数学の未解決問題は、今と昔でどう違うか

 今回のエントリーは、雑誌現代思想青土社の増刊号『未解決問題集』について。これは、現代における数学界の未解決問題について、特集を組んだものだ。

 ぼくは、この特集に、数論の黒川信重先生と代数幾何の加藤文元先生と一緒に「数学(者)にとって未解決問題とは何か」という鼎談で参加した。
 少し内幕をばらすと、実はこの鼎談の話が来たとき、ぼくは正直断ろうと思ったのだ。だって、古典的な未解決問題ならともかく、現代の未解決問題なんて、ぼくにはさっぱりわからないし、司会役をするだけと言っても、黒川さんや加藤さんから読者にとって有意義な話を引き出せる能力なんてないからだ。でも、黒川先生にはいつもお世話になっているし、編集者の熱意にほだされたのもあって、迷いに迷って引き受けることにした。
 危惧していた通り、ぼくは一般のアマチュア読者に対して有意義な話をうまく引き出すことができなかった感がある。もちろん、黒川さんも加藤さんも、「天空からできるだけ降りてくるように」懇切丁寧に話してくれていた。それはもう、普通の専門家にはできないようなかみ砕きかただと思う。でも、ぼくがもっと、(専門家的に、というのではなく)、非専門家として現代の未解決問題の内容に通じていれば、読者の痒いところに手が届くような話題を引き出すことができたんじゃないか、と思えて仕方なかった。。
 鼎談の予習のために、それなりの努力はした。それでわかったのは、古典的な未解決問題と現代の未解決問題には、位相的な断絶がある、ということ。すなわち、古典的な未解決問題というのが「孤立的・単発的」であるのに対し、現代の未解決問題というのは「普遍的・統一的」だ、ということだ。
 例えば、フェルマー予想(解決された今では、ワイルズの定理)は、「指数nが3以上のとき、aのn乗とbのn乗の和がcのn乗となる、自然数a, b, cは存在しない」というものだった。要するにこれは、ある方程式に自然数解があるか、ないか、という単発的な問題だ。また、未解決のゴールドバッハ予想「4以上の偶数は素数2個の和で表せる」というのも、単独的で孤立した問題だと言えよう。それに対して、現代の未解決問題というのは、「一般に〜ということが成り立つであろう」という、「普遍性」「統一性」を要求するものとなっている。あるいは、一見異なる対象について、「〜と〜は普遍的に一致するだろう」という形式になっている、と言ってもいい。例えば、バーチ・スィンナートンダイヤー予想は、楕円曲線の有理点に上手に加法を定義すると、(交換法則や結合法則を満たす)加法群になるんだけど、1点を無限に加えていって元に戻らない点が本質的に何点あるか(階数)と、楕円曲線から作られるゼータ関数をs=1のところでテーラー展開したときの最初の指数(位数)が一般に一致する、というものだ。また、ラングランズ予想は、「ガロア表現のL関数と保型表現のL関数は等しいだろう」というような、それこそ茫洋とした広大な普遍性の追求になっている。
 黒川さんの話を聞いていると、「古典的未解決問題」から「現代的未解決問題」への仲立ちをしたものが、「リーマン予想」だったように思われてくる。リーマン予想とは、ご存じの通り、「整数のべき乗の逆数和で定義され、複素数全体に解析接続されるゼータ関数の虚の零点は、実部=1/2という直線上に並ぶ」というもの。これだけ見ると「孤立的・単発的」問題に見えるけれど、その後に、ゼータ関数が有限体上や楕円曲線上などに拡張され、そこでもみごとな性質を持つことが発見されたことで、「普遍的・統一的」な未解決問題を生み出すことになって行ったのだ。解決されたヴェイユ予想ラマヌジャン予想や谷山予想、未解決なラングランズ予想はそういう延長線上に位置している、と言える。
 ぼくの感想を言うと、古典的な未解決問題というのは「パズル的でわくわくする問題」で、現代の未解決問題というのは、「人間の数的思考の奥底に横たわる思想的深淵を垣間見せてくれる問題」という感じ。どちらも好きだけど、後者はあまりに抽象的で、味わう資格を取得するのにあまりに険しい道のりが待っているのが辛い。
 本書には、たくさんの数学者がそれぞれに未解決問題(だったもの、も含む)を解説している。列挙すれば、「バーチ・スィンナートンダイヤー予想」「深リーマン予想」「P≠NP予想」「ホッジ予想」「コンセビッチ・ザギエ予想」「連続体仮説」「フェルマー予想」「ポアンカレ予想」など。
 全部をざ〜っと読んでみると、(編集上そうなった、と言えるかもしれないが)、共通キィワードとして「コホモロジー」というのがあると思う。コホモロジーというのは、空間に対して定義される不変量で、まあ、多くの人がわかる言葉で言えば、局所的に対応する線形空間のようなものである。この不変量を開発したことで、現代数学は、(例えば、素数の集合や有限体のような)抽象的な対象を幾何的な空間として扱って、その素性を「計算によって」暴くことが可能となった。
 そういう意味で、コホモロジーは点在する未解決問題を渡り歩くための足場岩になるんだけど、これがまた、きちんと勉強しようとすると、あまりにごつごつしてて、敷居が高いのである(例えば、数学は遠きにありて想うもの - hiroyukikojimaの日記を参照のこと)。だれか、コホモロジーを新書かブルーバックスレベルぐらいで、わかりやすく解説してくれんものか。(誰もしないなら、いずれぼくがやっちゃるわい。何年かかるかわからんが。笑。拙著『数学は世界をこう見る』PHP新書を読めば、ちょっとはこのあたりの雰囲気がわかるとは思う。)。
 「数学(者)にとって未解決問題とは何か」は、どの記事も面白いので、ここでは特に一つを紹介することはしない。是非、一家に一冊、職場に二冊。最後に、田口雄一郎氏の記事の中に出てくる「優れた問題の特徴」を引用するにとどめよう。いわく、

優れた問題は美しい。
優れた問題は容易に解けない。
優れた問題は発展を促す。
優れた問題は広い範囲に関わる。
優れた問題は人々を幸せにする(不幸にもする)。

あなたも、是非、本書を読んで、幸せに(不幸に?)なってくらはいな。