小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その2

今回もまた、小野善康『成熟社会の経済学』岩波新書の紹介をしよう。
小野さんの発展途上社会vs成熟社会という考え方の理論的背景には、貨幣に対する重要な見方があるのだが、その理論的バックボーンについては、前回の紹介(小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その1 - hiroyukikojimaの日記)を参照してほしい。

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

今回は、財政政策(政府が公共事業をして景気回復を目指す政策)についての、小野さんの考えを紹介する。
簡単に復習すると、小野さんの分類での「発展途上社会」とは、生産技術や生産設備が不足気味かちょうどいい程度に存在し、国民の消費意欲も強い社会のこと。完全雇用が比較的簡単に達成され、政府が雇用を増やすとその分、民間部門から雇用が奪われるので、公共事業は景気を浮上させるどころか逆に足を引っ張り、非効率になる。また、富を増やすには、生産の効率化とか資本の拡充などが必要だ。一方、「成熟社会」とは、生産設備が十分豊富に存在し、人々の消費意欲が弱く、その欲望が資産に向かいがちな社会である。このような社会では、人々が消費よりも貨幣保有に過剰に走るので、生産物が売れず、失業が恒常化し、需給の調整がいつまでも終わらない不況定常状態に陥る。小野さんは、この二つの社会では、その態様を生み出すメカニズムが異なる(正反対である)ので、政策の効き方もほぼ正反対であり、したがって政策を考えるには頭を完全にスイッチする必要がある、と主張しているのだ。以下に、小野さんの主張をまとめるけど、読む際に是非とも念頭にとめて欲しいのは、「成熟社会と発展途上社会では、経済の働きが全く違うので、チェスと将棋でそうなように、あるいは、ラグビーとアメフトでそうなように、双方のルールを混同しないようにする」、ということである。
 財政政策について、小野さん自身が非常に端的にまとめているので、それを引用しよう。

原理1 政府がいくら財政資金を配っても、背景ではかならず同額の取り立てがあるから、お金の総量は決して増えない。この性質は財政規模によらない。したがって、減税しようが増税しようが国民の使えるお金の量は変わらず、それ自体で景気に影響を与えることはできない。
原理2 ただし、消費性向の低い家計から高い家計への再配分は、国民全体の総需要を増やす。
原理3 財政支出によって、これまでなかった役に立つ物や設備やサービスを新たに提供できれば、その便益分がまるまる国民経済への貢献になる。(71ページ)

以上の3つの原理は、ケインズの主張の修正版である。ケインズは、着眼自体はよかったが、あちこちで考えが足りなかったり、勘違いをしたりしている。小野さんは、それを指摘した上で、どう修正すれば正しいかを提示したのである。小野さんが修正した(間違いをただした)上で提示した原理は、上の3つの原理を含めていろいろあるが、マクロモデルで幅広く成り立つものもあれば、小野さんのモデルだから成り立つものもある。例えば、上の原理1と原理3は、多くの整合的なマクロモデルで共通に成り立つものだと思う。そもそも、お金だけを(原理2に抵触しない形で)右から左に動かして、何か経済に良いことが生じるなんて魔法のようなことがあるはずがない。例えば、減税すれば、その分の公共事業ができなくなるので、公共事業で所得を得ていた人のお金が減税を受ける国民に移転されるだけである。(原理2に抵触しない限り)プラスマイナスで何も起きない。面白いのは、小野さんがこれを逆さに使ったことである。つまり、減税それ自体が何も生まないなら、増税それ自体も何も(悪いことを)生まない、ということである。つまり、増税して公共事業をすれば、税引き後でお金の減る人がいる分、同額だけ公共事業から所得の増える人も出るので、プラスナイナスで何も生じない。だから、それに原理3を組み合わせ、さらに小野さんのモデル固有のメカニズム(後述)を加えれば、増税による公共事業で景気回復、という主張ができるのである。「不況下の増税は家計の消費を減らすからいけない」、と考えている人(以前のぼくも含む)は、きっと、税金を徴収されている立場の人なのだ。そして、「自分の可処分所得が減り、だから、自分は消費を抑制するだろう」という自己イメージを、社会全体にまで演繹してしまっているに違いない。もしも、自分が現在失業していて、(もちろん、税金も払っておらず)、公共事業の仕事にありつけるかもしれない立場にいたとしたら、きっとそんな風には考えないだろう。つまり、経済学のトレーニングのない人はもとより、トレーニングを積んだ人さえ、マクロでものを考えることは難しい、ということなのだ。
 増税についての考え方で、面白かったのは、実際のデータでの実証の問題である。引用してみよう。

