読むだけでわかる代数幾何の本

今回は久々に数学のことをエントリーしよう。

いろいろわけあって、いま、40年ぶりに代数幾何の勉強をしている。このことは、以前にも、今頃になって、なんでか代数幾何が面白いでエントリーしたので読んでほしい。あるいは、かなり昔のエントリーだが、数学って「思想」なんだよな、も少しだけ関係があるので読んでほしい。

今回紹介するのは、永井保成『代数幾何学入門 代数学の基礎を出発点として』森北出版だ。この本を評すなら、「読むだけでわかる代数幾何の本」ということになる。え?あたりまえじゃないかって? いやあ、そうじゃないんだな、代数幾何の本に限っては。他のほとんどの代数幾何学の本は、「読んで教えてもらわないとわからない」とか、「読んで考え込まないとわからない」とか、「読んで調べないとわからない」とか、「読んで知ってることじゃないとわからない(笑)」とか「読んで生まれ変わらないとわからない(涙)」という類いの本ばかりなんだよ、まじに。そういう意味で、「読むだけでわかる」本書は、ほんとに希有な教科書だと思う。

この本が「読むだけでわかる」のは、著者がいろいろな親切な工夫をほどこしているからだ。箇条書きをすると以下のようになる。

1. 各章がそれぞれすごく短いので、わからなくなる前にひとつの話題が終了する。(そのせいで、なんと、21章もある)。

2. 何のためにそんな概念を考えるのかをいちいち自然言語で説明してくれている。

3. 証明中の、素通りしてはいけない大事な条件や仮定や式変形方法について、わざわざアンダーラインを引いて、読み飛ばさないよう、注意を喚起してくれている。

4. 非常に適切にして試金石になる例が紹介されている。

5. 遠大な道のりが必要な定理を主役とせず、面白い定理ながら短い道のりで到達できるものを主役として選んでいる。

こういう数学書はあるようでそんなにない。もし、本書が講義を原稿化したものなら、きっとすばらしくわかりやすい親切な講義だと思うし、ダイレクトに本で書いたなら、ものすごくよく構成を考えた上で執筆したのだと思う。どちらにしても絶賛ものである。

内容について、ちょっとだけ触れるけど、もうしわけないが、まだ第6章から第10章の5章分を読んだ程度の段階なので、それを前提に読んでほしい。

もともとは別の本で「座標環(多項式環を方程式の生成するイデアルで割った商集合)」を勉強していて、いまいち曖昧模糊として掴めない感があって、この本の第6章にあたってみたのがきっかけであった。それがめちゃめちゃわかりやすかったので、続きの章も読んでいくうち、ついつい面白くて、第10章まで読んでしまったのである。

これらの章だけでも、ぼくが最も興味のある数論に役立つアイテムがてんこもりだった。

まず、第7章の「加群」の章では、ネーター環の解説と「ヒルベルトの基底定理」の証明が紹介されているんだけど、そのついでとして、「完全系列」についても解説される。完全系列というのは、加群(でも環でも群でもいい) A, B, C準同型写像 f, gが作る図式、0\rightarrow  A \rightarrow (f) \rightarrow B \rightarrow (g)  \rightarrow C  \rightarrow 0について、 f単射 fによるAの像と gによる0の逆像が等しい( f(A)=g^{-1}(0))、g全射が成り立つものである(もっと長い列の場合は、ひとつ前の準同型の像と次の準同型の核が等しい、という条件を加えていけばよい)。たぶん、完全系列に慣れてもらおうという魂胆だと思うのだが、完全系列についての「5項補題」と「へび補題」のすごくわかりやすい記述の証明が投入されている。

完全系列は現代の多くの数学で使われる道具なんだけど、どの教科書でも、それがどんなふうに役に立つのかは、かなり先のほうまで読まないとわからないようになっているから、初学者はイライラしてしまう。でも、この本では、この7章自身の最後にちょっとした応用が書かれていて、10章(といってもたったの40ページ先)に応用が出てくるから嬉しい。

次の第8章は、「有限群の表現」という章。これは、有限群から行列の乗法群への準同型写像のことをいう。要するに、群演算の仕組みを行列のかけ算に写し取るわけなんだね。例えば、置換群(n個の対象を入れ替える操作の作る群)の場合、その表現は、n \times n行列の各行・各列に1個だけ1があるような行列たちの乗法群となる。

「群の表現」は、ゼータ関数に関係する数学(とりわけ、保型形式と楕円関数のゼータ対応)に関係するので、初歩ぐらいは知っておきたいアイテムだった。本書では、たったの5ページで解説が終わるからありがたい。それでも「Maschkeの定理」というステキな定理が証明される。

この「群の表現」を紹介しているのは、次の9章から「不変式論」を展開するためだ。不変式というのは、高校数学(というか受験数学)でおなじみの「対称式」を思い起こせば良い。対称式というのは、変数の入れ替えを行っても不変であるような式のこと。3変数の場合の例として、x^3+y^3+z^3のような式のこと。3変数の対称式は、かならず3つの基本対称式x+y+z, xy+yz+zx, xyz多項式で表現できることが知られているんだけど、この章ではその一般化を議論している。「ああ、この話はこういうふうに一般化するのか」と感心した。数学的な定理の証明を考えるのも重要な仕事なのだろうけど、定番となった理論をどうやったら一般化できるのか、その仕組みを作りあげることも才能のいる仕事だと身にしみた。この第9章のメインディッシュは、「ヒルベルト有限生成定理」というやつで、「有限群の表現から定まる不変式環は有限生成である」というすんごい定理だ。感激。

そして、第10章はいよいよ、「次数環とHilbert-Poincare級数」に突入する。「次数環」というのは、ぼくにとって初耳の環の概念だった。「次数環」とは、ようするに、多変数の多項式のなす環みたいな環だと想像すればよい。どんな多項式も、定数+1次単項式+2次単項式+・・・、のように次数別の和で表現できる。このように、環の要素が「適当な次数のついた部分環」の各要素の和で表せるような環を次数環と呼ぶみたいだ。この章では、次数環に対して「次数の拡張」にあたるものである「ヒルベルト-ポワンカレ級数」というのを定義し、その式を特定するのが目標である。そして、その証明のポイントになるのが、第7章で準備した完全系列だというわけなのだ。実によく伏線を張った展開だと思う。

代数幾何の教科書というのは、(ぼくの知っている範囲で)おおまかに言って、「代数曲線論」「リーマン面の理論」「可換環論」「スキーム論」というふうに分類できると思うけど、本書はフレーバーとしては「可換環論」かな、と思う。ぼくは、40年ぐらい前に、大学院を受験するためにしぶしぶ可換環論を勉強したけど、その抽象性と無味乾燥な内容に辟易としてちっとも理解できなかった経験を持つ。でも、本書を読んで、「ああ、もしかして、可換環論も面白いものがあるのかも」と感じる部分もあったから不思議だ。人生、どう転ぶかわからない。

 最後に一応、自著の販促をさせておくんなまし。置換群とか対称式とかについては、拙著『完全版 天才ガロアの発想力』技術評論社をどうぞ。あと、素人が代数幾何を勉強する場合、いきなりプールに飛び込むのは危険なので、「準備運動」の本として拙著『数学は世界をこう見るPHP新書をどうぞ。