ウィトゲンシュタインと音楽

 これから書くことは、講義で聞いた話とか、どこかで読んだ話だけど、ちゃんと裏をとってないので、嘘がまじっているかもしれないことをあらかじめ了承いただきたい。
 ぼくは、哲学の中では、ウィトゲンシュタインに最も影響を受けたと思う。もちろんぼくは哲学者ではないから、物書きとして影響された、という意味だけど。 例えば、『数学でつまずくのはなぜか』 - hiroyukikojimaの日記でも、『文系のための数学教室』でも、ウィトゲンシュタインの哲学をふんだんに引用した。
 ウィトゲンシュタインの人のなりについての知識は、東大で記号論理学を履修したとき、担当教官が余談として話したことと、朝日カルチャーセンターで藤本隆志先生のウィトゲンシュタインの哲学の講義を受講したことから得たものだ。( うろおぼえで書いているので、間違っていても彼らの責任では全くない) 。
 いうまでもなく、ウィトゲンシュタインは、20世紀最高の哲学者であるが、実は実家がとんでもない金持ちであり、その上、彼は哲学以外にもたくさんの才能を持っていたそうだ。どのくらい金持ちかというと、ラッセルの研究室にいるときに、ピクニックに行くことになったそうだが、気がつかないうちに彼が、汽車を一台チャーターした、という噂である。また、彼の幼少時、毎年家にウィーンフィルを呼んで(!)、家族だけのための演奏会をさせてたぐらいだそうだ。(呼べることもそうだが、家の中にフィルに演奏させるスペースがあるだけでもすごい)。 多才ぶりは、というと、もちろん、数学の才能があったが、工学にも長けていたそうで、ヘリコプターの原理を最初に思いついたのは、彼だとのことだ 。
 中でも、音楽には天賦の才能があったらしい。 その証拠に、ある年、ウィーンフィルが演奏のゲネをやっていると、幼少のウィトゲンシュタインがそれを傍らで聞いていて、「そこのバイオリンは、もっとこれこれの方がいいのでは?」などと演奏に注文をつけたのだそうだ。普通なら、何をこの生意気なガキ、と思われるところだが、それらの演奏へのコメントが逐一全く正しいので、ウィーンフィルの演奏者たちは驚いてしまったのである。つまり、彼は幼少のときにすでに、世界に通用するきわめて繊細な音感を持っていたというわけだ。(「のだめカンタービレ」の千秋くんのようなものだね) 。そんなことから、ウィトゲンシュタインは、音楽の道に進んでいたら、世界最高の指揮者になっただろう、といわれている。しかし、彼は音楽の道には進まなかったのだった。
 彼のその音楽の才能は、兄からも裏付けられる。ウィトゲンシュタインの兄も、弟に匹敵する音楽の才能を先天的に備えており、兄の方は実際に世界最高のピアニストの一人になった。つまり、その才能はある種遺伝的なものだ、といっていいだろう。 ラベルのピアノ協奏曲に「左手のためのピアノ協奏曲」というのがあり、これは左手だけで弾きながら両手で弾いているように聞こえる超絶技巧の曲であるが、これは第1次世界大戦で右手を失ったウィトゲンシュタインの兄のためにわざわざラベルが作曲したものだそうである。この世と違う時空では、弟の指揮で、兄が両手でピアノ協奏曲を演奏する、というすばらしい歴史が展開されているかも、と思うと、そっちの時空も覗いてみたくなる。
 それほどさまざまな才能が、しかもとてつもない富豪の子息に付与されたことに、本当ならやっかんであまりあることだが、そんな気になれないのは、ウィトゲンシュタインが選んだのが最も苦悩の深い哲学であり、実際彼は哲学を創造する過程でわれわれ凡人には訪れないたぐいの苦悶を経験したからである。哲学は、いってみれば、「自分との対話」といっていい。他の分野なら、「人を感動させる」ことで自分にも満足感が得られるだろうが、哲学はそうとはいえない分野である。そういう意味で、彼は、自分の生い立ちと引き替えに、最も困難な分野でのひどい苦悩を与えられることになったといえそうである。天は公平なのかもしれない。

 ちなみに、その記号論理学の先生は、ぼくが大学を卒業したあと、事故で植物状態になってしまわれたと聞いた。先生の、外界との交信を持たなくなった脳裏には、どんな記号論理が渦巻いていることだろう。講義はとても面白かったのになあ。残念だ。