増税が景気を冷やす例として、橋本龍太郎政権下の1997年に行われた消費税増税を取り上げる人がいます。しかし、その場合の景気悪化は増税そのものが原因ではなく、公共事業を減らして建設労働者を大量に解雇したからです(図2−2参照)。政府が増税すると、無駄遣いをやめろという批判がくるので、公共事業を削減する。これが国民会計上でもGDP(国内総生産)を引き下げ、実体面でも雇用を減らして、景気を悪化させたのです。増税と同時に公共事業をむしろ拡大して雇用を増やしていれば、税収はかえって増えたはずです。(77ページ)

小野さんは、図2−2として、建設業就業者数のグラフを与えている。そのグラフでは、確かに、1997年をピークに、就業者数が急減している。実際、ぼくも、フジテレビの午前中のニュースバラエティで、金融緩和派の代表的な経済学者のかたが、データを見せながら、「消費税増税で景気が悪化した」と主張し、今回の増税に反対する論を打ち出している姿を見たので、この部分を読んだときは笑ってしまった。実証だ、データだ、と言っても、その見方はさまざまなのだね。つまり、「現実」とやらの解釈は、一通りではない、というしごくあたりまえのことなのである。
小野さんは、増税によって公共事業を行い、国民の生活を今よりマシなものにすることを主張している。その経路は次のようなものである。まず、先ほど述べたように、減税だろうが増税だろうが、お金を動かすだけでは、マクロの意味では何も(良いことも悪いことも)起きない。しかし、公共事業によって、雇用者数が増え、何かの生産物が生まれる。そして、生産物である財やサービスが国民にとって効用を与えるものであれば、その効用の分だけ、経済成長(回復と言ったほうが適切かもしれないが)を促す。また、雇用者数が増える分だけ、労働市場での賃金の上昇をもたらし、デフレを緩和する。デフレが緩和されると、貯蓄の有利さが緩和されるので、消費の貯蓄に対する相対的な立場が少し改善され、現在の(そして、定常状態では、将来も)消費が回復する。この経路は、「成熟社会」、すなわち、不況定常状態に固有のものである。「発展途上社会」(完全雇用がほぼ達成されている社会)では、このような経路は利かない。この社会で増税して公共事業を増やすと、それは物価を上昇させ、実質貨幣量が減少し(要するに、全貨幣で買える財の量が減り)、人々の貨幣保有への願望を強めるため、民間の消費が減ってしまう。つまり、政府が購入を増やした分だけ、民間の消費が減って、財の生産量は変わらず、物価が上がるだけなのである。
小野さんは、この「成熟社会での財政政策」について、それがいわゆるケインズ政策とは異なる考え方であることを、次のように説明している。

消費全体への波及効果は、国民の可処分所得が増えるから消費が増える、という乗数理論の論理とは全く違います。(中略)。
増税資金での雇用創出による経済拡大」の成功は、それによって直接どのくらいの雇用が増やせるかと、国民の生活の質にどのくらい貢献できるか、にかかっています。いくら配るかに関係ありません。何もさせずにお金を配るだけのばらまきでは、それがいくらであっても、雇用も作らないし、新たな設備やサービスも生まず、生活の質も向上しません。
 それなのに、旧来のケインズ政策では、直接的な雇用創出よりもお金を配ることを中心に考えています。そのため、不況になると増税どころか減税をし、財政支出もどんどん増やして民間へのお金の供給を増やそうとします。それでは国債が積み上がって将来の増税懸念が広がるから、消費も増えず雇用も生まれません。(75ページ)

