「エビデンス」のエビデンスを知るための本

 今回は遂に2か月も間が空いてしまった。オンライン講義の仕込みに時間をとられたせいもあるし、某大学での非常勤でベイズ統計学のオンライン講義を引き受けてしまったせいもある。押し詰まっているが、なんとか年内にもう一つエントリーをしようと思う。

 今回は、マンスキ―『データ分析と意思決定理論 不確実な世界で政策の未来を予測する』(奥村+高遠・訳)ダイヤモンド社を紹介したい。この本は、ざっくり言えば、実証分析のメソッドとそれに付随する限界、注意点を解説する本だ。

 

 

 なぜこの本を紹介したいのか、その意図は二つある。

 第一の意図は、コロナ禍の現在、テレビにもネットにも「エビデンス」という言葉が飛びかっていることだ。専門家も政治家も素人も二言目には「エビデンスはあるんか?」と、口角泡を飛ばす。このときの「エビデンス」は、単に「証拠」という語彙である場合も、単なる「データ」である場合も、また、「ちゃんとした実証の手続きを持つ裏付け」という場合もあるようだ。これらの「エビデンス」には温度差があり、どの程度「真実性が担保されている」のかがかみ合っていない風情がある。せっかくの機会だから、「エビデンス」について、みんながもう少し認識を共有する必要があると思う。

 第二の意図は、国の方針で、「データサイエンス」の研究と教育が奨励さている現状があることだ。ぼくには幸い、著作『完全独習 統計学入門』『完全独習 ベイズ統計学入門』(いずれもダイヤモンド社)があるため、複数の機関からレクチャーを依頼されて、今年と来年に引き受けることになった。いうまでもなく、「データサイエンス」とは、実証のための科学的メソッドの学問である。しかし、「データサイエンス」を推進するのはいいが、それが単にExcelやRに数値を入力できる、というスキルを意味するのだったら、そんなことで国家の科学的な未来なんて来やしないと思う。大事なのは、データをどのように「エビデンス」に仕立てるか、その「エビデンス」を背後で支える科学的理論は何か、「エビデンス」から政策を決めるにはどうするべきなのか、それらをきちんと普及させることだと思う。

 本書、マンスキ―『データ分析と意思決定理論 不確実な世界で政策の未来を予測する』は、そのヒントを与え、勉強の道筋を示してくれる本だと思う。

 本書は2部構成であるが、第一部は「どんな分析であれば信頼できるのか?」、第二部は「不確実な世界では、どんな意思決定をすべきか?」となっている。ちなみに、第二部の「意思決定理論」は、まさにぼくの専門でもある。

目次建ては以下となっている。

第一部 データ分析編

第1章 「強い結論」欲しさに政策分析の信頼性が犠牲にされている

第2章 政策の効果を予想する

第3章 新しい政策に対する人々の行動を予測する

第二部 意思決定理論編

第4章 単純な状況下で部分的な知識に基づいて意思決定をする

第5章 複雑な状況下で部分的な知識に基づいて意思決定をする

第6章 データ分析の「消費者」へ

 本書には具体例がふんだんに投入されていて、いろんなケーススタディをすることができる。二つほど紹介しよう。

第一は、まさにコロナ禍でワクチンの治験が実施されている現状にぴったりの次の一節である。

製薬会社が新薬の承認をFDAから得るために実施するランダム化臨床試験(治験)について見ていこう。こうした治験に自発的に参加する人たちは、新薬の対象となる患者の代表とは言えない可能性がある。自発的な治験の参加者は、製薬会社が提供する金銭的なインセンティブ、医学的なインセンティブに反応した人たちである。

金銭的なインセンティブとは、治験に参加すれば謝金がもらえる、あるいは無料で治療が受けられることを指す。医学的なインセンティブとは、治験に参加しなければ手に入らない新薬を入手できるといったことを指す。

 治験に自発的に参加したグループの反応の結果が、自発的に参加するわけではない人たちの結果と異なっているのであれば、治験の母集団は新薬が対象とする患者の母集団とは実質的に異なっていることになる。FDAが治験のデータをもとに医薬品を承認するとき、患者の反応は治験の被験者の反応と似通ったものになるという暗黙の仮定を置いている。この不変の仮定がどの程度正確かはわかっているとは言えない。

これがどの程度、新型コロナウイルスのワクチンの治験にあてはまるかはわからないが、「エビデンス」を理解する上で欠かせない論点には違いない。

 もう一つの例は、ぼくの関心から選ぶ。それは、有名な経済学者フリードマンの論説についてのものだ。フリードマンは、学校教育の「バウチャー制度」を提唱した。バウチャー制度とは、学校を好きに選んで教育を受けることのできるクーポン券を配布することである。それによって、教育を受ける人の「選択の自由」を保証し、学校に競争原理を導入する、ということだ。裏側には公教育の否定と解体が込められている。著者はまず、フリードマンの議論を引用する。

 「近隣効果」を根拠にした教育の国有化を支持する説に、そうしなければ社会の安定に不可欠な共通の価値観を醸成することができないとする議論がある・・・この議論はかなりな力を持っている。だが、この議論が明らかに正当だとはいえない・・・

 教育を社会統一の原動力にするために政府による公教育が不可欠であるとする考え方の根拠の1つに、私立学校の階層の格差を助長しかねないとする説がある。わが子をどの学校に通わせるかを選べる自由度が大きいと、似たような親同士で固まる傾向があり、バックグラウンドが決定的に異なる子供同士の健全な交流が妨げられるという。この議論が原則として妥当かどうかはともかく、主張されたとおりの結果になるというのは明白とは到底いえない。

このようなフリードマンの議論に対して、著者は、次のように批判を展開する。

この文章は興味深い。フリードマンは近隣効果に関して実証的証拠を一切挙げていないし、このテーマについての調査を求めているわけでもない。単に近隣効果があるからといって公教育を保証することが「正当だといえない」、「明白とは到底いえない」と述べているだけである。

 フリードマンのレトリックでは、証明する負担を無料の公教育に負わせ、反証がないのだからバウチャー制度は好ましい政策であると主張しているのだ。これはみずからの主義主張を押し通す主義主張のレトリックであり、科学のレトリックではない。

フリードマンのレトリックは、現在のネット上の議論・批判にも頻繁にみられるものだ。そういう意味で、本書を読むことで、こういう不毛な似非議論に巻き込まれない判断力が培われるだろう。

 本書には、他にも、刺激的な「実証的テーマ」が満載である。例えば、「コカインの消費量の削減経費」とか、「過去の犯罪歴と再犯の可能性の関係」とか、「IQは「生まれ」と「育ち」のどちらで決まるか」とか、「死刑の殺人抑止力効果」とかである。これらの社会的に重要な問題から、読者は「エビデンス」の在り方を学ぶことができる。

 また、本書は、統計学のメソッドの指南書として読むこともできる。例えば、今、実証の論文で流行っている「回帰不連続」なども具体例から勉強することができて便利である。さらには、「意思決定理論」の入門書にもなっている。是非、多くの人に読んでいただきたい。

 最後に自著の宣伝になるが、「データサイエンス」にこれから参入するなら、まず、(最初のほうで紹介した)拙著『完全独習 統計学入門』『完全独習 ベイズ統計学入門』を読もうよ。きっと、役に立つからさ。笑

 ではでは、良いお年を。

 

完全独習 統計学入門

完全独習 統計学入門

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2006/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

完全独習 ベイズ統計学入門

完全独習 ベイズ統計学入門

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2015/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)