神が愛した天才数学者たち

ゴールデンウィークには、息子の要望で、昨年と同じく(科学への憧れとアレルギー - hiroyukikojimaの日記参照)、上野の科学博物館に行った。地下の原子物理のフロアには、大きな元素周期律表があり、係員のかたが子供たちに解説をしてくれた。それを聞きながら、とても悲しい気持ちになった。「これは、今話題のヨウ素です。そして、こっちがセシウム。あとは、これがストロンチウム…」、そんな説明を子供たちは神妙な顔で聞き入る。宇宙線を見ることができる霧箱に多くの子供たちが見入っていたけど、そんな彼らの心の中に去来するものは、決して「科学への憧れ」とはいえないかもしれないな、などと思った。
これが、「未来」、だったなんて。20世紀少年だったぼくらが期待に胸を膨らませた「未来の科学」がこんなだったなんて。ぼくは、おみやげに買ったはやぶさのストラップを握りしめた。
そんな中、チケットを入手してて、暗い生活の中でたった一つの楽しみだったアヴリルちゃんの公演が、来年に延期になってしまった。アヴリル側からは理由についての公式発表はないけど、他のカナダのアーティスト(ジャスティン)の発言によれば、アヴリルのスタッフの中から「日本には行きたくない」という声が出たかららしい。まあ、そりゃそうだろう。ぼくだって、放射線で汚染されてる国なんて行きたくない、と思うに違いない。とかいいながら、めげないぼくは、相対性理論というバンドの来週の公演のチケットを入手した。バンド名からして原子物理と関係してそうだが、残念、まったく無関係。とにかく、いま最も聞いてみたいボーカリストやくしまるえつこちゃんの声を生で聞くのが、ここんところの唯一の楽しみだ。
相対性理論のアルバムシンクロニシティーン」に入ってる名曲に小学館というのがある。これは、「朝起きたら、地球がなくなってて、銀河をさまよってて、ただ一つ残念なのは、『スピリッツ』のマンガの最終回が読めないこと」っていう、明るい終末曲。曲もかっちょいいけど、とにかく歌詞が面白すぎる。しかし、この曲がシャレになんないな、って思うのは、最近物理系の友人から聞いたんだけど、「福井県にある(悪)夢の高速増殖炉もんじゅが、大変なことになってる」、って話(もんじゅ - Wikipedia参照)。もんじゅが再開したことさえ知らなかったぼくは、この話(部品落下事故)を聞いた夜は怖くて眠れなくなった。報道では、原子炉におっこどしてがっつりはまりこんで取れなくなった3トンもある部品を、来月(6月)に新しい作戦で取り出しにチャレンジするらしい。もんじゅは、水ではなくナトリウムで燃料を冷やすので、取り出しの際に原子炉に空気や水が入ったら、発火する可能性がある。もしかすると、その翌日に日本がなくなちゃってるかもしれない。マンガ最終回は読んでおいたほうがいいだろう。今は、相対性理論のライブが「落下部品取り出し大作戦」より先であることを祈るばかりだ。
 ま、怖くて暗い話はこれくらいにして、今回は本を一冊紹介しよう。吉永良正『神が愛した天才数学者』角川ソフィア文庫だ。

神が愛した天才数学者たち (角川ソフィア文庫)

神が愛した天才数学者たち (角川ソフィア文庫)

これは、数学者の伝記の本。ギリシャ時代のピタゴラスから始まって、フェルマーニュートンを経由して、最後はアーベルとガロアで終わっている。数学者伝には、ベルの『数学を作った人々』や、森毅の『異説数学者列伝』など有名なものがあるけど、前者は「ゴシップすぎる」と評されているし、後者は森さん特有の癖があるので読者を選ぶと思う。そういう意味では、吉永さんのこの本は、待望されていた数学者伝なんじゃないか、と思う。数式がほんのわずかしか入っていないので読みやすい。
ぼくは、高校時代は、学年いちの歴史音痴で通っていた。世界史も日本史もいつも赤点スレスレか赤点だった。そんなぼくだが、大学を出たあと、数学教育とか数学もの書きに携わるようになって、数学史を通して世界史に触れるようになり、世界史を面白いと感じるようになった。歴史上特記される時代は、数学の発展期でもあるから、数学史を勉強すると、世界史の全体像もわかるようになってくる。吉永さんのこの本は、数学史を通じて世界史を知るのに、絶好の本だと思う。数学以外の時代背景もいろいろと書かれているからだ。理系で歴史音痴の人に特におすすめしたい。
数学者の伝記を書くとき重要になるのは、「その数学者の何に注目するか」、ということだと思う。もちろん、できるだけ史実から離れないようにしなきゃならないのはあたりまえだけど、そうしながらも、書き手の嗜好や思想を込めるのが大事なのだ。吉永さんのこの本も、できるだけストイックに、というスタンスの行間に、そういう「嗜好」や「思想」がこめられている。そのバランスがとても良いので、どんな読者にもおすすめできる名著だと思う。
こういう本を書くとき、書き手の才能が発揮されるのが、「ちょい足し話」の部分だ。どれだけ面白い小ネタを入れられるかに才能が出る。吉永さんの最初の「ちょい足し」は、有名な「デロスの問題」にある。これは、ギリシャで疫病に困った人々がデロス島アポロンの神殿にお伺いをたてたところ、「神殿の立方体の祭壇を形はそのままで体積をちょうど2倍にせよ」というお告げをもらったという話。後に「立方体倍積問題」と呼ばれ、19世紀になって「コンパスと定規では作図不可能」という解決をみたものだ。この問題を紹介した吉永さんは、これに「4次元立方体だったら作図可能だったのに」という「ちょい足し話」を入れている。さすがである。詳しくは、読んでみてのお楽しみ。あるいは、17世紀のホッブスが、ユークリッドの原論で第47命題(ピタゴラスの定理)を読んだとき、最初は「神の名にかけて不可能だ」と言って、それを否定するために証明を読み、それが正しいので、その前に間違いがあるだろうとその前の命題を読み、ということを繰り返して、結局は最初まで戻ってしまって、命題47を正しいと理解し、それ以降、幾何学を愛するようになった、という「ちょい足し」エピソードも楽しい。
勉強になった「ちょい足し」は、次の「ラプラスの悪魔」についてのものだ。「ラプラスの悪魔」というのは、宇宙が力学の微分方程式で記述されているだから、初期条件が与えられれば、宇宙の過去から未来のすべてのできごとがわかってしまう、というもの。これは、ラプラスが「宇宙のできごとの決定論」を述べたものとして紹介されることが多く、ぼくもそう思ってたけど、吉永さんはこう言っている。

