映画『ジョーカー』はすごかった!

 年末に家族で映画『ジョーカー』を観に行った。メディアやツイッターで評判を見ていて、気になっていたので、思い切って観に行ってみたのだ。

 行ってよかった。いや、行くべき映画だった。

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あまりのすごさに打ちのめされた。

 昨年観た映画(テレビやレンタルも含む)で、邦画ベストは『天気の子』、洋画ベストはこの『ジョーカー』だった。『ジョーカー』については昨年だけでなく、ここ10年に見た邦画・洋画含め、ベストワンだと思う。

 『天気の子』と『ジョーカー』には、共通するプロットがいくつかある。

第一は、貧困層を描いていること、

第二は拳銃が物語上で重要な役割を果たすこと、

第三は世界の崩壊を暗示していること、

この三つだ。

でも、すべての点で、『ジョーカー』のほうがプロットの扱いが勝っていると思う。もちろん、それは決して『天気の子』を腐そうとして言っているわけではない。『天気の子』にとっては、上記の三点はメインのアイテムではないから、別に勝ち負けを決めることに意味はない。再度言っておくが、『天気の子』は大好きな映画だ。

第一の点に関して言えることは、アメリカの貧困問題は、日本のそれに比して、本当に深刻だと言うことだ。だから日本の貧困は放置していいなどとは決して言わない。解決の道すじを作らなくていけないのは同じことだ。ただ、アメリカの貧困は相対的に深刻だと言いたいのだ。

ぼくが経済学者としてグッと来たのは、『ジョーカー』には主人公が病み、狂気に落ちていく貧困の、その社会的原因が、ある程度きちんと描かれている、という点だ。『天気の子』にはそういう社会性が欠落している。(別にテーマじゃないからいいんだけどね)。そういう意味で『ジョーカー』のシナリオは本当によく練られていると思う。

第二の点について言うと、『ジョーカー』では主人公が拳銃を手にすることは不可欠な展開だが、『天気の子』ではどちらかと言えば不要だ。もちろん、それなりの役割を果たしてはいるけど、無ければ無くてもいいアイテムだと思う。

第三の点については、どちらも大切なプロットだ。『ジョーカー』は一触即発の社会状況へのメッセージであり、『天気の子』は地球温暖化への警告ととれる。

 とにかく、『ジョーカー』のシナリオはほとんど瑕疵が無く、展開も伏線も完璧と言っていい。観ている大部分の観客は、完全無欠の悪であるジョーカーに肩入れしてしまうと思う。そして、その悪の進化を観ながら、切なくて涙ぐんでしまうと思うのだ。

 『ジョーカー』は、スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』とよく比較され評されている。実際、スコセッシの撮影チームが撮影でサポートしたらしいし、『タクシードライバー』の主役ロバート・デニーロが『ジョーカー』でも重要な役を演じている。

しかし、ぼくには『ジョーカー』は『タクシードライバー』を凌駕した映画に思える。

 もちろん、共通点は多い。『タクシードライバー』はベトナム戦争という社会問題を背景に持っている。また、一人の男が狂気に落ちていく過程を描いている。その過程で拳銃が重要なアイテムになっている。そして、大統領候補の暗殺を企てる点もプロットとして近い。

 でも、どこか決定的に違うと思うのだ。

タクシードライバー』は、どちらかと言えば、ハードボイルド映画のカッコ良さを追った映画であり、社会問題は刺身のつまでしかない。拳銃はハードボイルドのアイテムだ。でも、『ジョーカー』には、強い社会的メッセージと救いようのない経済問題を打ち出している。拳銃はどうしようもない究極の弱者である主人公に強さを与えていく特殊アイテムになっている。

 とにかく、『ジョーカー』のような映画にはなかなか出会えないと思う。これが、「バットマン」というコミックヒーロー物のスピンオフであるとは驚きである。これを見てしまうとむしろ、「バットマン」が金持ちが道楽で正義をやっている胡散臭い人物に見えてきてしまうからやばい。

 バットマン・シリーズで言えば、『ダークナイト』も傑作と言われているが、ぼくは観たけどピンとこなかった。それに対して、『ジョーカー』は本当に超傑作だと思う。というか、バットマン・シリーズである必要は全くないとさえ思うのだ。