今日の日経に書評を寄稿しました。

今日(8月5日)の日経の書評欄に、アレックス・ベロス『素晴らしき数学世界』(田沢他・訳 早川書房)の書評を寄稿した。日経をとっておられるかたは、是非、お読みいただきたい。

素晴らしき数学世界

素晴らしき数学世界

前にもこのブログで書いたと思うけど、ぼくは、数学ライターとしての足場を固めてからは、基本的に数学の啓蒙書(一般向けの本)は読まないようにしている。同業者の本に書かれているネタは、たいてい知っているし、また、影響を受けてオリジナリティを失うのが嫌だからだ。それで、読む数学書は専門書がほとんどになっている。
しかし、こういう方針を持つと、すごくいい啓蒙書を読み逃すリスクがある。そういうリスクの穴埋めをしてくれるのが書評の仕事なのだ。書評の仕事が好都合なのは、担当記者の評価をいったん受けた本が依頼されることである。だから、大きくはずれな本を読まされるはめになることはない。(依頼を受けた段階で、ざっと眺めてやばそうな本なら、断れることができるしね)。
今回のベロス『素晴らしき数学世界』も、ぱっと見では、「手垢のついたネタの羅列かな」という印象があったのだけど、よくよく目次を眺めてみると、新鮮なネタが満載だったので、お引き受けすることにしたのである。本筋の書評は、日経本誌で読んでいただくとして、ここでは、字数の関係でそこに書けなかった余り物のネタを書くとしよう。(870字では、紹介できることはほんとに限られるぜよ!)。
 この本の大きな特徴は、著者が各分野の達人に突撃実地取材をしていることだ。本の冒頭のたくさんの写真でそれが紹介されてる。例えば、このブログにおいて、パラドクス本のこと、新刊のこと - hiroyukikojimaの日記で紹介した数理論理学者レイモンド・スマリアン、クオンツという人たち - hiroyukikojimaの日記で紹介したエド・ソープも、写真入りで掲載されている。
日本人への取材も多く、日経本誌では、チンパンジー・アイちゃんの言語能力を証明した京都大学霊長類研究所松沢哲郎氏と数独の開発者・鍛冶真起氏を紹介したが、他に、そろばん教室の宮本祐史氏、そろばんのチャンピオンの古山直樹くん、折り紙研究家の小林一夫氏と芳賀和夫氏、円周率を200万ケタ計算した金田康正氏なども紹介されている。彼らの分野を見てわかる通り、この本は、数学そのもの(純粋数学)ではなく、数学の「周辺物」を扱った本なのである。
今の日本では、数学は「競うためのもの」と成り下がってしまっている。数学が得意な人にとっては、数学は数学オリンピックで活躍するための道具であったり、有名大学や医学部に合格するための道具にすぎないし、得意でない人にとっても、ただのおぞましい「無能の烙印」にすぎないものとなってしまっている。本書を読むと、こういう数学のあり方は、あまりに歪んでいるのではないか、と思えるようになる。数学は、そもそも、「遊び」から派生している。人間に本来備わっている数認識や図形認識が、生活の必要からはみ出て、「遊び」という形で自己成長して、数学的素材になったのである。だから、そういう数学の本来的な「遊び心」が、もっと教育に取り込まれてもいいのではないか、と思う。本書で紹介されている、折り紙とか、変な規則で作られる数列とか、魔方陣とか、ルービックキューブとか、パズルとか、そういうもので遊ぶ時間を、もっともっと子どもたちに与えるべきなのではないだろうか。もちろん、そういったことは、直接的には、彼らの生涯所得にも、ひいては日本の経済成長にも貢献しないだろう。でも、数学が、そういったぎすぎすしたものの実現のための養成ギブスにされるいわれはなく、本来の「遊び的」な部分が与えられたっていいと思うのだ。それこそ、人間に生まれてきたことへの祝福ギフトなんじゃないか、と。
最後に、日経で紹介できなかったネタを一つだけ。ルーマニア出身の経済学者ステファン・マンデルが、狙ってロトくじを当てたエピソードだ。ロトくじは、キャリーオーバーで賞金額が高額に達すると、全組み合わせ(あるいは、それに近い組み合わせ)を購入しても、プラスマイナスでも巨額に儲かることがありうる。マンデルは、この事実を発見して、実際に、狙って1等を当てた、というのである。そして、ロトくじ購入の国際シンジケートを作って、会員から資金を集めて、ヴァージニア州のロトくじで1等と、2等以下も13万5000本当てた、というのだから驚く。彼が数学者ではなく、経済学者であることは、さもありなん(笑い)。いやあ、ここまで来ると、逆に、「ぎすぎすしたことに数学を利用する」のもアッパレと言っていいと思う。