編集者は、世界でたった一人の味方

 物書きのキャリアをスタートしてから、もう25年くらいになるだろうか。これまでに、書籍メディア、雑誌メディア、新聞メディアなど、たくさんの編集者のかたといっしょに仕事をしてきた。そんななか思うのは、編集者というのは、とてもきつい仕事だな、ということである。書き手、編集部の上司、営業部、読者、他メディアとの間にはさまって、さまざまな要求とそこに起きるトラブルとを解決しなければならない。ストレスの絶えない仕事だろうと思う。
 でも、ぼくにとって、編集者が特別なのは、編集者こそ、世界でたった一人の書き手の味方であり、世界でたった一人の書き手のファンだ、ということ。全部が全部とはいわないが、編集者がぼくに仕事を頼んでくるとき、「この人にぼくはかいかぶられている」とはっきりと自覚することが多い。つまり、自分は無名だし、さしたる実力もない書き手だけど、この編集者だけは、何かの「未来」を見ていて、何かの「期待」をしてくれている、そういう手応えである。だから、編集者は、ぼくが書いたものを、世界で一人だけ理解し、すばらしいと思い、世の中のたくさんの読者に広めたい、と思ってくれている世界一の自分のファンなのである。たとえ、執筆の過程で、思った通りのものが書けず、内容的にも営業的にも失敗に終わって、酷評を受け孤立したとしても、編集者だけはその本が勝ち取ったかもしれない「可能性」を信じてくれる人間なのだ。これは、ある意味では、家族さえ届かないようなずっと強い絆だ。なぜなら、家族がどんなに望んでも本は出せないが、編集者の想いは実現可能な「未来」だからだ。
 そういう気持ちがあるので、ぼくは、(特別な事情がない限り)、自著のあとがきには、必ず編集者の氏名を入れ、編集者の人となりが明らかになるようにして、彼らを讃えることを自分に課している。著者名は自分であっても、この本が、編集者との二人三脚で作られたことを書き残しておきたいからだ。
 何人かの編集者のかたとは、本の刊行後もおつきあいが続いている。ときどき会って、杯をくみかわし、ときには愚痴を、ときには互いの夢を語りあう。友人とも同僚とも違った特別の関係である。そうやって話すだに、「この人は、本当に自分をかいかぶってくれているなあ」とこそばゆくなり、そして、物書きをやっていく勇気がわく。
 昨日、そんな編集者の一人、講談社の阿佐信一さんの葬儀に参列した。とても悲しかった。
阿佐さんとは、新書を2冊、いっしょに作った。最初は、2004年刊行の『文系のための数学教室』講談社現代新書、次は2008年刊行の『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書だ。当時には、阿佐さんが、こんなにも早く亡くなるなどとは想像だにしていなかった。
 阿佐さんとの仕事は、彼から丁寧な封書をいただいたときから始まった。記憶は定かではないが、ぼくが新書としては最初に書いた『サイバー経済学』集英社新書を読んでくださり、それで企画を考えてくれたのだったと思う。『サイバー経済学』は、決して、商業的な成果をあげた本ではなかったが、阿佐さんはこれに何かの「未来」を見いだしたのだろう。ぼくに新書を依頼する、という英断をしてくれたのだ。そして、阿佐さんの注文に応じて書き上げたのが、『文系のための数学教室』講談社現代新書だった。彼からそう聞いたわけではないが、予想するに、書き上がった原稿は彼の期待したものではなかったと思う。たぶん、彼が予定したよりも内容が高度だったし、マニアックすぎたのではあるまいか。でも彼は、そんなことは一言も言わずに、むしろ、それを逆手にとる戦略を持った。それは、最も数学的で最も高度な「積分(それも測度論を前提とするルべーグ積分)」の章を最初の章に持ってきて、さらには帯にも積分記号をどかんと出す、という戦略だった。それは、阿佐さんの「覚悟」の現れだったのだろうと思う。ぼくは、心底驚いた。
 でも、意外にも、この本は少しすると重版になり、継続的に版を重ねて、今では7刷まで来ている。ロングセラーの座を獲得したのである。きっと、阿佐さんの英断が功を奏したのだろうと思う。
