小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その3

一番下に、付記があります(4月28日)。

小野善康『成熟社会の経済学』について、小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その1 - hiroyukikojimaの日記小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その2 - hiroyukikojimaの日記に続いて、三回目の紹介をする。今回が、最後にして、最も大切な部分。
小野さんは、この本で、自分の理論を専門知識がない市民にもわかるように平易に解説している。要は、1990年代以降のここ20年ほどの日本は、発展途上社会から、成熟社会に移行し、有り余る生産設備の中、人々の欲望が貨幣に向かっているため、消費が萎縮し、失業が蔓延し、アリ地獄のようなデフレ長期不況にはまりこんでいる、という主張。そして、このような長期不況から脱出するための提言を繰り広げている。

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

前回は、財政政策(政府が増税国債増発で公共事業を行う)についてまとめたので、今回は、まず、金融政策(中央銀行金利を下げたり、貨幣を増発したりする)について、簡単にまとめよう。小野さんの理論では、貨幣保有には効用がある、と考えている。債券には利子というおまけが、貨幣には効用というおまけがついているから、金融市場においては、債券と貨幣は、その利便性を通じた効用が同一(無差別)になるように取引されるので、債券増発も貨幣増発も、市場的には同じことになる。だから、前回(小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その2 - hiroyukikojimaの日記)の議論の繰り返しにすぎない。そんな次第なので、今回はあまり詳しくは論じないことにする。小野さんの主張は、おおかまに次の4点。
1。バブル崩壊で、日本の金融資産は、その価値を1000兆円から2000兆円くらい失ったのだから、日銀の発行できるせいぜい数十兆円の単位で、失った購買力を補填することはそもそも不可能。
2。実際、日銀は80年代後半に比べて、貨幣量を2倍から3倍に増やしているのに、物価はぜんぜん上がっていない。これは、発展途上社会から成熟社会へ変わった証拠。
3。ケインズもニューケインジアンも、このような「流動性の罠」を金利高騰に求めているが、銀行が貸し渋りをして金利が上がっている、というなら、投資機会を携えたお金を借りたい企業が銀行の前で列をなしているはずだが、全くそんなことはない。
4。円高は、内需の縮小によって、輸出が輸入を大幅に超える過度の経常収支黒字から起きる。ここで、企業が効率化をすると、効率化のせいで国内で起きる失業によって、より輸入需要が減り、為替レートは元の水準には戻らず、円高傾向にはまりこんでしまう。また、金融緩和によって円高に対抗する場合、仮に物価を上げることに成功したなら、製品価格もあがることで国内企業の国際競争力を損なうし、そもそも貨幣執着のせいで物価は上がらないから、どちらにせよ円高には長期的には何の効果もない。

 まあ、「お金を増やすだけでこの不況や円高が解決する」、という金融緩和派の考え方には、現在のぼくはあまり関心がなくなったので、この辺にしておいて、小野さんの長期不況下での政策提言に移ることとしよう。ここには、いろんな面白いアイデアが満載なのである。
 まず、拍手したくなったのは、「高齢者への現物給付」、という政策だ。引用してみよう。

では、どうしたらいいかと言えば、お金を使おうとしない高齢者には直接、物やサービスを渡し、働きたいしお金も使いたい世代には、仕事とお金が回るようにすればいいのです。それは、高齢者に物やサービスの現物給付をすれば実現できます。(128ページ)

これは、長期不況が、人々の際限のない(限界効用が非飽和であるような)貨幣保有によって起こっているのだから、若者から高齢者への所得移転はかえって不況を深刻化させる、という理論根拠から来ている。
この提言をぼくがステキだと思うのは、ぼく自身が、拙著『数学的思考の技術』ベスト新書で紹介した宇沢先生の「社会的共通資本の理論」と通じるところがあるからだ(この本には小野理論も紹介している)。宇沢先生は、この理論において、人々への保障は、貨幣的にではなく、社会資本や公共サービスの充実によって達成すべし、としたのである。(理論根拠は全く異なるけどね)。要は、「カネよりモノ」ということ。お金の魔法にかかってる人々に、お金を与えるのは逆効果。モノを与えて、目を覚まさせればいい、ということなのである。(←これは、ぼくの考え)。
 また、小野さんは、災害対策についても、復興税の利用を提言している。以下である。

