剰余定理には、行列バージョンがあったんだ!

 年末ぐらいからNetflixにはまり、けっこうドラマを観ちゃっている。

 まずは、「クイーンズ・ギャンビット」。これはすごかった。あまりに傑作だった。なんと、全7話を三巡も観てしまった(笑)。

 物語は、親を失い、施設で暮らす女の子が、施設の清掃員のおじさんにチェスを教わり、チェスの天才へと成長していく、というもの。たぶん、現実に世界チャンピオンになったボビー・フィッシャーを女子に置き換えたんだと思うのだけど、シナリオがあまりによくできている。チェスの詳しい内容には踏み込まず、その代わり、アメリカ社会のいろいろな側面を投入した、みごとな青春ストーリーになっている。

 そして、最近観たのは、実写版「アカギ」。これは、アカギと鷲巣との伝説の一夜の闘いを完全に描いたもの。本郷くんのアカギもさることながら、津川さんの鷲巣がすばらしかった。マンガを読んだときは、次が知りたくて、ついつい手替わりとかおろそかにしてしまったけれど、このドラマではきちんと説明がなされるのでマンガよりわかりやすかった。

 もう一つ観たのは、実写版「咲」のドラマ4話と映画。以前は全く興味がなかったんだけど、最近、浜辺美波ちゃんの良さに目覚め、美波ちゃん目当てでこのドラマを観た。麻雀の内容もおもしろいが、とにかく当時、16歳ぐらいだった美波ちゃんの美少女ぶりがすばらしい。

 さて、これで終わったら「阿呆か」ってなってしまうので、数学のこともちょっと書こう。

 実は今、線形代数の復習をしている。なんで今頃、線形代数か。実はある疑問に肉薄したいからなんだけど、それは最後に書くことにして、今何を復習しているのかを述べる。それは、「ジョルダン標準形」なのだ。

 ぼくは、『ゼロから学ぶ線形代数講談社という本を刊行していて、けっこうロングセラーになっている。そんなのに「ジョルダン標準形」を知らないんかい、という突っ込みが来そうだが、そりゃ、知ってるさ。この本を書くときに、ちゃんと理解した。でも、その時の理解では、今肉薄したいぼくの疑問には届かないのだ。当時の理解は、草場公邦『線型代数』朝倉書房から得たものだったような気がする。これは、草場先生の本の特徴である、ものすごい明解な解説がみなぎっている。でも、今回の疑問に際して、読み直してみて、「なんか求めているものと違うな」という感触になったのだ。草場先生の本には、わかりやすく簡潔な証明が投入されているんだけど、言ってみれば「予備校の先生がやる別解名人芸」みたいなもので、「数学の深淵」とはちょっとズレている感じもするのである。

 そこで、今回は、杉浦光夫『Jordan標準形と単因子論』岩波書店を読むことにしたのだ。ぼくの疑問へのヒントがここにある予感がしたからだ。そして、この本を読んでよかったと思う。「行列の対角化」と「行列のジョルダン標準形」について、実に「深淵な」解説を展開している。

 今回は、その中から、「剰余定理の行列バージョン」を引用することにする。

「剰余定理」というのは、高校2年ぐらいで教わる多項式についての定理だ。多項式f(x)と1次多項式(x-\alpha)(\alphaは数)に関して、f(x)=(x-\alpha)Q(x)+Rを満たす多項式Q(x)と数Rが存在し、数R多項式f(x)x=\alphaを代入したf(\alpha)になる、というもの。この定理によって、「因数定理」とよばれる「f(\alpha)=0f(x)=(x-\alpha)Q(x)」が導かれる。この定理を行列に拡張したバージョンが存在したのである。有名なのかもしれないが、恥ずかしながら今の今まで知らず、杉浦先生の本で初めて知った。

 行列バージョンは次のように表現される。

tを変数とし、n次正方行列P_jたちを係数とする多項式P(t)=P_mt^m+P_{m-1}t^{m-1}+\dots+P_0がある。このとき、n次正方行列Aとn次単位行列Iに対して、P(t)=(tI-A)G(t)+Rを満たすn次正方行列G(t)Rが存在する。そして、R=A^mP_j+A^{m-1}P_{j-1}+\dots+P_0となる。

