今日の毎日新聞夕刊の特集ワイド:「心を持った経済学」とは

 今日(10月15日)の毎日新聞夕刊の特集ワイドで、宇沢弘文先生の思想についての大きな特集(一面ぶち抜き)が組まれている。「心を持った経済学」とは、というタイトルの樋口記者の記事。
とてもよく取材され、宇沢先生の実像に肉薄した特集になっている。毎日新聞と契約しておられる方は是非、読んでいただければ、と思う。契約されておられない方も、駅で購入するなり、図書館で閲覧するなり、なんとか目を通していただければ幸いである。
 この特集の特徴は、ここ十数年の先生の執筆や対談にだけ絞って、取材をしていることだ。具体的には、経済評論家の内橋克人さん、経済学者の橘木俊詔さん、元農相の山田正彦さん、(そして、ぼく)である。つまり、宇沢先生の30代までの主流派経済学での業績を語れるお弟子さんたちを潔く切って捨てている、ということ。たぶん、「特集ワイド」という紙面の性格上、そのようになったのだとは思うが、ぼくはなかなか大胆でアッパレだと思う。仮に宇沢先生自身が企画されたとしても、そうされただろう。なぜなら、お弟子さんたちにおいては、高名な経済学者であるほど、宇沢先生の思想の全体像にうといからである。(例えば、たぶん、社会的共通資本の理論の本質をきちんとサーベイされておられない)。
 この記事の良さは、宇沢先生の「魂」を浮き彫りにすることに集中していることだ。「業績よりもその志」、「論文よりもその思想」という、あたりまえと言えば、あたりまえのことができているところ。実際、浩子夫人やお嬢さんのまりさんの談話も掲載されていて、仕事上のつきあいだけの人にはわからない、宇沢先生の「精神のありか」がよく伝わると思う。また、亡くなる6日前に山田さんに送られた宇沢先生からの葉書の文面には心が打たれる。最後の最後まで、先生は、日本の行く末を案じておられた。
 この記事などの、マスコミによる追悼を読んでみるにつけ、宇沢先生の社会への貢献が偲ばれる。(主流派的な)論文が何十本ある経済学者だって、こんな温かく尊い扱いは受けないだろう。それは、我々市民とは無関係の(閉鎖的な世界での)番付にすぎないからだ。残念ながら、ぼくは、業績的にも、また、魂の方面でも、宇沢先生のようにはなれない。頭も悪いし、行動力と言ったら、からっきしダメである。だから、せめても、宇沢先生の思想と精神を、若い(あるいは、まだ生まれてきていない)宇沢先生の後継者に繋ぐことで貢献できれば、と念じている。

始まっている未来 新しい経済学は可能か

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