ラグランジュ乗数と帰属価格

 今、都内某所で、地方自治体主催の市民講座に登壇しており、そこで現実問題を経済学で分析するレクチャーをしている。そのレクチャーでは、現代の(広く認められている)経済理論を援用しながらも、そこかしこに宇沢弘文先生の「社会的共通資本の理論」を刷り込むサブリミナルを仕込んであるのだ(笑)。

 それで環境問題をテーマとする回に、宇沢先生の地球温暖化へのアプローチを紹介しようと思い立ち、今までちゃんと勉強しなかった宇沢先生の温暖化についての理論と初めて向き合った。読んだのはこの本。

 この本での宇沢先生の最終的なアプローチは、動学的最適化理論を使う分析である。二酸化炭素の排出量制約のもとでの、消費の通時的最適化を求めている。これをもとに、「最適な炭素税とは各国のGDPに比例させる課税である」ことを主張している。

 この動学モデルで重要な役割を果たすのが、「帰属価格(imputed price)」という概念だ。帰属価格とは、数学で「ラグランジュ乗数」と呼ばれているものと全く同じである。それが、経済学においては、「価格の一種」として登場するわけなのだ。これは実に面白いし、ラグランジュ乗数法をイメージ化する上で格好の材料だと思う。

 宇沢先生のアプローチを緻密に理解するため、ラグランジュ乗数のことをもう一度勉強し直そうと思いたった。ラグランジュ乗数の数学的仕組み、それを経済学的に「価格」として解釈する仕方、さらには、それが動学的最適化モデルの中でどう働くか、それらもろもろを考え直したくなったのだ。

 ぼくはラグランジュ乗数法のことを、すでに拙著『ゼロから学ぶ微分積分講談社で解説してる。この説明はかなり自慢のものだ。そして、レビューでも、多くの読者たちから一定の評価ももらっている(と理解している)。

ゼロから学ぶ微分積分

ゼロから学ぶ微分積分

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2001/04/23
  • メディア: 単行本
 

 たぶん、この本でのラグランジュ乗数法の解説は、現存する類書の中で最もわかりやすいに違いない。それでもなお、また考え直したいのは、もっと「直感的」でもっと「経済学的」な理解に達したくなったからなのだ。それで、最適化理論の本(オペレーションズ・リサーチの本)をいくつか読み、変分法の本もいくつか読み、それを自分の頭で咀嚼し直した。この勉強によって、前より進んだ理解に到達し、さらには、副産物として、不等式制約の「クーン・タッカーの定理」、それと動学的最適化における「ハミルトニアン」の直感的理解も手に入れることができた。

 ラグランジュ乗数法というのは、制約付き最適化の方法論だ。

例えば、座標平面上の円x^2+y^2=b上の点(x , y)に対する2変数関数f(x , y)=2x+3yの値を最大化する(bは定数とする)、みたいな問題の解法である。言い換えると、「制約x^2+y^2=bの下でのf(x , y)=2x+3yの最大値を求める」、ということだ。

愚直にやるには、x^2+y^2=bからy=\sqrt{b-x^2}と解いて2x+3yに代入して、1変数xの関数として微分すればよい。(受験数学的には、もっと巧い、もっと簡単な解法があるが、ここではスルーする)。ラグランジュ乗数法とは、このように陰関数を解かずに、多変数関数のまま通常の「微分法」に持ち込む解法なのである。

 まず、(最大化したい関数)-\lambda(制約関数)という式を作り、これをLとおく。つまり、L=(2x+3y)-\lambda(b-x^2-y^2)ということ。これをx, y,\lambdaの3変数関数とみて、それぞれの変数で偏微分して、それらが0となるという連立方程式を作り、それを解けばいいのである。このように問題を変形することで、もとは従属していた変数x, yを独立変数として扱うことができる。陰関数を求めることも、マニアックな受験テクもいらず、「(偏微分)=0」という素朴な条件で解けるのである。

 ここに登場する\lambdaが「ラグランジュ乗数」と呼ばれる。しかしこれだけだと、まるで「おまじない」「魔法」の類にしか見えない。経済学(あるいはOR)を勉強することで、現実的な意味が見えてくるようになる。

 \lambdaは、ざっくり言うと「制約が陰に備えている価格」なのだ。これを経済学では「帰属価格(imputed price)」と呼んでいる。

例えば、x, yを生産に投入する要素で、ぎりぎり使えるのがx^2+y^2=bを満たすx, yだとする。生産要素をx, yだけ使うと2x+3yの量の生産物ができるとすれば、この生産者は制約x^2+y^2=bを守りながら2x+3yを最大化するのが、経済的に最適ということになる。

このとき、最適化させるラグランジュ乗数\lambda^{*}は、「制約が陰に備えている価格」に対応する量となる。その意味は、制約bを緩めるとあたかも1単位あたり価格\lambda^{*}が付されているごとくに生産の増加が生じる、ということだ。より詳しくは、制約bを微小量dbだけ緩めると、最適産出量2x^*+3y^*\lambda^*dbだけ増える、ということ。これが、「ラグランジュ乗数は価格の一種」ということの意味である。大事なのは、制約bを微小量dbだけ緩めるとき、生産者は改めて最適な投入量x, yを計算し直し、その上で増加する生産量が\lambda^*dbだということだ。