このRは、行列係数の多項式P(t)の変数tに行列Aを代入したものだから(ただし、積の順序に注意)、まさに「剰余定理」と同じことを主張している。この定理の証明は、P(t)の次数に関する数学的帰納法で出来て、とても簡単なのだ。

 この定理の系として、「行列版・因数定理」も得られる。すなわち、多項式g(t)とn次正方行列Aに関して、

g(A)=O⇔「g(t)I=(tI-A)G(t)となるG(t)が存在」

という定理だ。この定理は、意外な定理の証明に利用できる。それは、あの有名な「ハミルトン=ケーリーの定理」である。この定理は、高校数学に行列と1次変換があった我々の時代には、生意気な受験生なら知っていた定理である。

「ハミルトン=ケーリーの定理」とは、

「n次正方行列Aとその固有多項式\Phi(t)=det(tI-A)に関して\Phi(A)=0となる」

というもの。(ちなみに、det(AI-A)=0は間違った証明、ということがwikipediaに書いてあるので、参照するように)。

 この「ハミルトン=ケーリーの定理」は「行列版・因数定理」によって次のように鮮やかに証明できる。tA-Iの余因子行列をG(t)としよう(行列Aの余因子行列\tilde{A}とは、detA\neq0のとき、1/detAを掛けると逆行列になる行列のことで、一般には、A\tilde{A}=(detA)Iを満たす)。すると、(tA-I)G(t)=(det(tI-A))I=\Phi(t)Iが成り立つ。したがって、「行列版・因数定理」から\Phi(A)=0となる。

草場先生の本には、もっとダイレクトな「ハミルトン=ケーリーの定理」の証明が紹介されているが、たぶん、本質的にはこれと同じ仕組みだと思う。そして、ぼくは杉浦版の証明のほうが好みだ。なぜなら、「剰余定理」「因数定理」という高校数学で馴染みの定理の発展形が成り立つことが本質だと教えてくれていて、「一貫した哲学」が感じられるからだ。

 さて、最後に、なんでぼくが今頃、「ジョルダン標準形」を勉強したくなったかを簡単に述べておこう。それは、「多項式因数分解における分岐」というのが、行列の基本形とか、対応する空間(一般固有空間)の性質を映し出す、というのがめっちゃ不思議だからなのだ。実際、n次正方行列Aの固有多項式\Phi(t)=det(tI-A)が、\Phi(t)=(t-\alpha_1)^{m_1}(t-\alpha_2)^{m_2}\dots(t-\alpha_r)^{m_r}

と素因子分解されるとき、指数m_kAの一般固有空間の次元となる。ただし、これだと、固有空間(Aが対角化できる)の場合と、一般固有空間(Aがべき零成分を持つ)の場合とが区別がつかず、それを分類するには最小多項式m(t)(Aを代入して零行列になる最小次数の多項式)を調べる必要がある。最小多項式m(t)は、固有多項式\Phi(t)を割り切り、しかも固有多項式の根はすべて根として持っていることが示される。これらを分析すると、Aが対角化できるのは最小多項式m(t)が分岐しない場合(単根の場合)だと判明する。

 このように、「対角化」と「多項式の分岐」と「固有空間」とが魔法の鏡のように互いを映し合っている。なんかワクワクする世界感である。実は数論を勉強してみると、似たような場面に遭遇する。代数体における素数の素イデアル分解に、分岐の性質(因子の素イデアルの指数が2以上)が現れ、どうも多項式や特殊な空間と関係があるようなのである。こういうこととの関係性を知りたくて、久しぶりにジョルダン標準形を新しい観点(単因子という観点)から理解したくなったのだ。

本文中に出てきた本は以下。(杉浦先生の本はアマゾンに見つからなかった)。

線型代数 (すうがくぶっくす)

線型代数 (すうがくぶっくす)

  • 作者:草場 公邦
  • 発売日: 1988/10/01
  • メディア: 単行本
 
ゼロから学ぶ線形代数

ゼロから学ぶ線形代数

  • 作者:小島 寛之
  • 発売日: 2002/05/10
  • メディア: 単行本
 

 草場先生の本は、ぼくの知りたい「哲学」には答えてくれないけど、達人のようにエレガントな解説をしている。ぼくの線形代数の本は、対角化については一般論を書いていないけど、「固有値が物理学的にどんな意味を持っているか」について、簡明な解説をしているので、役に立つと思う。是非読んでみて。