ウィトゲンシュタイン哲学を学んだ日々の思い出

 昨日(11月10日)の朝日新聞・朝刊の文化面に、「ウィトゲンシュタインに光」という記事が掲載され、それにぼくのコメントが(一言だけど)載った。この記事は、ウィトゲンシュタインの遺稿が最近、発掘され、彼の哲学に新たな光があたった、という内容の記事だ。朝日を購買しているかたは是非、読んでいただきたい。
ウィトゲンシュタイン哲学の第一人者である鬼界先生と肩を並べてのコメント者となったのは、誇らしくもあり、申し訳なくもあった。なぜなら、ぼくは全く哲学の門外漢だからだ。そんなぼくになぜ、新聞記者さんの取材が来たか、というと、ぼくの著作の複数にウィトゲンシュタインの哲学を引用しているからだ。例えば、『文系のための数学教室』『数学でつまずくのはなぜか』(ともに講談社現代新書)では、かなりなページ数をさいて、ウィトゲンシュタインの哲学の助けを借りている。

 門外漢と言っても、書籍を読んだだけにすぎない、というのとは違う。実は、専門家の講義を受けた経験がある。ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』の翻訳者である坂井秀寿先生藤本隆志先生の講義を、全く別個に受講したのである。
 坂井秀寿先生の講義は、東大の駒場時代に、一般教養の「論理学」の講義を受講した。講義の中で、先生は一回丸々使って、ウィトゲンシュタインの人生を語り尽くした。彼がいかに天才で、とんでもない金持ちで、その上、稀代の変人であったか、という話だった。それがめちゃめちゃ面白かったので、ウィトゲンシュタインという哲学者にほのかな興味を抱いたのだった。坂井先生の講義は、非常にユニークで、論理学というものに惹かれる感覚を植え付けられてしまった。とりわけ、(曖昧な記憶だが)、期末テストが画期的だった。二択問題が10題ほど出題され、答案用紙の上部に三角の切り取り線が10個ついているのを、イエスなら切り取り、ノーなら残す、という形式になっていた。それは採点上の工夫ということだった。答案用紙を束ねて、何か堅いもので三角の部分を押し込むと、切り取られてない答案だけがはみ出ることになる。このことを繰り返して分類すれば、(パスカルの三角形のように)、11通りに分かれ、簡単に点数が付けられる、という次第なのである。2進法の原理の応用と言えるもので、さすが数理論理学者(数理哲学者?)と感心した覚えがある。受験者のほうは、間違って切り取ったら、もう元には戻せないので、ものすごい緊張を強いられた。(もちろん、ちゃんとした記述問題も1題、出題されていた)。
 そんなこんなで、ウィトゲンシュタインの哲学というものがなんとなく気になっていたわけだが、三十代前後の頃に、どうしてもきちんと学びたくなった。なぜなら、中学生に数学を教える際、(正負の数であれ、文字式であれ、無理数であれ)、全く新奇な概念を導入するときに、何もなしでは子どもたちに「伝わらない」と感じたからだ。読書経験の中で、ウィトゲンシュタインが「言語とはいったいなんであるか」ということを深く考えた哲学者だ、と知っていたので、何かヒントが得られるのではないか、と考えた。
 ちょうどその時期に、藤本隆志先生が朝日カルチャーセンターでウィトゲンシュタインの哲学について講義する、という情報を得て、いさんで会員になって受講することにした。
 藤本先生の講義は、それはそれは驚くべきものだった。『論理哲学論考』を最初から一行一行読んで、その本質を解釈していくものだった。時にはドイツ語の原文まで持ち出して、デリケートな部分まで解説してくれた。この講義で、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』にどんな目論みを込めていたのか、それが染みいるようにわかった。哲学とは、こういうことをするものなのか、と感激したのをよく覚えている。講義の最終日に、藤本先生の『哲学入門』東大出版会を持って行ってサインしていただいた。今でも、大事にとってある。
 藤本先生の講義で、最も印象に残っているのは、先生がシナリオを監修したデレク・ジャーマンの映画『ウィトゲンシュタインを、日本での公開前に鑑賞することができたことだった。得した気分だった。ジャーマンがAIDSで若くして亡くなるちょうど前後のことだったと思う。ジャーマンらしいタッチの映画だったが、ケインズのそっくりさんが、ウィトゲンシュタイン役の役者さんの肩を抱いて歩いている映像が今でも思い出される。
 ぼくが、ウィトゲンシュタインの哲学をどのくらい理解できているのかについては全く自信がない。だけど、少なくとも、ぼくが中学生向けの数学のテキストを執筆したときには、彼のものの考え方が非常に役立った。「世界とは何であるか」「言語とはどういうものか」「数とはどんな存在か」といった問題と徹底的に格闘して、深く思索したウィトゲンシュタインの姿勢は、ぼくが子どもたちに数学の概念を伝えようとするアプローチに、(うまく行ったかどうかはわからないが)、大きなヒントを与えてくれたと思う。