だいぶ昔、東大生が内ゲバを阻止した話

 今日の新聞の書評欄で、漫画家・樹村みのりの新著が紹介されていた。それは以下。

見送りの後で (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

見送りの後で (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)

まだ買って読んだわけではなく、これから買ってきて読もう、と思っているところなので、推薦しているのじゃないからあしからず。

樹村みのりは、ぼくが少年期・青年期と、とても好きな漫画家だった。とりわけ以下の作品は繰り返し読んだ。

菜の花畑のむこうとこちら (ソノラマコミック文庫)

菜の花畑のむこうとこちら (ソノラマコミック文庫)

「菜の花畑のむこうとこちら」は、いくつかのエピソードがオムニバス的につながっているもので、冒頭の話が特に好きだった。それは、主人公が小学校に入学する際、知能テストを受けるのだが、角のはえたインコを見せられ、「どこかに変なところがあったら教えてね」と尋ねられた彼女は、よもやその試験官がそんな自明なことがわからないわけはあるまい、と、「ありません」と答えてしまって、そのせいで特殊な学級に振り分けられてしまうところから始まる。そのクラスは、ちょっと知能の発育が遅れたり、何か障害を持っている子のためのクラスだったのだ。でも、主人公は、そのクラスを気に入っていて、また、若い女性の担任の先生のこともとても好きなので、楽しく通うのだ。そんなある日、小さな事件が起こって、主人公を含む何人かの生徒が担任の先生にひどく叱られてしまう。その叱られている状況の中で、主人公は、担任の先生がいかに子どもたち一人一人をよく理解し、共感し、そして深く愛していてくれるか、に気づくことになる、というような話だ。毎度毎度の営業で申し訳ないが、このマンガがぼくの今回の新著『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書のモチーフの原点を形成したものだといってもいい。樹村みのりの作る物語には、いとおしさと切なさが漂っていて、ぼくは読む度にうっすらと涙してしまうのである。


ただ、樹村みのりのマンガは、世代ということもあるのだろうけど、「学生運動」をけっこうテーマとして取り上げている。そういうマンガには、ぼくはどちらかというと共感できなかった記憶がある。すごくノスタルジックで、自己愛、自己肯定に満ちているからだ。もちろん、樹村みのりの世代は、学生運動によって、得たものも多い反面、失ったものも半端ではなかったろう。だから、その喪失を埋め合わせるための自己愛や自己肯定は当然のことだとは思う。
ぼくらの世代は、学生運動というものを、幼少のときにテレビで見て、親からは「こういう風になってはいけないよ」と言われて育ち、その反動として中学高校では真似事をしようとしたりした。その過程で、自称「運動家」と呼ばれる人たちと何人も接触し、いい人もいたけど、おうおうにして嫌なやつが多かった。そういう運動をしていることで、「実際の自分」以上の自分を、自分の虚像として作り上げているような感じの人ばかりだった。彼らはただ自己肯定と自己愛に満ちているだけで、ぼくに何かすばらしいことを教え導いてくれるわけではなかったのだ。
 鮮烈に記憶に残っているのは、高校生のとき、中学で同級生だった女の子が、「紹介したい人がいる」、というのでついていって、大学生の運動家3人と会ったときだった。目的は何かのオルグだったのだろうと思うのだが、ぼくは単に、その同級生が中学一番の美少女で、ぼくが5年も恋いこがれていた子だったからついていったにすぎなかったから、運動家くんたちなどどうでもよかったのだ。でも、そいつらの話を聞いているうちに、だんだん気分が悪くなってきた。マルクスがどうたらこうたらで、プロレタリアートは搾取されているから、革命によって彼らのための社会を作るべきうんちゃらかんちゃら、と暗唱してるみたいなフレーズをいい出したからだ。ぼくは、労働者がどう搾取されているのか、ということを聞いてみた。この素朴な質問の解答は、彼らの暗記項目にはなかったらしく、運動家くんはなんだか怒り混じりで同じことを反復するようになった。そこでぼくは、もっと素朴な質問に切り替えた。ぼくの父親は工場の職工で、あなたのいうプロレタリアートなんだけど、あなたたちの親は何の仕事をしているのですか、と尋ねた。
 その解答は、ぼくからこどばと話す気を奪うに十分なものだった。
3人の運動家くんたち全員、親が医者だったのだ。ちなみに、ぼくの惚れていたその女の子の親も医者だから、ぼくを除く4人全員の親が同じ職業であった。どうりでみんなかっこいい服を着てて、喫茶店のコーヒーの値段を気にしているぼくとは住む世界が違うわけだ。なんだかばかばかしくなったぼくは、その後は、彼らの講釈を適当にうけながしながら、ずっと横目で彼女の美しい顔を鑑賞していた。思えば当時にはもう、生粋のアイドルぐるい - hiroyukikojimaの日記の気質が萌芽していたのだろう。


「運動家」たちの思い出といえば、東大で駒場に在籍していたときに、目の前で内ゲバを目撃したことがある。セクトとかの分類に知識薄のぼくなので、事情はよくわからないが、とにかく駒場の正門に武装トラックが突入しようとした事件が起こったのだ。ぼくはその顛末をずっと見ていた。
 その少し後に、(たぶん予備校で教えていたときだと思うが)、バイト先の同僚で学生運動の世代の人に、「聞いたところによると、こないだ、東大生は、**派の突入をスクラム組んで阻止したそうだね。今の東大生たちも見捨てたものじゃないな」と、すごく「誉めて」もらって面食らったことがあった。なぜなら、事実関係が全く違っていたからだ。
 確かに武装トラックは、構内に入れなかった。でも、それは、体をはって阻止したからじゃなかった。もちろん、自治会だったか、***派だったかが、校門を閉めて、校門の内側でスクラムを組んでいた。けれども、突入者たちは塀をよじ登って簡単に構内に入り、門のカギを内側から開けて、あっという間に、校門の内側にトラックを侵入させてしまったからだ。でも、そこから車は一歩も進めなくなってしまった。なぜなら、どんどん増えていく野次馬が道をふさいで、身動きがとれなくなったからだ。野次馬たちは別に内ゲバを阻止しようとして集まったわけではなく、単に今でいうところの、「祭り」とか「炎上」状態になっていただけなのだ。たぶん、人だかりの後ろのほうにいた野次馬は、校門で何が起きているかわからないで騒いでいたんじゃかいか、と思う。前のほうにいる連中も、「××は帰れー」とか叫んでいたが、××は、なんらセクトと関係ないフレーズだった。でも、実際に、人だかりによって、トラックはそれ以上進むことはできず、(たぶん警察の到着の前に)、おずおずと引き返していったわけだったのだ。
 これはぼくにとって、超絶笑える出来事だったのだが、それがいつの間にか「伝説」として流布していたのには驚いたのだった。もちろん、ぼくは、その学生運動の世代の人には、事実は話さず、お褒めをありがたくいただくことにした。


と、ぜんぜん違う方向の話になってしまったが、今回いいたいのは、樹村みのりのマンガはすばらしいよ、ということと、ぼくの新著は彼女の作品から遠く遠く影響を受けてるよ、ということなのだね。ほんとだってば。