ぼくの新著で「素数名人」まで昇りつめてください。

ぼくの新著素数ほどステキな数はない』技術評論社が、書店に並んだ頃だと思うので、二回目の販促エントリーをしたいと思う。今回は、「まえがき」をさらして、それに補足をすることと、ラマヌジャンについてちょっと紹介する。一回目の前回は、

新著『素数ほどステキな数はない』が出ます! - hiroyukikojima’s blog

のエントリー。ここでは目次を晒してあるので、そっちも参照して欲しい。

ではまず、まえがきを披露しよう。次である。

素数とは、1と自分自身以外に約数を持たない2以上の整数です。みなさんは、素数のことを耳にしたことがあるでしょうし、また、素数は不思議な数だと知っておられるでしょう。本書は、そんな素数の魅力を余すことなく紹介する本です。

本書のウリを箇条書きすると次のようになります。素数に敬意を表し、番号は素数としました。

2.素数の法則を初歩から最先端までありったけ網羅した。

3.素数に挑んだ数学者たちの人となりを紹介した。

5.できるだけ本書内で知識が閉じる(self-contained)ように、必要な数学ツールに初歩からのわかりやすい解説を付けた。

7.素数のナゾを解き明かしながら、高校・大学の数学を自習できるようにした。だから、数列・場合の数・対数・三角関数・無限和・微分積分虚数合同式の参考書としても使える。

11.ゼータ関数について、これ以上簡単に説明するのはムリというぎりぎりの解説に挑戦した。

13.素数定理ベルトラン予想の証明を書ききった

17.素数を使う数理暗号について、わかりやすい紹介をした。

さて、あなたも是非、本書で、「素数名人」まで昇りつめて下さい。そうすれば、素数に恋するワクワク・ドキドキの豊かな人生を送れること請け合いです。

「ウリ」は見ての通り、7項目もあるのだが、今回は、青字で強調した二つの項目について補足的な売り込みをしたい。

まず、「素数のナゾを解き明かしながら、高校・大学の数学を自習できるようにした」という点。前回にエントリーした目次を見てもらえばわかるのだけど、本書には素数との関連で、高校数学の多くの単元が現れている。二段編では数列(等差数列、2次の数列、等比数列)、三段編では対数関数(log)、四段編では合同式、五段編では順列・組合せ、六段編では極限・無限和、七段編では複素数、八段編では微積分という具合だ。だから、高校数学のほとんどの単元が素数と関連づけられることになったわけだ(残念ながら、ベクトルだけは結び付けられなかった)。そういうわけで、本書を使って、高校数学をおさらいできる(あるいは予習できる)ように仕組まれている。高校数学の無味乾燥さに耐えられなくて数学アレルギーを発症した人も、もしも素数に惹かれる人なら、素数を愛でながら高校数学にリベンジできてしまうかもしれない。また、高校以上の数学を先取りしたいけど、教科書とか参考書はつまらないから嫌、という中学生も、わくわくしながら高校数学を先取りできるようになっている。そういう隠れたニーズも踏まえて、本書では高校数学の単元についてもできるだけ初歩から丁寧に解説した。本書は二人の友人に査読してもらったのだけど、そのうちの一人には、「小島くん、この本を読み通せるような人に、こんな初歩の解説は無用なんじゃない?」という疑問を投げかけられた。けれどもぼくは、その人が思っているよりも、数学と一般の人との関係性は多様だと思っている。実際中学生のときのぼくは、高校数学を知らなかったけど、本書を読み通せたと思う。つまり、すぐ上に書いたタイプの中学生だったのだ。そういう意味では、本書は、中学生のときのぼくが欲しただろう本として執筆したつもりだ。

