たくさんのインスパイアをもらえる熱力学の教科書

 今回は、田崎晴明『熱力学=現代的な視点から』培風館を紹介しようと思う。これは、熱力学の教科書なのだが、非常に異色であり、教科書というよりは「思想書」のような風情だ。なぜなら、本書からは、熱力学だけじゃなく、たくさんのインスパイアを得られるからだ。

 ぼくは本書は相当昔から持っていたし、読んでなんとか熱力学を理解したいと思っていたけど、ぱらぱらめくってみては、「ちょっと無理」と感じて書棚に戻す、ということを繰り返していた。

そんな本書を、今回は、第6章まで一気に読めてしまった。なぜ読めるようになったかというと、友人の物理学者・加藤岳生さんの東大での熱力学の講義資料をもらって独習したことがきっかけだった。この東大での講義は、「さすが加藤くん」というみごとなもので、ぼくは加藤さんの講義で、宿願だった熱力学の本質の一端をつかむことができたのだ。

 そうした結果、今こそ田崎『熱力学』を読めるようになったのではないか、と思いたって、満を持してチャレンジしてみた。そうしたら、なんと!読めてしまったのだ。そればかりではなく、数学エッセイストとして、また経済学者として、大きなインスパイアをもらうことになったのである。この本を理解できてしまうと、「これ以上の熱力学の解説はありえないのではないか」とまでの衝撃を受けた。(加藤くん、ごめん。せっかく資料をくれたのに。笑)

 この本で読者は、たくさんのサプライズを受け取ることができ、「世界の仕組みがどうなっているか」「人間は、それをどう受け取り、どう理解するべきか」ということを、熱現象という物理現象を通して教えてもらえるだろう。

 そのサプライズには、「等温操作と断熱操作が、どう(公理論的に)本質的に異なるか」とか「`熱'というのが、実は認識不可能なもの」とか「エントロピーが完璧にわかっちゃう」とか「自由エネルギーが最初から出てくる」とかいろいろある。でも、それは次回以降にエントリーするとして、今回は本書にみなぎっている「思想」方面についてだけ紹介しようと思う。

 田崎さんは本書の第1章で、熱力学に対する思想を熱く語っている。これは田崎さんの本に共通する姿勢である。そして、それらの熱力学に関する思想と熱力学に注ぐ眼差しからは、たくさんのインスパイアを受けとることができる。とりわけ、経済学の研究者として、得るものは大きかった。田崎さんが論じているのは、「熱力学におけるマクロとミクロの関係」だ。経済学も「マクロとミクロの関係」では同じ難題に直面しているから、刺さるものがある。例えば、以下のような記述だ。

熱力学や流体力学のようなマクロなスケールでの理論(現象論)は、よりミクロな「基本的な」理論の「近似」と見なすのが還元主義の立場である。還元主義の見方が首尾一貫しているのは確かだが、私は優れた現象論は、近似などではなく、それ自身、ミクロな理論から「独立して」存在し、ある普遍的な構造を厳密に記述するものだと捉えている。

ぼくは常々、経済学が「悪しき還元主義」に陥っているのではないかと疑ってきたので、この指摘には溜飲下がる。さらに田崎さんは次のように展開する。原文は長いので、わかりやすさを優先し、引用ではなく箇条書きで要約する。

ミクロな理論を出発点とした熱力学は、少なくとも以下の3点で望ましくない。

1.マクロな世界を記述する自立した普遍的な構造という熱力学の最大の特徴が見失われる。

2.物理学を経験科学として見たとき、ミクロな統計物理学がマクロな熱力学の基礎だと考えるべきではなく、逆に、マクロな熱力学がミクロな統計物理学の基礎だと考えるべき。

3.現在のところは、統計物理学はミクロな力学とマクロな熱力学の両側から、それぞれ部分的に支えられ成立している。このような事情を踏まえれば、統計物理学から熱力学を導こうという考えは、一種の堂々巡りとみることさえできる。

これなども、そのまま経済学に置き換えることができると思う。田崎さんは、この節の締めくくりとして、次のように述べている。

人類が経験と理性で織りなした普遍的な構造の網が、かつては理解不能だった様々な現象を覆うようになっていく。そして、人類の認識の進歩につれて、この網はより豊かに、そして、より精密になっていく。このような科学観は、たった一つの「究極の」ミクロの理論が存在し、それ以外のすべての理論はそこから「近似理論」として導出されるという還元主義的な科学観よりも、少なくとも私には、はるかに魅惑的に感じられる。

この言葉からは、ひしひしと伝わるものがあるし、ぼくの経済学の研究の方向性に大きなインスパイアを与えられる。もちろん、「じゃあ、どうすればいいのか」は、まだぼんやりとしか見えないのだが。

 この本の熱力学の解説がいかにすばらしいかは、上で書いた通り、次回以降にエントリーするつもり。でも、次回は、ぼくの新著『素数ほどステキな数はない』技術評論社の販促エントリーになるから、笑、だいぶ先のことになると思う。