わくわく読めるミクロ経済学の教科書

 4月は、講義の準備などで忙しく、どうしてもブログの更新が怠りがちになってしまう。今回も、もう月末になってしまった。
 新学期ということもあって、今回は、ミクロ経済学の教科書を一つ紹介したい。それは、神取道宏『ミクロ経済学の力』日本評論社である。この本は、刊行されてすぐに入手して読んでいたのだが、エントリーするのがこのタイミングになってしまった。とにかく、この本は、ものすごく面白い教科書で、わくわくしながら読める。ミクロ経済学ほど「わくわく感」から遠い学問はないと感じていたが、この教科書を読んで、そんなことぜんぜんないな、と思った

ミクロ経済学の力

ミクロ経済学の力

ぼくは、30代で経済学部の大学院に入学したのだが、そのときは、コースワークで指定されたヴァリアンの教科書で勉強した。コースワークで成績が良くないと博士課程に行けないので、かなり読み込んで、練習問題も全部解いた。ヴァリアンの本(翻訳第2版)は、練習問題が一番面白く、本文自体は面白くはなかった。もちろん、よく書けているから不満はないが、わくわく感とはほど遠いものだった。
そのあとにミクロ経済学の教科書を、全部読んだのは、クレプスの教科書である。これは、英語で読んだ。翻訳がなかったのと論文を書くためにミクロ経済学ジャーゴンと表現を英語で知る必要があったからだ。このクレプスの教科書はとても面白かった。表現にウィットがあり、ミクロ経済学者のスピリッツがみなぎっており、さらに書き手がめちゃくちゃクレバーであることがひしひしと伝わってきたからだ。英語で書かれた専門書を読破したのは、これが初めての経験だったと思う。
神取道宏『ミクロ経済学の力』日本評論社は、クレプスの教科書に匹敵する、いや、ほとんどの部分で凌駕する本だと思う。表現にウィットがあり、ミクロ経済学者のスピリッツがみなぎっており、さらに書き手がめちゃくちゃクレバーであることの度合いはさらに大きいように思える。ぼく自身は、大学院のコースワークで神取先生にミクロ経済学を教わった。ゲーム理論のパートだった。その講義の上手さには舌を巻いた。当時、ぼく自身は、塾での著名講師になっており、(自称)東京で一番講義の上手い先生のつもりだったが、そのぼくが打ちのめされるほどのみごとな講義だった。その証拠に、神取先生が講義の最後にとったアンケートでは、すべての項目で最も良い評価をマークした上、「うちの塾にスカウトしたい」とまで書いた。これは冗談ではなかった。あらぬ噂を立てて、大学がクビになるように仕向けて、うちの塾にスカウトしたいと思ったぐらいだった(もちろん、これは冗談)。そんな神取節が炸裂しているのがこの教科書である。しかも、読者は東大生ばかりではないことに配慮し、大学での講義よりもずっと基礎レベルまで降りてきて説明してくれている。
以下、この教科書のすばらしい点を箇条書きにしてみる。
1.ミクロ経済学がどんな学問で、そこから何を学ぶべきか、というメッセージが明確にされている。
2.ミクロ経済学を初めて学ぶ人が疑問に思いがちな不満について、先回りしてディフェンスされている。
3.数学的な手法(偏微分、最適化など)をごまかすことなく、きちんと説明し、その説明が涙が出るほどわかりやすい。
4.各定理の証明に対して、おそらく、類書の中で最もわかりやすくて、イメージしやすい方法が選ばれている。
5.ほとんどのミクロ経済学の教科書に欠けている実際的な事例がきちんと導入されている。
6.ほとんどのミクロ経済学の教科書に欠けている、実際の社会問題へのミクロ理論の応用の仕方が導入されている。
ここから、これらの点について、個別に詳しく説明することとしよう。
 第1の点について:ミクロ経済学の教科書を読むと、たいてい「この著者はこれの何がそんなに好きなんだろう」と思ってしまう。それほど無味無臭な書き方がされている。経済学者というからには、社会問題に関心があるはずだろう。だけど、この著者は、社会問題ではなく、単なる数学に関心があるだけなんじゃないか、そんな風な反感が生じてしまう。でも、本書には、冒頭に「経済学の目的と方法」と題して、ミクロ経済学のスピリットが書き込まれている。少なくとも、ここを読んでから入門すれば、俗書を読むときに生まれる「?」感覚は相当に薄らぐと思う。
