堀川先生三部作とキング・クリムゾンの頃

 ぼくが数学科のときに教えを受けた堀川穎二先生の著作三冊が、相次いで復刊された。
一つは、『新しい解析入門コース日本評論社、一つは『複素関数論の要諦日本評論社、そして一つは『複素代数幾何学入門岩波書店だ。すべて、「新装版」と銘打たれている。どれもが名著なので、復刊されたのは、非常に嬉しいことである。せっかくだから、紹介文をエントリーしたい。ついでに、ぼくが堀川先生に教わっていた頃の思い出話も(興味ある人は希有だとは思うけど)添えようと思う。一回に一冊ずつ、三回に分ける予定だ。
 今回は、『新しい解析入門コース』。これは、初版が1992年の本である。

新しい解析入門コース[新装版]

新しい解析入門コース[新装版]

これは、大学レベルの微分積分の教科書なんだけど、ものすごく斬新な教科書。堀川先生の本の特徴は、とにかく、その斬新さにあるのだけど、この本にその特徴がわかりやすく現れている。本書の斬新さとは何か、それは序文の中の次の一連の文でわかる。

大学1年生用の解析の教科書が何種類あるのか分からないが、本書の特徴は論理的厳密さを放棄することに積極的意義を見いだそうということである。ある部分の証明をやめることで創出される空間を、あるときはいろいろな実験的計算で、あるいは歴史的な考察や考え方の背景で埋めることで成り立っている。書き始めてみるとこれは当初の予想以上におもしろい仕事で、新たに気づくことがいくつもあった。