19世紀以降、科学の急速な発展に伴い、「ラプラスの悪魔」は拡大解釈され、科学の究極的な理想像とみなされてきた。そのため、これこそラプラスの真髄だと思われてしまったが、これは誤りである。
 実際、ラプラスの真意は、このような全知全能の知性は神にしか求められないこと、したがって神でない有限な知性である人間にとっては、不確実な事柄をその固有の論理で研究する数学つまり確率論が必要である、という主張のほうにあった。

なるほど、そうだったのか。
本書は、数学者それぞれで、扱うページ数や熱意にムラがあるのが面白い。とりわけ熱を入れているのが、ニュートンオイラー、アーベル、ガロアである。中でも、ガロアについては、力が入っている。今年がガロア生誕200年にあたるからだろう。いうまでもなく、ガロアは300年未解決の問題を19歳で解決し、20歳で決闘をして死んだ天才だ。俗書よりもずっと精緻に史実を調べてあって頭が下がる。ぼくもガロアについては、拙著『天才ガロアの発想力』技術評論社で、ガロアの生涯に触れるとき、ある程度調べたので、吉永さんの文献漁りが相当なものであったことはよくわかる。このガロアのところを読むだけでも、本書を購入する価値はあると断言する。一つだけ「ちょい足し」ネタを紹介しよう。ガロアの成績表である。

<第1学期>
数学 この生徒は、すべての級友のなかで、きわだった優秀さを示している。
化学 注意力散漫。学習はあまりしない。
物理 まったく学習しない。
<第2学期>
数学 この生徒は数学の高等な部分しか研究しない。
化学 品行は可。まったく学習しない。
物理 品行は可。まったく学習しない。
<第3学期>
数学 品行よし。学習は満足すべきもの。
化学 非常に散漫。学習ゼロ。
物理 非常に散漫。学習ゼロ。

これには、腹がよじれるほど笑った。いるいる、こういうやつ。もしも、読者のみなさんの息子さんや娘さんがこのタイプなら、「マックスではガロアみたいになる」と温かい目で見守ってあげてくださいまし。
吉永さんを知ったのは、彼が90年前後に、サイエンスライターとして彗星のように現れたときだった。自分もあわよくば数学ライターとして食っていきたい、と思っていたので、吉永さんの仕事にはずっと注目していた。初めてお会いしたのは、雑誌『大学への数学』で対談したときだった。吉永さんはこの雑誌で学者のインタビューを長い間連載していて、ぼくも2回呼んでいただいたことがある。しかも光栄なことに、2回目は、連載の最終回を飾ったのだった。そのあたりから、親しくしていただき、酒をくみかわしはながら、お話を伺ったことも何回かある。驚いたことは、吉永さんほどの人でも、サイエンスライターとして筆一本で食っていくことが大変だった、ということだ。吉永さんも今でこそ、大学教員をしておられるが、ライター時代の道は平たんなものではなかったそうな。そんな話に加えて、たくさんのアドヴァイスもいただき、とりわけ、ぼくの啓蒙書に欠けているものについてのヒントをいただいた。なので、いつか吉永さんがほめてくれる数学書を書く、それがぼくの現在の目標である。そう、日本がなくなってなければね。
とにかく、吉永良正『神が愛した天才数学者』角川ソフィア文庫は、ものすごくためになる数学者伝だし、数学への尊敬を胸に刻める本だと思う。是非、多くの人に読んでほしい。日本がなくなる前に・・・ってしつこいか。笑い。

天才ガロアの発想力 ?対称性と群が明かす方程式の秘密? (tanQブックス)

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