 ここで、「増税でなぜ、国民の消費が総体としては減らないのか」について、理論的に付記しておこう。専門外の人向けの直感的な説明は、小野さん自身が『成熟社会の経済学』でしつこいくらいに行っているので、ここでは、あえて理論的な説明を試みる。これは、いうまでもなく、ぼく個人の説明である。以下の説明は、ミクロ経済学での消費行動の分析(学部程度)を学んだことのある人なら、おおまかには納得できることだろう。
 まず、一括税(国民全員が同じ額だけ徴収される税)で考える。増税されると、一見、可処分所得は減るように見える。しかし、本当はそうならない。なるかならないかは最終的に決まるものなのだが、実は、今これを考える必要はない。なぜなら、自分の可処分所得がいくらであろうが、追加的な1円の所得を現在の消費と将来の消費と単位期間の貨幣保有(これも効用が得られる)のどれに配分しても得られる効用が同じになるように(無差別になるように)、人々は消費と貯蓄(有利子資産と貨幣)への配分を決める。この選択基準には、課税は何の影響も与えない。課税は、消費の効用と貨幣保有の効用との関係に影響しないからだ。したがって、価格と利子率を外から与えられた上での最適な配分の満たすべき関係式にはなんら変更がない。(数学的にいうと、オイラー方程式を求めるのに偏微分をすると税のパートは消えてしまう、ということ)。したがって、経済全体の規模は、必ず、この消費、貯蓄の関係が満たされるように自動調節され、伸縮する。増税によって所得が減ってしまう、という「イメージ」は、この伸縮の前の「未完成なイメージ」にすぎないのだ。経済学に通じていないと、こういう「未完成なイメージ」にはまってしまいがちである。
増税で公共事業が行われ、その伸縮による調整が済んだ社会では、民間の消費は前より増えていなければならない(!)のだ。なぜなら、貨幣の追加保有の与える追加的効用が一定の下限にはまっているので(小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その1 - hiroyukikojimaの日記参照)、同じ消費のまま(あるいは減らす)だと、公共事業で雇用が増え、デフレが緩和される分、貯蓄が不利になるので、消費−貯蓄の配分が最適でなくなる。したがって、消費が増えて、追加的な1円を消費に使うことの与える限界効用を小さくしないとつじつまがあわない。そうすれば、貯蓄の相対的な価値は高まり、デフレ緩和の効果とつりあうことになって、現在の消費vs将来の消費vs貨幣保有の無差別性が回復することになるのである。つまり、雇用が政府雇用よりも増え、その分、所得も同時に増え、増税分を埋め合わせ、(政府の分でない)民間の消費も増えるのだ。(ここは、実は、若干デリケートで、2本の方程式の作る曲線がどのようにクロスしているかが本質的になることは断っておこう)。とにかく、「増税されると貧乏になる」、というのは、経済が変化する前の印象にすぎず、増税しても、雇用と所得と消費が同時に増える、という変化が生じることで、貧乏になるどころか少しは生活がマシになるのである。そして、それはまさに、デフレ緩和の効果によってもたらされる、と小野さんは主張しているわけだ。これは、増税しても可処分所得は同じままで、公共事業の分だけが会計上のGDPの増加となるケインズの(乗数が1の)場合とはぜんぜん異なるメカニズムである。
ちなみに、一括税でなく、消費税にしても、結果が同じである。なぜなら、例えば10パーセントの消費税をかける、ということは、国民にとっては物価が1.1倍になるのと同じである。同時に、1単位の財を買うために必要な貨幣量も1.1倍になる(実質貨幣量は1.1分の1になる)。つまり、1円を追加することによる消費による効用増加も貨幣保有の効用増加も同じ比率で縮む。だから、最適行動を表す関係式には何も変化が生じないことは、一括税のときと同じなのだ。ぼく自身も、このことについて考えが足りなくて、朝日新聞への寄稿では、「消費税だと逆進的になるから、所得税率のアップにすべきではないか」という的を射ないことを書いてしまった。会社が絶好調で、労働の不効用を上回るように増産ができないような人々を除けば、一般には、景気の拡大によって、消費税の分を少しは埋め合わすことのできる所得増が得られ、とりわけ失業者は(あたりまえだが)消費税を上回る所得が得られ、国民全体では所得は増加する。
 最後に、「増税国債増発か」という問題についての小野さんの考えをまとめよう。
小野さんは、本書においては、「国債増発よりも増税」を勧めている。しかし、この点については、あまり簡単明快な説明がなされていない。なので、ここでは、ぼく個人の読解を書くことにする。もちろん、誤解や深読みである可能性も否めないことは前置きしておく。
