経済学者がこぞって読むべき物理の本

 今回は、久々に物理学の本の紹介をしようと思う。紹介するのは、田崎晴明統計力学I』培風館だ。この本の元となる原稿は、かなり前に入手していた。ぼくが、田崎さんにぼくの経済学の教科書を献本したら、田崎さんが、お礼に(しかえしに)TeXで作った原稿を製本した分厚い冊子をプレゼントして下さった(送りつけてきた)のである。そのときは、ざっと斜め見しただけだったのだけど、今年に入って、(前半だけ)真面目に読んでみたのだ。

なぜ今頃読んだか、というと、それは経済学的なモチベーションからなのだ。
経済学では、「ミクロとマクロがいったいどうつながっているのか」というのは、いまだに解決されていない難題であり、突破口を見つけなければならない課題である。とりわけ、マクロ経済学において、ミクロ理論での基礎付けが要求される現状では不可避のことだ。
マクロ経済学の専門家ではないので確かなことは言えないけど、よく知られたマクロモデルでは、「代表的個人」というのを主体にモデル化している。それは、あたかも国民がたった一人しかいないかのような仮定の下でモデルを作っている、ということだ。もちろん、「国内にはいろんな人がいる」ということを無視しているわけではなく、それなりに正当化できないわけではないんだけど、それでも「ミクロ=マクロ」となっているこの前提は、それで大丈夫なのかと思わざるを得ない。
 そこでぼくは、統計力学をある程度きちんとわかりたい、となったわけだ。統計力学は、物理学において、ミクロとマクロの関係をなんとか解き明かそうとし、完全ではないが十分な成果を得ている。そんなわけで、分厚い私家版冊子を手にしている(押しつけられている)にもかかわらず、培風館版をあえて購入し、読み始めた次第である。
 ちゃんと読んでみたら、めちゃくちゃのけぞった、というか、驚いた、というか、感動した、というか、目を丸くした。そこには、ぼくの経済学的なモチベーションを刺激する記述があちこちにあったからだ。この本は、経済学者必読の物理学書と太鼓判を押せる本だったのである。
 まず、この本の章立てを、(読んだところまで)、ぼくの言葉でまとめてみる。
第1章 統計力学について、その問題意識を包み隠さず宣言している。
第2章 定番の確率論を、統計物理に応用できる言葉に書き換え、独自の物理的解釈を提示している。
第3章 量子論からの最低限の準備をしている。とりわけ、エネルギー固有状態の離散性と平方性を導出している。
第4章 平衡状態とは何かを解説し、それを記述するカノニカル分布を導出している。
第5章 カノニカル分布を応用して、気体の状態方程式を導いたり、常磁性体のモデルを導出したりする。
ここまでのすべての章が、経済学者として、驚きと興奮の連続だった。とりわけ、経済学者諸氏にお勧めしたいのは、第1章と第2章である。ここには「ミクロとマクロをつなぐ」問題について、執拗なまでに(良い意味での)御託を並べている。ここまで、きちんと著者の考えを記載している統計力学の本は、(ぼくの知っている限り)他にはないと思う。
一部の経済学者は、マクロモデルのために、統計力学を取り入れる研究をしている。古いけど代表的なのはダンカン・フォーリーの「統計的均衡」の論文で(楽しい統計物理 - hiroyukikojimaの日記参照のこと)、その後も、ぽつぽつと研究が出ている(ようだ)。でも、それらの研究は、統計物理をもろに経済現象に写し取るようなもので、ぼくにはあまり有効だとは思えない。物理現象と経済現象には根本的に違うところがある。だから、統計物理から写し取るべきは、モデルではなく思想のほうであるべきだと思うのだ。そういう観点から、本書の「(良い意味での)御託」は、そういう思想を得るのに役立つのだ。経済学者の立場から、非常に示唆的に感じられる記述を、いくつか引用してみよう。

予想されるように、ミクロの世界とマクロの世界を結ぶのは、きわめて非自明で困難な課題であり、今日でも未解決の点を無数にある。それでも「平衡状態」と呼ばれる限定された状況については、ミクロな世界の法則がどのようにマクロな世界と対応するかについての、ほぼ完全な一般論が得られている。