ところが災害時には、被災地にどうしても必要な物やサービス、設備が生まれます。ですから、迷うことなく復興税を創設し、集めた財政資金を投入して復興のための生産を拡大すればいいのです。余って無駄になっている生産力を活用するだけですから、経済全体の損得を考えれば負担にはなりません。それどころか、復興需要による日本全体の雇用増加が、復興地域の物質やサービス需要だけなく、日本全体での消費一般をも刺激し、景気の拡大をもたらします。(142ページ)

まさに、現在が長期不況下であることを逆手にとって、それこそ災いを(少しだけ)福に変える、という考え方と言えよう。ここで、財源は、言うまでもなく、国債ではなく、増税を提案している。理由は、前回(小野善康『成熟社会の経済学』の紹介その2 - hiroyukikojimaの日記)の説明と同じである。
 小野さんの提言で、もう一つ、どうしても紹介したいのは、エネルギー問題への提言。少し長いけど、引用しよう。

省エネにせよ再生エネルギーにせよ、これまでよりも余計な費用がかかります。そのため、これらを推進するさいには、温室効果ガスを排出しないためとか、放射能被害の危険を避けるために必要な負担、などという言い訳が必要になります。しかし、省エネ新エネ推進は、本当に日本経済にとって負担でしょうか。
 環境税をかけたり環境規制を行ったりすれば、企業も税金や環境対策費用が余分にかかり、企業収益が下がったり価格に転嫁されたりして、国民がその分の負担を背負わされます。そうは言っても、余計に払ったり、受け取りが減ったりした分のお金は、機械設備が食べて消えてしまったわけではありません。再生可能エネルギーなら太陽光や風力発電設備を作った人、省エネなら省エネ技術や省エネ製品を開発し生産した人が所得として受け取っています。
 つまり、お金は増えも減りもしないから、一部負担一部利益となって再配分を生むにすぎず、国民全体を集計すれば負担にはなりません。本当の負担は、省エネ新エネ関連の生産活動に労働力が取られ、ほかの製品は減ってしまう場合に生じますが、それが起きるのは完全雇用の場合だけです。不況で人が余っているなら、人手不足が原因で生産削減を迫られるような製品はありません。それどころか、省エネや新エネの需要を新たに作ることによって雇用の拡大が起こり、デフレと雇用不安を解消して消費全般を刺激しますから、景気を浮揚させる効果すらあります。(162ページ)

ここでも小野さんの提言は、「長期不況の中でエネルギー問題が起きたことは不幸中の幸いだった」ということになる。ぼく自身は、脱原発は、ひょっとすると日本社会を貧乏にして、少し不自由な暮らしを余儀なくされるのだろうか、という危惧を持っていた。ぼく自身はそれで納得するとしても、「貧乏は嫌」という人を説得するすべはないな、と感じていた。けれども、この「エネルギー転換で日本は貧乏になる」という考えそのものが、発展途上社会(完全雇用社会)の視点にはまりこんだものだと気づかされた。エネルギー資源の輸入を心配する人もいるかもしれないが、それも発展途上社会の視点にはまり込んだ考えだ。輸入の背後には必ず輸出がある。長期不況の日本には、(労働を含む)資源が余っているではないか。まだまだ、なかなか頭がなじまないが、小野さんのロジックは正しいように思える。ならば、日本社会が、原子力に頼らないエネルギー社会に舵を切るチャンスなのに違いない。
 これまでの三回の紹介でわかっていただけたかたには、小野さんの理論と提言は、とても重要な視点を与えてくれるものだと思えたことであろう。このブログで済ませず、是非、本全体を読んで欲しいものである。
 蛇足になるが、ほとんどの読者にはどうでもいい専門的な話を一つつけ加えて終わりにする。最近ちょっと目にした小野理論に関するコメントで、「労働市場で超過供給があると、その分、貨幣市場で超過需要がある」というふうに小野さんの理論を理解しているものがあって、素人なら仕方ないが、発言しているのがれっきとしたマクロ経済学者だったのでびっくりした。このマクロ経済学者は、まさか小野さんの理論を読みもしないで論じているのだろうか。
一応ぼくの理解を書いておこう。小野さんのモデルでは、財市場も貨幣市場も(株式市場も)ちゃんと需給が一致しているのである。なのに、労働市場だけが超過供給になっている。(労働市場以外のすべての市場で需給が一致している、と言い換えてもいい)。しかも、時点時点で物価と利子率がきちんと決まっているからみごとなのである。こういう芸当は、ケインズにもできなかった。(ケインズのモデルでも、財市場も貨幣市場も需給が一致し、労働市場だけが均衡していないが、そのための調整弁を利子率に求めるしかなく、物価を決めることができていない)。小野さんのモデルでこれが可能なのは、動学(時間を通じた経済)を描いているからに他ならない。小野さんのモデルでは、労働市場の超過供給(=失業)の凹みの分が、「蓄積される予定だった金融資産が思った通り蓄積されなかった」という形で物価の変化を通じて現れる。要するに、「(国民全体として)予定していたより資産の上で貧乏になった」ということが失業の存在の帰結、ということだ。これは、現実とつきあわせると全くなるほどである。これがまさに「通時的なワルラス法則」と呼ばれるべき法則なのだ。(ちゃんと理解したい人は、小野『金融』を読もう。時間微分がわかっていれば理解できる。ストックを時間微分したものがフローだから)。