 さらには、本書は、大学数学の自習に使えるようにもなっている。例えば、テイラー展開とか広義積分とかガンマ関数とかを解説している。とりわけ、微分の解説では、高校数学の定義に加えて、ランダウ記号を使った定義をメインに据えたのが特徴だ。関数のランダウ記号表現(f(x)=1+x+O(x^2)みたいなやつ)は、素数についての専門書を読むと必ずふんだんに登場するが、どの本でもこの概念を丁寧には解説していない。これは、専門家でない人たちを素数の魅力から遠ざける障壁になっていると思う。だから本書では、ランダウ記号について、ものすごく丁寧な解説をすることにした。

 もうひとつ、大学でも、数学科や物理学科などの理学分野でしか教わらないであろう複素関数微分積分」についても初歩からの解説を導入した。例えば、コーシーの積分定理(正則関数を閉経路でぐるっと積分すると0になる)とか留数定理(積分値が1位の極のところで決まる)などだ。ただ、ページ数の関係で厳密な扱いができないので、かなり乱暴で大胆な解説をしているけど、それでも定理の急所・本質が伝わるように紹介したつもりだ。

 「ウリ」の中でもう一つ強調しているのは、「ベルトラン予想の証明を書ききった」という点だ。「ベルトラン予想」というのは、「任意の自然数nに対して、nより大きく2n以下の素数が必ず存在する」というものだ。ベルトランが予想して、チェビシェフが証明したので、「ベルトラン=チェビシェフの定理」とも呼ばれる。本書では、九段編で「ラマヌジャンによる証明」を解説した。しかも、この証明はほとんど省略をしてない完全版だ。ラマヌジャンのアクロバットのような証明が理解できてしまうと、彼がいかに時代を超越した数学の天才だったか思い知らされる。皆さんも是非、本書でラマヌジャンのファンになってほしい。

 ラマヌジャンと言えば、ぼくはつい最近、映画『奇跡がくれた数式』をHuluで観た。

 

 

これはラマヌジャンの生涯を描いた物語だ。この映画では、ラマヌジャンの天才性がわかるだけではなく、20世紀初めのインドとイギリスの文化や歴史もみごとに描き出されていて、映画として十分に堪能できる。ただし、ラマヌジャンケンブリッジに招聘した数学者ハーディについて、その複雑な性格をきちんと描いているものの、最終的にはちょっと良い人と持ち上げてる感が否めない。

 数学者の黒川信重さんは、ハーディとラマヌジャンの関係について、黒川信重ラマヌジャン ζの衝撃』現代数学社で詳しく論じているので、是非読んでほしい。ぼくの昔のエントリー

ラマヌジャンの印象が衝撃的に変わる本 - hiroyukikojima’s blog

でも紹介しているので、これも参照のこと。

今回は黒川さんの本から、ハーディとラマヌジャンの関係について書いている部分を引用しよう。(ぼくの新著では、黒川さんのもう一冊ラマヌジャン探検』岩波書店から同じような評価を引用している)。

一番残念なことは、ハーディは最初から最後までラマヌジャンを真に信用し理解することができなかったことです。それは数学の専門家として、他人を疑ってかかるのが当然、という体質が染みついていたせいでしょう。ハーディによれば、ラマヌジャン複素関数論を全く知らなかったそうです。それが本当だとしたら、適切な教科書を教えてあげれば良いのに、と思うのが人情ですが、ハーディはそうではなかったようです。

そして、次のようにハーディの気持ちを分析する。

 人間のやっかいな感情に「ジェラシー(焼き餅。嫉妬)」というものがあります。とくに、数学ではどんどん発見を行う人にジェラシーを感じないわけには行かないものでしょう。実際、別のすっきりした道を通って、ずっと先まで行き着いているのを見たら、そうなるでしょう。ラマヌジャンにハーディが持った感情の底には、それもあったことでしょう。

映画で見る限り、ラマヌジャンへの評価は、ハーディの相方リトルウッドのほうが高かった感じがある。リトルウッドが、当時、第1次大戦のせいで軍部に出向していたのが、ラマヌジャンの不運の一因だったかもしれない。

そんなこんなで、ぼくの新著の九段編を、ラマヌジャンの追悼にも使ってほしいと思う。