新著『ナゾ解き算数事件ノート』が出ました!

新著『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社が、大手書店に並びアマゾンにも入荷されたので、宣伝させていただこう。これは、6月に刊行された『大悪魔との算数決戦』技術評論社の姉妹書となる本。ただし、続きものではないので、単独で読んでも遜色はないス。

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

ナゾ解き算数事件ノート (すうがくと友だちになる物語2)

前作『大悪魔との算数決戦』が、「パラドクスを使って人心を惑わす悪魔たちを、パラドクスを逆手にとって倒す、という冒険譚」であるとすれば、今作『ナゾ解き算数事件ノート』は、「パラドクスがそこかしこで巻き起こす不可思議現象を、探偵団と博士が解き明かす、というナゾ解き推理譚」というものになっている。ただし、今作にナゾ解き特別編として収録されている「夜の町はネコたちのもの」という短編だけは、パラドクスものではなく、完全な推理小説となっている。
今作について、真っ先に自慢したいのは、大高郁子さんのイラストのあまりのすばらしさ! である。買う気のない人でも是非書店でイラストだけ全部眺めてみてほしい。もちろん、前作の大高さんのイラストもすばらしかったのだけど、今作は気合いが違うように思うのだ。彼女とコンタクトしたわけではないので、原因はわからないけれど、とにかく、今作のイラストはものすごいものになっている。ネコ画を得意とする画家さんだから、ネコがたくさん登場する今作では、すごく気が乗ったのかもしれないし、前作を描いてキャラクターを掌握したことが理由かもしれない。ラフから線画、そして色入れと段階別に届くにしたがって、うわあ、と感動また感動となった。見本刷りが届いたときは、最後の一枚のイラストを見て、思わず泣いてしまったぞ。物語の原作者として、この最後の画にすべてが、主人公のすべての痛みと切なさと成長がみごとに描ききられている、と感じた。イラストというもののすごさを思い知らされた瞬間だった。
 前作については、新著『大悪魔との算数決戦』が出ました! - hiroyukikojimaの日記とかパラドクス本のこと、新刊のこと - hiroyukikojimaの日記とかを参照していただくことにして、今回は新著についての若干の解説をする。まず、章立てと、パラドクスを列挙してみよう。

(章立て) (章タイトル)(事件タイトル) (パラドクス)の順
第1話  借金も財産のうち 
1ダースが144個になる?事件 単位のパラドクス
第2話  いそがしい人々  
勉強時間が盗まれる?事件  重複計算のパラドクス
第3話  アイドル総選挙  
選挙は民主的じゃない?事件 コンドルセの投票パラドクス
第4話  イジメの犯人
イジメの犯人がいっぺんにばれちゃった?事件 相互推論のパラドクス
第5話  ハロー、しんきろー  
富士山がスカイツリーにクシざしになった?事件 極限のパラドクス
第6話  見えないどろぼうネコ  
ネコが分身の術を使う?事件   不確定性原理のパラドクス
第7話  時間が消えた町  
時間が消えてなくなる?事件  マクタガートのパラドクス
ナゾ解き特別編 夜の町はネコたちのもの
ないしょだぜ    パラドクスではなく推理ものだぜ

全体としては、経済学関連のネタが多くなったかな、という印象も否めない。「アイドル総選挙」はAKB48にあやかってみた。それと、「イジメの犯人」は、期せずしてタイムリーな話題になってしまったが、これは12年前の元本そのままのストーリーなので、イジメというのがいかに長期にわたって学校問題となっていたかを考えると、ため息とともに心が痛む。
前作も今作も、とにかく、次のような読者にお勧めである。
1.小学生、中学生、高校生の親御さんで、子どもの算数・数学嫌いをなんとかしたい、と藁にもすがる気持ち(笑い)のかた。
2.中学受験生、高校受験生を抱えた親御さんで、なんとか子どもさんの算数や数学への逃げ腰を克服させたい、と思っているかた。
3.子どもさんが夏休みの読書感想文の課題をこなすのに、せっかく読むなら御利益のある本がいいな、とお探しのかた。
4.小中学校の算数・数学の先生がたで、授業の中の脱線話用に数学ネタをお求めの方々。
ちょっとあさましい列挙の仕方でセールストークじゃね、という感も否めないものの、ほんとにほんとなんだってば。だまされたと思って買ってみて(笑い)。
 今作で、最も自信作であり、大お勧めな物語は、ナゾ解き特別編「夜の町はネコたちのもの」。ぼくの本を何冊か読んだかたなら、ぼくがこの物語に込めている想いを感じ取ってくださると思う。それではいつものように、解説の一部(全部じゃないからね)をさらすことにする。

