中級者にとって最高の数論の教科書

 今回は、数論の教科書を紹介しようと思う。入門段階の人、初級の人にはかなり難しいかもしれないが、ある程度、専門の数学をかじったことのある人には最高の教科書になると思う。それは、雪江明彦『整数論』1, 2, 3日本評論社だ。見てわかるように、三巻組の本で、1巻目は「初等整数論からp進数へ」、2巻目は「代数的整数論の基礎」、3巻目は「解析的整数論への誘い」となっている。

この本は、拙著『世界は素数でできている』角川新書を書くときに、非常に参考にした本である。とりわけ、「素数判定法」に関する部分ですごくお世話になった。
 この教科書の利点は、次の4点にまとめることができる。
(1) 群論、環と加群、体とガロア理論フーリエ級数など、現代の数論を勉強するのに欠かせない道具がきちんと説明されていて、(かなりな程度)self-containedな教科書になっている。
(2) 証明をほとんど省略せず、しかも、導入している証明が、専門家でない学習者にとって、おそらく最もわかりやすいベストなものである。
(3) 現代数学にとって本質的である、「集合と写像の系列」を使った記述を心掛け、その感覚を伝えようとしている。
(4) 普通の数論の本ではあまり触れられていない、20世紀以降の素数判定法について、詳しく書かれている。
以下、それぞれの点について、細かく説明する。
 まず、(1)について。数論は、(黒川信重さんの言葉を借りれば)「応用数学」なので、たくさんの道具が、それこそ何から何まで使われる。普通の数論の教科書では、それらは「他の本で勉強してね」という体裁になっている。でも、この本では、それらの多くを準備している。利用する道具も、同じ著者によって解説してもらうほうがいいに決まっている。そういう意味で、この本はとても親切なのだ。とりわけ環論は、通常の環論の本で勉強すると、それこそとんでもなく広く深いので、たいていの人はうんざりしてしまう。でも、この本では、この本を読むのに必要な分の環論だけなので、読み通すことが可能となっている。
ただ、(1)について一つ残念な点を言えば、複素解析(複素数の関数の微分積分)の説明が省略されていることだ。この分野のハードルも非専門家の我々には十分に高いものなので、著者の説明を導入して欲しかった。
 次に、(2)について。定理の証明というのは、おおまかに言うと、「短くエレガントだが、抽象的で、定理の本質が見えづらいもの」と「多少長くて、泥臭いが、具体的で、定理の本質の部分が見えるもの」とがあると思う。本書では、極力、後者が選ばれている印象がある。とても頭が良い読者には、じれったいかもしれないが、(ぼくを含む)頭の回転がたいして速くない読者にはこの方針はありがたい。
 となると、(3)は(2)と相反するように見えるかもしれない。現代数学は、集合を写像でつないだ「系列」を使って展開される。本書では、かなり初歩の段階から、そのような記述法を試みている。例えば、

命題6.3.3 環Aが環Bの部分環でP⊂Bが素イデアルなら、P⋂AもAの素イデアルである。

のような、愚直に定義を試せば証明できるような命題にまで、「系列」を使った証明を与えている。すなわち、A→B→B/Pという自然な「系列」を使って,準同型定理を使って証明している(B/Pが整域になるのがポイント)。それは、たぶん、読者に、このような「系列」的手法に早く馴染んで欲しいという「親切心」からであろう。ぼくもまだ、あまりこの感覚には慣れていないが、この感覚を身につけることは「数学的に遠出をする」には不可欠なことなのだということはわかっている。大昔に、数学科に進学した頃、すごく簡単な演習問題をこのような「系列」で解いて、先生に褒められた同級生がいて、ぼくはやっかみ半分に「なんだよ、こいつ」と思ったことがあった(笑)。でも、このような感覚は大事なのだ、と今ではわかる。そういう意味で、この本はわざと、初歩からこういう「系列」的手法を導入する書き方をしているのだと思う。
 この本がぼくがとって、最も役に立ったのは、(4)の点である。
拙著『世界は素数でできている』では、素数判定法(与えられた整数が素数かどうかを判定する方法)をいくつか紹介している。その中で、最も現代的な方法としての「数体ふるい法」と「AKSアルゴリズムを投入できたのは、この本のおかげなのだ。
 「数体ふるい法」というのは、代数体の素イデアル分解を使って素因数分解をする方法で、ポラードという数学者が1988年に開発したものだ。この手法の具体的な成果として、1990年に10番目のフェルマー数(2の(2の9乗)乗+1)が素因数分解され、素数でないことが確認されたことが挙げられる。
 他方、「AKSアルゴリズム」とは、2002年のインド工科大学のアグラワル、カヤル、サクセナという3人の数学者が発表したアルゴリズム。基本原理は、「pが素数ならば、p元体の世界において、xを変数とする多項式に対して、(x+a)のp乗=(xのp乗)+a、が成り立つ」という性質を用いるもの。定数aをいろいろ動かした上で、多項式の割り算を使って、等式の可否を判定する。このアルゴリズムが(指数時間的ではなく)多項式時間的であることが証明されており、そういう意味では待望の判定法なのだ。
 どちらの判定法も、簡単なわかりやすい説明は拙著『世界は素数でできている』で読んでほしい。そして、証明も含めて、きちんと理解したい人は、本書、雪江明彦『整数論』1, 2, 3日本評論社を手にしたらいいと思う。(理解するのは相当ヘビーだけど)。