ガロアの定理の短めの証明が読める本

 今回は、黒川信重ガロア理論と表現論〜ゼータ関数への出発』日本評論社を紹介しようと思う。この本は、昨年の11月の終わり頃に出た本で、すぐに入手したのだけれど、読んだ(全部ではない)のが今頃になってしまった。それにしても、このところの黒川先生の本を刊行するスピードはすごすぎる。どうやったら、こんなスピードで書けるのか、コツがあったら伝授してほしいものである。とにかく、「光速」で執筆されているため、ファンは、物理学的に、決して追いつくことができない(笑い)。

この本は、群と体とを結びつける「ガロア理論」と、群を行列で表現する「表現論」とを、ゼータ関数との関わりの中で包括的に解説したものである。たいていのアマチュア数学ファンは、ガロア理論と言えば、「5次以上の方程式には、べき根による解の公式は存在しない」という定理を証明するものだと思っている。でも、本書を読むと、ガロアのこの定理の発見をきっかけに、数学は、もっと現代的で抽象的な素材に対しても、ガロアの方法論をどんどん拡張して行っていることがわかる。とりわけ、リーマン予想で有名なゼータ関数にも、ガロア理論が深く関与することは驚きである。 
 ただし、この本は、相当に高度であり、プロの数学者か、抽象数学になじみのある他の理系分野の専門家でないと、すべての章を読みこなすことは不可能だと思う。ぼくも、第1章と第2章のはじめのほうの節しか、きちんとは理解できなかった。とは言っても、(数式なしで)文章だけで書かれている部分については、いつもの黒川節炸裂で、ものすごくわくわくするから、アマチュア数学ファンは、そこだけを読んで楽しめばいいと思う。例えば、冒頭の次の言葉などには、「数学者って、こういうふうに数学を感じてるのか」と感心させられる。

数学的なものXの研究法には大きく分けて、3つある:
(A) X→X(XからXへの写像)を考える。
(B) Y→X(他のものYからXへの写像)を考える。
(C) X→Y(Xから他のものYへの写像)を考える。
(A)が代数、(B)が幾何、(C)が解析と呼ばれる。写像を「思(おもい)」あるいは「心(こころ)」と理解すると、(A)は自分自身のおもい、(B)は他者からのおもい、(C)は他者へのおもい、をそれぞれ見つめていることになる。
 ガロア理論は(A)の研究法の典型的な例である。代数的な考察とはXの感動に触れることである。感動全体は「対称群」や「ガロア群」などと呼ばれるものになっている。

