今回は、黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』現代数学社を紹介したい。
黒川さんは、これまでたくさんの著作を発表しており、ほとんどすべてがゼータ関数に関するものだ。本書ももちろん、ゼータ関数についての本ではあるが、「問題集」である、という点が異色なのだ。しかも、問題集として相当に面白い。
本当に面白い問題集というのは、問題自体が興味深くわくわくし、自分では解けないにしても、解答を読みたくなるし、解答を読んでまた楽しくなるものだ。でもそういう楽しさ満点の問題集はごくわずかしかない。(面白い数学書はいくらでもあるが、問題集では、という意味だからね)。
ぼくが持っている中で楽しさ満点の問題集を挙げるなら、次の二冊になる。
(1)ニューマン『数学問題ゼミナール』シュプリンガー・フェアラーク東京
(2)ピーター・フランクル&前原潤『やさしい幾何学問題ゼミナール』共立出版
(1)は、相当幅広いジャンルから問題がセレクトされている。難易度も、とても初等的なものから専門的なものにまで広範囲にわたる。「どのような実数の数列も必ず単調な部分列を含むことを証明せよ」のようなシンプルなものから、ラマヌジャンの発見した多重根号の珍妙な式の値を求めるものもある。圧巻は母関数の章で、母関数のこんなに初等的な使い方をこんなにたくさん提示している文献をぼくは知らない。
(2)は、離散数学の専門家二人による共著。こっちも相当面白い問題が満載だ。しかも、含意の深いものが多い。例えば「平面上の任意の5点A, B, X, Y, Zについての五角不等式
AB+XY+YZ+ZX≦AX+AY+AZ+BX+BY+BZ」を証明させる問題のあとに、「距離についての三角不等式だけを用いて五角不等式を証明することは不可能である」ことを証明させる。これは、答えを見ると簡単だが、モデル理論のいい導入例となってると言っていいものだ。この問題集を読むと、初等的な数学でも、十分に奥深く、哲学的に意義あるものがたくさんあるとわかる。
さて、では、黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』だ。
これはゼータ関数にまつわる問題集である。しかし、そんなに高度な知識は前提としていない。ここでいう「零点」とは何か。冒頭にこう書いてある。
零点というと数学と結びつけて試験の嫌な思い出がよみがえる人が多いかもしれない。ところが、数学の世界では零点が重要であり、「零点を見るだけで良い」と宣言して差し支えないほどである。タイムトンネルが別の時空への抜け穴のように、零点は真理への秘密のトンネルなのであろう。
そう、零点とは関数の値がゼロとなる点のこと。黒川さんは零点に数学のすべてがあると見ているのだね。むかし、数学科の同人誌に、だれかが「ヒルベルトの零点定理」のことを「テストに出すとみんな零点をとってしまう定理」と書いていて、吹いたことを思い出した。
黒川信重『零点問題集 ゼータ入門』には、たくさんの問題が掲載されているので、多くを紹介するわけにはいかない。ここでは、二つほどトピックスを抜き出すにとどめる。
まず、面白さ満点なのは、第2話「ζ(-2)」の章だ。
ここでは、いろいろなゼータ関数を紹介し、その多くにおいて、s=-2におけるゼータの値がゼロになること、言い換えると、-2が零点であることを紹介している。
オイラーとリーマンが研究したリーマン・ゼータ関数とは、「自然数のs乗の逆数和」を関数として見るもの。s=-2のときは、「自然数のs乗の逆数和」=「平方数の総和」だから、普通の数学では発散する。しかし、解析接続というのを使って「自然数のs乗の逆数和」を全複素数に拡張する(意味をもたせる)ことができ、そうした場合、「平方数の総和」には別の意味が与えられる。その別の意味での計算において、値がゼロになるわけなのだ。
第2話では、この証明を5通りも与えている。どの証明も数学的に興味深く、うならされる。
さらに、リーマン・ゼータ関数を代数体(高次方程式の解を有理数に添加してつくる体)に拡張したデデキント・ゼータ関数に対して、どの代数体においてもs=-2が零点になることを証明している。
そればかりではない。ウィッテンが量子ゲージ理論に導入したウィッテン・ゼータ関数(コンパクト位相群上のゼータ関数)においても、特定の群について、s=-2が零点であることを紹介している。(これは黒川さんたちの結果らしい)。
ほほう、不思議だなあ、美しいなあ、と感心していると、次の第3話でs=-2が零点とならないゼータ関数もたくさんあることが紹介されて、な~んだ、となる。笑
もう一つ紹介したいのは、第9話「固有値と零点」の章だ。
ここでは、⊿_n(x)という多項式列が紹介されている。この多項式列は、漸化式
⊿_n(x)=x⊿_(n-1)(x)-⊿_(n-2)(x)
で定義されるものだから、高校生でも扱うことができる。(本書での定義は対称行列の固有多項式で行われているので、それは高校範囲外だけどね)。この多項式が、実に面白い性質を持っていることが紹介される。例えば、零点が2cos(kπ/n+1)(k=1, 2,・・・,n)となることとか、ゼータ関数のように関数等式が成り立つこととか、sinの積についての面白い公式
Πsin(kπ/2n)=√n/2^(n-1)
を導くとか、⊿_n(3)がフィボナッチ数になるとか、である。実に面白い。
この関数列を発展させて行った上で、黒川さんの次のような思い出話も付加されている。
この問題の背景については、
黒川信重「数学・思い出の1題<<ある宿題>>『大学への数学』2017年3月号, 34-35
に解説を行っている。もともとは、半世紀近く昔の『大学への数学』1970年2月号に出題された「宿題」が起源である。
これを読むと『大数』の影響力はすごいな、と改めて思う。読者から数々の数学者を生み出しているし、日本の受験数学のレベルを高め、また、日本の数学文化を創り上げている。このことは見逃したり無視したりしてはならない事実だと思う。ぼくも『大数』に連載を持ったことがあるので、誇らしくなる。
最後に宣伝となるが、黒川さんの問題集のような水準ではないものの、数学の面白さ満点の本として、拙著『キュートな数学名作問題集』ちくまプリマ―新書を推薦しておきたい。