスト新書)

それはともかく、ぼくにとってタイムリーだと思えるのは、今、宇沢先生がTPPに反旗を翻しておられ、(例えば、【特別寄稿(上)】菅政権のめざすことと、その背景 宇沢弘文・東京大学名誉教授、日本学士院会員 | 提言 | JAcom 農業協同組合新聞参照)、そこでは農本主義を声高に述べておられることだ。実は、宇沢先生が、ロジックの根幹に据えている「社会的共通資本の理論」を今回の拙著『数学的思考の技術』ベスト新書にて、正面から解説している。このTPP問題を宇沢先生の主張の中で考察する人には、きっと参考になるだろうと思う。
もちろん、拙著ではTPP参加の是非に関しては、全く議論していない。実は、ぼくはこの問題に関して、まだ考えがはっきりとまとまっていない。一つには、貿易に関する経済学の勉強が不足していることがあり、もう一つには、「社会的共通資本の理論」がとても魅力的なものであることはわかっているが、自由自在に自信をもって使いこなせるほどに咀嚼できていないことにある。とりわけ、農業、のような問題に関しては。
ただ、拙著を読んでいただけば、「社会的共通資本の理論」がどんな問題意識から構築され、何を標榜しているかは少なくとも伝わることと思う。宇沢先生の発言は、いつもかなりエキセントリックなので、反感を感じる人もおられると思う。ぼくの解説のほうが無用に感情の嵐を煽られないで済むのではないか、と自負している。
 ぼくにとっての「社会的共通資本の理論」は、経済学における「数学適用の限界」を示してくれるベンチマークのような存在である。確かに、経済学は、数学をツールに使うことによって、単なる「水掛け論の温床」から「科学的な議論の場」へと飛翔できた。けれども、心ある人なら人ほどこの「数学の適用」に暴力性を感じることも否めないはずだ。理不尽や不公正の犠牲になって、人間的な尊厳を踏みにじられ、苦しんでいる人々が関わる問題に、安易に数学的な計算だけで結論を下していいのか、と悩むことになるだろう。そういう「数学と信義との境界線」にぽっかりと浮かんでいるものが「社会的共通資本の理論」だと思うのだ。拙著は、数学の、思考ツールとしての有効性ばかりではなく、その限界も示したところに特徴がある。
拙著にも書いたが、経済学において数学的アプローチが最もうまく行かないものが、「多機能性」の分析だ。「金融」とか、「都市」とか、「教育」とか、そういったものはまるで次元の異なる機能が一体となったものだ。そういうものには、現段階での経済数学はうまく力を発揮できない。それは、数学の発展が足りないのかもしれないし、ひょっとすると、数学的にアプローチすること自体が間違っているのかもしれない。「農業」もそういう意味で「多機能性」の最たるものといっていい。
 実は、拙著『数学的思考の技術』ベスト新書は、ぼくが目次建てをしたのではなく、編集者さんがぼくの原稿を集めてきて行った。ぼくは、自分では、「社会的共通資本の理論」を書こうなどとは思いもしなかっただろう。なぜなら、宇沢先生があちこちで論じていらっしゃって、既に有名な理論だし、ぼくには宇沢先生を超える論点がない(単なる部分集合にすぎない)からだ。でも、編集者さんの「小島さんのことばで、この考え方を読者に伝えたい」という熱意ある説得に負けて、これを書くことになった。でも、編集者さんのアイデアは、ある意味では正解だったと思う。「社会的共通資本の理論」は、ぼくにとってはアタリマエでも、まだまだ知らない人がたくさんおり、広める意義が残されているからだ。例えば、日経夕刊での竹内薫さんも、宇沢先生の主張に注目してくださった一人だった。(もちろん、知っていた上で、かもしれないけど)。今回の拙著が成功だったのだとすれば、(もっともっと成功して欲しいぞ、笑い)、それは編集者目線で目次建てを作り、そこにぼくが現在の問題意識から、新しいアレンジを加えたからなんじゃないかと思う。
 なんて、書いてきたけど、実は、この日記は逃避のために書いている。今月末に刊行予定の『景気を読みとく数学入門』角川ソフィア文庫は、責了したのだけど、次に出るであろうゲーム理論の共著の原稿の残りを書かなきゃならないし、その前に雑誌『現代思想』の数学特集の原稿も書かなきゃならない。書き物への逃避行動としてブログを書く、っちゅうのもしょうもないビョーキだとは思うけど。
 ま、とにかく、アヴリルちゃんの新譜「Goodbye Lullaby」をヘビロテしながら、原稿を書いている。アヴリルちゃんの今回のアルバムもすばらしい。とりわけ、最初の3曲は秀逸。5月の埼玉アリーナのチケットも手に入れたので、ものすごくわくわくしている。思えば、アヴリルの最初のアルバムを買ったときは、彼女が全く無名のときだった。CD店で、なんとなく1曲だけ試聴をして、通り過ぎた。でも、これはただならぬものかもしれない、と思って、戻って2曲目を聞いた。そんなことを繰り返し、結局、行きつ戻りつしながら、全曲聴いてしまい。これを買わなかったから、将来、きっと自分を責めることになるだろう、と思って、レジに持っていった。正解だった。彼女はあっという間に、世界最高の歌姫となった。音楽を切り開くだけではなく、ファッションリーダー、カルチャーリーダーとしての存在としては、マドンナ以来、いやそれ以上なんじゃないかと思う。そんなアヴリルをやっと、生で見るチャンスが来た。そのためにも、原稿、がんばって書かなきゃね。
景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)