ガロアの定理をわかりたいならば

 数学書の読みやすさとは、人によって違うと思う。それは、「わかるツボ」というのが人によって違うからだ。幾何的なイメージなしには進むことができない人もいれば、むしろ逆に、非常に形式化されてがちがちに論理的な進み方をしないとわかったような気がしない、という人もいると思う。だから、何か数学的な知識の必要があった場合、何冊にもチャレンジして自分に合った教科書を探すのがベストだと思う。
 ただ、最大多数にわかりやすい数学書となると、数は限られてくる。数学の本を書くのを生業としているぼくでさえ、「よくわかる」本と出会えることは滅多にない。そんな中、最近になって出会って、すばらしいと思っているのは草場公邦先生の本である。以下の三冊を読んだ。

ガロワと方程式 (すうがくぶっくす)

ガロワと方程式 (すうがくぶっくす)

線型代数 (すうがくぶっくす)

線型代数 (すうがくぶっくす)

行列特論 (1979年) (基礎数学選書〈21〉)

行列特論 (1979年) (基礎数学選書〈21〉)

どれもすばらしいが、とりわけ最初の『ガロワと方程式』はめちゃめちゃいい。ガロア理論とは栄光なき天才たち - hiroyukikojimaの日記で紹介した二十歳で決闘で死んだ薄命の天才ガロアの生み出した理論である。( ちなみにフランス語では、ガロワと発音するのが正しいらしく、草場先生はわざとそういう表記を使っているが、日本では一般にガロアが流布している) 。これは、「5次以上の方程式には解の公式が存在しない」ということを証明するために編み出された理論であり、現代代数の先駆けとなったスゴモノである。(ちなみに誤解を最小限にするために言っておくと、何次方程式でも必ず複素数の解を持っている。問題は、それをオートマチックに求める公式があるかどうかであり、5次以上にはそういう便利な公式がない、というのがガロアの定理なのである) 。
ぼくは、数学科のときは代数を専攻したので、ガロア理論は必須の道具であり、一生懸命勉強したのだけど、最終的に「身体でわかった!」というところにたどり着くことができなかった。おおざっぱには捉えることはできたんだけど、機微が掴めておらず、少なくとも「アタリマエ」になるほどには理解していなかったのである。( そんなだから数学の道に挫折することになったのだけどね)。
ところが、最近になってこの『ガロワと方程式』を読んで、急に視界が開け、「アタリマエ」とまではいわないけど、「よくできた自然な理論だなあ」というところまで理解できるようになってしまったのだ。数学科で勉強していた頃から見れば、もう四半世紀も過ぎて達した境地というのもスゴイやら情けないやらである。
果たしてなぜ、4次方程式にまでは解の公式が存在し、5次以上になると存在しないのか?
その秘密は、「解を動かしあう操作」にある。例えば2次方程式には、2つの解αとβがあるから、「解を動かしあう操作」には、操作e:α→α,β→βと操作s:α→β,β→αというのがある。これらの操作は「接続」しても操作となるので、「接続」によって「演算」を作ることができる。このような演算を持った操作たちのことを「群」というのである。こういう「操作の間の代数」(群のこと)が、4次方程式まではある意味の単純さを持っているので、解の公式を作ることができるのだけど、5次以上になるとこれがあまりに複雑になるために解の公式が作れなくなってしまうのである。
そのからくりを書いた本がガロア理論の本なのだけれど、草場先生の本に出会うまでは、何冊読んでも急所がわからなかったし、そこに行き着くまでに息も絶え絶えとなってしまうものだった。このブログ読んでる人の中にも、そういう人が何人かいるんじゃないか、と思う。だったら、絶対お勧めなのが、この草場先生の本を読むことである。これでわからなかったら、「ガロア理論は心底向かない」と諦めるべきかもしれないくらいだ。( そりゃいいすぎかな)。たぶん、この本が、ガロアの定理までの最短距離なんじゃないか、と感じる。そして、わかってしまうと、結局は2次方程式の解の公式」の中にすべての秘密が隠されていることに気がつかされるのである。
ぼくがこんな風な理解に達したのは、草場先生の書き方がみごとだからである。ある法則が出てくるとき、その法則が何のためにここで出てくるのか、あとで何の役に立てようとしているのか、そのポイントが明確に書いてある。そう書いてくれているので、出てきた定理をどの程度の真剣さで理解すべきかの目安が与えられることになる。それと、それなり魅力的ではあるが最終目標には不要であるような補題や定理をばっさばっさと潔く切り捨てているのも、負担が軽くて済んでいる主因だといっていい。こういう数学書の書き方が可能だったのは、たぶん、草場先生が「ただ総合的にわかればいい」的な理解で済ませる人ではなく、「要するに急所は何なのか」という理解の仕方をする人だからなんだと思う。思うに、「頭の良さ」というのは二通りあって、第一は「すべてがその姿のままでわかってしまう」という「頭の良さ」、第二は「本質を掘り出してわかってしまう」という「頭の良さ」である。草場先生はたぶん、後者のタイプの「頭のいい」数学者なんじゃないかと思うのだ。そんでもって、ぼくは、頭が悪いので、前者のタイプの頭脳で書かれた数学書ではな〜にもわからなくなってしまうのである。
 ちなみに、二冊目の『線形代数』も名著である。とりわけ、「ジョルダン標準形」の理論をこれほど明確に、短手数で説明している本は他にないだろう。( ただ、線形代数を易しくイメージ豊かに理解させる本としては、ぼくの『ゼロから学ぶ線形代数講談社のほうが、ユニークな本であると自負(自慢) しているけどさ、笑い) 。
 さらには、最後の『行列特論』は、あまりにすばらしい本で、とりわけ最初の章の「メビウス変形」の解説はあまりにスゴイ。どのくらいスゴイかというと、ぼくはこの本で勉強したおかげで、経済学の共著論文にちょっとした貢献ができて、論文一つ儲けちゃったほどなのである。
 確か、草場先生は、ぼくが駒場や数学科に在籍した頃、非常勤で東大で講義をされていたはずである。同級生が、「すごくわかりやすい講義らしい」と噂しているのを耳にした記憶がある。どうしてそのとき、もぐりで講義を聴きに行かなかったのか、タイムスリップできるなら、当時のうがった自分を叱りに行きたいぐらいである。