統計力学はミクロな世界の力学法則に基づいてマクロな世界を記述する体系である。(中略)。力学を少し学べば実感するように、特殊な事情がない限り、粒子の数が増えれば増えるほど、力学の問題を解くのは難しくなる。(中略)。ところが、ここで非常に興味深い「逆転」が起きる。構成要素の個数がきわめて大きくなることで、逆に、ある種の問題の扱いは簡単になるのである。より正確に言えば、マクロな系が平衡状態という特殊な状態にあるときには、力学の問題を完全に解かずにマクロな物理量のふるまいを正確に特徴づけることができるのだ。さらには、この際、系の記述には、力学の言葉よりも確率論の言葉を用いるのが自然なのである。

この言葉は、ぼくの統計力学への誤解を完全に解いてくれた。ぼくは、統計力学というのは、力学法則を公理のようにして用いて、マクロ現象を演繹的に導出する分野だと思い込んでいた。でも、そうではなかったのだ。次の記述は、そのことをもっと明確にしてくれる。

気体にしろ、固体にしろ、磁性体にしろ、統計力学の対象となるマクロの系は、一般には、きわめて複雑なミクロな構造を持っている。これらの系の(量子)力学的なミクロな詳細を完全に特徴付けるには、膨大な数のミクロなパラメーターが必要だが、通常、それらの値を正確に知ることなどできない。だから、ミクロな情報をもとにマクロな物理量を無闇やたらと正確に計算できるような理論ができたところで、科学としてさしたる意味がないのだ。統計力学が目指すのは、様々な物理量を細かく計算することではなく、系のミクロな詳細に依存しない普遍的なふるまいを探し出し、それらを的確に記述することなのである。

これなんかは、経済学者としては超「耳が痛い」。そして、非常に啓示的に感じられる。
 圧巻なのは、第2章である。ここでは、確率論の基礎を準備するのだけれど、二つの目的を備えている。第一は、物理量を確率の言葉で表現すること。第二は、「確率論が、マクロとミクロを関係付ける」ということの意味を一般論として提示することである。
物理既修者にとっては無駄な章に思えるかもしれないが、ぼくら経済学者にとっては、宝の埋まった「もったいないぐらいの章」なのである。とりわけ、ゆらぎが測定精度よりもはるかに小さい場合、不確実性が確実性にすり替わるからくりを、「チェビシェフの不等式」を用いて説明している数ページは、鳥肌がたち、わくわくしてしまった。いわく、

確率論という不確かさを全面的に取り入れた枠組みの中で、このように(ほぼ)確実な予言が可能だということは、意外なことだし、(特に統計力学への応用を考えるとき)本質的なことだ。

この章には、マクロな現象を理論化するときの重大なヒントが満載のように思える。もちろん、そのとき、向き不向きや限界をわきまえるのは大事なことである。その点については、田崎さんは次のように言及している。

われわれの世界には定量的な分析という観点からは「手に負えない」部分が確実に存在する。マクロな物質の中に潜むきわめて多くの自由度の複雑きわまりない運動は、その典型例である。そのような「手に負えない」側面については、単に予言をあきらめてしまうのではなく、確率の言葉を使った定量的な予言を試みるのは健全な考えだろう。ただし、単に確率的なものの言い方しただけで、科学的・定量的になるわけではない。
 確率論そのものは抽象的な数学の体系であり、それだけでは現実世界の出来事について予言する力はない。抽象的な確率論と現実とを結びつける何らかの解釈の規則が必要である。

ここなんかも、経済学者の「耳の痛い」言及であろう。
 第3章は、シュレジンガー方程式からエネルギー固有状態の離散性と平方性を導出する。ここのところは、ずっと前から離散性と平方性が疑問のるつぼだったぼくには、目からウロコだったけど、興味のない経済学者は飛ばしても問題ないと思う。
 第4章は、最も基本となるカノニカル分布の導出を丁寧に解説している。ここでは、分布の数学的な導出も面白いのだけど、それより何より、分布を導出する「原理的部分」の解説がスゴイのだ。平衡状態は、何の仮定もなしに導出されるわけがない。そこで何が仮定されているかが、明確に、そして哲学的に解説されている。仮定される原理は次のようなものであり、このような記述は、(少ないけど)これまで読んだ統計力学の本では見たことがない。

