小説というものの難しさ
のっけからなんだけど、今日(8月20日)発売の週刊東洋経済(8/25日号)にぼくのどでかいインタビュー(2ページぶちぬき、写真もでかい)が掲載されてる。最寄りの書店などで立ち読みしてつかあさい。(印税は入らないので買えとは強制しませんです)。これは、先月に刊行した拙著『数学入門』ちくま新書の著者インタビュー。著作に書いたこととインタビューで話したことが非常に上手にまとめられてて、とても良い紹介になっている。このインタビューで興味が出たら、その足で新書の棚に向かい、『数学入門』ちくま新書ものぞいてみて欲しい。これは、刊行1ヶ月で、すでに二回も増刷がかかっていて好調。どこまで部数が伸びるか楽しみだ。
まあ、でも、今回書きたいのは、このことではない。小説のことだ。
小中高校生向けの数学小説(もちろん、大人にも楽しめる)、『大悪魔との算数決戦』技術評論社と『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社を書き終えてみて、小説というものの難しさにある種の感慨がある。なので、今回は小説の作法のことについて書きたいと思っている。
今回、当ブログの読者に是非とも紹介したいのは、この本、阿部公彦『小説的思考のススメ〜「気になる部分」だらけの日本文学』東京大学出版会だ。
- 作者: 阿部公彦
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2012/03/22
- メディア: 単行本
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いやー、そして読み終えて、のけぞった。こんなすごい文学読解の本にはかつて出会ったことがなかったからだ。
扱っている作家は、順に、太宰治、夏目漱石、辻原登、よしもとばなな、絲山秋子、吉田修、志賀直哉、佐伯一麦、大江健三郎、古井由吉、小島信夫となっている。
とにかく、冒頭の太宰治・論からすでにものすごい。だって、選ばれた作品が『斜陽』だからね。実は、ぼくは太宰の小説の中では、『斜陽』が相当に好きなのだ。もう、これだけでよだれが出る。しかし、それと同時に、「『斜陽』に対して、なんか文学論として語れることがあるんだろうか?」という疑問も生じてくる。そんなハテナの中、読み進んでいくと、そう思うこと自体が阿部さんの思う壺なんだとわかってくる。阿部さんは、『斜陽』の中の文章をまるまる取り出して、その一字一句の「仕組み」や「思惑」を暴き出してみせるからだ。
文学作品論というのは、「なんちゃら思想」みたいなものを後ろ盾に行われることが多いような印象を持っている。構造主義だとか、フェミニズムだとか、マルクス主義(弁証法)だとかをバックボーンにして、作家の内面を(手前味噌に)批評してみせるのだ。でも、阿部さんの本はそういう高邁な思想の助けを借りたりしない。ストレートに、小説の中の文章を取り出し、字面で読める通りに地道に読み解き、そして、その中で素朴に疑問をつむいでいく。このような姿勢について、冒頭に、次のように書いている。
まず何よりも気をつけたいのは、文章を一字一句読むということです。当たり前だと思う人がいるかもしれませんが、通常の読書では意外と私たちは一字一句まで文章を読んではいないものです。いや、むしろ一字一句読まない読書のほうが正しいと思えることもある。(中略)。
私たちの読書は、しばしば中身に引き込まれながら行われるものです。編集者とは違って私たちは誤字脱字や言い間違いを探しながら読むわけではないので、むしろ引き込まれるために読むのが目的だと言っていい。もちろん小説を読むときもそうです。書き手の方も、いかに読み手をたぐりよせようかといろいろ計算している。しかし、とくに小説作品の場合は、そうやって引きこまれ騙されつつも、同時に、書き手がいかにこちらに読ませようとしているか、その「いかに」そのものを読むことも大事なのです。そのための第一歩として、まず一字一句読んでみる。簡単なようですが、これが意外と難しいのです。
