ドクターハウスと経済学

 YUIの新曲、「GLORIA」が盛んにテレビCMでかかってるけど、発売日に入手しちゃいました。いんやー、まっこと、すばらしい。受験生のいる家庭では、お香のように絶やさずにかけ続けるべきだろう。いや、受験生でなくとも、「成りたい自分」を心に抱いている人間なら、大人でもおやじでもじじいでも、みんなこの曲にはノックアウトされちゃうはずだ。復帰後、じわじわとミュージックシーンに照準があってきた感があるけど、今回は「負けず嫌い」のYUIにぴったりのテーマで、まさに本領発揮だ。
 でも、カップリングで入っている「Muffler」が、これまためちゃめちゃいい曲なのだ。やっぱりYUIには、ふるさとでの懐かしい恋の歌がすごく似合う。女心がとても切ない曲。こういうのを聴くと、こんなおやじのぼくだって、遠い遠い甘酸っぱい青春の日に引き戻されてしまうのだね。やっぱ、青春といえば、マフラーだよマフラー。
 それはともかくとして、あれだ。今、ぼくがはまっているのは、火曜の深夜にテレビでやってるアメリカのドラマ「ドクターハウス」である。「ボーンズ」もすごいけど、「ドクターハウス」も違う意味ですごい。どちらにしても、日本のドラマ10話分くらいのクオリティのネタを1回で出し切って毎回毎回やってしまうからスゴイ。やはりシナリオライターの水準があまりに違うのだと思う。
 「ドクターハウス」は、「診断医」という、日本ではあまり一般的でない立場の医者が主人公である。直接患者を診察することなく、その症状と状況だけから的確な診断をくだし、治療法を提案するのである。つまり、医療そのものが「推理」になっている、ってこと。現在放映中の第2シーズンになってから、非常に内容が先鋭的になってきている。とりわけ、最初の2話は、映画にできるくらいのクオリティである。第1話は、あと数日で死刑が執行される黒人の殺人犯が自殺をはかり、それとともに同時進行で、謎の病気が悪化していく。その囚人の命を助けようとハウスが必死に病気を推理する話なのである。助かっても、死刑執行までたった数日の命にもかかわらず、なのだ。そして、その治療の途中で、意外な真実が明らかになる。とりわけ、ハウスの部下の黒人の医者と殺人犯の間で起きる対立と共感には涙してしまう。第二話は、末期の小児癌に罹患する少女が、その癌のせいで発生した別の病気を治すためのものすごい危険の伴う治療をなぜ望むのか、その真相を明らかにする話。そして、ハウスが信じられないような離れ業の治療で少女のその病態を改善する。もちろん、癌自体は末期だから、あと数ヶ月の延命にすぎないのだけれど。テーマは、その少女がなぜそうも延命を望むのか、そこにあるのだ。ラストシーンは涙なしでは見終えられない。第2シーズンは、もうレンタルビデオに置かれているので、面白そうだと思う人は是非観てみてちょ。
 この「ドクターハウス」を観ていると、いつも思うことがある。このドラマがテーマにしているのは、一つの病気の進行の裏側で、別の隠れた病気が進行していることが最もやっかいだ、ということ。そして、「患者は必ず嘘をついている」ということ。(ぼくだって、成人病の主治医にいつも嘘をついているので、これはよくわかる。笑い)。
実は、このテーマは、ぼくが最も注目している小野不況理論に通じるところがあるのだ。小野さんの提示しているモデルにおいて、デフレとは、完全均衡からはずれた経済が均衡に戻るための価格調整のプロセスである。バブルで高騰した資産価格が、「間違った価格」であると人々が気づき、それをもとにした投資や消費やポートフォリオが最適でないことを悟ったため、株や土地や商品価格や賃金が均衡を模索し変化し始めた状態なのである。ハウス的にいってみるなら、これは、病気にかかった体が病気と闘い自己治癒していくプロセスである。しかし、ここで問題なのは、このプロセスが別の病気を裏側で発生させるかもしれない、ということなのだ。小野不況理論の本質は、均衡に向かおうとするデフレ価格調整が別の病気、「流動性の罠」(ただし、古典的な意味でのそれではない)という致命的な合併症に陥ることにあるのだ。「健康を取り戻す自律的な機能が別の病気を引き起こす」ってことだ。ここでやっかいなのは、ドクターハウスのエピソードたちと同じく、小野さんの理論では、デフレが起きているとき、それが健康を取り戻すプロセスか、それとも流動性の罠という深刻な病態かを判定するすべがないことだ。バブルと同じで、終わってからでないとわからない。
 この不況に関する見方を、先日、ある勉強会で、著名なマクロ経済学者に話してみたら、同意とは言わないが十分な理解を得ることができた。そのマクロ経済学者も小野さんの理論を評価しており、理論だけでなく実証もきちんとすべきだとおっしゃっていた。つまり、「均衡を取り戻す治癒過程」と「流動性の罠」とを峻別できるようなある種の「検査」を開発できないだろうか、ということだ。これはきっと、今世紀の経済学の重要な課題となると思う。酔っぱらった勢いで、そのマクロの大御所に、大胆にも、「では、いっしょにやりましょうよ」などと言ってしまった。いつか、飲み会でない席で、もう一度誘う機会があると良いのだが。
 と、えらいわき道にそれてしまったが、とにかく、ドクターハウス、めっちゃすごいっす。日本でもああいうクオリティと科学的知見と社会的テーマを兼ね備えたドラマを是非とも作って欲しいものだ。その際、主役は、北川景子仲里依紗篠田麻里子にして欲しいぞ。(ドクターハウスに似合わねー、ばかか、オレは)。