わくわくする物理・わくわくしない物理

 数学者の芳沢光雄先生が、図書新聞に拙著『世界は2乗でできている』ブルーバックスの書評を書いてくださった。タイトルは「理科と数学の間にある壁を乗り越えるために〜学ぶ楽しさが教育の発展に繋がる」。とても適切な書評で嬉しくなった。

芳沢先生は、拙著を、「理科と数学を繋いだ本」として評価してくださった。実際、この本は「数学の定理に現れる2乗」と「物理法則に現れる2乗」とを、始めは別個のものとして紹介にしながら、次第にクロスオーバーさせる、という仕掛けの本になっているからだ。
全文を引用してしまいたい誘惑にかられるが、それは営業妨害になろうからやめる。でもこれだけは大事なので引用しておきたい。

「2つの物体間の万有引力は距離の2乗に比例、距離に比例、距離に反比例、距離の2乗に反比例のどれですか」
と今の大学生に質問すると、数学の教員を目指す者でもよく間違えてしまう。(中略)。
このような困った大学生の実態の背景には、様々な理科現象を数式によって学ぶ機会が昔に比べて激減したことにある。すなわち現在の中学生や高校生は、理科と数学の間に大きな壁を設けて学んでいるのである。

ぼくは、このような教員志望学生の実態を全く知らなかったのでとても驚いた。こうなると、学力の問題というよりも、基礎的な理科的素養の問題だと思う。ただ、こういう現実があること自体には、ぜんぜん違和感はない。なぜならぼくも、彼らと同じように、物理を「自分とは縁遠い世界の話」と感じた経験を持っているからだ。
ぼくは、物理学を学ぶ前の中学生の頃は、物理にはっきりとした憧れを持っていた。物理の啓蒙書、特にブルーバックスを読むのが好きだった。アインシュタイン相対性理論や、熱力学の第二法則におけるマックスウェルの悪魔、原子物理などを読んだときは、独特のわくわく感を抱いた記憶がある。高校生になって、物理学を勉強するのが待ち遠しかったものだ。
でも、実際に高校で物理を教わり出すと、そのわくわく感がどんどん薄らいでいった。物理の授業は、中学生の頃に読んだ「この宇宙を支配する不思議な法則たち」とは全くイメージの異なる、「単なる陳腐な数学の計算演習」に過ぎない、と感じたからだ。当時は表層的には意識しなかったが、今振り返ってみると、自分の中で物理がこの世界とのリンクからはずれていって、単なる「形式」に堕していったのだと思う。単なる「形式」なら、ぼくには、数学のほうがずっと面白かった。
大学に進学してからは、物理のつまらなさに拍車がかかった。東大の理科1類に入ったので、物理の講義はがっつり受けたが、ものすごく退屈だった。さすがに「単なる陳腐な数学の計算演習」とは思わなかったが、「複雑だが、味わいのない無味乾燥な計算の塊」と感じるようになった。中学生の頃に抱いた、物理に対するわくわく感や憧れは、もうすっかりどこかにいってしまった。
そんなぼくが、物理に関する興味を取り戻したのは、大学を卒業して塾の先生になってからだ。講義で中学生や予備校生に数学を教えるとき、余談として、相対論や量子論マックスウェルの悪魔などの話を差し挟んだ。その目的は、受講生たちに、「今教わっている数学は、単なる煩雑な記号処理の暗記に思えるかもしれないが、そうではなく、わくわくするこの宇宙の不思議な法則を理解するためのものなのだ」ということをほのめかすことだった。それは、浪人したときに受講した山本義隆先生の講義で感動したことが影響していたと思う(新著が刊行されました!+おまけ(山本義隆先生の思い出) - hiroyukikojimaの日記参照)。そのために、また、物理の啓蒙書を読むようになった。そしてみると、やはり、中学生のときと同じわくわく感を取り戻すことができた。やっぱり、こういう話は好きだなあ、と思った。その頃に芽生えたのが、『世界は2乗でできている』ブルーバックスの構想だったのだ。芳沢先生にその想いが直に伝わったのは嬉しい。
 では、今なぜ、そういう物理に対するわくわく感が若者に共有されず、物理が数学と縁遠いものとなってしまったのだろう。
やっぱり、それは、ファインマンが『ご冗談でしょう、ファインマンさん』で、ブラジルだかどこかの国の物理教育を批判したのと同じダメさが、日本の理科教育にあるからじゃないだろうか。ファインマンの批判は、一言で言えば、物理教育が「ペーパーフィジックス」に堕している、ということだ。現実の、我々の暮らすこの世界(この宇宙)の法則とはあたかも無縁かのような、形式的で天下り的な記号処理・暗記事項として、物理が教えられている、ということである。
 たぶん、ぼくのように、相対論や量子論にわくわくした経験のある人は多いと思う。それは、この宇宙の「空間」や「時間」が一体何なんだ、という根源的な問いへの答えの一端を与えてくれるからだ。この宇宙の不思議さと魅力を体現しているからだ。でも、実際の物理の教育には、そのようなアイテムはほとんどない。また、このようなファンタスティックな世界観に興味がない学生でも、教わっている物理の法則や計算が身の回りの物質現象と密接に関係していることを、(相当な準備の上ではなく)簡単な具体例から知ることができれば、もっと楽しく興味深く勉強できるはずだと思う。そうなれば、引用した芳沢先生が嘆かれている現状も少しは緩和されるように思える。
 このこと(つまり、中高生が「ペーパーフィジックス」を疎むようになる、ということ)は、ぼくが塾の主任をしていたときもカリキュラムの課題としてとりあげた。ぼくの作成した中学生向けの数学テキストには、物理関係の院生たちから知恵を借りて、簡単な物理現象を数学モデルとして導入した。また、当時院生だった加藤岳生くん(現在は、東大物性研究所の准教授、統計力学が初めてわかった! - hiroyukikojimaの日記参照)と、ぼくが望むような物理の特別講座を作った。たしか「物理嫌いを予防する」と銘打ったように記憶している。この講義は、ぼくも生徒といっしょに受講したがとても面白いものだった。落体運動も、ガリレオが実際に行ったこと(鈴を鳴らす実験)を再現した。また、投射体の法則も見た目で楽しめるものを行った。水筒に入れた水を子供たちにシェイクさせて、温度が上がっていることを計測したのは、子供たちに熱学の根本を伝えることに成功したと思う。分子運動論は、「なぜ、空気は上空にいくと薄くなるのか」という問いを解くために導入した。
 さすがにこれらの実験は、ぼくのいた塾の生徒のレベルが高いからうまくいった面はある。でも、うまく素材を選べば、一般の高校生にも似たような「楽しい物理教育」は可能なんじゃないか、と思う。誰か、わくわくする物理教育を考え出してくれないものか。