そして、その実践のお手本として、太宰『斜陽』の冒頭の一節を引用し、一字一句を読みといていくのだ。その執拗さといったら、それはすごい。阿部さんは本当にどんな作品も、こんなにねちっこく読むんだろうか、と恐れおののいてしまう。しかし、こうされてみると、作家というのが、いかに狡猾に文章を書いているかが見えてくる。もちろん、その巧みさは、意図した場合もあるだろうし、生まれ持った性分として無意識に書けてしまう場合もあるだろう。しかし、こう解体されてみると、優れた作家の文章というのが、凡人とは違い、さまざまな目論見と誘導と罠とを備えているのだ、ということがわかる。そして、一度このような読解法を会得すると、小説というものががぜん面白く読めるようになるだろう、いうことが予感されるのである。たぶん、これまでとは違う次元に導かれ、文体として趣味でない作家の作品も読めるようになるに違いない。
阿部さんの本でとりわけ頷いたのは、現代の作家を扱った第2部だ。ここでは、よしもとばなな、絲山秋子、吉田修が解読されている。
絲山秋子は、ぼくが最近、最も注目している女流作家だ。取り上げられている短編『袋小路の男』は、最も好きな作品の一つで、ここでも阿部さんとは相性がいい。この小説は、憎いくらいのみごとなリズムと文体と仕掛けで進んでいく。とりわけ、「仕掛け」の点がスゴイのである。阿部さんは、それをこう書いている。
あなたは、袋小路に住んでいる。つきあたりは別の番地の裏の塀で、猫だけが何の苦もなく往来している。 (九)
どうということのない一節に思えるかもしれませんが、ひとつとても気になることがあります。この小説を読む上で決定的なほど重要な要素です。この語り手はいったい誰に対して語っているか、ということです。
冒頭の一節からわかるのは、語り手が私たち読者に向けては語ってはいないということです。彼女はあくまで「あなた」に対して語っている。しかし、皮肉なことに、「あなた」と呼ばれる青年はおそらく彼女のこの語りを耳にすることは一生ない。そのかわり、その語りが本来向けられていないはずの私たち読者が、彼女の青年に対する語りをたまたま耳にするという構造になっているのです。
この小説は、本当に、「読んでいるとフラストレーションをかきたてられる」作品で、そこがウリなのだけど、そのフラストレーションの正体が上の解読でみごとに言い当てられてしまっている。冒頭の一節だけで、この小説の目論見、思惑が丸裸にされているのである。こういう読み手がいる限り、作家は腕を磨くことに余念が無くなるだろう。ちなみに、この作品は、恋する男に対するオンナの一方的な恋愛感情、相手の同意さえ求めていないほどの激しい一方さ、を描いたスゴミのある小説だ。村上春樹『スプートニクの恋人』の絲山版と言っていい作品だと思う(喜ばないかもしれないが)。
とにかく、阿部公彦『小説的思考のススメ〜「気になる部分」だらけの日本文学』東京大学出版会を読むと、あらゆる名作文学の巧緻さに舌を巻くことになる。そして、文学作品を読むのが今までより楽しくなること請け合いである。
この本を読んでぼくが再認識したのは、小説を書くことの、ものすごい難しさ、ということだ。ある意味、数学の論文を書くのに匹敵する難しさがあることがわかった。使っているロジックやルールのあり方は違うけれど、要する慎重さ、忍耐力、丁寧さ、バランス感覚、エンタティメント魂、などにおいては遜色ないと思う。小説も、数学の証明と同じく、仕上がったときは、「すべてが必然だった」と思えるくらいに無駄なく見落としないものでないといけない、のである。
実際、絵本『ナゾ解き算数事件ノート』技術評論社の刊行を済ませた今、本当に大変な作業だった、と実感している。
- 作者: 小島寛之著,大高郁子絵
- 出版社/メーカー: 技術評論社
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皆さんも、まず、阿部公彦『小説的思考のススメ〜「気になる部分」だらけの日本文学』東京大学出版会を一読し、そして、気になっている作家の小説をひもといてみよう。早くしないと夏休みは、もうすぐ終わりだ。
- 作者: 小島寛之
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