 さて、ぼくがこの本を紹介したいと思ったのは、その第1章と第2章の最初の部分だけで、十分に元が取れると確信したからだ。
第1章は「ガロアの基本定理」と呼ばれる有名な定理の証明であり、第2章のはじめには、表現論の入り口である「ディリクレ指標」の証明が書かれている。ポイントは、それらの証明が、非常に短くとてもクリアカットに書かれている、ということである。
 数学の証明の「わかりやすさ」については、一長一短の二つの側面があると思う。一歩ずつステップ・バイ・ステップで定義と補題を積み上げながら、例もきちんと導入して進んでいくような丁寧な証明は、えてして「わかりやすい」とされる。どんな細かい論理も、読者に委ねないで懇切丁寧に解説してくれるから、読者は脳に負担をかけなくてすむ。でも、このような証明の難点は、「長すぎるせいで、途中で前のことを忘れてしまい、何をやってるのか迷子になる」ということである。おうおうにして、読者は、途中で疲れ切って、読み続けるのを断念してしまう。他方、短くてクリアカットな証明というのには、積み上げの労力と時間が節約される御利益がある。しかし、このような簡潔さを実現するためには、抽象的な方法を使わなくてはならず、その場合、読者は「やっていることのイメージ化」が困難になり、たとえ証明を読み終わっても、「わかった!」という確かな感触を持てなくなる恨みがある。もちろん、「長いけど迷子にならず完走できる証明」や「短くてもイメージのわく証明」というのが理想だけど、そういう証明を発見するのは非常に困難である。
 「ガロアの基本定理」については、ぼくは、拙著『天才ガロアの発想力』技術評論社で紹介をした。このときは、前者の「具体例を積むステップ・バイ・ステップ方式」を選んだ。しかも、完全な証明を与えること自体は諦めた。なぜなら、完全な証明を与えるにはベクトル空間の理論を導入しなくてはならず、そうすると、とても通常の選書のページ数では収まらないし、何より読者が途中でリタイアしてしまうに違いないと思えたからだ。
 それに対して、本書ガロア理論と表現論〜ゼータ関数への出発』では、黒川先生は、後者の「短くてクリアカットな証明」を解説している。これは、アルティンの本に書かれている証明をベースにしたものだ。実は、ぼくは、前掲の本を書いたとき、アルティンの本も参考にした。でも、記述が恐ろしく抽象的なので、この方法で自著の解説を書くことは考えなかった。ところが今回、黒川先生の証明を読んでみると、非常にわかりやすく、アルティンの抽象的な方法も黒川先生の手にかかれば、みごとに「短くてもイメージのわく証明」になるのだな、と感心した次第である(たったの14ページで証明完了!)。
 「ガロアの基本定理」というのは、体F上のガロア拡大体Kについての定理だ。体F上のガロア拡大体Kとは、おおざっぱにいうと、「Fの数を係数とする1つのn次方程式の解全部」と「体Fの要素」とで、四則計算を使ってつくられる数の全体のことだと思えばいい。このとき、「Kの数をKの数に対応させ、四則計算を保存し、Fの数を変化させない」ような写像fを考える(自己同型写像という)。このような自己同型写像fをすべて集めた集合Gは、合成演算(f○g=f(g(x)))によって群を作る。Kの部分集合で体であるもの(すなわち、四則計算で閉じている集合)を「部分体」と呼ぶ。また、群Gの部分集合で群であるものを「部分群」と呼ぶ。「ガロアの基本定理」とは、体Kの部分体Eと、群Gの部分群Hとの間に、一対一対応が生じる、というものである。その対応は、部分体E→(Eのどの要素も変えないGの写像の集合H)と、H→(Hのどの写像fでも不変となるKの要素の集合E)という、とてもシンプルなものである。ガロアは、このような体と群のみごとな一対一対応を利用することによって、「5次以上の方程式には、べき根による解の公式は存在しない」ことを証明したのである。もうちょっとだけ詳しくいうと、「方程式がべき根で解ける」ということを体の言葉を使って表現し、それを基本定理によって群の言葉に翻訳して、群の世界で不可能性を証明したのだ。
 「ガロアの基本定理」を紹介した本は、厚いものが多い。ぼくの本も例外ではない。ぼくの本は、草場公邦『ガロワと方程式』朝倉書店を大きく参照している(以前に、ガロアの定理をわかりたいならば - hiroyukikojimaの日記で紹介した)。この本での証明は、「単拡大」という性質を使うものだ。単拡大というのは、F上のガロア拡大体Kがあるとき、Fに方程式の解全部を添加してKを作る代わりに、実はFに1個の数θを付け加えて四則計算で膨らませてもいい、というものである。これだと、1個の数θにしか注目しなくて済むので、多くの証明が把握しやすくなる。最近まで、この道筋が最もわかりやすい、と思っていた。でも、黒川先生の証明を読んで、そっちの方針も相当にわかりやすいのかもな、とこのたび思った次第なのである。
 黒川・アルティンの証明で使われるのは、おおまかに言えば、「未知数の個数のほうが方程式の本数より多い連立方程式(線形方程式)には、全部が0という解以外の解が存在する」ということと、「群G={f_1, f_2, ・・・,f_n}であるとき、これらの要素それぞれに同じ1個の要素f_kを掛けて作った{f_1f_k, f_2f_k, ・・・,f_nf_k}はGそのものになる(つまり、並べ替えた順列になる)」というたった二つの事実である。ただし、体KがF上のベクトル空間になることとか、Gを部分群Hで剰余類に分解できること、などは断りなく使われているので、そういう意味ではself-containedではないので要注意。あとは、自己同型写像の個数の評価を巧みに使うだけである。
 この黒川・アルティンの証明を理解して、ぼくは、この道筋を自著にも導入したらよかったかな、と少し後悔している。もちろん、ベクトル空間の理論を使う部分を「成り立つこととして認めてほしい」とスキップした方針は間違ってなかったことは確信しているが、2次方程式か3次方程式ぐらいの具体例で、黒川・アルティンのアイデアを見せるのもありだったよな、と思えてきた。まあ、後の祭りというものだ。いつか、文庫版になる日が来るのならば、そのときにはこの方針で加筆しようと思う。
 繰り返しになるが、本書ガロア理論と表現論〜ゼータ関数への出発』は、この第1章だけでも十分に読む価値はあるので、手元に置いておいて損はないと思う。もちろん、大学数学のある程度の素養があるにこしたことはないが、それがなくとも、最初のほうで紹介したような黒川先生独自の文章を読むだけでも、数学についての「わくわく感」を得られると思う。
 ぼく自身は、『天才ガロアの発想力』を執筆したとき、ガロア理論が単なる方程式の解の理論だという誤解が伝わってしまうのが嫌だった。ガロアの発想が現代数学と脈動し、深化して行っていることを、なんとか伝えたかった。だから、「ガロアの基本定理」の紹介だけでなく、「被覆空間のガロア理論」まで足を伸ばしたのである(それがぼくの能力では精一杯だった。具体的には、2010-07-29 - hiroyukikojimaの日記を参照のこと)。黒川先生のこの本は、さらにそのずっと先までを見せてくれるすばらしい本なのである。しかし、ここまででも十分に長くなってしまったので、ディリクレ指標とその他の内容の紹介については、次回以降にまわすことにしよう。

天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)

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ガロワと方程式 (すうがくぶっくす)

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