まず、基本的な点として、国債増発であろうが、増税であろうが、国民の意思決定は何も変わらないことに注意しなければならない。なぜなら、国債を発行し将来の増税によってそれを償還するなら、国民にとっては、資産と負債が同時に増えるのと同じだから、プラスナイナスで何もないのと同じだ。だから、追加的な1円を消費に回すか貯蓄に回すかを表す関係式には何も影響を与えない。これは、増税のときの効果と同じである。「国債増発は、今期に増税がないために、景気への悪い影響がない」、と考えている人が多いと思うが、小野さんの理論を使うと、これは二重の意味で間違っていることになる。第一は、国債増発で影響がないなら、同じように増税でも影響がない、ということ。なぜなら、消費、貯蓄の選択の関係式が同じだから。第二に、数年後に国債を償還して公共事業をやめた際、国債の償還自体は単なるお金の動きだから(原理2に抵触しない限り)何の影響もないが、公共事業をやめることによって、もとのデフレに逆戻りしてしまう。つまり、不況の先送りにすぎない。これは、不況が定常的に続く社会固有の現象である。不況状態での公共事業が消費が増やすなら、同じ不況状態で公共事業を減らすと元の消費水準に戻ってしまう、ということだ。ケインズクルーグマンの短期不況理論(拙著『景気を読みとく数学入門』参照)では、これを整合的に導くことはできないだろう。要するに、「成熟社会の長期不況」は、まさに動学的、通時的な合理性から起きていることなので、(実際、静学では小野さんの効果は起こせない)、通時的な合理性のもとでは、今日の増税も将来の利子付きの増税も効用への影響は変わらないのだ。
 このように考えると、国債についていろいろまことしやかに言われていることが、みな間違いではないか、ということが見えてくる。例えば、「国債保有者と非保有者に格差をもたらす」とか、「日本の国債は、ほとんどが国内で保有されているから大丈夫」などの議論である。国債というのは、単なる金融資産に過ぎない。経済では、あらゆる金融資産が効用の上で優劣がないように金利が調整される、と考えられる。だから、通時的にみれば、国債も貨幣も、金融資産という意味では(=どのような効用を与えるかという意味では)同じになるのである。前者の議論には、国債は単なる金融資産であり、人々が通時的に最適化している限り格差の問題とは関係ない、と答えられる。後者の議論には、国債アメリカ人が持っていても、それは、アメリカの国債とかドル紙幣などの金融資産と交換されたにすぎないから、日本国内の資産全体ではなんら影響がない、と答えられる。
 こう考えると、「金融資産を発行して財政をまかなうか」、「直接的な税金によって財政をまかなうか」の違いは、ただ一点、副作用の違いだ、ということになる。前者の副作用は、資産の価値に関する信頼性の問題を生むということ。後者の副作用は、政権の政治的な摩擦を生む、ということ。小野さんは、同じ効果のための財政をまかなうために副作用を受け入れなければならないなら、市場全体を揺るがす前者より、後者のほうがマシと考えているように思える。まあ、これの是非については、人によっては、小野さんと反対の判断をする可能性があろう。
 個人的な話で恐縮だが、(まあ、ブログって、個人的なものだけどね、笑い)、ぼくが、経済学をまじめに勉強したいと思って社会人ながら大学院に通ったのは、そもそも宇沢先生からケインズ理論を学んだとき、「ケインズの魔法」に惚れ込んだからだった。ぼくは、どうしても、「魔法の正体」を知りたかったのだ。しかし、大学院では結局解決しなかった。ケインズ理論について、教官たちは、「全く相手にしてない」か「IS-LMモデルをまんま教える」かのいずれかだったからだ。
 その「魔法の正体」は、小野さんの主張に出会うことで、ぼくの中で完全に解決することになった。結論は、「オズの魔法使い」そのものだった。魔法なんて存在しなかったのだ。結局は、小野さんの言っている原理1と原理3のようなしごく明白なことが成り立つにすぎなかった。詳しくは、小野さんがjournal of Money, Credit, and Bankingに2011年に発表した論文(やその他の論文)を参照して欲しいが、簡単に言えば、魔法の正体はケインズ理論が「(通時的な)予算制約を守らない」ところと、国民会計の定義上の問題にある、と言っていい。経済学をきちんと勉強した人なら直感してくれると思うけど、辛辣な言い方をすれば、「予算制約を守らないなら、どんなことだって証明可能」だと言える。それは、数学で言えば、「ゼロで割る」ことに匹敵する。ゼロで割ることを許すなら、どんなことでも証明できる。(実際、2×0=1×0は成り立つから、両辺を0で割って、2=1が得られ、この2=1は矛盾した式だから、矛盾からならどんな命題も導出できる)。また、お金の動きをあたかも財の動きであるように「定義」してしまうなら、政府がお金を動かすだけで生産物が増えたように会計上で見せかけることが可能で、これまた魔法を起こすことが簡単なのである。ぼくは、小野さんの研究を知ることでこれらの疑問を解決し、30代に持った課題は達成された。そういう意味では、小野さんにすごく感謝している。ただ、それは、「ケインズ理論への疑問への解決」であって、「現実的な意味での不況問題への解決」ではない。なぜなら、小野さんの理論は、相当にいい線いってると思うし、他の不況理論、ケインズのそれやクルーグマンのそれやニューケインジアンのそれより真相にずっと近い予感を持っているが、どんぴしゃ「完全無欠の真相」であるかどうかについてはまだ確信はない。不況は、小野さんの言っているような完全予見の推論と通時的な合理性の下で起きているわけではなく、まだ知られていない、なんらかの非合理性、あるいは何らかの推論の失敗、あるいは、ゲーム理論的な戦略のちぐはぐな絡み合いなどによって、起きているのかもしれない。それをはっきりさせるのは、現在のマクロ経済学の理論的枠組みや実証方法ではまだまだ不足であるに違いない。
 相変わらずだが、すごく長くなっちまった。でも、まだ、次回以降にも、この話は続くのである。

景気を読みとく数学入門 (角川ソフィア文庫)

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