21世紀を冒険するきみへ(抜粋)
 さて、この2冊を読み終えたきみは、かなり、胸がスーッとしているのではないでしょうか。なぜなら、この2冊には、学校の先生も困りはてるような算数のパラドクスがまんさいだからです。
きっとみなさんも、細かくて、口うるさくて、えらそうな算数の先生をやりこめることができたらどんなにうれしいことか、そういう気持ちになったことがあるでしょう。なにをかくそう、作者のぼくがそうでした。算数の先生に反抗したい、先生をぎゃふんといわせてみたい、いつもそんなことを考えている小中学生だったのです。
そういうぼくには、パラドクスとの出会いは、まさに運命的でした。なぜなら、パラドクスこそ、先生をやりこめるための最強の武器だと知ったからです。
算数は、完全でも無欠でもありません。算数だって間違いをおかすのです。算数がおちいるあやまち、それがパラドクスなのです。
パラドクスのタネは実に巧妙ですから、算数の先生だって、すぐにはそのありかがわかりません。先生を困らせるにはこれほどうまいものはないです。それどころか、高級なパラドクスになると、数学者でさえ困り果ててしまいます。そして、数学者がそれを解決しようとする過程で、数学が進歩したりもするのです。
この2冊を読み終えたきみは、もう決して、算数ぎらいの少年でも、数学にがて少女でもありません。
きみは、テストで100点をとるためにでも、お受験でいい学校に入るためにでもなく、「面白いから」という理由で、算数を題材にした本を2冊も読破したのですから、すっかり算数の友だちだと胸をはっていいのです。
きみは、「そんなこといったって、算数の点数がまだ悪いもん」というかもしれません。気にしない気にしない、そんなことはどうだっていいのです。ぼくがいいたいのは、きみはもう算数の友だちだ、ということであって、テストができるようになる、なんてことではありません。テストというのは、人が人を試すという、実に意地の悪いしろものです。考えてみてください。友だちは友だちを試したりしないですよね。友だちというのは、ただそばにじっと立っていて、いっしょによろこんだり悲しんだりしながら、「同じ時代を呼吸する」、そういうあいだがらのことです。きみと算数はそういう関係になった、そういいたいのです。
パラドクスが教えてくれるのは、数学といえど、まちがいにはまったり、こんらんしたりすることがある、ということです。数学の歴史は、パラドクスにいじめられて、悩み、あきらめそうになり、そして、それを乗りこえて進化する、ということのくりかえしだったのです。きみは、そういう数学の成長の立会人になったのです。
数学にはまだ、のりこえることができていないパラドクスや問題がたくさん残っています。そのうちのいくつかは、21世紀中にきみたちの目の前で解決するでしょうし、残りは次の世紀に持ち越されていくことでしょう。きみは、その数学の成長と進化を見守る友だちの一人なのです。
想像してみてください。
きみは流れ進む時間の先頭にいて、となりを走る友、数学、の行く先を見守っているのです。きみたちの前方にはだれもいません。その先になにがあるか、だれも知りません。まだ見ぬ未来がそこにあり、きみに朝日のようにふりそそいでくるだけです。なんてステキなことでしょう。胸がドキドキしてきませんか。これはテストで100点を取ることでは感じることのできない気持ちです。数学の友だちになったからこそ、得ることのできる幸せ感なのです。
きみは、21世紀を冒険する人になったのです

大悪魔との算数決戦 (すうがくと友だちになる物語1)

大悪魔との算数決戦 (すうがくと友だちになる物語1)