 第2の点について:ミクロ経済学の教科書を読んでいるとき、良い意味で批判性があり悪い意味でひねくれている読者は、さまざまな反感を持つものだ。例えば、「当たり前のことを一生懸命に数式にしているだけじゃないか」とか、「人間の心の中の様相にこんなに人工的な仮定を置いていいのか」とか、「自分はこんなふうに行動選択してない」とか、「企業の戦略はこんなものであるはずない」など。正直、これらの批判や反感に、ミクロ経済学が完全に答えることは難しいけれど、それを無視しているわけではなく、それぞれの学者の内面にはなんらかの正当化やディフェンスがあるものだ。それを臆せずにきちんと書いていてくれるので、読者は、この著者については信頼感を得ることができるのではないか、と思う。
 第3の点について:ミクロ経済学では、とりわけ消費者の理論において、多変数の微分(偏微分)を用いる。これは、理系の大学生にとってさえも鬼門で、非常に習得しにくいツールなのだ。だから、ほとんどすべてのミクロ経済学の教科書では、偏微分の解説を避け、図だけでごまかして説明する手法をとっている。でも、ぼくはこれはかえって学習者の理解を妨げていると感じている。本当に、あの無差別曲線の図できちんと理解できる人がいるのだろうか? あれで本当に理解できるほどの知力のある人なら、偏微分自体も理解できるはずだし、偏微分を(この本のように解説されてさえも)理解できないなら、そもそも図による解説だともっと理解できないのではないか、と思う。そういう意味で、この教科書の試みには拍手を送りたい。多変数の微分についての解説は、理系の(数学や物理などの)教科書も含め、最もわかりやすいものではないか、と思う。とりわけ、理系の勉強をしてこなかった意欲ある経済学部の学生なら、「経済学を理解しながら、経済概念として偏微分を完全に理解する」ということが可能になる。これこそが、サイエンスとしての経済学の面目躍如だと思う。実際、ぼくは、数学科の出身であるにもかかわらず、偏微分を心底わかった、と感じたのは経済学に転じてからである。
 第4の点について:ここに、神取先生のクレバーさが結晶しているように思う。例えば、ラグランジュ乗数法(これは、与えられた条件の下で、ある関数の最大値や最小値を求める簡便な計算法)の解説は秀逸である。ラグランジュ乗数法のみごとさは、「制約条件を無視して普通の(偏)微分法に持ち込める、すなわち、(偏)微分=0条件に持ち込める」点にある。そのために、L=(最適を求めたい関数)+λ×(制約式)という式を作るのだが(λがラグランジュ乗数と呼ばれる)、この式の持つ意味が本当によくかかる。実は、ラグランジュ乗数法の説明は、拙著『ゼロからわかる微分積分講談社のものが最もわかりやすいと自負していた。それは、λ×(制約式)の部分は、「制約からはずれることへの罰金」と解釈するもので、これは数学科の指導教官であった堀川先生のたとえ話だった。でも、数年前に、親しい経済学者とお好み焼きを食べているとき、その人が「小島さんの本でラグランジュ乗数法を読んだのですが、どうしてあの方法(鞍点条件)で書いたのですか?こっちのほうがわかりやすいのに」と言って、ナプキンに矢印の絵を描いてみせてくれた。ぼくはそのとき、「そんな説明法があったのか」とあんぐりなったのだけど、神取先生も本書でその説明法をとっていた。さらには、ラグランジュ乗数の意味は、経済学的には、「限界効用均等の法則」における増加する効用分であることが説明され、「なるほど、単なるそういうことか!」と、むしろ経済学から入ったほうが(数学からより)意味が明確になると思う。あっぱれすぎる。(でも、ぼくの本での解説も、別の意味では優れていると思うぞ、とディフェンス)