こういうイメージが得られれば、ラグランジュ乗数も血の通った概念に見えてくるだろう。

 以上のことを直感的に理解するためには、厳密性は欠くが次のように局所分析をしてみればよい。

 一般の2変数関数f(x, y)において、x, yが微小量(dx, dy)だけ変化するとき(dは微小量につける記号)、f(x, y)の変化dfは、f_xdx+f_ydyで与えられる。ここで、f_xfx方向における偏微係数(\partial f/\partial x)である。要するに、xx+dxに増やすと、f(x, y)f_xdxの量だけ増えるということ。df=f_xdx+f_ydyという公式は、点(x, y)から点(x+dx, y)に移って、f_xdxだけ増え、次に点(x+dx, y+dy)に移動して、f_ydyだけ増える、ということだから、きわめて自然だ。(曲面を平面で近似して考えているということ)。

 ここで重要なのは、f_xdx+f_ydyをベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx, dy)内積と見なす見方である。(ここから先が、拙著『ゼロから学ぶ微分積分とは異なる説明)。高校数学で勉強するように、2つのベクトルの作る角が90度以下のとき、内積は0以上になる(内積は長さにcosを掛けたものだから)。つまり、点が移動する向き(dx, dy)がベクトル(f_x, f_y)と90度以下であるなら、内積≧0だから、df=f_xdx+f_ydy≧0となって、f(x, y)は増加することになる。

 さて、制約b=g(x, y)のもとで、f(x, y)の最大(または最小)を求める制約付き最適化問題を考えよう。

制約b=g(x, y)から、関数g(x, y)は一定値だから、制約を守る方向に動く限り、dg=g_xdx+g_ydy=0となる。上記に述べたことから、ベクトル(g_x, g_y)と制約を守って移動する方向のベクトル(dx, dy)との内積は0となる。したがって、もしも点(x, y)においてベクトル(f_x, f_y)とベクトル(g_x, g_y)が平行でないのなら、制約を守って移動する方向のベクトル(dx, dy)はベクトル(f_x, f_y)との内積は0でない。すると、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx, dy)内積、または、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(-dx, -dy)内積、のいずれか一方は正になる。これは、f(x, y)が増加する方向が存在する、ということだから、(x, y)が最適点でないことがわかる。

 以上から、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(g_x, g_y)が平行、ということが、最適点では成り立っていなければならない、ということが示された(必要条件)。これは、ある\lambdaが存在して、(f_x, f_y)=\lambda(g_x, g_y)ということである。したがって、任意の移動方向(dx,dy)に対して、ベクトル(f_x, f_y)とベクトル(dx,dy)内積は、ベクトル\lambda (g_x, g_y)とベクトル(dx,dy)との内積と一致している。これは、ラグランジュ関数L=f(x, y)-\lambda g(x,y)のどの方向の偏微係数も0であることを意味している(つまり、極大点や極小点の必要条件)。

 この分析法から、「帰属価格」へアプローチしてみよう。

関数f(x,y)の制約b-g(x,y)=0における最大値を、bの関数と見なして分析してみる。最適化の解x^*,y^*,\lambda^*は、すべてbの関数となっている。ここで、bが微小量dbだけ変化したとき、最適化された生産量f(x^*,y^*)がどのくらい増加するかを見てみよう。f(x^*,y^*)の増分は、ベクトル(f_x, f_y)と制約を守った移動ベクトル(dx^*,dy^*)内積だが、この移動ベクトルは(x^*,y^*)bに関する微係数のベクトルの延長である(dx^*/db,dy^*/db)dbだから、

f(x^*,y^*)の増分=((f_x, f_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

である。一方、制約b=g(x^*,y^*)から、

1=g_x\times dx^*/db+g_y\times dy^*/db=((g_x, g_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)

よって、前に述べた最適化の平行条件から、

((f_x, f_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

=(\lambda^*(g_x, g_y)(dx^*/db,dy^*/db)内積)×db

=\lambda^* db

つまり、制約をdb緩めると、その\lambda^*倍が生産にはね返る。つまり、これ制約が陰にもっている価格にあたる、ということなのだ。(数学的にきちんとした証明は、拙著『ゼロから学ぶ微分積分を参照のこと)。

 ちなみに、宇沢先生の地球温暖化に関する分析では、V_tを大気中の二酸化炭素の量として、それがdV_t/dt=v_t-\mu V_tという微分方程式にしたがって変化すると仮定される。ここでv_tは生産の要素投入a_tからv_t=ca_tによって決まる二酸化炭素排出量であり、\muは海水に吸収される二酸化炭素の割合を表す。もうひとつの制約は、投入要素に関するK=fa_tである。この制約を満たす要素投入a_tによって、x_t=Ba_tの生産物ができると仮定される。これらの制約の下で、関数u(x_t)\varphi(V_t)を最大化する問題を考えるのである(各変数はみなベクトル量。面倒なので細かい説明は省略している)。

ラグランジュ関数は、次のように与えられる。

u(x_t)\varphi(V_t)-p_t(v_t-\mu V_t)+r_t(K-fa_t)

ここで、p_tは、二酸化炭素に関する制約を緩めることによってもたらされる不効用の増加であり、「二酸化炭素の帰属価格」にあたるものである。ただし、このラグランジュ関数は動学化されているし、制約が微分方程式になっていて、一般にはハミルトニアンと呼ばれる形式になっているので、上記の説明よりずっと複雑化した手法だ。

 帰国後の宇沢先生のことを「新古典派的な手法を捨ててしまった」とか「文化論的になった」とか言う人が多いが、先生は最後まで数理的解析を続けた人だと思う。ただ、数理言語によるアプローチの一方で、「思想の自然言語による表現」も加えたのである。