 『文系のための数学教室』講談社現代新書の最後の章は、中でもとりわけ変わった章で、数学教育と哲学とを重ね合わせたものだった。しかも、引用した哲学書は、ウィトゲンシュタインのものとハイデガーのものという、きわめて難解な内容だった。それらを土台に、ぼくは数学教育に関して、かなり過激な論説を繰り広げた。それは、「数学が役にたつ・立たない」などと論じるのは、「君が生まれてきて役に立つ・立たない」などと論じることと同じで、人間に対する冒涜だ、というような論説であった。この議論については、ネットでの素人のかたがたのレビューで賛否両論となった。覚悟はあったものの、けっこう失望させられたり、落ち込むようなレビューもあった。そんななか、阿佐さんは、次の企画をぼくに投げかけてきたのだ。彼はこういった。「『文系のための数学教室』の終章には、小島さんの想いがこもっている。実は、もっと言いたかったことがたくさんあるのではないか。その書かれなかった想いを膨らませて、もう一冊書かないか」と。これには、本当に驚いた。書き手本人が、あれは失敗だったのではないか、と思い始めた論説を、むしろ高く評価してくれていたのだ。阿佐さんは、本当に、この終章の、世界でたった一人の理解者で、味方で、ファンだったのだ。
 そして、次の新書、『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書の執筆作業が始まった。これを読んだ人は、タイトルと中身とのズレが気になったことと思う。それもそのはずで、この本は、企画当時は、『<こども>のための数学』と仮タイトルになっていた。永井均の名著『<こども>のための哲学』講談社現代新書に匹敵する本に、との想いが阿佐さんの中にあったからだ。ちなみに、<こども>となっているのがとても大切。つまり、子供向けの本ではないのだ。子供のような素朴な疑問を徹底的に追求する、という意味が込められているのである。
 『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書は、ぼくにとっては、「思ったように書けた」初めての本となった。読者に迎合したり妥協したりせずに、それでも読者が読みこなせて有益な情報を引き出せる、そういう本を書けた自負があった。阿佐さんが新書部門から異動になったので、刊行については別の編集者のかたに担当してもらったが、この本も阿佐さんとの二人三脚の本だったことは変わりない。この本も、すでに6刷。ロングセラーの仲間入りをしている。
 この二冊の講談社現代新書を出したあたりから、ぼくには、自分は物書きなんだ、という自覚と自負があるようになったと思う。そして、コンスタントに本を刊行できるようになった。つまり、「プロの物書き」になったんではないか、と思う。阿佐さんには、感謝をいくら言っても言い足りないくらいだ。そして、感謝のことばを直接伝える機会が永遠に失われてしまった。
 阿佐さんは当時、抗がん剤の専門医である平岩正樹氏の本を編集しており、ぼくにも一冊、『チャートでわかる がん治療マニュアル』講談社、をくださった。飲んでいるときに、ぼくが、「がんは、悪性だったら助からないし、治るものは自然に消えるから、検診なんて無意味」という当時まことしやかに語られていたことを話したので、わざわざ専門の本をくれたのだと思う。そのとき、阿佐さんは、「こういう本を差し上げるのには気が進まない。この本は、役に立たないことが、小島さんには最も望ましい。でも、何かのときには頼りになるかもしれない」と言った。その阿佐さんに、深刻ながんが訪れたのは、とても皮肉なことだと思う。ぼくから、世界でたった一人の味方を、病魔が奪い去ってしまった。
 でもぼくは、だからこそ、阿佐さんからもらった書き手としての気概を、今後も生かし続けなければならないと思う。それがぼくにできる精一杯の手向けであり、供養だから。

文系のための数学教室 (講談社現代新書)

文系のための数学教室 (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

数学でつまずくのはなぜか (講談社現代新書)

チャートでわかる がん治療マニュアル

チャートでわかる がん治療マニュアル