 消費理論の華は、「スルツキー分解」というものなんだけど、この証明が、おそらく類書の中では群を抜いてわかりやすい。スルツキー分解というのは、「ある商品の価格が上がったときに、消費者が商品の購入配分を変える」際に、その変え方を「実質的に所得が減ってしまう」効果の部分と「配分を変えることによって、代替する」効果の部分に分解するものである。この証明は、どれを読んでも、わかったようなわからんような感じだったのだが、神取先生の説明には全く感服するばかりで、もうそらで再現することができる自信がある(今頃かい。笑い)。ついでに言うと、スルツキー分解の応用として、価格弾力性(価格の変化に消費がどう反応するか)を3つの項目に分解する、というものが説明されている。これは、めちゃくちゃ目から鱗のアイテムで、正直、のけぞってしまった。これを知らないのは、自分の勉強不足なのか、と思って、先日、経済学者二人と飲んでいるときに、恥を忍んで聞いてみたら、そのお二人も、著名な経済学者であるにもかかわらず、「知らなかった」と告白してくださった。彼らが知らないんだから、多くの経済学の教員もそうに違いない。大学でミクロ経済学を教えている人は、少なくともこの部分だけは読んでおくべきだと思う。
 第5の点について:とにかく、従来のミクロ経済学の欠点は、この事例の欠如である。逆に事例を安易に載せたために墓穴を掘っているものもある。例えば、需要曲線の実例として、野菜の価格と消費量を導入しているものを見たことがあるが、「プロットされた点は1つの需要曲線の点のはずないじゃん!」と疑問が渦巻いた経験がある。需要曲線も供給曲線も刻々と曲線自体が動いているのだから、実現した点は同一の需要曲線だとは言えまい。一方、神取先生のこの本では、きちんとこの点に言及し、計量経済学の難しさを説明し、あるディフェンスを与えた上でキャベツの需要曲線の推定方法を与えている。圧巻なのは、企業の供給におけるMC曲線(限界費用)とAC曲線(平均費用)について、電力会社の実例だ。大学でミクロ経済学を教える教員が喉から手が出るほど欲しい資料ではなかろうか。さらには、需要の価格弾力性のスルツキー分解の実例として導入された、ガス、牛肉、外食の弾力性の分析には、「ありがたい」、の一言である。
 第6の点について:第1部の価格理論のおおぎり(大喜利)として、TPP参加の問題へのミクロ経済学的アプローチが書いてある。もちろん、ここに異論のある人はいるだろうし、いなくてはならないと思う。でも、この問題を議論し、意見を述べたいなら、最低限、この議論を知っておくことは必要だろう。TPP参加は農業を軽視することだ、という感情的な反発が少なからぬ人に勃興していると思うが、本当にそうだろうか、という点について、この分析を読んで冷静になるべきだと思う。この分析に対して、「そうなのか」という納得する人もいるだろうし、「それはそうかもしれないが、それじゃ、これはどうだろうか」と別の本質的な問題への気づきに誘導される人もいるだろう。ぼく自身は、この議論には説得されないが、それでもこの書き方はみごとだと思う。とりわけ、第1部の冒頭に解説された「現状を選ぶこともでき、別の選択もできるようになる制度の改変は、経済学的に良いものである」というロジックが、ここへの伏線であるわけで、ある意味、ミステリーを読んだような「やられた感」を持った。
 長くなったが、言いたいのは一言である。本書は、ミクロ経済学を学ぶには最適であり、経済学から多変数解析を理解できる御利益があり、ミクロ経済学の教員には打ち出の小槌だ、ということだ。これを読まないのは、経済学的に言って、不合理であり、非効率的だ。神取流に言えば、「そういう人がいてもいい」ということになろうが(笑)。ぼくは、今年、ミクロ経済学の教科書を執筆する計画になっているのだが、これを読んでしまった今、これとは全く差別化できる教科書を書く、という戦略変更を余儀なくされてしまった。まあ、そのほうがぼくに向いていると思うけど。
ゼロから学ぶ微分積分 (KS自然科学書ピ-ス)

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A Course in Microeconomic Theory

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