数学的思考の技術 (ベスト新書)

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金融 第2版 (現代経済学入門)

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(追記:4月28日)
なんか、他にも、小野さんのモデルのワルラス法則について、不理解で書いている人がいたので、下の文を付記しておく。また、この人のような誤解を防止するため、上の文章の当該箇所に少し加筆をした
。それは、小野理論 労働、社会問題/ウェブリブログ。この人、ぼくの書いたことをフォローしてくれようとしてるらしいんだけど、(その気持ちには感謝する。ありがとう)、それがぜんぜん間違ってる。

正確には、「慢性的不況とは「財市場も貨幣市場もちゃんと需給が一致して」おり、「そして、労働市場だけが超過供給」に、収益資産市場だけが需要超過になっている」状態である」としたほうがいいのではないだろうか?

良くないってば。資産市場(ここでは株をその代表としている)も、均衡してるってば。この人は、偉いことにちゃんと小野『金融』を読んでる(らしい)んだけど、ならば、どうして、ちゃんともう一度読んで書かないんだろうか。第2版なら、45ページから49ページをもう一回読もうよ。まず、小野さんは、「ストックのワルラス法則」のところで次のように書いている。

(16)式は、株式市場か貨幣市場のいずれか一方で需給が一致すれば、他方でも必ず需給が一致することを示している。
 ストックのワルラス法則から、経済の動きを見るさいには、資産市場で成立する条件として、貨幣市場か株式市場のいずれか一方の需給均衡条件だけを考えればよいことがわかる。そのため、以下では株価の動きを考える場合を除き、資産市場に関して(12)式の貨幣市場の需給均衡条件のみに注目する。(46ページ)

で、大事なのは、「フローのワルラス法則」(25)式。これは、フロー(ストックを時間微分したもの)の等式だから、ストックそのままではなく、その「変化量」が出てくるのさ。この量の部分は、資産市場の需給とは関係ない。ちなみに、小野さんのモデルに、株などの資産が入っていることは本質的ではない。金融資産が貨幣だけでも同じ効果を生み出せる。株を入れているのは、(ぼくの推測だけど )、あとで、トービンのqとか、モジリア−二・ミラーの定理とか、バブルと関連づけるためだと思う。この人も、「ミクロ経済学ワルラス法則(実物経済のワルラス法則)」との勘違いに陥っている。要するに、ストックとフローを混同しているんだと思う。
上であげたマクロ経済学者にしても、この人にしても、すごく不思議に思うのは、どうして書いてあるそのままをきちんと読まないのだろうか、ということ。書いてないことを自分で検討して間違うことはよくあるし、ある意味、仕方ない。でも、書いてあることをまず、きちんと理解し、それを検証することが最優先だと思う。小野さんの理論を批判したり、論評したりするのは自由だし、どんどんやったほうがいい(やって欲しい)と思うけど、(この人は素人かプロかわからないのでおいとくとしても)上のマクロ経済学者のように、専門家なのに、小野さんの枠組み(モデルの構造)じゃないものをあたかも小野さんの理論のように語って、批判したり論評したりするのはプロとして罪が重いと思う。(ぼくもときどき、間違ったことを書いてしまうので、自戒の念をこめる)。まあ、このワルラス法則のところは、かなり必死で理解しようとしないとわからないことなので、間違うのは仕方ない面はある。実際、小野さん自身も、これをみつけるのに苦労したようにお聞きしたし、ぼくも最近やっと理解したから。だから、もう一度、読んでみましょうよ。できたら、(25)式を自分で導出して、確認することをお勧めする。ある意味で小野さんのモデル(というか、資産蓄積を含む動学モデル一般)を理解するものすごく重要なステップになると思う。