これだけで雰囲気はつかめると思うけど、本質的なことが見えないと思うので、補足しよう。ぼくの記憶では、この教科書は、東大の1年生(駒場の学生)に向けた実験的な数学教育の一環として行われた講義を収録したものなのだ。「実験的」とはどういうことか。それは、大胆に言えば、「理系の大部分の学生には、高木『解析概論』のような解析学は不要であり、もっと実用的・具体的な微分積分を教えたほうが良いのではないか」という観点から考え出された、ということ。
今は知らないけど、当時の大学の(少なくとも、東大の)数学教育は、数学者が行っていたので、解析学では実数の公理から始まって、収束の厳密な定義とかロルの定理を経由する微分の構築とか、リーマン和の収束を基礎とした積分の定義とかが講義されていた。こういう講義は、数学科に進学希望の学生(測度0)には垂涎ものだけど、その他すべて(測度1)の学生には地獄の責め苦でしかない。そこで、とりわけ、数学科(+物理学科も?)以外の理学・工学などに進学する学生のために、もっと実践的な微分積分を教えたらどうか、という発想で実験的に実施された講義なのである。だから、二つのコース、抽象数学的と実践数学的、が選択可能となっていた。(今はどうなったのか知らない)。そして、後者のカリキュラムの構築について堀川先生に白羽の矢がたったというわけなのだ。
 そういう意図で行われた講義の教科書だけに、ものすごく斬新でものすごく破天荒な書き方がなされている。
例えば、最初のページで微分が定義された直後、2ページ目はもうテイラー展開になっている。しかも、テイラー展開の剰余項のことはずいぶん後回しにして、いきなり、無限級数和表現が出てくるのである。この方針は度肝を抜かれるが、読んでみると、これがすごく有益な書き方に思われる。なぜなら、「三角関数や対数関数などの複雑な関数を実用的に身につけるには、それが無限次の多項式だと理解するべきだ」という思想が打ち出されているからだ。実証科学をやっている人(いや、純粋数学をやっている人でさえも)このことには、強く同意してくれるに違いない。微分の極意とは、「関数を多項式近似すること」に他ならないからだ。
でも、こんなところでも、堀川先生の「数学者魂」は、適当にお茶を濁すことをよしとしない。関数f(x)とn次多項式の「近い」というのを、g(x)=f(x)−(n次多項式)とおいたとき「aにおいて、g(x)のk回微分のaを代入した値がkが0からnまで0」と定義している。これは厳密な話をしているわけではなく、一般関数と多項式をいきなり「同じ」とすることを潔しとせず、とりあえずのエクスキューズを与えているのである。(あるいは、専門家向けのディフェンスかもしれない)。
 このように、非常に明快にテイラー展開を解説したあと、歴史的な記述を行っている。それは、ニュートンの弟子であったテイラーがテイラー展開を発見したのは、「補間法」からであろう、という推測とその説明を書いている。
 それで、23ページになってようやく剰余項(関数をn次多項式で近似するときの「はずれている分」の表現)の解説が出てくるのだけど、そのついでに「ランダウ記号」の解説を添えている。ランダウ記号は、ある関数を別の関数で近似するときの剰余項をざっくりと評価するための記号だ(大文字のOとか、小文字のoを使う)。ランダウ記号表現は、たぶん、どんな理系分野を研究するにしても、非常に重要で非常に思考の助けになる概念だと思う。でも、ランダウ記号を解説している初等的な微積の教科書は知っている限りでは、この本しかない。これも堀川先生ならではの工夫だと思う。
 このあと、級数とか項別微分、項別積分などを非常に簡明に説明したあと、53ページで「偏微分」に到達する。このスピード感はとても貴重だと思う。大学の理系では、たぶん、どのジャンルでもこの偏微分が最も大事であるにもかかわらず、「実数論」からスタートする講義では、この最重要項目に到達する頃には、全員近くが脱落していると思う。こういうところが「数学者による数学教育」の弊害であろう。本書は、かなり早期に偏微分に到達することもメリットとしてあげることができる。そのうえ、「偏微分不可能」のような病的関数にはページを割かずに、あくまでテイラー展開の見方を通して、偏微分を理解させようとしている。かといって、ずぼらなはしょりかたをしているわけではなく、偏微分のデリケートな部分には、ちゃんと「警告をする」ことを忘れてはいないのだ。
 そして、このあと、積分の章、無限積分の章、と進んでいくことになる。これらも目から鱗の連続である。とりわけ、多変数の積分(重積分)における「フビニの定理」の解説は圧巻だ。この手の本では、この定理は、雑な議論でごまかしてしまいそうなものだが、堀川先生は、そうしなかった。フビニの定理とは、積分順序の交換に関するものだが、これを直観的にやることの論理的危うさを指摘した上で、標準的な証明を与えている。その際に「このように論理的に危ういところのあるときは、それを避けて安全な道を選ぶことが多い。そのために証明の直観的な意味がとらえにくくなることがある」という大事な観点を教えてくれている。
 前に何度も書いたが、ぼくが堀川先生にゼミナールで教わっていた頃は、本当に苦しかった。ぼくは、数論をやりたかったけど、そのときは数論の先生が一人しかおらず、応募したけど成績が悪くて落とされた。それで、同級生に相談したら、「数論をやりたいなら、代数幾何をやるべきじゃないか」とアドヴァイスを受けて、応募者の少なかった堀川先生に面談に行った。先生は、本当は成績不良の学生などとりたくはなかったろうけど、どうしたわけか(まだ空きがあったのか)ゼミに入れていただいた。
 しかし、それからのゼミの一年は、ぼくにとって地獄の一年となった。あまりに数学の前提知識がないため、とても代数幾何など勉強できる立場になかった。他のゼミ生も多かれ少なかれ、そんな状況だったので、ゼミは毎回、堀川先生の台風が吹き荒れた。ぼくは、情けなさと自己否定と焦燥感の中で、暗い気持ちで過ごした。
 さて、ここでいったん、(お待ちかねの、笑)キング・クリムゾンの話に移ろう。
ぼくは、中学2年の頃(1972年頃)にキング・クリムゾンのファンになった。最初はELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)のファンになったのだが、レイクが前に在籍したバンドとしてクリムゾンを知ったのだ。最初に聴いたのは、確か、日本では発売されていなかったライブ盤「アースバウンド」だったと思う。友達の兄貴が持っていて、録音させてもらって聴きまくった。その後、1stアルバム「クリムゾンキングの宮殿」をなけなしの小遣いをはたいて買ったのだと思う。
 そんな恋い焦がるバンド・クリムゾンは、好きになった頃は解散していた。その後、再結成して、「太陽と戦慄」他2枚のアルバムを出したけど、来日はしてくれなかった。その後、また、活動休止状態に陥り、再結成したのは1981年である。「ディシプリン」という画期的なアルバムを作った。「ディシプリン」は、ある種のミニマル・ミュージックであった。ミニマルというのは、同じ短いリフを繰り返しながら、次第にずらしていく、という手法で、たぶん発祥はクラッシック音楽のスティーヴ・ライヒだと思う。この「ディシプリン」には、心底驚き、当時の親友が耳コピしてくれたので、ぼくもギターで弾けるようになった。
 その新生クリムゾンが、遂に、初来日を迎えることになった。1981年のことである。当時、ぼくは堀川先生のゼミで毎週、「しごき」を受け、自信喪失と自己否定の中に沈んでいた。
そんな中、クリムゾンが初来日する、ということで、浅草の4公演のチケットを入手した。でも、その直前に、ゼミで発表する当番となっており、気分は重かった。正直、その発表の展開次第では、そんなにも愛するクリムゾンのライブに行けたかどうかわからなかった。
 でも、その発表の準備は、ある意味、人生を賭けるぐらいに行った。そのせいか、堀川先生には、「なんだ、やればできるじゃないか」という、先生にとっては最小限の、でもぼくにとっては最大限の評価をいただいた。それでぼくは、連続4日のクリムゾンのライブに行った。ライブはすばらしいものだった。アルバム「ディシプリン」と「ビート」の真ん中の期間で、名曲「ニール・アンド・ジャック・アンド・ミー」の初期バージョンの演奏がされ、もう涙がむせんだ。ぼくらは、ライブの前に浅草「藪そば」で酒を飲み、終わったあとは「神谷バー」で黒ビールと電気ブランを飲んだ4日間だった。
 そのクリムゾンが、今年の12月に来日し、堀川先生の本が復刊されているのは、何かの「暗示」なんじゃないか、とさえ思う。
 ちなみに、ぼくは、本書『新しい解析入門コース』にインスパイヤーされて、塾で、大学レベルの微分積分の講義を行った。それは、数人の同僚と議論して作り上げた教科書だった。この教科書を元にして、拙著『ゼロから学ぶ微分積分講談社を執筆した。これは、2001年の刊行だけど、今年で17刷を数えているロングセラーとなった。この本には、堀川先生がやろうとしたことを一般向けに改造したアイデアが導入されている。例えば、どんな数理分野(経済学も含む)でも重要な「ラグランジュ乗数法」の解説は、堀川先生のアイデアを発展させたものとなっている。堀川先生の本と一緒に読んでいただければ、当時の暗く苦しかったぼくも報われると思う。
 堀川先生の本を読むとクリムゾンの来日が蘇る、そして、クリムゾンが来日すると堀川先生のことが、痛みと郷愁をもって思い出される。

ゼロから学ぶ微分積分 (KS自然科学書ピ-ス)

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