平衡状態についての基本的な仮定:ある系での(熱力学でいうところの)平衡状態の様々な性質は、対応する「許される量子状態」の中の「典型的な状態」が共通にもっている性質に他ならない。

ここで、「許される」とか「典型的な」とかいう、科学的でない表現が冒険的に使われている。こういう危険な冒険が、本書の魅力なのだ。この原理を元にして、平衡状態から大きくはずれた系が、どうして平衡状態に発展する(平衡への緩和)のかが説明されていく。ここが、科学思想的な意味で、非常に重要なことであり、経済学にも輸入できる観点だと思える。この章の最後のほうで「エルゴード仮説」へ痛烈な批判が書かれている。エルゴード仮説は、いろんな本に書いてあってみんなが認める原理だとばかり思っていたから、これは衝撃的だった。
第4章は、カノニカル分布を計算して導出し、導かれた分布関数を用いて、エネルギーの期待値とゆらぎを計算する公式を提示している。それは、ほれぼれするような綺麗な公式であり、うっとりとした(数理統計でもそっくりの計算が出てきた記憶があった)。とりわけ、二準位系を使って、「低温ではエネルギーがなるべく低いエネルギー固有状態をとろうとし、高温ではデタラメに近い状態をとろうとする」ということを明快に説明しており、このことはすごく重要だと思いながらもなかなか「からくり」が納得できなかったぼくには、目からウロコの説明だった。
 第5章では、カノニカル分布をさまざまに応用している。とりわけ、理想気体の状態方程式を導くところはワクワクものだった。著者はこの方法について次のように書いている。

このようにして、理想気体の状態方程式を導くことができた。もちろん、PV=nRTは高校から知っている関係で、目新しいものではない。しかし、ここでは、そのお馴染みの関係が、気体分子についてのシュレジンガー方程式と統計力学の一般論だけから導出されたのだ。その意義は十分に大きい。
 気体分子運動論を学んだ読者、ここでのPV=nRTの導出に、気体分子の速度分布、分子が壁に与える力積などなどが全く登場しないことに驚くだろう。確かに、出発点となるのは分子の(量子)力学なのだが、力学と無数の分子の統計的な性質を個別に議論する必要はないのだ。すべて分配関数という「魔法の和」の中に取り込まれていて、半ば自動的に計算が進むのである。

はい、仰る通りで、ぼくはめっちゃ驚きました。
 さて、ここまで読んだところでぼくは、以前、ぼくが校閲を手伝った加藤岳生『ゼロから学ぶ統計力学講談社が、再読したくなった(この本との関係は、統計力学が初めてわかった! - hiroyukikojimaの日記を参照のこと)。この本は、校閲を手伝ったこともあり、相当読み込んでいた。そして、田崎さんの本とは、だいぶ構成方法が違っている印象があったからだ。

再読してみて、加藤くんがどういう工夫をしたかが当時よりずっとわかった。ほぼ、同じような方法論で、ほぼ同じ思想的な背景で書かれていることがわかった。(素人目には、「逆向きに」構築しているかのように見える)。ただ、重要な違いは、田崎本が公理論的な構築性を打ち出しているのに対して、加藤本は現象モデルを提示しながらイメージ的構成を試みている、というところ。加藤本は(褒めすぎかもしれないが)「ファインマン物理学っぽい」のである。とりわけ、前半で導入されている「ゴムの統計物理モデル」は、統計力学の計算が何をやっているのかをイメージするのに抜群に優れているので、田崎本を読んでいて苦しくなったら、この本に寄り道すればいいと思う。
 この二冊を読んでいて痛感したのは、高校で教わった力学というのが、統計力学ではなりを潜めて見えなくなる、ということだ。にもかかわらず、統計力学はミクロとマクロを整合的につなぐ。また、現実も精密に検証できる。この魔法のような手法は、経済学者にも十分示唆的な暗示的な啓示的なものだと思う。しかし、肝に銘ずるべきは、取り込むべきは「方法論」ではなく、その「考え方」「思想」「哲学」なのだ、という点であろう。