シン・ゴジラ観てきた。シン・ゴジラ観るべし

 先週、映画『シン・ゴジラ観てきますた。
みんな、『シン・ゴジラ』、すぐに観たほうがいいと思う。だってさ、君は来週に不慮の事故かなんかで、死んじゃうかもしれないんだよ。そうしたら、『シン・ゴジラ』観ないまま、人生が終わるんだよ。それってめっちゃもったいないことだと思う。
 ここでは、『シン・ゴジラ』については、ほとんどネタバレをしないで書くつもり。でも、何をしてネタバレと言うかは難しい。真のネタバレ・ゼロとは、情報量ゼロということで、それでは書く意味がない。細心の注意を払って書くけど、それでもネタバレになったらごめんなさい。(でも、そんなにネタバレが嫌なら、もっと早く観ろってことでしょ)。
 ぼくは先週まで、『シン・ゴジラ』を映画館で観るつもりはなかった。気が向いたらDVDで、ぐらいのつもりだった。
その理由の第一は、ゴジラ映画は「卒業した」という気分でいたこと。第二は、総監督の庵野氏の『エヴァンゲリオン』を、第一話でついていけなくなって挫折したあと、なんとなくそっち方面を避けてきたこと。第三は、ぼくがtwitterでフォローしているある人が、どういうつもりか『シン・ゴジラ』の結末をネタバレ・ツィートし、結末を知ってしまったこと。
 じゃあ、なのに、どうして観たのか。それは、親しい経済学者が、わざわざメールをくれて、(半ば強制とも言える感じで、笑)「観るべし」と勧めてくれたからだった。
 その経済学者さんは、「なぜ観るべきか」をきちんと説明してくれた。それはある意味、ネタバレである。でも、その「なぜ観るべきか」を聞かなければ、決してこの映画を観ることはなかったと思う。つまり、ネタバレには、良いネタバレと悪いネタバレがあり、しかも、それは個人個人で異なる、ということだと思う。観てみて、くだんのフォローの人物が、なぜ結末をネタバレ・ツィートしたのかも推測できた。その人にとっては、結末は重要ではなかったのだろう。そして、結末を知るとみんなが観たくなる、と考えたのだろう。でも、やはり、それは悪いネタバレだと思う。もっとうまい書き方があったはずだ、と思う。
 経済学者さんの強い推奨から、我々は家族で観に行った。みんな連れて行ってよかった。その後、ここ数日、家族でずっと『シン・ゴジラ』の話に花を咲かせている。各人の発見をみんなで共有して、楽しんでいる。できれば、家族で、あるいは、友人みんなで一緒に観るべきだと思う。
 ここで終わってしまうと物足りないので、以下、ぼくの過去のゴジラ映画体験を書こうと思う。こちらには、多少のネタバレが含まれることを前もってお断りしておく。
 たぶん、最初に観たのは、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年、モスラキングギドラ)か、あるいは、怪獣大戦争』(1965年、ラドンキングギドラ)だったと思う。前者は、リバイバルを観たか、テレビで観たのかもしれない。しかし、この二つの作品が、非常に鮮烈な記憶として残っている。
 次に観たのは、忘れもしない、ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の決闘』(1966年)。これは、映画館で観た記憶がはっきりある。確か当時は、小学校の校門前に、映画の割引券を配る人が来て、それをもらった子供たちは、封切り日の朝いちに、映画館前に列をなして並んで映画を観たものだった。この映画については、妹を連れていくように命じられ、幼少の妹が、怖くて途中で泣き出したので、クライマックスのところでロビーに連れ出さなくてならず、フラストレーションが残ったことが苦い記憶で残っている。
 そのあと、ゴジラキングコング』(1962年)を観た。これは、公民館かなんかに子供を集めて、無料で見せてもらった記憶がある。この映画は、アリ対猪木のようなフラストレーションの残る作品だった。まあ、実際、怪獣界のアリと猪木だからしょうがないだろう。
 それから後はよく覚えていないが、『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)あたりが、子供として映画館で観たゴジラシリーズの最後だった気がする。この作品を観て、「もういいかな」というお腹いっぱい感が来たのを覚えている。その後は、テレビの「ウルトラ・シリーズ」に興味が移っていった。
 その後、ゴジラ対ヘドラも、ゴジラビオランテも観たけど、正直、何で観たのかさえ思い出せない。
そんな中、最も鮮烈な記憶が残ったのは、『ゴジラ対メカゴジラ』を名画座で観たときだった。記憶は定かではないが、30代のはじめだったように思う。実は、ゴジラ対メカゴジラを観に行ったのではなく、名作の誉れが高かった地球防衛軍』(1957年)を観に行ったのであった。これは、ぼくが生まれる前の作品なのでリアルタイムで観られたわけがない。伝説の名作とされていたので、いつか観たいと思っていたら、名画座で二本立てでかかると聞いて、つれあいと満を持して観に行ったのである。
 劇場で椅子に座ってから、何か妙な感じ、というか、胸騒ぎを覚えた。通常の映画と観客の雰囲気と様子が違うのである。映画が始まって、すぐに、その予感は正しかったことがわかった。キャストが流れると、いちいち拍手喝采になる。そして、監督名が出ると、あちこちから、「よ、円谷!!」とかけ声がかかる。さながら、歌舞伎である。それからは、映画中、名場面のたびに拍手や、爆笑や、「お〜」という感嘆が一斉に起こる。観客たちは、この作品を秒単位で覚え込んでいるのである。「こ、こういうファンが、たくさんいるのか」とかなり動揺した。間違って異次元空間に紛れ込んでしまった感触であった。でも、そういうノリノリの中では、上手に映画に巻き込まれてしまう。『地球防衛軍』はともかく、『ゴジラ対メカゴジラ』さえも、名作だったような偽の記憶が作られることになった。